雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

エピローグ 2

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 二人で暮らす、海岸近くのアパートは、やっぱり古びたものだった。もう少し広い部屋に引っ越してもいいと未雨に言ったが、相変わらず「狭い部屋がいい」と主張した。どうせ、僕に気を遣っているのだろうと思った。でも、『狭い方が、いつでも太郎さんにくっつける』なんてことを言って、また僕を違う意味で困らせた。

「ただいまー」

誰もいない暗い部屋に向かって、未雨が言う。その後ろから部屋へと入った僕は、ドアを閉め、明かりのスイッチを入れた。8畳の和室に3畳ほどのキッチンがある1Kの部屋。ここが、二人で暮らす部屋だ。金曜日の夜は、どことなく、二人とも陽気になる。

「今日は、箸じゃなくて、スプーンとフォークかな」
「そうですね。その方がいいかも」
「了解」

未雨が料理を作る横で、僕は小さな食卓を整える。

 8畳の和室には、セミダブルのベッドと、ローテーブル、チェスト、そして小さな本棚が所狭しと置かれている。未雨の言う通り、二人がその部屋にいればもう大したスペースも残らない。
 小さなローテーブルを挟んで向かいあって座り、いただきますと手を合わせた。
 未雨の作る料理は、いつだって美味い。温かい料理を温かいうちに食べる。冷え切っていた部屋も暖まり、余計に心地よくなる。未雨の目を見て、未雨の話を聞いて、それもすべて温かさに積み重なる。

「――明日の午前中、用事があるからちょっと出掛けて来る」
「用事、ですか?」

食事を終えてから、僕は切り出した。

「うん。でも、午前中で済むから、昼は一緒に食べよう。そのあと、海にでも散歩に行こうか。それから、買い物にも行こう」
「はい!」
「じゃあ、あの海辺沿いのカフェで待ち合わせよう」

僕がそう答えると、未雨が、ほんの少し神妙な顔になる。

「二人の休日が合うからこうして二人で出かけられるんですよね。でも、太郎さんは、今の仕事、これからも続けて行くの? 本当は、また図書館で働きたいんじゃない? せっかく大学にまで行って司書の勉強をしたのに」

その話は、結婚したばかりの頃にもした。まだ、そんなことを気に留めていたのか。

「前にも言っただろう? 今の仕事を続けて行くつもりだよ。今の工場は、正社員で雇ってくれたんだ。図書館っていうところは、正社員で働くのは至難の業だしね」

僕がそう言って笑っても、未雨はまだ何かを考え込んでいるような顔をしている。

「お金の問題だったら、私、今の生活で十分だし、今より必要なら私ももっと働けるし――」

そんな未雨の顔に、そっと手を伸ばす。そして、その頬を軽く引っ張った。

「た、太郎さん!」
「僕も、これ以上望むことなんてないよ」

そして、そのまま頬を手のひらで包んだ。

「思い出の場所は、もう必要ないよ。僕は今、君とこうして生きているんだから。それに図書館には、二人で行ける」

そう言うと、未雨が目を大きくして、そしてふっと笑った。

「……うん。そうだね」

 その腕を引き寄せて、抱きしめる。

 僕たちの生きている世界は、同じ場所で同じことを繰り返す、それだけの、他の人よりも狭い世界だ。人は、生きている以上、見たことがない世界を見たいと思うし、手にしていないものを欲しいと思う。人が旅に出るのも、新しいものを欲しいと思うのも、当然の欲求で。ある意味、それが生きているということなのかもしれない。
 それなのに僕は君を、この街と、海の景色と、小さな会社と8畳のアパートの狭い世界に閉じ込めている。何かを欲することを、我慢させなければならない。


 翌日、約束通り海沿いにあるカフェで軽い昼食を取ってから、そのまま海へと歩いた。しっかりと防寒をした未雨は、どこかもこもことして可愛い。首元に巻いたマフラーに口元を埋めて、手袋もしっかりしている。
 僕は持っている唯一のスーツを着てその上にコートを羽織っているだけだから、肌寒さを感じる。でも、陽射しが暖かいから、海から吹く冷たい風にも耐えられた。波打ち際を歩くには、支障はない。
 近所の子供たちは、寒さもお構いなしに走り回っていた。未雨は、陽が反射してきらめく海を眺めながら歩いている。僕はそんな未雨を見つめた。

「未雨」
「ん?」
「いつも、ありがとう。それと、いろんなこと我慢させてごめん」
「え? 急に、何?」

もこもこの未雨が、海から僕へと顔を向け立ち止まった。

「結婚してから半年、僕は君に何もしてあげられていない。新婚旅行だって、式だって、何も。それなのに、君は、僕に何も言わない」
「そんなこと? いらないよ、そんなの。欲しいって思ったこともないよー」

未雨が笑って、僕に向き合う。未雨はそう言うと思った。僕がこれまでずっと、働いた金から遺族に送金を続けていることを知っている。だから、未雨は何も言わない。言えないのだ。

「私ね、もの凄く貴重なものを太郎さんからもらったから。それで、十分」

未雨が、僕の目を見る。

「――太郎さんが、私に婚姻届けを預けてくれた時、すごく嬉しかったの。本当に、本当に嬉しかった。これ以上に欲しいものは私にはないんだなって改めて分かった。太郎さんは、誰かと幸せになろうなんて思っていなかった人。自分の人生を捨てていた。そんな太郎さんがくれた婚姻届に、どれだけ重い意味があるのかを考えたら、私、本当に幸せで。十分幸せな花嫁にさせてもらってる。あの紙一枚に、ダイヤモンドも新婚旅行の価値も敵わないから」

もこもこの身体が僕を包み込む。背中に回された腕が僕を優しく抱きしめる。

「太郎さんと一緒に頑張る。私は太郎さんの奥さんになれたから、”二人で頑張ろう”って言えるようになった。それが嬉しいよ」

どうしてだろう。

僕が未雨と一緒にいるようになって、何度も何度も思うことだった。

どうして、君は――。

「未雨、これから一緒に行ってほしいところがある」
「え? 買い物?」

きょとんとした未雨に、僕は苦笑する。

「買い物はその後」
「え?」

僕は未雨の手を掴んだ。




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