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その法律、、、
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「いよいよ明日からだな。あの新法」
「? …………ああ! そう言えばそうだったな!」
とある喫茶店で働いている私の耳に、お客さんのそんな会話が飛び込んできました。
(そっか。あの新法、明日から施行か)
お客さんが話している『新法』というのは先月、国中の掲示板に張り出されたあの『新法』の事でしょう。
その内容は――。
『新法、男女差別禁止法を制定。これにより、性別による差別を禁止する物とする。
本法は再来月より施行され、本法が施行されたのち、男女差別を行った者は厳罰に処す。
第7代皇帝 リチャード=セイシャル』
――という物です。
(差別を禁止するって……レディースデーとかやっちゃダメって事よね? あーあ。結構人気だったのになぁ)
女性のお客様だけランチを割引でご提供させて頂くレディースデーは、多分、この新法の違反となってしまうでしょう。お店にとっては痛手ですが、法律で禁止されてしまったのなら仕方ありません。
「レイチェルさん! 2番テーブルにこれ、運んでー」
「あ、はーい!」
厨房から声がかかった私は、新法について考えるのをやめ、接客に戻るのでした。
そして数日後。
「おはようございます!」
「おはよう、レイチェルさん。今日もよろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
新法の事などすっかり忘れていた私は、いつものように仕事を始めます。ですが、お店が開店して1時間が過ぎた頃、店内に女性の悲鳴が響き渡りました。
「きゃぁぁああーー!!」
「――っ!」
悲鳴は女性用トイレから聞こえてきました。私は急いで女性用トイレに向かいます。
「お客様! どうされましたか!?」
「あ、あの……そ、そこに……この人が……」
悲鳴を上げたと思われる女性は、女性用トイレの中を指差しました。女性が指さす方を見ると、なんとそこには男性がいるではありませんか。しかも、ズボンを下ろした状態で。
私は女性を背にかばいながら男性に声をかけます。
「お客様! すぐにズボンを上げて下さい! そしてここは女性用トイレです! 男性の方は隣の――」
「あん? なんだお前? トイレでズボンを下ろしちゃいけないっていうのか? それとも俺を差別するのか?」
「……は??」
男性の意味不明な発言に、私は言葉を失いました。
「え、いや、差別とかではなくてですね! ここは女性用の――」
「だーかーらー! 女性しか使えないトイレって差別だろ? 俺だってこのトイレを使いたいんだ。それなのになんで使っちゃいけねぇんだよ? あぁん?」
「――はぁ!?」
ようやく男の言いたいことが理解できました。要は『新法で性別による差別を禁止しているのだから、俺にも女性用トイレを使わせろ』と言いたいようです。
「それは……これは差別ではなく区別です! 女性にとって、男性が使ったトイレを使うのは嫌なんです! ですから――」
「そんなん俺だって野郎が使ったトイレなんか使いたくねぇよ。どうせならそこのねぇちゃんが使ったやつを使いたいぜ。なぁ?」
「ひっ!!」
男性が女性を見ると、女性は怯えて泣きそうになってしまいます。
「っ! とにかく! 当店ではトイレは男女別々です! 今すぐズボンを上げて女性用トイレを出てください!」
「はっ! そうかよ! つまりこの店は法律に違反する店って事になるがいいんだな? え? 店長さんよ!」
男性が、店長に向かって問いかけました。
悲鳴が聞こえたのが女性用トイレからだったので、男性の店長は様子を見ていたようですが、私達が言い争う声が聞こえて、こちらに来てくれたようです。
「お客様、さすがにそれは暴論かと。先ほどそこの従業員が申し上げたように、これは差別ではなく、区別です。それに、女性用トイレに男性が入る事は、明確に法律違反です。すでに、衛兵を呼びに行かせました。彼らが来るまで、大人しく――」
「あー、どうやら知らないようだな。それ、この国じゃ違反じゃないんだぜ?」
「――?? 何を言っているのですか?」
衛兵さんが来るというのに、男性は余裕の表情を見せています。
「ははっ! しょーがねぇから教えてやるよ! この間な。とある裁判で『男性に女性用トイレを使わせないのは差別だ』って判決が出たんだよ。しかも王城のトイレで、な」
「「………………は?」」
この人は何を言っているのでしょうか。そんな判決出るわけがないのに。
「――あ!」
そう思っていたら、店内からこちらの様子をうかがっていたとある従業員が声を上げました。
「クリスさん、何かご存じなのですか?」
「あ、えっと、その……はい。知ってます……」
声を上げが従業員の名前はクリスさん。物静かな方ですが、読書が趣味なので色々な事を知っている人です。そのクリスさんが、暗い顔をしています。
「……まさか、本当にそんな判決が出たのですか??」
クリスさんの顔を見た店長が、まさか、という思いで聞きました。
「あの……確かにそういう判決が出たことはあります。でも、それは――」
「――ほらな! 俺が言った通りだろうが!」
クリスさんの言葉を遮って、男性が大声を出しました。
「つーわけだ。俺はここにいさせてもらうぜ。ほら、ねぇちゃん、トイレ入りたかったんだろ? とっとと入ってこいよ! ほら! ほら!」
「ひっ! い、嫌! 嫌!!!」
男性が私の後ろにいる女性に向かって怒鳴ります。怒鳴るだけで、直接手を出してこないのは、それは犯罪だと分かっているからでしょう。
ですが、いくら手は出されないと分かっていても、こんな男性に怒鳴られる事は、女性にとって恐怖でしかありません。
そして、この女性はもともとトイレに行きたかった方です。そんな方が威圧され、委縮してしまえば……。
「あぁぁ……い、嫌……いやぁぁぁあああ!!!」
……粗相をしてしまうのも仕方ないでしょう。
「ははは! この女! いい年して漏らしてやがるぜ! だっせぇな。あっははは!」
「!!! ――っ!! こちらへ!!」
「ぅぅ……」
思わず男性を殴りそうになりましたが、今はそれどころではありません。私達は急いで女性を店のバックヤードに案内します。
「なんだよ。もっと見せて――」
「――貴方はここにいてください。もうすぐ衛兵が来ますので」
店長が男性を抑えてくれたので、問題なく女性をバックヤードに案内する事が出来ました。店内の他のお客様も空気を読んで視線を逸らしてくださったので、あの男性以外、彼女の失敗を見た人はいないでしょう。それでも、彼女の精神的なダメージは計り知れません。
「大丈夫。大丈夫ですから」
「ぅぅうう……」
何とか女性を落ち着かせようとしますが、時折、男性の怒鳴り声が聞こえるので、女性はなかなか落ち着く事が出来ません。
そうこうするうちに、衛兵さんがお店に到着したらしく、トイレの方から男性の怒鳴り声が聞こえてきます。
「ふっざけんな! 王城の判決じゃ――」
「はいはい。それは後で聞くから!」
どうやら衛兵さんは男性を捕まえてくれたようです。
(やっぱり捕まるんじゃん!)
その事が女性にも伝わったのでしょう。お店の制服に着替えた女性は、落ち着きを取り戻した後、私達に謝罪を繰り返しました。
「あぁごめんなさい。私ってばいい年して……本当に、ごめんなさい! 私……私……」
「そんな……私達こそ……ごめんなさい」
もっと早く衛兵さんを呼んでいれば、もっと早くあの男性をどかしておけば。そもそもあの男性が女性用トイレに入るのを止めておけば、こんな事にはならなかったでしょう。
コンコン
お互い謝り合っていると、バックヤードの扉がノックされました。
「レイチェルさん。店長だけど。ちょっといいかな?」
「あ、はい」
店長さんの声に、女性はビクッ! っと身体をこわばらせました。
そんな女性をクリスさんに任せて、扉の外に出ます。扉の外では、店長と衛兵さんが待っていました。
「助けに入るのが遅れてごめん。お客様は?」
「今は少し落ち着いて……クリスさんがついてます。でも、店長の声ですら怖がっていて……」
「あー、うん。そうだよね。衛兵さん、すみませんが、事情聴取は僕と彼女が受けますので……」
「そうですね。それが良いでしょう」
店長さんの提案に、衛兵さんが頷きました。
「レイチェルさんも良いかな?」
「大丈夫です。ですが、あの……あの人は捕まったんですよね? ちゃんと罪に問われるんですよね?」
事情聴取に協力するのは問題ありません。ですが、その前にどうしてもそこだけは知りたくて、聞きました。
先程聞こえてきた怒鳴り声から、男性が捕まったのは間違いないと思います。ですが、もしかしたら、すぐに釈放されてしまうかもしれません。そう不安に思って衛兵さんに聞くと、衛兵さんは申し訳なさそうに答えました。
「もちろんです。あの男の行いは、完全に犯罪です。ちゃんと罰に問いますから、安心してください」
「良かったです……じゃあ、あの人が言っていた『王城での判決』っていうのは、やっぱりでたらめだったんですね」
私がそう聞くと、衛兵さんの顔が曇ります。
「いえ……それがでたらめではないのです」
「「…………え?」
私と店長が信じられない物を見る目で、衛兵さんを見ました。
「実際、そのような判決が出た事はあるんです。もちろんその判決は、『万人に当てはまるわけではない』という事と『公共施設でのトイレ等を想定したものではない』という前提があっての判決ではあるのですが…………」
衛兵さん曰く、判決の一部だけを聞いて、誤解している人が多いそうです。
「そのように誤解した男性達が、トイレや更衣室、さらには入浴施設等に殺到しております」
「そんな……」
背筋がぞっとしました。この国の治安は、決して悪くはありません。ですが、このような状況では、とてもではないですが、安心して公共施設を利用する事は出来ないでしょう。
「しかも、この誤解は他国にも広がっていて……現在、他国から変質者達が大量にやってきている状態です」
「「な!?」」
そう言えば、あの男性、どことなく南の国の人の特徴がありました。あんな人がたくさんやってきていると考えると……。
「本当はこんなことを言うべきではないのですが、しばらく他国に避難していた方が良いかもしれません。私も、妻と娘は、他国に避難させています」
「そう……ですね」
この国に思い入れはあります。ですが、今のままでは、この国で安心して暮らす事は出来ません。隣国に避難する事を真面目に検討する必要があるでしょう。
その後、衛兵さんは私達に簡単な事情聴取してから、帰って行きました。
そして半年後。
私達は隣国で、店長やクリスさんと一緒に新しいお店をオープンしました。祖国はというと……。
「クーデター……ですか?」
「ええ。王家への不満が爆発したのでしょうね」
今回の事で、祖国の治安は悪化しました。その対策なのか、王家は『軍備増強の為に予算がいる!』として、国民に増税を強いたのです。
「ただでさえ、治安が悪化して、経済が停滞して、失業率も増加して、国民の生活が苦しくなってるのに、こんな事言ったらね。そりゃ、クーデターも起きるよ」
クーデターの結果は、国民の圧勝。本来王家の味方をすべき城の兵士達が、国民の側に付いたことで、負けるわけのない戦となったそうです。
「陛下や王妃は、斬首の上、さらし首、ですか。………………そう言えば、陛下はなんでこんな馬鹿な新法を作ったんでしょう?」
「どうやら王妃にせがまれて、らしいよ」
「王妃って………聖女様って噂のあの人ですか?」」
「そう、その人」
噂によると聖女様とは、異界から召喚された女性、らしいです。様々な知識を持っていて、この国の発展に協力してくれるとか。
「その人が、『男女差別は良くない! 今すぐなくすべき!』って陛下に熱弁して、今回の新法が出来たみたい。一週間くらいで」
「……え? 理由ってそれだけですか!? 検討期間もそれだけ!?」
「うん。どっちもそれだけ」
ろくに検討もせず、急いで親しい人の利己的な願望を叶えようとした結果が、親しい人と一緒にさらし首とは……自業自得とはいえ報われませんね。
店長とそんな会話をした数日後。お店で、とあるイベントを開催する事にしました。
いつもとは少し違う装いのお店に、懐かしいお客様がいらっしゃいます。
カランカラン
「――! いらっしゃいませ! お好きなお席へどうぞ」
「あ、ありがとう、ござい、ます。と、特製パフェ、お願いします」
「あ、私もそれで」
「かしこまりました! お席までお運びしますので、少々お待ちください!」
いらっしゃったのは、あの時被害にあわれた女性とそのお母様です。
実は彼女、あの時の事がトラウマになってしまい、1人では外出する事が出来なくなってしまったそうです。今でも見知らぬ男性は怖いらしく、たとえお母様と一緒でも、普通のお店には入る事は出来ません。
そこで私達は、『女性限定』のイベントを開催する事にしました。お客さんも従業員も女性だけ。当然、店長も今日はお休みです。ちなみに、心が女性であっても、体が男性であるなら、入店はお断りしています。私達は、これを差別だとは思いません。
席に座って、お母様と一緒に、楽しそうに特製パフェを待つ彼女。恐らく、彼女のトラウマが完全に癒える事はないでしょう。それだけ、安全だと思っていたものに裏切られるのは、怖い事です。自分の今いる場所が、安全かどうか、分からなくなってしまうのですから。その恐怖は計り知れません。本当に怖い思いをしたと思います。
だからこそ。せめてイベントの間だけは、安心して笑っていて欲しい。そう思いながら、私はイベントデー専用の特製パフェを、彼女達のテーブルに運ぶのでした。
「? …………ああ! そう言えばそうだったな!」
とある喫茶店で働いている私の耳に、お客さんのそんな会話が飛び込んできました。
(そっか。あの新法、明日から施行か)
お客さんが話している『新法』というのは先月、国中の掲示板に張り出されたあの『新法』の事でしょう。
その内容は――。
『新法、男女差別禁止法を制定。これにより、性別による差別を禁止する物とする。
本法は再来月より施行され、本法が施行されたのち、男女差別を行った者は厳罰に処す。
第7代皇帝 リチャード=セイシャル』
――という物です。
(差別を禁止するって……レディースデーとかやっちゃダメって事よね? あーあ。結構人気だったのになぁ)
女性のお客様だけランチを割引でご提供させて頂くレディースデーは、多分、この新法の違反となってしまうでしょう。お店にとっては痛手ですが、法律で禁止されてしまったのなら仕方ありません。
「レイチェルさん! 2番テーブルにこれ、運んでー」
「あ、はーい!」
厨房から声がかかった私は、新法について考えるのをやめ、接客に戻るのでした。
そして数日後。
「おはようございます!」
「おはよう、レイチェルさん。今日もよろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
新法の事などすっかり忘れていた私は、いつものように仕事を始めます。ですが、お店が開店して1時間が過ぎた頃、店内に女性の悲鳴が響き渡りました。
「きゃぁぁああーー!!」
「――っ!」
悲鳴は女性用トイレから聞こえてきました。私は急いで女性用トイレに向かいます。
「お客様! どうされましたか!?」
「あ、あの……そ、そこに……この人が……」
悲鳴を上げたと思われる女性は、女性用トイレの中を指差しました。女性が指さす方を見ると、なんとそこには男性がいるではありませんか。しかも、ズボンを下ろした状態で。
私は女性を背にかばいながら男性に声をかけます。
「お客様! すぐにズボンを上げて下さい! そしてここは女性用トイレです! 男性の方は隣の――」
「あん? なんだお前? トイレでズボンを下ろしちゃいけないっていうのか? それとも俺を差別するのか?」
「……は??」
男性の意味不明な発言に、私は言葉を失いました。
「え、いや、差別とかではなくてですね! ここは女性用の――」
「だーかーらー! 女性しか使えないトイレって差別だろ? 俺だってこのトイレを使いたいんだ。それなのになんで使っちゃいけねぇんだよ? あぁん?」
「――はぁ!?」
ようやく男の言いたいことが理解できました。要は『新法で性別による差別を禁止しているのだから、俺にも女性用トイレを使わせろ』と言いたいようです。
「それは……これは差別ではなく区別です! 女性にとって、男性が使ったトイレを使うのは嫌なんです! ですから――」
「そんなん俺だって野郎が使ったトイレなんか使いたくねぇよ。どうせならそこのねぇちゃんが使ったやつを使いたいぜ。なぁ?」
「ひっ!!」
男性が女性を見ると、女性は怯えて泣きそうになってしまいます。
「っ! とにかく! 当店ではトイレは男女別々です! 今すぐズボンを上げて女性用トイレを出てください!」
「はっ! そうかよ! つまりこの店は法律に違反する店って事になるがいいんだな? え? 店長さんよ!」
男性が、店長に向かって問いかけました。
悲鳴が聞こえたのが女性用トイレからだったので、男性の店長は様子を見ていたようですが、私達が言い争う声が聞こえて、こちらに来てくれたようです。
「お客様、さすがにそれは暴論かと。先ほどそこの従業員が申し上げたように、これは差別ではなく、区別です。それに、女性用トイレに男性が入る事は、明確に法律違反です。すでに、衛兵を呼びに行かせました。彼らが来るまで、大人しく――」
「あー、どうやら知らないようだな。それ、この国じゃ違反じゃないんだぜ?」
「――?? 何を言っているのですか?」
衛兵さんが来るというのに、男性は余裕の表情を見せています。
「ははっ! しょーがねぇから教えてやるよ! この間な。とある裁判で『男性に女性用トイレを使わせないのは差別だ』って判決が出たんだよ。しかも王城のトイレで、な」
「「………………は?」」
この人は何を言っているのでしょうか。そんな判決出るわけがないのに。
「――あ!」
そう思っていたら、店内からこちらの様子をうかがっていたとある従業員が声を上げました。
「クリスさん、何かご存じなのですか?」
「あ、えっと、その……はい。知ってます……」
声を上げが従業員の名前はクリスさん。物静かな方ですが、読書が趣味なので色々な事を知っている人です。そのクリスさんが、暗い顔をしています。
「……まさか、本当にそんな判決が出たのですか??」
クリスさんの顔を見た店長が、まさか、という思いで聞きました。
「あの……確かにそういう判決が出たことはあります。でも、それは――」
「――ほらな! 俺が言った通りだろうが!」
クリスさんの言葉を遮って、男性が大声を出しました。
「つーわけだ。俺はここにいさせてもらうぜ。ほら、ねぇちゃん、トイレ入りたかったんだろ? とっとと入ってこいよ! ほら! ほら!」
「ひっ! い、嫌! 嫌!!!」
男性が私の後ろにいる女性に向かって怒鳴ります。怒鳴るだけで、直接手を出してこないのは、それは犯罪だと分かっているからでしょう。
ですが、いくら手は出されないと分かっていても、こんな男性に怒鳴られる事は、女性にとって恐怖でしかありません。
そして、この女性はもともとトイレに行きたかった方です。そんな方が威圧され、委縮してしまえば……。
「あぁぁ……い、嫌……いやぁぁぁあああ!!!」
……粗相をしてしまうのも仕方ないでしょう。
「ははは! この女! いい年して漏らしてやがるぜ! だっせぇな。あっははは!」
「!!! ――っ!! こちらへ!!」
「ぅぅ……」
思わず男性を殴りそうになりましたが、今はそれどころではありません。私達は急いで女性を店のバックヤードに案内します。
「なんだよ。もっと見せて――」
「――貴方はここにいてください。もうすぐ衛兵が来ますので」
店長が男性を抑えてくれたので、問題なく女性をバックヤードに案内する事が出来ました。店内の他のお客様も空気を読んで視線を逸らしてくださったので、あの男性以外、彼女の失敗を見た人はいないでしょう。それでも、彼女の精神的なダメージは計り知れません。
「大丈夫。大丈夫ですから」
「ぅぅうう……」
何とか女性を落ち着かせようとしますが、時折、男性の怒鳴り声が聞こえるので、女性はなかなか落ち着く事が出来ません。
そうこうするうちに、衛兵さんがお店に到着したらしく、トイレの方から男性の怒鳴り声が聞こえてきます。
「ふっざけんな! 王城の判決じゃ――」
「はいはい。それは後で聞くから!」
どうやら衛兵さんは男性を捕まえてくれたようです。
(やっぱり捕まるんじゃん!)
その事が女性にも伝わったのでしょう。お店の制服に着替えた女性は、落ち着きを取り戻した後、私達に謝罪を繰り返しました。
「あぁごめんなさい。私ってばいい年して……本当に、ごめんなさい! 私……私……」
「そんな……私達こそ……ごめんなさい」
もっと早く衛兵さんを呼んでいれば、もっと早くあの男性をどかしておけば。そもそもあの男性が女性用トイレに入るのを止めておけば、こんな事にはならなかったでしょう。
コンコン
お互い謝り合っていると、バックヤードの扉がノックされました。
「レイチェルさん。店長だけど。ちょっといいかな?」
「あ、はい」
店長さんの声に、女性はビクッ! っと身体をこわばらせました。
そんな女性をクリスさんに任せて、扉の外に出ます。扉の外では、店長と衛兵さんが待っていました。
「助けに入るのが遅れてごめん。お客様は?」
「今は少し落ち着いて……クリスさんがついてます。でも、店長の声ですら怖がっていて……」
「あー、うん。そうだよね。衛兵さん、すみませんが、事情聴取は僕と彼女が受けますので……」
「そうですね。それが良いでしょう」
店長さんの提案に、衛兵さんが頷きました。
「レイチェルさんも良いかな?」
「大丈夫です。ですが、あの……あの人は捕まったんですよね? ちゃんと罪に問われるんですよね?」
事情聴取に協力するのは問題ありません。ですが、その前にどうしてもそこだけは知りたくて、聞きました。
先程聞こえてきた怒鳴り声から、男性が捕まったのは間違いないと思います。ですが、もしかしたら、すぐに釈放されてしまうかもしれません。そう不安に思って衛兵さんに聞くと、衛兵さんは申し訳なさそうに答えました。
「もちろんです。あの男の行いは、完全に犯罪です。ちゃんと罰に問いますから、安心してください」
「良かったです……じゃあ、あの人が言っていた『王城での判決』っていうのは、やっぱりでたらめだったんですね」
私がそう聞くと、衛兵さんの顔が曇ります。
「いえ……それがでたらめではないのです」
「「…………え?」
私と店長が信じられない物を見る目で、衛兵さんを見ました。
「実際、そのような判決が出た事はあるんです。もちろんその判決は、『万人に当てはまるわけではない』という事と『公共施設でのトイレ等を想定したものではない』という前提があっての判決ではあるのですが…………」
衛兵さん曰く、判決の一部だけを聞いて、誤解している人が多いそうです。
「そのように誤解した男性達が、トイレや更衣室、さらには入浴施設等に殺到しております」
「そんな……」
背筋がぞっとしました。この国の治安は、決して悪くはありません。ですが、このような状況では、とてもではないですが、安心して公共施設を利用する事は出来ないでしょう。
「しかも、この誤解は他国にも広がっていて……現在、他国から変質者達が大量にやってきている状態です」
「「な!?」」
そう言えば、あの男性、どことなく南の国の人の特徴がありました。あんな人がたくさんやってきていると考えると……。
「本当はこんなことを言うべきではないのですが、しばらく他国に避難していた方が良いかもしれません。私も、妻と娘は、他国に避難させています」
「そう……ですね」
この国に思い入れはあります。ですが、今のままでは、この国で安心して暮らす事は出来ません。隣国に避難する事を真面目に検討する必要があるでしょう。
その後、衛兵さんは私達に簡単な事情聴取してから、帰って行きました。
そして半年後。
私達は隣国で、店長やクリスさんと一緒に新しいお店をオープンしました。祖国はというと……。
「クーデター……ですか?」
「ええ。王家への不満が爆発したのでしょうね」
今回の事で、祖国の治安は悪化しました。その対策なのか、王家は『軍備増強の為に予算がいる!』として、国民に増税を強いたのです。
「ただでさえ、治安が悪化して、経済が停滞して、失業率も増加して、国民の生活が苦しくなってるのに、こんな事言ったらね。そりゃ、クーデターも起きるよ」
クーデターの結果は、国民の圧勝。本来王家の味方をすべき城の兵士達が、国民の側に付いたことで、負けるわけのない戦となったそうです。
「陛下や王妃は、斬首の上、さらし首、ですか。………………そう言えば、陛下はなんでこんな馬鹿な新法を作ったんでしょう?」
「どうやら王妃にせがまれて、らしいよ」
「王妃って………聖女様って噂のあの人ですか?」」
「そう、その人」
噂によると聖女様とは、異界から召喚された女性、らしいです。様々な知識を持っていて、この国の発展に協力してくれるとか。
「その人が、『男女差別は良くない! 今すぐなくすべき!』って陛下に熱弁して、今回の新法が出来たみたい。一週間くらいで」
「……え? 理由ってそれだけですか!? 検討期間もそれだけ!?」
「うん。どっちもそれだけ」
ろくに検討もせず、急いで親しい人の利己的な願望を叶えようとした結果が、親しい人と一緒にさらし首とは……自業自得とはいえ報われませんね。
店長とそんな会話をした数日後。お店で、とあるイベントを開催する事にしました。
いつもとは少し違う装いのお店に、懐かしいお客様がいらっしゃいます。
カランカラン
「――! いらっしゃいませ! お好きなお席へどうぞ」
「あ、ありがとう、ござい、ます。と、特製パフェ、お願いします」
「あ、私もそれで」
「かしこまりました! お席までお運びしますので、少々お待ちください!」
いらっしゃったのは、あの時被害にあわれた女性とそのお母様です。
実は彼女、あの時の事がトラウマになってしまい、1人では外出する事が出来なくなってしまったそうです。今でも見知らぬ男性は怖いらしく、たとえお母様と一緒でも、普通のお店には入る事は出来ません。
そこで私達は、『女性限定』のイベントを開催する事にしました。お客さんも従業員も女性だけ。当然、店長も今日はお休みです。ちなみに、心が女性であっても、体が男性であるなら、入店はお断りしています。私達は、これを差別だとは思いません。
席に座って、お母様と一緒に、楽しそうに特製パフェを待つ彼女。恐らく、彼女のトラウマが完全に癒える事はないでしょう。それだけ、安全だと思っていたものに裏切られるのは、怖い事です。自分の今いる場所が、安全かどうか、分からなくなってしまうのですから。その恐怖は計り知れません。本当に怖い思いをしたと思います。
だからこそ。せめてイベントの間だけは、安心して笑っていて欲しい。そう思いながら、私はイベントデー専用の特製パフェを、彼女達のテーブルに運ぶのでした。
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