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第十二章 報い

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 それから、私は意識的に規則正しい生活を送った。
 形式的に病院に顔を出し、和樹さんの顔をご家族の後ろから見て帰る。和樹さんは、日に日に回復しているのが見てとれた。その身体には、もう何も繋がれていない。
 短時間なら、歩けるようにもなった。でも、まだ、身体のどこかが痛むのか、辛そうでもあった。

 家では、三食、栄養バランスを考えたメニューを作った。夕方の散歩も日課にした。
 定期健診では、体重管理も立派に出来ていると褒められた。

 余計なことを考える隙を自分に与えないように、一人、必死に何でもない日常を送る。そうでもしていないと、自分で立っていられない気がして。強くなるために、毎日を踏み締めるように過ごしていた。

 和樹さんが退院するまでは、この家でこの子ときちんと過ごしていたかった。それからのことは、その時、答えが出ることだ。

 そんな毎日を送っていた日の夜だった。
 入浴を済ませたところに、突然インターホンが鳴る。

こんな時間にこの家に、一体誰が来るのか――。

不安が胸の鼓動を早くさせる。恐る恐る、インターホンの画面を確認した。

「え……っ?」

そこに映る人に、思わず声が漏れて固まる。驚きで停止した思考が急激に回り出し、玄関に駆け出した。

「一体、何してるんですか!!」

現れたのは、和樹さんだった。

「僕の奥さんが、全然一緒にいてくれないから、自分から会いに来たんだ」
「何、言ってるの!」

玄関の扉が閉まる。和樹さんは、病院着ではなく私が届けた服を着ていた。トレーナーとチノパンのラフな姿だ。

「看護師やら家族やらの目を盗んで抜け出すのは、本当に至難の業でさ。まだ、ドキドキしてる。スリル満点だったよ」
「そんな冗談、言ってる場合じゃないです!」

子供が悪戯した時みたいに、どこか無邪気で呑気な様子に声を張り上げた。

体調が急変したら――。

不安と恐怖でたまらなくなって、和樹さんの腕を咄嗟に掴んだ。

「身体は大丈夫ですか? まだ、完全に回復したわけじゃないでしょ? もし、何かあったらどうするの――」
「柚季、ごめん……っ!」

突然、和樹さんがその場に崩れ落ちる。

「か、和樹さん?」

びっくりしてしゃがみ込むと、その肩が震えていた。強引に和樹さんの顔を覗き込む。そこにあったのは、無邪気でも呑気でもない、苦痛に歪んだ表情だった。

「……柚季、ごめん」
「和樹さん、どうしたの? 顔を上げて? 早く病院に戻らないと――」
「いくら謝っても済む話じゃない。でも、君には一刻も早く謝らなければと思っていた。僕の姉がしようとしたことは、決して許されることじゃない」
「か、和樹さん……っ! やめてください!」

和樹さんが、そのまま私の前で床に額をつける。

「僕が男としての不甲斐なさから引き起こした事だ。姉のことは全部僕が対処すると言いながら、柚季の心に酷い傷を負わせただろう。君に、辛い思いをさせた。僕は、本当なら、柚季に顔向けできない……っ」

決して顔を上げようとしない和樹さんの肩に触れようと手を伸ばした。

「僕は、君と、子供の両方を、失うかもしれなかった……」

その肩がぶるりとひときわ激しく揺れて、伸ばした手を止める。

「それも、僕のせいで」
「和樹さん――」
「事故のあと、目が覚めてから。僕はずっと、身体のどこかが震え続けてる。もしも、君を失っていたらって、そう考えるだけで――」
「和樹さんは、ちゃんと助けてくれたじゃないですか!」

私が考えているよりずっと深く、和樹さんが罪の意識に苛まれている。途方もないくらいに苦悩しているのだと知った。

「柚季は、命を落とすかもしれなかった。姉がしようとしていたこと、君も気付いてただろ? あの日の恐怖は消えないはずだ!」

勢いよく顔を上げると、和樹さんが私の肩を強く掴んだ。

「君は、僕を、許せるか?」

私を見つめる目は、哀しいくらいに真っ赤だった。


「……今頃、大騒ぎになってるんじゃないですか? どうするの?」

かなり無理をしてここまでやって来た和樹さんを、とりあえず休ませる。このまますぐ帰るのは、体力的に厳しそうだ。

「とりあえず、書き置きだけは残して来たから大丈夫」
「何が大丈夫なんですか?」

寝室のベッドの上で、私が座るすぐ隣に和樹さんが横たわる。

「……もう少し、君といさせてほしいな」

私の手を握り、そのまま自分の顔へと引き寄せた。

「ここまで、命からがらたどり着いたから。お願い」
「……そんな駄々っ子みたいなこと言うんですね。それに、病院を抜け出して来るなんてあり得ない。和樹さんが、そんな子どもみたいなことするなんて思わなかった」

私の手の甲に唇を触れさせながら口を開く。

「……男は、基本、いつまで経っても子供だよ」

ふっと、和樹さんが表情を緩める。それはとても穏やかなのに、どこか哀しげでもあった。

「いつかも、同じこと言いましたよね」

笑おうとして、この頬は固まる。

「柚季には、甘えてしまいたくなるのかな……。君が好きになってくれた時の僕の印象から、だいぶ変わってしまっただろうね。一緒に暮らすようになって、本当の僕を知っただろ? メッキが剥がれた」

確かに、知らなかった和樹さんの顔をたくさん知ることになった。
 いつもは落ち着いていて大人なのに、意外に子供っぽいところがあること。私を甘く甘く甘やかしてくれる顔。そして。簡単に、人を切り捨てられない優しい人だということ。以前、私が和樹さんに抱いていた印象そのもの。それはずっと変わらない。
 お姉さんは、和樹さんにとって大切な姉でもある。

「……たくさん知らなかった顔を知ったけど。でも、私の和樹さんに対する根本の理解は変わってません」

その人が、あんな状態になって、完全に突き放せるはずがない。

"君は、僕を、許せるか?"

あの言葉は、和樹さんがお姉さんのことを自分そのものだと言っているように聞こえた。お姉さんの罪は自分の罪だと。
 親族なのだから、そう考えても当然なのかもしれない。でも、私にはそれ以上の何かを感じた。哀しいけど、やっぱり私は、そんな和樹さんだから好きになったんだと思う。

「和樹さんがどんな行動を取っても、理解できてしまう気がする。だからね。和樹さんを好きになったことも、後悔しないです」

恋って、そういうものなんだと知る。打算じゃない純粋な恋は、不可抗力だ。そんなものを前にしたら、もう、お手上げなんだろう。

「和樹さんは和樹さんの信じることをしてください」

握り締めらた手を、強く握り返した。


「お腹の子どものこと、そばにいてあげられなくて申し訳ないけど、よろしく頼む」

そう、苦悩に満ちた顔で私に言って。

そして。

――柚季、本当に、ごめんな。

久しぶりの夫婦二人きりの時間を過ごした後、そう言葉を残して和樹さんは戻って行った。



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