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第7話 魔法が解ける鐘が鳴る前に
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魔法が解ける鐘が鳴る前に
楽団の演奏が、甘い余韻とともにゆっくりと終わりに近づいていく。
王子レオナードの腕の中で、シンディはまだ夢のような気分に包まれていた。
胸の奥に灯ったあたたかな熱。
レオナードが見つめる青い瞳。
まるで、長い孤独の夜が明けていくようだった。
(こんな……幸せがあるなんて……)
シンディは胸の中でそっと呟く。
貧乳を嘲られ、姉にも継母にも存在を否定されてきた自分が、
王子とこうして踊っている――それは奇跡以外の何でもなかった。
けれど、奇跡には終わりがある。
それは、身体の奥底でじわりと感じ始めた“不穏な変化”だった。
レオナードが手を取ってくれた瞬間は確かに上向いていた胸――
その重みが、ほんの少し、軽くなっていく。
(……え?)
胸が……戻り始めている。
魔女アドラは言っていた。
『魔法は十二時まで。
その時が来れば、すべて元のあなたに戻るわよ』
「っ……」
胸の奥を冷たい指先でつままれたような焦りが走る。
(まずい……もう……?)
まだ十二時まで少し時間があるはずなのに。
たぶん、激しく踊って体温が上がったせいで魔法が揺らいでいるのだ。
レオナードは気づかず、柔らかく微笑んでいた。
「素晴らしい時間でした。あなたと踊れて……幸福を感じています」
(そんな……言わないで……)
胸が締め付けられる。
自分が“偽物”の姿でこの言葉を受け取ってはいけない気がした。
だがレオナードは構わず、さらに言葉を重ねる。
「あなたの瞳は、夜の湖みたいだ。
深くて、澄んでいて……吸い込まれそうだ」
「……!」
胸に魔法の痛みとは違う熱が走る。
こんなふうに言われたことがあっただろうか。
胸だけを値踏みされてきた人生で、顔を、目を、心を褒められるなんて。
レオナードは手を離さないまま、そっと囁いた。
「あなたが名を教えてくれたなら……私はあなたを必ず迎えにいきます」
「……っ」
言いたい。
本当の名前を、伝えたい。
だけど――魔法が解ける前に、逃げなきゃ。
シンディはそっと視線を逸らし、胸元に手を添えた。
かすかに形が変わりつつあるのが指先に伝わる。
(もう……時間がない……!)
レオナードは気づかず、彼女が恥じらっていると勘違いして微笑んだ。
「急かすつもりはありません。
でも、あなたのことが気になって……このまま終わらせたくない」
(あなたの気持ちが……嬉しい。
本当に、心から……でも――)
魔法が完全に解けた瞬間、彼は“幻を見せられていた”と誤解するだろう。
胸の大きさが価値の基準である国で、幻を見せて近づいた罪を、きっと責められる。
(いや……この人は違う……そう信じたい……でも……怖い……)
レオナードがそっと手を伸ばした。
「あなたの手を、もう一度……」
シンディはその手を取れなかった。
胸がずきりと痛む。
魔法の綻びが進んでいる証だ。
「っ……す、すみません……!」
王子の手を振り払うように見えてしまうほど急に後ずさりする。
レオナードが驚いて目を見開いた。
「どうされたのですか?」
「わ、私……少し、気分が……」
声が震える。
胸の形が次第に元の“平らなシルエット”に戻っていくのがわかる。
ドレスの胸元布も、わずかにゆるみ始めていた。
(やばい……このままだと、魔法が解ける瞬間を見られる!)
それだけは絶対に避けたい。
レオナードは心配そうに覗き込む。
「医師を呼びましょうか? それとも休憩室へ――」
「だめです!」
「……え?」
周囲の視線が一気に集まる。
大広間の音楽が止まり、ざわめきが生まれ、
とっさに駆けだしたい衝動が体の奥から湧き上がる。
胸はもう、魔法の厚みを失い始めている。
(逃げなきゃ……!)
シンディはスカートをつまみ、深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありません……! 少し……外の空気を……」
「待ってください!」
レオナードの声が背中に刺さる。
でも振り返れない。
もし立ち止まって一言でも交わせば、
王子は優しい言葉で引き止めてしまうだろう。
優しさを向けられて、逃げられなくなる。
(だめ……本当の私を見たら……幻滅される……)
胸を押さえながら、シンディは人混みをすり抜けて走った。
「待ちなさい! あなたは――!」
レオナードの声が追ってくる。
令嬢たちが驚き、ドレスと宝石が揺れる中、
誰よりも細身のシンディは小柄な体で人の間をすり抜けられる。
大広間を抜け、長い回廊へ飛び出す。
夕月の光が差し込む大理石の床――
その上をハイヒールで走る音が響く。
胸がもう、元の“ほとんど平らな形”に戻りつつある。
息が詰まり、涙が滲む。
(ごめんなさい……
こんなふうに逃げるしかできなくて……
でも、見られたら……もっと惨めで……)
シンディは回廊の角を曲がり、階段の踊り場へと飛び込む。
背後から、王子の呼ぶ声が確かに迫ってきた。
「待ってくれ! 君の名前を――」
「や、やめてください……!」
階段を降りようとした瞬間――
十二時の鐘が鳴り始めた。
ゴォォン……
ゴォォォン……
音と同時に、胸が完全に潰れたように軽くなった。
魔法が……解けた。
シンディは、涙をこらえながら階段を駆け降りた。
(さようなら……王子様……
魔法の夜は……これで終わり……)
楽団の演奏が、甘い余韻とともにゆっくりと終わりに近づいていく。
王子レオナードの腕の中で、シンディはまだ夢のような気分に包まれていた。
胸の奥に灯ったあたたかな熱。
レオナードが見つめる青い瞳。
まるで、長い孤独の夜が明けていくようだった。
(こんな……幸せがあるなんて……)
シンディは胸の中でそっと呟く。
貧乳を嘲られ、姉にも継母にも存在を否定されてきた自分が、
王子とこうして踊っている――それは奇跡以外の何でもなかった。
けれど、奇跡には終わりがある。
それは、身体の奥底でじわりと感じ始めた“不穏な変化”だった。
レオナードが手を取ってくれた瞬間は確かに上向いていた胸――
その重みが、ほんの少し、軽くなっていく。
(……え?)
胸が……戻り始めている。
魔女アドラは言っていた。
『魔法は十二時まで。
その時が来れば、すべて元のあなたに戻るわよ』
「っ……」
胸の奥を冷たい指先でつままれたような焦りが走る。
(まずい……もう……?)
まだ十二時まで少し時間があるはずなのに。
たぶん、激しく踊って体温が上がったせいで魔法が揺らいでいるのだ。
レオナードは気づかず、柔らかく微笑んでいた。
「素晴らしい時間でした。あなたと踊れて……幸福を感じています」
(そんな……言わないで……)
胸が締め付けられる。
自分が“偽物”の姿でこの言葉を受け取ってはいけない気がした。
だがレオナードは構わず、さらに言葉を重ねる。
「あなたの瞳は、夜の湖みたいだ。
深くて、澄んでいて……吸い込まれそうだ」
「……!」
胸に魔法の痛みとは違う熱が走る。
こんなふうに言われたことがあっただろうか。
胸だけを値踏みされてきた人生で、顔を、目を、心を褒められるなんて。
レオナードは手を離さないまま、そっと囁いた。
「あなたが名を教えてくれたなら……私はあなたを必ず迎えにいきます」
「……っ」
言いたい。
本当の名前を、伝えたい。
だけど――魔法が解ける前に、逃げなきゃ。
シンディはそっと視線を逸らし、胸元に手を添えた。
かすかに形が変わりつつあるのが指先に伝わる。
(もう……時間がない……!)
レオナードは気づかず、彼女が恥じらっていると勘違いして微笑んだ。
「急かすつもりはありません。
でも、あなたのことが気になって……このまま終わらせたくない」
(あなたの気持ちが……嬉しい。
本当に、心から……でも――)
魔法が完全に解けた瞬間、彼は“幻を見せられていた”と誤解するだろう。
胸の大きさが価値の基準である国で、幻を見せて近づいた罪を、きっと責められる。
(いや……この人は違う……そう信じたい……でも……怖い……)
レオナードがそっと手を伸ばした。
「あなたの手を、もう一度……」
シンディはその手を取れなかった。
胸がずきりと痛む。
魔法の綻びが進んでいる証だ。
「っ……す、すみません……!」
王子の手を振り払うように見えてしまうほど急に後ずさりする。
レオナードが驚いて目を見開いた。
「どうされたのですか?」
「わ、私……少し、気分が……」
声が震える。
胸の形が次第に元の“平らなシルエット”に戻っていくのがわかる。
ドレスの胸元布も、わずかにゆるみ始めていた。
(やばい……このままだと、魔法が解ける瞬間を見られる!)
それだけは絶対に避けたい。
レオナードは心配そうに覗き込む。
「医師を呼びましょうか? それとも休憩室へ――」
「だめです!」
「……え?」
周囲の視線が一気に集まる。
大広間の音楽が止まり、ざわめきが生まれ、
とっさに駆けだしたい衝動が体の奥から湧き上がる。
胸はもう、魔法の厚みを失い始めている。
(逃げなきゃ……!)
シンディはスカートをつまみ、深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありません……! 少し……外の空気を……」
「待ってください!」
レオナードの声が背中に刺さる。
でも振り返れない。
もし立ち止まって一言でも交わせば、
王子は優しい言葉で引き止めてしまうだろう。
優しさを向けられて、逃げられなくなる。
(だめ……本当の私を見たら……幻滅される……)
胸を押さえながら、シンディは人混みをすり抜けて走った。
「待ちなさい! あなたは――!」
レオナードの声が追ってくる。
令嬢たちが驚き、ドレスと宝石が揺れる中、
誰よりも細身のシンディは小柄な体で人の間をすり抜けられる。
大広間を抜け、長い回廊へ飛び出す。
夕月の光が差し込む大理石の床――
その上をハイヒールで走る音が響く。
胸がもう、元の“ほとんど平らな形”に戻りつつある。
息が詰まり、涙が滲む。
(ごめんなさい……
こんなふうに逃げるしかできなくて……
でも、見られたら……もっと惨めで……)
シンディは回廊の角を曲がり、階段の踊り場へと飛び込む。
背後から、王子の呼ぶ声が確かに迫ってきた。
「待ってくれ! 君の名前を――」
「や、やめてください……!」
階段を降りようとした瞬間――
十二時の鐘が鳴り始めた。
ゴォォン……
ゴォォォン……
音と同時に、胸が完全に潰れたように軽くなった。
魔法が……解けた。
シンディは、涙をこらえながら階段を駆け降りた。
(さようなら……王子様……
魔法の夜は……これで終わり……)
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