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2話 明くれども日暮は遠し【上】
羽根
しおりを挟む目を覚ますと、嗅ぎ慣れない畳の匂いがした。
気怠げに身を起こし、覚醒しきらない頭で周りを見渡す。やけに広く見える和室が広がっていた。
カーテンの隙間から僅かに朝日が射し込んでいる。傍らにあったスマホの画面は朝の5時を示していた。
ここはどこだろうと一瞬考え、思い出す。
昨日の、燃えるような夕焼け。そこで目にした、信じがたく残酷な光景。逃避するようにたどり着いた街で出会った男たちのこと。
「家族の死」を伝える、ニュース音声。
そうだ。あの番とかいう奴の家だ。
遥人はあれから錯乱状態で番と鎮目に取り縋った。
鈴の荷物がだの三番街がだの要領を得ないことを散々と喚き、捲し立てる。涙が堰を切ったように溢れ、止まらなかった。
父さんも母さんも、花那も。皆殺されてしまった。
もう会えない。もう話せない。
もう、二度と。
「あんたたちもヤクザなら……知ってるだろ!?俺の家族を殺した奴らのこと……!教えてくれよ!!」
何とか宥めようとする鎮目の胸元を叩きながら叫ぶように言う。
そうして騒ぎ続けるうち、最終的に痺れを切らした番によって「あーもううるせえ!とりあえず寝ろ!!」と半ば放り込むような形で布団に沈められたのだった。
ほんの少しだけ、期待した。夢だったのではないかと。
目が覚めれば、いつも通りの朝がやって来るのではないかと。
だが他でもないこの状況が、全ては起きてしまったことなのだと語りかけてくる。
瞼を擦ろうとして、目の周りがカピカピに乾いていることに気付いた。思考に纏わり付く靄を振り払うように、強く頭を振る。
眠ったはずなのに、重い疲労感が遥人の心と身体を包んでいた。まるで海底に沈殿する泥のようだ。正直、何も考えずに寝ていたかった。
あちこち痛む身体を叱咤し、何とか立ち上がる。ボロ布のようなカーテンを恐る恐る開いてみると、今度こそ眩しい朝の光が視界を焼いた。
どんなに辛くても、絶望していても、日は明けてしまったのだ。
ここにいてはいけない。
そっと襖を開けると、ソファの上で鎮目が寝息を立てていた。薄い毛布を被り、大柄な身体を目一杯縮めるように丸くなっている。遥人は一瞬ギョッとしつつも忍び足で横を通り抜けた。もう1人の姿は、見当たらなかった。
玄関まで向かう道すがら、壁に掛かっていた鏡に自分の姿が映る。頬の腫れは幾分か引いていた。
引き戸に掛けた手に力を入れた途端、カラカラと音が響き思わず身を竦ませる。外に出ると目の前は板張りの階段だ。ここは2階で、1階には別の建物があるらしい。昨日はそんなことを考える余裕もなかった。
そのまま地上へ駆け降りようとした遥人の足が、止まる。
「礼の一つくらい言えねーのか?」
階段の途中にある小さな踊り場、その陰で番が煙草をふかしていた。
*
早朝の静けさが、辺りを包んでいる。生ぬるい風が柔く肌を掠めた。遥人は番を見つめたまま暫し固まったが、やがて僅かに姿勢を正しペコリと頭を下げた。
「泊めてくれて、ありがとうございました」
「あと、うどんも……ごちそうさま、でした」
番は、自分で要求した割には興味なさげな様子で遥人の言葉を聞いていた。踊り場の柵に肘を乗せ、上半身を預けるようにもたれかかっている。その指先で煙草の火がほのかに赤く灯り、揺らめいていた。
「『警察に行くつもりなら付き添う』ってあのでけーオッサンが言ってたぞ。どうする」
沈黙の後、首を横に振る。
しかるべき場所に行って事情を話さなければならないと脳では分かっている。でも、遥人にはどうしても気に掛かることがあった。
「あの……一つだけ聞いてもいいですか」
番がこちらを見た。その目を見て続ける。
「『三番街』ってどこか、知ってますか」
『三番街に、行きなさい』
父の声が繰り返し頭で響いている。
死の淵にいてもなお明瞭に、真っ直ぐに告げられた言葉。
父さんは、最期に何を伝えたかったのだろう?
「昨日も言ってたな、それ。そこからお前の父親んとこに鈴の荷物が届いたって話だろ」
事もなげに言われ、遥人は目を瞬かせる。昨日の自分の断片的な話できちんと伝わっていたのか。
「千暮に来て7~8年経つが少なくとも俺は聞いたことねーな。まあこの界隈は妙な習わしが多いから何かあんのかもしれねーけど……あの鈴みたいにな」
そう言うと番は緩く息を吐いた。白い煙が宙を流れ、溶け出していく。
遥人は煙の行方をしばらく目で追っていたが、番の方へ視線を戻すともう一度しっかりと頭を下げた。再び階段を下り始める。最後の一段を降りたとき、背中から声をかけられた。
「1人で生きていくつもりか?」
その言葉は遥人の心にずしん、と重くのしかかった。
振り向くと再び番と視線が合う。烏がカァ、と鳴く声がやたらと大きく響き渡った。
「……分からない」
分からないのだ、本当に。
この先どうやって生きていけばいいのか。何をすべきなのか。
でも。
「でも、ここにはいられない」
遥人ははっきりと、自分に言い聞かせるように言った。番は「そうか」とだけ呟くと、もう何も言わなかった。今度は振り返らず、街と逆方向に歩き始める。
烏が羽ばたき、何度も鳴きながら朝焼けの空へと遠ざかっていくのが見えた。
*
「いいのか、1人で行かせて」
遥人の姿が見えなくなった後、目を覚ましたらしい鎮目が玄関先に出てきた。
「放っとけ」
番が短く答える。残り僅かになった煙草を踏み潰し、適当に地面へと蹴り出した。
「しかし……」
「いちいち構ってたらキリねえって。それに……」
1階の屋根に目をやる。抜け落ちた烏の羽が、所在なさげに風に揺蕩っていた。
「行き場所は自分で決めるもんだ」
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