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やけどの薬
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彼の手が頬を撫でているのに違和感も嫌悪すら抱かなかった。
慌ててそれを払いのけて私は一歩後ろに下がった。
「どうしたの?」
ジークは跳ね除けられたにもかかわらず、いや、それすらも嬉しそうに笑った。
彼は近づいてはこず、その場に立ち私を見ていた。彼の目に映る自分の姿が小さく見えて嫌で目を逸らし、
彼と中間距離にあるケトルに手を伸ばして意識を逸らした。
体が温かくなるなんて、嬉しいなんて、そんな感情抱くはずない。
だって、あの時平凡でいれば十分だって思ったんだから。
私は心の中で必死に巡るものを、感じたことのない感情を押し込めた。
「ストップ!」
お湯を注いでいた手を声を合図に捕まれた。
大きく男性らしい指の太いしっかりとした手だった。
「あーあ、何か考え事してた?よそ見をしている時にお湯を扱うのは危険だよ。」
そう言われるまで床までお湯で濡らしているなんて気づかなかった。
カップからお湯はとうに入りきらなくなって溢れていた。
それが私の現状のように思えた。
「熱くない?足どかさないと。」
ジークに言われるまでそんなことも気にも留めなかった。彼に言われて体の痛覚が一斉に襲ってきたようだった。
「うわ、熱っ」
私は反射的に横に飛んでお湯の水たまりから脱出した。ジークは笑った。
「だから、言ったのに。」
「すみませんっ。」
私は現実を今認識できたように、急いで置いてある付近でテーブルと下の床を拭こうとしたのだが、またしても、それを止められた。
「いいよ。君は早く足を風呂場で冷やしておいで。ここは僕が片付けておくから。早く冷やさないと冷めていたとはいえ、十分やけどになる温度だったはずだから跡が残る。」
「でも・・・・。」
「いいから、行っておいで。君をそんな風に混乱させた原因は僕にも一端はあるんだから。早く。」
ジークに背中を押されて結局掃除をせずにダイニングから出されてしまった。
雇い主である彼に掃除をさせるなんて、とんでもない話だろう。
最悪、契約解除されてここを出て行かないといけなくなるだろう。
「何をやっているんだろう。」
自分が情けなくなり顔を上げられないまま、風呂場の方へ向かった。
お湯の温度が低かったおかげで少し赤くはなっていたが、やけどというほど酷い症状はなく、歩くのにも支障はなかった。時間が経つにつれて水ぶくれができるだけだろう。
仕事部屋に戻ると、すでにジークは自分の椅子に座っていた。
「大丈夫だった?」
「はい。すみません、私の失態でしたのに、後片付けをしていただいてありがとうございます。」
「いいや、手が空いていたからね。それぐらいはいいよ。お湯が冷えていたのが幸いだった。足ひどいようなら医者呼ぼうか?」
医者って呼べるんだ。病院行こうか?じゃなくて。
私考えたら、保険証とかって使えるんだろうか。いや、たぶん使えないんだろう。保険料払ってないし。
これからは怪我と病気をしないように気を付けなければ、金額が恐ろしい。
「いいえ、大丈夫です。そんなにひどくはならないようですし、痛みはないですから。」
「そっか。無理しないように。」
ジークはそう言いつつ、リオウの方を見た。
すると、リオウは頷き、2人ならではのアイコンタクトというやつだ。
「郁美さん、今日はこれを終えたらもう切り上げてください。」
「いいえ、私は本当に。」
「無理はいけませんよ。それにこんな事態になったのは、そこの方があなたに対して何を言って心を乱したからでしょうし。」
リオウは、困った、とばかりにため息を吐いた。
「まあ、ゆっくり過ごしてください。」
「はい、ありがとうございます。」
彼から資料を受け取りながら私は頷いた。
これは彼の気遣いで、これ以上こちらが粘れば彼に失礼な気がした。
しかし、人間、いきなり暇ができると何に手をつけていいのか分からなくなる。
とりあえず、自分の部屋に行き制服からスウェットに着替えて椅子に座った。
彼らは格好について何も言わないので、私は以前の生活の時と何も変わらない格好をしていた。
それに、リオウはいつもスーツでネクタイをして外で会った時と同じ格好をしているのだが、ジークは外に出かける用時がない限り、ジーパンとシャツのシンプルな格好で過ごしていた。
私の方がリオウに対して申し訳ない気持ちで一杯なのだが、初日から制服だったからか彼は本当に顔色1つ変えなかった。
格好が駄目な分を仕事をこなして役に立つことで挽回しようと、いや、ここ数日は迷惑をかけていないので、挽回できていたと思うのだが、今日のことで一気にその時に積んだ徳は消えただろう。
もしかしたら、マイナスの可能性もある。
そう思うと、机に頭を打ち付けずにはいられなかった。
「はあ、本当に何やっているだろう。」
机とおでこを引っ付けてため息を吐いた。
「私、なんであの時あんなふうに思ったんだろう。」
考えれば考えるほどドツボに嵌って行った。
コンコン
その時、扉が叩かれた。
「はい。」
「静江です。入ってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ。」
慌てて上体を起こし扉の方を見た。
「休んでいました?ごめんなさい。」
「いいえ。」
静江に謝られたのですぐに私は訂正した。
休んではいない、落ち込んでいただけ。
心の中でそう付け足した。
彼女は私の前まで来ると小さな丸い入れ物を私の手を掴んでその掌に置いた。
「これ、やけどの薬ですよ。塗って置いた方がいいかと思って持ってきたんです。今は大丈夫でも後で酷いことになると大変ですから。」
彼女は本当に心配してくれているようだった。
「ありがとうございます。そんなに気を遣わせてしまってすみません。でも、薬は助かります。ありがたく使わせていただきます。」
私は普通にお礼を返したつもりだったのだが、彼女は一瞬辛そうな顔をした。
それが気がかりだったが、今の彼女は笑っていたので気が付かない振りをした。
「気を遣って言っているんではありませんよ。もちろん、ジーク様やリオウ様に強制もされていませんよ。私はただ、あなたのことが心配だからこれを渡しに来たんです。」
彼女は私にそれを握らせて両手で包み込んだ。
その手は温かく柔らかかった。
彼女はそれを渡すだけが用事だったようで、部屋から出て行った。
その入れ物を開けると白いクリームだった。それをやけどをした足裏に塗った。
スーッとした植物系の爽快な匂いが鼻腔を擽った。
「ありがとうございました。静江さん。」
彼女はもうここにはおらず、届かないと分かっているのに、その言葉は自然と出てきた。
そして、それと一緒に出てきた雫が流れ落ちる前に頬を拭った。
誰かの温かさを知った。
慌ててそれを払いのけて私は一歩後ろに下がった。
「どうしたの?」
ジークは跳ね除けられたにもかかわらず、いや、それすらも嬉しそうに笑った。
彼は近づいてはこず、その場に立ち私を見ていた。彼の目に映る自分の姿が小さく見えて嫌で目を逸らし、
彼と中間距離にあるケトルに手を伸ばして意識を逸らした。
体が温かくなるなんて、嬉しいなんて、そんな感情抱くはずない。
だって、あの時平凡でいれば十分だって思ったんだから。
私は心の中で必死に巡るものを、感じたことのない感情を押し込めた。
「ストップ!」
お湯を注いでいた手を声を合図に捕まれた。
大きく男性らしい指の太いしっかりとした手だった。
「あーあ、何か考え事してた?よそ見をしている時にお湯を扱うのは危険だよ。」
そう言われるまで床までお湯で濡らしているなんて気づかなかった。
カップからお湯はとうに入りきらなくなって溢れていた。
それが私の現状のように思えた。
「熱くない?足どかさないと。」
ジークに言われるまでそんなことも気にも留めなかった。彼に言われて体の痛覚が一斉に襲ってきたようだった。
「うわ、熱っ」
私は反射的に横に飛んでお湯の水たまりから脱出した。ジークは笑った。
「だから、言ったのに。」
「すみませんっ。」
私は現実を今認識できたように、急いで置いてある付近でテーブルと下の床を拭こうとしたのだが、またしても、それを止められた。
「いいよ。君は早く足を風呂場で冷やしておいで。ここは僕が片付けておくから。早く冷やさないと冷めていたとはいえ、十分やけどになる温度だったはずだから跡が残る。」
「でも・・・・。」
「いいから、行っておいで。君をそんな風に混乱させた原因は僕にも一端はあるんだから。早く。」
ジークに背中を押されて結局掃除をせずにダイニングから出されてしまった。
雇い主である彼に掃除をさせるなんて、とんでもない話だろう。
最悪、契約解除されてここを出て行かないといけなくなるだろう。
「何をやっているんだろう。」
自分が情けなくなり顔を上げられないまま、風呂場の方へ向かった。
お湯の温度が低かったおかげで少し赤くはなっていたが、やけどというほど酷い症状はなく、歩くのにも支障はなかった。時間が経つにつれて水ぶくれができるだけだろう。
仕事部屋に戻ると、すでにジークは自分の椅子に座っていた。
「大丈夫だった?」
「はい。すみません、私の失態でしたのに、後片付けをしていただいてありがとうございます。」
「いいや、手が空いていたからね。それぐらいはいいよ。お湯が冷えていたのが幸いだった。足ひどいようなら医者呼ぼうか?」
医者って呼べるんだ。病院行こうか?じゃなくて。
私考えたら、保険証とかって使えるんだろうか。いや、たぶん使えないんだろう。保険料払ってないし。
これからは怪我と病気をしないように気を付けなければ、金額が恐ろしい。
「いいえ、大丈夫です。そんなにひどくはならないようですし、痛みはないですから。」
「そっか。無理しないように。」
ジークはそう言いつつ、リオウの方を見た。
すると、リオウは頷き、2人ならではのアイコンタクトというやつだ。
「郁美さん、今日はこれを終えたらもう切り上げてください。」
「いいえ、私は本当に。」
「無理はいけませんよ。それにこんな事態になったのは、そこの方があなたに対して何を言って心を乱したからでしょうし。」
リオウは、困った、とばかりにため息を吐いた。
「まあ、ゆっくり過ごしてください。」
「はい、ありがとうございます。」
彼から資料を受け取りながら私は頷いた。
これは彼の気遣いで、これ以上こちらが粘れば彼に失礼な気がした。
しかし、人間、いきなり暇ができると何に手をつけていいのか分からなくなる。
とりあえず、自分の部屋に行き制服からスウェットに着替えて椅子に座った。
彼らは格好について何も言わないので、私は以前の生活の時と何も変わらない格好をしていた。
それに、リオウはいつもスーツでネクタイをして外で会った時と同じ格好をしているのだが、ジークは外に出かける用時がない限り、ジーパンとシャツのシンプルな格好で過ごしていた。
私の方がリオウに対して申し訳ない気持ちで一杯なのだが、初日から制服だったからか彼は本当に顔色1つ変えなかった。
格好が駄目な分を仕事をこなして役に立つことで挽回しようと、いや、ここ数日は迷惑をかけていないので、挽回できていたと思うのだが、今日のことで一気にその時に積んだ徳は消えただろう。
もしかしたら、マイナスの可能性もある。
そう思うと、机に頭を打ち付けずにはいられなかった。
「はあ、本当に何やっているだろう。」
机とおでこを引っ付けてため息を吐いた。
「私、なんであの時あんなふうに思ったんだろう。」
考えれば考えるほどドツボに嵌って行った。
コンコン
その時、扉が叩かれた。
「はい。」
「静江です。入ってもよろしいですか?」
「はい、どうぞ。」
慌てて上体を起こし扉の方を見た。
「休んでいました?ごめんなさい。」
「いいえ。」
静江に謝られたのですぐに私は訂正した。
休んではいない、落ち込んでいただけ。
心の中でそう付け足した。
彼女は私の前まで来ると小さな丸い入れ物を私の手を掴んでその掌に置いた。
「これ、やけどの薬ですよ。塗って置いた方がいいかと思って持ってきたんです。今は大丈夫でも後で酷いことになると大変ですから。」
彼女は本当に心配してくれているようだった。
「ありがとうございます。そんなに気を遣わせてしまってすみません。でも、薬は助かります。ありがたく使わせていただきます。」
私は普通にお礼を返したつもりだったのだが、彼女は一瞬辛そうな顔をした。
それが気がかりだったが、今の彼女は笑っていたので気が付かない振りをした。
「気を遣って言っているんではありませんよ。もちろん、ジーク様やリオウ様に強制もされていませんよ。私はただ、あなたのことが心配だからこれを渡しに来たんです。」
彼女は私にそれを握らせて両手で包み込んだ。
その手は温かく柔らかかった。
彼女はそれを渡すだけが用事だったようで、部屋から出て行った。
その入れ物を開けると白いクリームだった。それをやけどをした足裏に塗った。
スーッとした植物系の爽快な匂いが鼻腔を擽った。
「ありがとうございました。静江さん。」
彼女はもうここにはおらず、届かないと分かっているのに、その言葉は自然と出てきた。
そして、それと一緒に出てきた雫が流れ落ちる前に頬を拭った。
誰かの温かさを知った。
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