地獄三番街

有山珠音

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1話 灰となりて地獄の門を開く【下】

奈落

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 おかしい、とすぐに気付いた。
 自宅の前までたどり着いた遥人は不審げな表情で窓の方を見上げていた。
 電気が一つも点いていない。
 いつもだったらとっくに明かりが灯っているはずの時間帯だ。3人で買い物にでも出かけたのかと思いガレージの方を確認するが、閉まっている。

 ザワ、と鳥肌の立つ感覚がする。
 音を立てないよう細心の注意を払いながら勝手口の戸を開けた。やはり家の中は真っ暗で、気味が悪いほど静かだ。
 緊張で荒くなりそうな息を何とか抑えながら、洗面所を進む。数歩踏み出したとき、
 ――――ゴトリ。
 突如何かが床に落ちる音が響き、遥人は身体を震わせた。
 2階からだ。
 誰かいる。
 よくよく耳を澄ませてみると、父の部屋の方からガサガサと物を漁るような音が微かに聞こえる。加えて、囁くような話し声も。両親だろうか、それとも花那かと考えながらも、「この気配は家族のものではない」という直感が遥人にはあった。

 足がガクガクと震え出す。
 怖い。
 今すぐ逃げ出して、俊亮の家まで引き返したかった。
 でもここで、確実に何かが起きている。確かめなければいけない。

 遥人は少し考え、一度引き返すと靴を履いたまま室内に戻った。口元を押さえながら一歩一歩、薄暗い廊下を進んでいく。自分の胸の鼓動がうるさい。カーテンの隙間から差し込む夕明かりだけが頼りだった。2階からは相変わらず、時折ゴソゴソと物音が聞こえてくる。

 やっとの思いで居間の前までたどり着く。ドアに手をかけるが、焦る気持ちとは裏腹にその状態から動くことができない。緊張はもはや極限の恐怖へと変わり、遥人の腕を、全身を硬直させていた。カラカラに乾いた喉から、唾を飲み込む音がいやに大きく響く。

 動け。上の気配の主に気づかれる前に、早く、早く。
 一瞬にも、永遠にも感じられるような逡巡の後、遥人はゆっくりと、ドアを開けた。

 
            *


 途端に、鼻をつく異様な匂いが遥人を包んだ。
 この匂いは何だ?鉄のような、何か生臭い……
 慎重にドアを閉めながら壁に手をつくと、不意にヌルリと手が滑る。驚いて手のひらを見ると、薄闇でもはっきりと分かる赤が視界を覆った。

 血だ。

 考えるより先に、勢い良く顔を上げていた。

 その時見た光景を、遥人は一生忘れることができないだろう。


 夕陽がカーテン越しに、部屋を燃やすかの如く照らしている。
 家族が、血塗れでそこにいた。
 花那と母は折り重なるように、父は少し離れたところで、マネキンのように手足をばらつかせながら倒れている。床にも壁にも、夥しい量の血が飛び散っていた。
 この世のものとは思えない、おぞましい景色――――
 

「ひ、っ」
 引き攣れた声が漏れ、咄嗟に身体を引いた遥人は背後のドアに激しく背中を打ちつけた。鈍い音が響く。2階の物音が止まった。
 やばい、と本能が警鐘を鳴らす。
 腰が抜けたようにズルズルと座り込みながら、ほとんど反射でドアの内鍵を掛けた。花那がヨチヨチ歩きの頃、心配症の母が勝手に階段を上がって怪我しないようにと付けたものだ。
 
 自分のものとは思えないほど荒い息が、耳元で響く。心臓が激しく跳ね回っている。
 脳が焼き切れてしまったかのように真っ白で、何も考えられない。ただただ、現実感のない光景に叫び声すら出なかった。

 嘘だ。
 嘘だ。
 こんなこと、有り得ない。

 
「…………遥、人」
 その時、消え入りそうな声が自分を呼んで、遥人はハッとした。
 父さんだ。
 父さんはまだ、息がある。
 遥人はほとんど這うようにして父の元へ駆け寄った。無我夢中だった。誰かが荒々しく階段を降りてくる音がするが、それどころではない。父がまだ、生きているのだ。

「……父さん、父さん……!」

 父の腕に触れる。濡れた感触がした。間近で見ても、どこから出血しているのか分からないくらい父の身体は血に塗れていて、遥人の喉は大きく震えた。目の奥が熱くなり、視界が見る見るうちに霞んでいく。

「…………遥人」

 だというのに、父の声は静謐だった。
 いつもの、小難しい話を語りかけるときと変わらない穏やかな声で、父はもう一度遥人を呼んだ。
 ドアが激しく蹴られている。かと思うと、何かを打ち付けるような音に変わった。強引に壊す気だ。
 それでも遥人にはこの時、父の声だけがはっきりと耳に届いた。

「三番街に」

 父は確かに、こう言った。

「……三番街に、向かいなさい」
 

 一際大きな殴打音が響き渡り、ドアに亀裂が入る。早く、と父が口の動きだけで言う。呆けた顔で父を見つめていた遥人はその瞬間、弾かれるように立ち上がりながら走り出した。
 
 足が縺れる。何度も転びかけながら居間を抜け、庭へ繋がる大きな窓に手をかけた。ついにドアが完全に破壊され、何者かが部屋に侵入してくる。
 と、その時背後で爆発音のようなものが鳴り、強烈な閃光が部屋を包むのを感じた。その正体を確認する間もなく窓を一気に開くと、遥人は家を飛び出した。




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