雨の庭で来ぬ君を待つ【本編・その後 完結】

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《その後》二人で見た海であなたを待つ

エピローグ 4

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 列席者もいない。僕と未雨の二人だけの式だ。
 写真館が併設されている教会だけあって、信者でなくても柔軟に受け入れてくれた。こちらからの要望にも快く応えてくれて、ありがたかった。
 むしろ僕は神の存在なんてまるで信じていない人間だ。そんな人間が教会式でというのもおかしいけれど、僕たちの結婚は、皆に盛大に祝ってもらえるものでもないし、誰に参列してもらうものでもない。だから、せめて、神というものがあるのなら、その神にだけでも認めて見てもらいたいと思ってしまったのもある。
 普通なら新婦は父親とバージンロードを歩くのだろう。一度だけ会ったことがある未雨の父親の顔が、おぼろげに思い出される。顔は曖昧だけれど、あの時僕に見せた言葉や態度は鮮明に覚えている。もしかしたら、表からは見えない心の奥には、普通の親なら持ち合わせているであろう娘に対する愛情があるのかもしれない。でも、そうだったとしても、それが娘である未雨にまったく伝わっていないのなら、それはないことと同じになってしまうのではないか。僕の腕に手を置き隣を歩く未雨を見て、思う。

もし、この姿をあの父親が見たらどう思うのだろうか――。

この世でただ一人の娘の花嫁姿を見て、何も思わないなんてことはないのだろう。そうだとしたら、父親の知らないところで結婚してこうして式を挙げさせてしまったことに、ほんのわずか罪悪感を感じる。僕の両親は既にこの世にはいない。でも、未雨にはいる。傍にいながら娘に目を向けなかった父親と、早々に娘を捨てた母親が。
 祭壇に向かって二人で並んで歩く。牧師の前に立つと、現金なもので、勝手に厳かな気持ちになる。
 これまでの僕の人生の頭上に、神なんてものはいたためしがない――そうずっと思って来た。神なんてものが本当にいるなら、この地球上で、苦しむ人なんていない。こんなにも絶望的で出口のない人生があるはずはないと。
 でも、未雨と再会して、そんなにも否定していた存在に、無意識のうちに祈るようになっていた。

 牧師が聖書を朗読し祈りをささげる。そして、僕たちにこう語りかけた。

「聖書には、こう記されています。『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』と。神が、この相手を、あなたが愛し助け合う対象として与えてくださった。神が結びあわせてくださった、あなたにとって唯一の人なのです。ですから、決して離れることは出来ません。これから先、そのような者として愛することを神の前で誓約するのです」

その言葉は、まるでこれまでの僕の人生を見て来た神が僕に言っているのかと思った。僕のような人間は、独りで生きて行かなければならないと思っていた。誰にも迷惑をかけないように、かけてはならない。それが常に根底にあったから、未雨といることに葛藤し続けて、手放そうとした。そもそも僕にそんな傲慢なことなど出来なかったのだ。僕はクリスチャンではないのに、この言葉だけは胸に刺さりそのまま根を張って行く気がした。

「病める時も、健やかなるときも、互いに支え合い愛することを誓いますか?」
「――誓います」

短い言葉に、すべての想いを込める。未雨にも同じ言葉が投げかけられた。

「誓います」

その未雨の声を、僕は一生忘れないだろう。

 指輪の交換となったとき、牧師がお互いが向きあうよう合図した。その時、未雨がはっとしたような顔になる。そんな未雨に、僕は安心させるように頷いて見せた。事前に預けておいた指輪が運ばれる。その一つを手に取った。未雨は言葉に出来ないだけに、余計にその目で訴えて来る。

「これを渡すのが遅くなってごめん」

指輪を指に滑らせながら、未雨だけに聞こえるように小さな声で囁いた。結婚して半年かかってしまった。この日の午前中、刻印を頼んでいた指輪を店に取りに行ったのだ。婚約指輪をあげる余裕はなくて。だからせめてと思い、決して高価なものではないけれど、結婚指輪に小さな石の入っているものを準備した。その指輪に視線を落としながら、未雨が静かに涙を流す。
 未雨の薄いベールをそっと上げると、未雨の透明な瞳が露わになった。長いまつ毛に縁どられた、漆黒の潤んだ目が僕を見つめてくれる。未雨の肩に手を置き、顔を傾けると、未雨が静かに瞼を閉じる。涙の筋が残る頬がほんのりと色付いて、その目を閉じた未雨に、僕は一瞬見惚れてしまった。そして、大切なものに触れるように唇を重ねた。


 式を終えて教会を出ると、未雨が目を真っ赤にして僕を見上げて来た。その目が何かを訴えて来る。

「未雨……?」

僕は不思議に思って未雨を見つめ返すと、今度は僕の腕を掴みながら顔を小さく逸らす。逸らされた横顔も、赤く染まっている。

「――すみません、すぐに支度部屋に戻りますので、少し二人だけにしてもらってもいいですか?」

付添の係の人に告げると、快く頷いてくれた。教会と隣合う写真館のその建物の間、人の目からちょうど死角になる教会のレンガの壁際に未雨と二人で立つ。

「未雨、どうしたの? 何か――」

心配になって未雨の顔を覗き込もうとすると、ドレスの衣擦れの音をさせながら僕に抱き付いて来た。

「太郎さん、私もう……っ!」
「未雨?」

僕は驚いて、その身体を抱き留める。その反動でレンガの壁に身体を押し付けられた。

「全部、いきなりで、突然で、何も気付いてなくて……」
「未雨、怒ってるのか? ごめん――」

訳も分からず焦る。未雨が僕の胸にしがみつきながら、その顔を上げた。真っ赤になっていた目には、再び涙が溢れていた。

「式も、指輪も。私、本当に望んでいなかったんです。だけど、二人でこうしてちゃんと誓い合えたこと、指輪を準備してくれていたこと、全部に驚いて嬉しくて感動して。でも、あの場では感情を表すわけにも行かなくて。式の間中、耐えているのに大変だったんです」
「ごめん」

未雨が泣きながら訴える。そんな未雨を見ていると、僕もたまらなくなる。

「だから、もう我慢できなくなったの」

そう言って未雨が腕を伸ばし、僕の首に絡ませてそのまま引き寄せられた。

「未――」

未雨によって、僕の声は遮られる。気付いた時には、未雨の唇で塞がれていた。熱くて濡れた口付けは、先ほどの神の前で交わしたものとは全く違う、激しく僕を求めるものだった。
 そんなことをされれば、こっちだって耐えられなくなる。神々しささえ感じていたはずなのに、こうして生身の未雨が僕の目の前にいるのは確かなことで、その細い腰を強く掴み、身体を反転させた。そして、今度は未雨の身体を壁に押し付ける。純白のドレスを身に纏った未雨に、いくつもの激しいキスを降らせる。唇をこじ開け、生々しく舌を絡ませて捕らえて離さない。そんな行為に背徳感さえ感じて、余計に劣情が込み上げる。

「――んっ」

未雨から、鼻から抜けるような甘い吐息が零れ始め、僕は余計に煽られる。腰を掴む手に力が込められ、身体全部がもどかしくなって、そのもどかしさの分だけ激しく未雨の口内を蹂躙する。溢れ出る欲望が、奥へ奥へと侵入させて、その先の行為へと導こうとする。未雨の表情が、恐ろしいほどに美しく艶めかしくなる。ようやく解放した唇から、すぐに白い首筋に舌を這わせる。

「た、ろう、さ――」
「煽ったのは、君だろう?」

強く掴んでいたはずの腰から、いつの間にか手のひらは離れ背中を撫でまわし、その度に未雨は身体を跳ねさせた。それに触発されるみたいに、この手が勝手にドレスを掻き分けていこうとする。

でも――。

さすがに、これ以上のことをここでするわけにもいかない。我ながら感心するほどの、自制心で手を止めた。

「……借り物のドレスを汚すわけにも、こんな神聖な場所でするわけにもいかないな」

激しいキスの余韻で濡れている唇が、僕の自制心を揺らがせようとするけれど、頭を振って未雨の額に自分の額を合わせた。

「君にはいつも、翻弄されっぱなし」
「私は、キスしたくなっただけで、それ以上のことなんてーー」
「考えてもいなかった?  そんなキスだとは思えなかったけど? 」

僕の問いかけに、未雨が黙る。

「僕も男だってこと忘れないで。君にあんなことされたら、間違いなく"それ以上のこと"したくなるから」

僕は冗談ぽく言って笑ってみせる。そうすることで平常心を取り戻そうとした。整わない呼吸で「ごめんなさい」と小さく言ってから、未雨も笑った。

「……太郎さん、戻りましょうか」
「そうだね」

どちらともなく手を握る。その手には、訳の分からない力が込められて。おそらくお互いに思っていることは同じだ。

 僕たちは、食料の買い物をすることも忘れて、アパートに戻った。




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