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《その後》二人で見た海であなたを待つ
君を守るということ、君を愛するということ 14
しおりを挟む考える前に、その声の方に顔を向けた。そこに佇むのは確かに未雨だった。それが分かった瞬間に思ったことはただ一つ。
あの記者に、未雨を見られたら――。
「なんでこんなところにいるんだ! ここにいちゃいけない。早く帰るんだ!」
清水さんがいることなんてすっかり頭から消えて、僕は必死だった。
「ついさっきまでここにあの記者がいたんだ。とにかく、早く!」
終わりだ。ここで未雨の姿を見られたら、もう何の言い訳も言い逃れも出来ない。せっかく、未雨からあの記者を引き剥がしたのに。
「私、太郎さんの部屋に行って、待っても帰って来ないから、心配で、探しに来て……」
未雨が、呆然と立ち尽くし僕を見て、自分の手を握りしめていた。その目を激しく揺らしながら、僕を見ている。
その時、ようやく思い出した。僕のすぐそばに清水さんがいることを。僕が他の女と二人でいるところを見て、誤解しているのか。それでも未雨は、逃げ出すこともこちらに近付くこともしない。その気持ちを思えば、切り刻まれるみたいに胸が痛い。でも、その痛みに構わず僕は叫んだ。
「未雨、頼むから言うことを聞いて! 早く、ここから離れて――」
「嫌です……っ!」
未雨が、肩を震わせ、悲しいほどに大きな声を上げた。その時、僕の目の前からふっと人影が動く。次の瞬間には、声が放たれていた。
「春日井さんは、もうあなたとは別れるって言っているんです。どうして春日井さんの気持ちを考えてあげられないの? どれだけ春日井さんが苦しんでいるかも知らないで。もう、春日井さんの前に現れないで。それが、春日井さんのために、あなたが出来ることなんじゃないんですか?」
「そんなこと、出来ません……。出来ません!」
ゆらゆらと揺れていたはずの瞳が、清水さんではなく真っ直ぐに僕だけを見ていた。
「太郎さん、ごめん。私、やっぱり出来ない」
「どうして!」
未雨の言葉に、清水さんが声を張り上げた。
「春日井さんは、全部、あなたのためにしているのに。あなたみたいなごくごく普通の人には分からないんだよ。どれだけ大変なことか。私なら分かってあげられる。私も、春日井さんと同じだから。春日井さんの痛みを、自分のことのように理解してあげられる」
清水さんが発した『私も春日井さんと同じだから』という言葉に、未雨が一瞬目を見開いた。でも、胸の前で合わせた手を支えにするみたいに、必死にそこに立つ。そんな未雨を見ていたら、今すぐにでも抱きしめたくなるのに、いろんな鎖が僕をここにがんじがらめにする。どうしても、この鎖はほどけない。
「そう、なのかもしれないです。一緒にいても、私では、太郎さんの痛みを半分も分かち合うことが出来なかったのかもしれない。永遠に分からないままかもしれない。私といることが、余計に太郎さんを苦しめるのかもしれない」
「だったら――」
「でも、どうしようもないんです。自分でもどうしようもないほど、好きなんです。私のために離れることが太郎さんの愛なら、何があってもそばに居続けることが、私の愛です!」
未雨――。
ほんの少しでも油断すれば、この身体はきっと勝手に動いてしまう。
後先考えずに、僕は――。
「太郎さん、私は、すごくわがままで自分勝手な女なんです。あなたが私から離れようとする気持ちを分かっていても、あなたを楽にしてあげることも出来ない。私といることが、あなたを罪悪感でいっぱいにすると分かっていながら、そばにいたいと言うんです。でも、太郎さん、聞いて」
未雨が、僕を見る。その目は僕だけを見る。
「太郎さんにとって、弟さんの事件が最初から決まっていた運命だったなら、私があなたに出会ったことも運命だった。出会ってしまったんだから、なかったことになんて出来ないよ。苦しくたって、抗いたくない。私にとってその運命は、必然だったと思ってる。例え今、太郎さんに出会う前に戻れたとしても、私は太郎さんと出会う人生を選ぶよ!」
冬の強く冷たい海風が、未雨の身体を吹き飛ばそうとする。それでも、未雨は少しも揺らぐことなく真っ直ぐに立ち、僕を見ていた。
「現実も知らないでって言われるかもしれない。でも、だからこそ言えることもある。私は、二人で頑張ろうって、言いたい」
この目に映る未雨は、輪郭が滲みまくって、もう原形なんて留めていなくて。薄暗い闇の中に溶けて消えてしまいそうなのに、その声が僕に絡みつく鎖を一つ一つ解いて行く。
「それを、今日は言いに来ました。それでも、私から離れたいって言うなら……私はいつまででもこの海で待っています。太郎さんと再会出来た日に、この海に誓ったから」
未雨のことを、僕は、分かっていなかった。何も分かっていなかったんだ。
「太郎さんと歩く未来を、私は信じています。だから、待つことは怖くありません」
未雨が、一歩、後ずさる。
「それでも、やっぱり、出来たら早めに来てほしいかな」
僕から、遠ざかって行く。
「だって、出来る限り長い時間を太郎さんと過ごしたいから。二人で過ごす時間の幸せを知った後だと、やっぱり前よりずっと寂しいから……っ」
「未雨!」
未雨が突然僕に背を向け、走り出した。怖くないはずがない。苦しくないはずがない。どれだけの想いでここに来て、気丈に僕に想いを告げてくれたのか。あまりに心が震えて、上手く呼吸が出来ない。僕は深く息を吐く。
「春日井さん……っ」
悲鳴みたいな声が耳に届いた。
「――僕は、何もかもを間違えていた。未雨は、少しも守られたいなんて思っていなかったのに。僕は、一体、彼女の何を守ろうとしていたのか。未雨は、僕が思っているよりもずっとずっと、強い人だったのに」
未雨のためにと言いながら、離れようとしたのは自分が苦しかったからだ。
目の前で、未雨から全てを奪い、僕との生活に疲れ苦しむようになったら、あの笑顔が、僕のせいで曇ることになったら――。
それを見るのが怖かったから。何もかも、怖かったから。
「僕は、違う守り方をしなくちゃいけなかったんだ――」
「待ってください!」
走り出そうとした僕に、清水さんが叫ぶ。
「本当にいいんですか? あの人にも罪を背負わせるの? 一生、逃げて回る生活にあの人を付き合わせるの?」
僕は振り返り、頭を振る。
「――彼女が教えてくれた。これは、絶対に抗っていはいけない運命だったんだ。僕は、それを見誤っていた」
もう、振り返らない。鎖はもう、僕を留めたりしない。
僕のするべきことは、未雨から離れることではなかった。未雨が本当に逃げ出したくなるその瞬間まで、一緒にいることだった。僕のそばにいてくれる未雨を全力で愛することだった。
もう、車のライトと街灯と、その明かりしか頼りはない。波の音と砂を踏みしめる音。そして強く吹く風の音。そればかりが耳に響く。まるで闇の中で、彷徨うみたいだ。それでも、必ず未雨を抱きしめる。愛おしくてたまらない、強くて儚い君を。
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