雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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第五章 神立

十二

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「春日井、さん……?」

手のひらで押さえこんでいる脇腹から、鮮血が滲みだしている。

「いやぁっ!」
「だ、だいじょうぶ、だから――」

呻きながらそんなことを言う春日井さんの前で、私は半狂乱になる。

「どうして、ねぇ、どうしてっ!」

身体中どこもかしこも震えさせながら、春日井さんの身体を抱く。その間にも春日井さんの手のひらの隙間から染み出す血液が白いシャツを汚していく。

「きゅ、救急車を――」
「ダメ、だっ」

呼吸も荒くなって苦痛に表情を歪めているのに、その言葉だけはやけにはっきりとしていた。

「お、俺は――」

私たちの前に呆然と立つ樹が、その手のひらから刃物を落とす。

「俺は、悪くない」

床の上に血の付いた刃物が転がる。

「おまえたちが、悪い――」

青ざめた顔が後ずさりながら私たちから離れて行く。

「春日井さん! 救急車、今すぐ呼ぶから頑張って! お願いです!」
「救急車は、呼ばない、で。頼むから――うっ」

一際眉をしかめて、その額から汗が滲み出ている。そんな姿を見たら、正気でなんていられない。震えて上手く動かない手を懸命に動かし、バッグを拾ってスマホを取り出す。

一一〇番、違う、一一九番――。

混乱して簡単なことさえ分からなくなる。スマホまでガタガタと揺れて、涙で文字も歪んで上手くタップできない。

「糸原さん、や、めて――」

私の腕の中にいる春日井さんが呻く。それを無視してスマホを操作していると、思いっきりそのスマホを跳ねのけられた。

「春日井さん、どうして? 死んじゃう――」

春日井さんが、痛みをこらえるようにして泣きじゃくる私を見上げる。

「だいじょう、ぶ。死なない、よ」
「でも!」

床に滑るスマホに伸ばそうとした私の手を、春日井さんの震える手が必死に掴んだ。

「脇腹の刺し傷なんて、病院に行ったら、ただの怪我では済まない。警察を呼ばれる可能性もある。そんなことになったら、樹君が――」

より苦しそうになる。怖くなって春日井さんの肩を強く抱く。

「春日井さん、喋らないで。もう、喋らないでいいです」

苦しそうで見ていられない。

「樹君を犯罪者にして、しまう、かもしれない。そんなこと、させられない……っ」
「何、言ってるの……?」

春日井さんの言ったことに、耳を疑う。もしかしたら死ぬかもしれないのに。自分を刺した人間を庇うなんて、理解できない。

「樹のことなんて、考えている場合じゃない!」

これは怒りなのか哀しみなのか、私は泣き叫んでいた。

「樹君のためじゃない――っ」

樹のためじゃないって――。

床に流れ落ちる生暖かい血液に、恐怖が込み上げるのに。春日井さんが懸命に私を見つめるから目を逸らせない。

「君を、犯罪者の恋人に……家族に、させたく、ないんだ」

どうして、春日井さんはそんなことを言うの――?

どうして、私なんかのために。

「もう、これ以上、君は辛い目に遭うことない」

すぐ間近に見下ろす春日井さんの顔が、涙で滲んで良く見えない。

「春日井さんにもしものことがあったら、私は――」
「大丈夫、死なないから」

そう言って苦痛に歪んだ顔で笑みを作って見せて、私の手を強く掴んだ。

「今は痛みで、こんな顔になっちゃってるけど、脇腹を掠っただけだから……」
「でも――」
「本当に死にそうなら、僕だって、躊躇いなく病院に運ばれる。ここで死んだら元も子もない」

その言葉を信じてもいいの――?

半信半疑で春日井さんを見つめる。

「彼は、やっぱり、本気で、君を、殺そうとなんて、思って、なかったんだ。殺そうとするには、勢いが、なさ過ぎた」

眉をしかめながら笑う春日井さんに、どんな表情をしたらいいのかわからなくなる。春日井さんは、あくまでも、私の不安を取り除こうとする。

「笑っている場合じゃない」
「君も、泣いてる、場合じゃない。傷の手当て、手伝って」

春日井さんの指が、私の涙を拭った。


 結局、春日井さんは、見ていられないほど痛そうにしながらも、テキパキと傷の処置を施してしまった。傷口に大量の消毒液をかけ、傷をガーゼで塞ぎ、包帯できつく締める。

『子供の頃から、傷ばかり付けられていたから、こういうの慣れてしまって』

少し痛みが落ち着いて来た頃だったのか、春日井さんがそう言った。そう言えば、高校生の時、春日井さんの額には切り傷があった。

『どの程度ならヤバイのか、どの程度ならなんとかなるのか、分かるようになって来る』

そうとも言っていた。その言葉の通り、春日井さんの体にはいくつかの傷跡があった。



 傷は動かさないに限ると言って、春日井さんは三日ほど仕事を休んだ。

「ごめんね……」
「何、言ってるんですか!  こうなったのは、私たちのせいで、当然のことです。謝っても謝っても足りない。本当にごめんなさい――」

春日井さんの部屋で傷口のガーゼを取り替えていた。その傷口を見るたび、どうしたら良いのか分からなくなる。春日井さんの肌に触れる緊張を追いやりひたすら目の前の手当てに集中する。

「もう、『ごめん』は何度も聞いてる。ほら、傷もかなり良くなってるだろ?  君がこまめに消毒して、ガーゼを替えてくれたから。食事だって。回復に役立ちそうなメニューたくさん作ってくれた。それに――」

春日井さんが私を見る。

「縫わなきゃいけないほど深くは切られなかったお陰」
「春日井さん……」

どう考えても、樹がとんでもないことをしたのに。私のせいで春日井さんを巻き込んだのに――。

「もっと責めてくれていいのに。そうじゃないと、私――」
「君が責任を感じる必要はないんだ」
「でも――」
「彼にあんなことをさせたのは、僕にも責任はある」
「ないです!  春日井さんに責任なんて――」
「あるよ」

強い意思のこもった声が私を遮った。







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