『婚約もしていないのに婚約破棄ですか? 〜岩塩で殴れば目が覚めます?〜』

しおしお

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第七話 訪問

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第七話 訪問

 北へ向かう馬車の列は、重たい沈黙を引きずっていた。

 王太子の訪問は、公式には「視察」とされている。だが随行の誰もが知っている。これは謝罪だ。

 道は次第に荒れ、石畳は土へと変わる。遠くに見える山肌は灰色を帯び、その奥に坑道の灯りが瞬いている。

 ハライト公国。

 岩の国。

 石ころの国。

 そう呼んだ自分の声が、耳の奥で繰り返される。

 

 城門は開かれていた。

 閉ざされてもおかしくはない。

 それでも門は開き、旗は風に揺れている。

 出迎えたのは、公爵家の家臣団。そして、その中央に立つ一人の少女。

 ヴィエリチカ・ハライト公爵令嬢。

 灰青色のドレス。結晶を思わせる刺繍。穏やかな微笑み。

「遠路お越しいただき、光栄でございます」

 その声は、晩餐会と同じ。

 柔らかく、澄んでいる。

 王太子は一瞬、言葉を失う。

「……突然の訪問を許してほしい」

「我が国の坑道は、いつでも開いておりますわ」

 にこり。

 皮肉は、ないように聞こえる。

 だが意味はある。

 

 応接室。

 机の上には水差しと、透明な杯が二つ。

「長旅で喉がお渇きでしょう」

 ヴィエリチカは自ら杯に水を注ぐ。

 ほんのわずかに、白い粒が溶ける。

「これは」

「我が国の最高純度の精製塩でございます」

 王太子は杯を受け取り、口に含む。

 塩味。

 だが、ただの塩辛さではない。

 喉を通ると、体がわずかに温まる。

「……塩水か」

「はい」

 微笑みは変わらない。

「美味しい水には、ミネラルが不可欠でございます」

 あの晩餐会の続きのように、彼女は言う。

「美味しい塩にも、ミネラルが不可欠でございますわ」

 王太子は、視線を落とす。

「私は……誤っていた」

 室内が静まる。

「岩塩を、石ころと呼んだ」

「承知しております」

 声は穏やか。

 責める響きはない。

「我が領地を侮辱した」

「それも、承知しております」

「そして、不要だと」

 ヴィエリチカは小さく頷く。

「記録に残っておりますわ」

 逃げ道はない。

 王太子は立ち上がる。

 深く、頭を下げた。

「謝罪する」

 空気が変わる。

 家臣たちが息を呑む。

 王太子が頭を下げる。

 それは前例のない光景だった。

「私の愚かさで、民を不安にさせた。軽率だった」

 声は震えていない。

 だが重い。

 ヴィエリチカは、静かに見つめる。

「殿下は、民を守りたいとお考えですか」

「当然だ」

「では、契約をお守りください」

 即答だった。

 怒りは見せない。

 復讐も口にしない。

「侮辱は忘れません」

 微笑みのまま。

「ですが、契約は守ります」

 王太子は顔を上げる。

「条件があるのだろう」

「ございます」

 声は柔らかい。

「不要と仰いました。ですから、改めて必要とお認めください」

「認める」

 即答。

 誇りではなく、責任の声。

「そして、代償を」

 王太子は覚悟している。

 ヴィエリチカは、ほんの少しだけ首を傾ける。

「代償ではございませんわ」

 にこり。

「対等な契約でございます」

 

 窓の外、灰色の岩山が陽を受けて輝いている。

 白は灰から生まれる。

 その事実を、王太子はようやく真正面から受け止めた。

 謝罪は、受け入れられた。

 だが終わりではない。

 ここからが、契約の始まりだ。

 ヴィエリチカは杯を置き、静かに言う。

「さて、交渉に入りましょうか」

 笑顔のまま。

 その瞳は、揺らがない。
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