「貴方に心ときめいて」

華南

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閑話8

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(一柳さん)

心の中で一柳さんの名前を叫んでいる。
初めてのキスは彼と、もし、願いが叶うのなら一柳さんとしたかった。
分不相応な願いだと思われても私は……。

つー、と頬に涙が流れる。
泣いている自分が保科さんの目にどう映っていたのだろう。
解かれた唇からほんのりブランデーの薫り。

「保科、さん」

「……」

急に身体に重みを感じる。
保科さんが私の身体に追い被さり、意識を失っている。
ブランデーをかなり煽ったのだろうか?
微かな吐息が聴こえる。

「お、重いわ、保科さん!
お、起きて下さい」

と何度も耳元で伝えても聴こえる様子は無く。
身動きの取れない事態に陥った私は保科さんを何度も何度も揺すりながら逃れようとしたが、最後には力尽き、いつの間にか口内に残っているブランデーの薫りに酔ってしまい気を失ってしまった。

***

とくんとくん。
誰かの心音が聴こえる。
規則正しい音に気持ちが落ち着く。
それに暖かい温もり。
ずっとこんな温もりに憧れていた。
昔、両親がいた頃の思い出。
抱き締められていつの間にか腕の中で眠って。
自分の寝顔を見詰める優しい視線。
愛情を含んだ……。

「紗雪……」

(だ、誰?
誰が私を呼んでいる?)

とっても優しい声。
そっと髪をなでつける。

(目の前に誰かいる?)

少し頭がぼんやりとする。
どうしてこう頭がスッキリしないのかしら?と思い出して。

「目が醒めたか?」

(目の前にいるのは、まさか)

急に覚醒した思考がパニックになる。
冷や汗が背中にだらだらと流れ出す。
目の前にくっきりと目鼻立ちの整った男性が。

「ほ、保科さん……」

「おはよう、紗雪」

「ど、どうして!
わ、私っ」

保科さんに腕枕されている。
くすくすと楽しそうに私を見詰める瞳は何処までも甘く優しくて。

(こ、こんなの心臓に悪い!
目の前に超美形の顔が!)

「いつの間にか眠っていたんだな」

「……」

「済まなかった、急に訪ねてきて」

と、悪びれた様子など全く感じられない保科さんの口調。
呆然とする私の顔を覗き込みながら言う保科さんの機嫌はすこぶる良い。
それに反して私は段々と顔面が蒼白し。

「わ、私は、そ、その……」

(し、知っているんだろうか、保科さんは!
わ、私とキスした事を、知っているかしら)

ファーストキスだったのに、と急に思い出して気持ちが昂って。
じんわりと涙が滲んで溢れて止まらなくなって。

(一柳さん……)

私の急な涙に保科さんの一瞬、見開き、そして目を細めて私の眦に指を這わす。
すっと掬う指に涙が滴り落ちる。

「泣かないでくれ……」

「……」

「許してくれとは言わない」

(え?
な、何を言い出すの?)

「酔っていて俺も感情が昂って、冷静でいられなかった」

(お、覚えているって事は、き、キスをしたのは意識があっての事だったの?
そ、そんな……)

保科さんの発言に言葉が出ない。
涙が溢れて止まらない。
そんな私の顔を覗き込み、真剣な眼差しで私を見詰める。

「……」

「お前が男と話していて、俺には見せない顔で見詰めていて」

「……」

「嫉妬したよ。
俺には見せない顔をして」


「ほ、保科、さん」

「好きだ、紗雪」

とくん、と心臓が跳ねる。
保科さんの突然な告白にとくとくと心臓の音が騒ついて。
そんな私をすうと目を細めて保科さんが見ている。

「……」

(え、な、何言っているの?
保科さんは私に?
す、好きって私を保科さんが?
どうして私を?
平凡な、ううん平凡以下の私に?)

気持ちが追い付かない。
急な保科さんの告白に気持ちが混乱して収拾つかない。

「紗雪……」

魅惑的なバリトン。
目の前に保科さんの顔があって、そして。

唇に微かな感触。
啄む様に唇に触れられて。

(き、キスされている……)

今度は保科さんの意識がはっきりとした状態で。

「だ、駄目……」

保科さんのキスから逃れようとしてかぶりを振っても、頬を両手で固定され動きを遮られる。
視線が交わる。
保科さんの真摯な眼差しに身体の力が全て削がれてしまって逃れない。

「あ……」

「駄目じゃない」

身体をベッドに押し倒される。
保科さんが追い被さり、強引に唇を奪われる。
深く唇が重なって、身体の自由を奪われて。

(う、うんっ)

「好きだ、紗雪……」

(だ、駄目、私は……。
私は一柳さんが、一柳さんが好きなのに……)

いやいやと首を振る私に、保科さんは私の首に手を回し更に深く唇を重ねて。
キスの合間に名を呼ばれる。

「紗雪……」

脳髄まで響くバリトンの声。

全てを奪う様な濃厚な口付けに私の抵抗は塞がれてしまう。
保科さんの情熱に流されてしまう。
こんな風に強い感情を異性に抱かれた事なんて無い。

どくどくと血が逆流する。
ずきんと下腹部が疼いて身体が火照って。

(な、何故、感じているの?
す、好きでもない男性に、わ、私は……)

下腹部に感じる熱が私が女だと自覚させる。
じんわりと潤んで濡れているのが分かる。

涙が頬を掠める。
浅ましい女の性に涙が溢れて止まらない。

好意を抱いている男性では、無い。
恋も、愛も感じない、男性。

だけど、保科さんの劣情に私の中の何かが灯されて。

長い間、私は保科さんと口付けを交わしていた。
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