『婚約もしていないのに婚約破棄ですか? 〜岩塩で殴れば目が覚めます?〜』

しおしお

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第六話 理解

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第六話 理解

 王宮の朝は、いつもより静かだった。

 厨房の棚に並ぶ塩壺は、数が減っている。料理長はふたを開け、中身を確かめ、そっと閉じる。白い粉はまだ残っている。だが、底が見え始めていた。

「本日の献立でございます」

 差し出された皿に、王太子は箸を伸ばす。味は、わずかに違った。

「……薄いな」

 料理長は頭を下げる。

「使用量を抑えております」

「なぜだ」

 答えはわかっているはずだが、王太子は問う。

「在庫が、想定より早く減っております」

 室内の空気が、ひときわ重くなる。

 市場ではすでに岩塩は消え、海塩は高値でわずかに出回るのみ。三角構想は未遂に終わり、確保できた分は焼け石に水だった。

 王太子は塩壺を手に取り、白い粒を眺める。

 透明で、さらさらとしている。

「これも、止まるのか」

「はい」

 料理長の声は低い。

「精製塩の原料が入らぬ限り、いずれ」

「原料は海塩ではないのか」

 沈黙。

 王太子は顔を上げる。

「違うのか」

 料理長は、ようやく言った。

「殿下がお召し上がりの塩は、ハライト産の岩塩を精製したものでございます」

 言葉は刃のように落ちた。

「……では、あの灰色の石が」

「はい」

「不純物だらけの」

「ミネラルでございます」

 料理長は視線を伏せたまま続ける。

「精製の工程で取り除く部分もございますが、味の核となるのは大地の成分でございます」

 王太子の指先が、白い粒をこぼす。

 あの晩餐会の光景が、脳裏に浮かぶ。

 岩を売る田舎娘。

 不要。

 破棄。

 そして、あの言葉。

「美味しい水には、ミネラルが不可欠でございます」

 あの穏やかな声。

「美味しい塩にも、ミネラルが不可欠でございますわ」

 喉が、渇く。

 だが水を飲む気になれない。

 

 王城の会議室。

 兵站官が報告する。

「塩漬け肉の製造が止まっております。遠征計画の見直しが必要です」

 財務官が続ける。

「市場の不安が広がっております。買い占めも始まりました」

 王太子は机を握りしめる。

 塩は味付けではない。

 保存。

 兵站。

 治療。

 冬越し。

 国の基盤だ。

 それを、石ころと呼んだ。

 

 窓の外、王都の空は曇っている。

 白い粉は、灰色の岩から生まれる。

 その単純な事実が、今になって重くのしかかる。

 

 北方、ハライト公国。

 ヴィエリチカは静かに報告を受けていた。

「王都は困窮しております」

「そう」

 彼女は紅茶を置く。

「民価格は守ってください」

「はい」

「我が領地を侮辱なさったのは、殿下でございます」

 声は柔らかい。

「民を苦しめるためではございませんわ」

 怒りは、私情ではない。

 家と領地への侮辱。

 それに対する応答。

 

 王太子は、一人で塩壺を見つめていた。

 指先に残る白い粒。

 その奥に、灰色の塊が透けて見える気がする。

「……私の愚かさで、民を苦しめるわけにはいかない」

 初めて、言葉が変わった。

 誇りではなく、責任。

 不要と言ったのは自分だ。

 止まったのは当然だ。

 契約を軽んじたのも自分だ。

 

 側近が静かに問う。

「いかがなさいますか」

 王太子はゆっくりと立ち上がる。

「ハライトへ向かう」

 声は、もう強がりではない。

「謝罪する」

 室内がざわめく。

 王太子が頭を下げるなど、前例がない。

「私の軽率で、国を揺らした」

 塩壺を握りしめる。

「岩を石ころと呼んだのは、私だ」

 白と灰。

 その違いを、ようやく理解した。

 白は、灰の上に立っている。

 王太子は扉へ向かう。

 誇りを捨てるわけではない。

 だが、誤りを認める。

 その一歩が、どれほど重いか。

 灰色の岩は、静かに大地に眠っている。

 白い粉は、底を見せ始めている。

 理解は遅い。

 だが、まだ間に合うかもしれない。

 王太子は、初めて自らの言葉の重さを知った。
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