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第81話(番外編) クマとやせっぽちの食事療法
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キャメルは一人っ子だ。幼い頃はそれはもう男子とは思えないほど可愛らしくて、周りの人達は皆キャメルを蝶よ花よと可愛がった。
キャメルが欲しがれば何でも買い与え、食べたいと言った物は全て食べさせた結果、身長はぐんぐん伸び、もちろん横にもぐんぐん大きくなってしまった。
気付いたときには取り返しがつかない程大きくなってしまったキャメルを見て、周りは誰も構ってくれなくなってしまったのは言うまでもない。もちろん、舞い込んでいた縁談も実際のキャメルを見て全て断られる始末。それでもキャメルはまだその原因には気付いてはいなかった。
何故なら父と母だけはキャメルを愛してくれていたし、今でも愛してくれているからだ。
だが、それがいけなかったのだろう。ある日キャメルはメイド達がキャメルの事を裏でクマだとか大男だとか豚だと言っているのを聞いてしまったのだ。
キャメルは悔しかった。情けなくてその日から鏡を見ることが出来なくなってしまった。
元々気の弱い性格だ。言い返す事も見返すことも出来なかった。それでも自分から何かを強請ることはなくなった。それはせめてもの抵抗だったのかもしれないが、そんなキャメルを心配した両親はそれからも毎日お菓子や贅沢な食事をキャメルに与える。キャメルは嫌とは言えずそれを全て平らげる。
悪循環だと分かっていても、両親の愛情だと思えばそれを無下にする事も出来なかったのだ。
そして年頃になってもそれは収まらず、とうとう自分の足で一人で立って歩くことが出来なくなってしまった頃、カサンドラが親戚の紹介でやってきた。
あまりにもキャメルが大きくなってしまった事で今いるメイド達だけでは世話が出来なくなってしまった上に、メイド達も誰もキャメルの世話をしたがらなかったからだ。
奴隷商に居た娘ならばそんな汚れ役でも喜んでやるはずだと言う思惑が最初はあったのだろう。
『はじめまして、キャメル様。カサンドラと申します』
『ああ』
カサンドラはまるで平伏すかのように頭を床に擦り付けてキャメルに挨拶をする。正に奴隷の挨拶だ。
でもそれは全然良い気分なんかじゃない。むしろこんな者にしか自分は相手にされないのかと思うと、胸が軋むほど辛かった。
けれど――。
『キャメル様、何なりとお申し付けください。私があなたの足になります』
顔を上げて微笑んだカサンドラを見てキャメルは息を呑んだ。一目惚れとかそういうのではない。久しぶりに両親以外からの心からの笑顔を見たからだ。
『お前は……嘲笑わないのだな』
『? 笑っていますよ?』
『そうではなくて……こんな状態の私を見てもバカにしないんだな』
思わず漏れた本音を聞いて、カサンドラは少しだけ首を傾げてやっぱり華のように笑う。
『こんな事を言ったら失礼かもしれませんが、クマさんのように大きくて羨ましいです。私はこんなにもちっぽけですから』
そう言って自分の棒きれのような手足をキャメルに見せて笑ったカサンドラを見て、生まれて初めて誰かを抱きしめたいと思った。そしてその時にちらりと見えた肩に押された奴隷の紋章が憎くて仕方なかった。
それからキャメルは常に側にカサンドラを置くようになった。部屋で食事を取る時も常に隣に座らせた。そしてこっそり自分の料理をカサンドラに分けたりしていたのは誰にも内緒だ。
ある日、キャメルはポツリと窓から庭を見て思った。
『あの庭をお前と杖無しに歩けたら、楽しいだろうな』
と。
するとそれを聞いたカサンドラは嬉しそうにキャメルの手を取って、庭を二人で歩くことが出来たらしたい事というリストを作り出したのだ。その時にキャメルはついでにカサンドラに字を教えた。
覚えたての拙い字で書かれた二人でしたい事リストは今も増え続けている。
この日からキャメルは変わった。純粋で無垢なカサンドラと醜い自分では釣り合わない。必ず痩せてこの願いを叶えてみせる、と。
『まず食事からだな。カサンドラ、どうすればいいと思う?』
『私もよく分からないので……そうだ! チャップマン商会のエマさんに聞いてみます! アリス工房ならもしかしたら良い物を扱ってるかもしれません!』
『チャップマン商会? ああ、噂のか。最近評判がとてもいいらしいな』
『はい! 他のメイドの方たちも色々お買い物していますよ! キャメル様が最近お気に入りのラーメンもあそこのです!』
『そうか。では痩せるのにはどうしたらいいか聞いておいておくれ』
『はい!』
カサンドラは早速あちこちで痩せるためにはどうすればいいかを聞いて回った。カサンドラがそんな事を聞いて回るのは全てキャメルを痩せさせたいからだと言うことに皆が気付いていただろうが、バカにはするものの誰も相手にもしなかった。どうせ痩せられない。あのキャメルだから。
まるであちこちからそんな声が聞こえてきているような気がして苦しかった。
しばらくしてカサンドラがキャメルに一通の手紙とキャメルの大好きなラーメンを持って帰ってきた。
『ラーメン? 痩せたいのに私にラーメンを食べさせるのか⁉』
溜まっていた鬱憤をぶつけるように思わず強い口調でカサンドラを責めてしまったキャメルに、カサンドラはただ黙って微笑んで指を三本立てて言った。
『3分待っていてください! きっと驚きますよ!』
そして3分後、カサンドラはラーメンを持ってきた。ダイエットを始めてから食べたくても食べなかったラーメンにキャメルはゴクリと息を飲む。
『さあキャメル様! どうぞお召し上がりください』
『……』
キャメルは半信半疑でラーメンを覗き込む。すると不思議なことにいつもの黄色い麺ではないではないか。
『カサンドラ、これは? 麺が変わったのか?』
『はい。エマさんに相談したら、エマさんがそのままアリス様にお伝えしてくださったらしくて特別に作ってくださったんです! 麺は春雨と言うそうです。原料はじゃがいもや緑豆のデンプンで出来ているそうですよ。量さえ守れば痩せるのにとても向いているそうです! 食べてみてください』
『あ、ああ』
狐につままれたような気分で久しぶりのラーメンをすすると、キャメルは驚きに目を見張った。
『カサンドラ、お前も食べてみろ! 面白い食感だぞ! ああ、なるほどこれはよく噛まなければならないのだな』
麺だけではなくスープもまたいつもと少し違う。少し癖があってトロリとしている。
『それから、こちらがお預かりしたアリス様からのお手紙です。どうぞ』
『うむ』
キャメルは手紙を受け取って中を開くとまずは目を丸くする。読みにくい。星や音符が沢山ついていて非常に読みづらい。
『なんて書いてあるんですか?』
『ん? ああ、動けない人の正しいダイエットの方法だそうだ。なになに? 我慢はしてはいけない! 食べたい物を時間をかけて食べる! 味つけをちょっとでいいから薄くする! 肉は脂身より赤身! ベッドの上でじたばたする! 朝一番に白湯を飲む! 食べた後何も出なくてもお手洗いに行く! これだけで結構痩せる! ……だ、そうだ。これはあてになるのか?』
『……どうなんでしょう?』
『よく分からんが……とりあえず実践してみるか』
その日からアリス直伝のダイエット計画が始まった。ダイエットの為に我慢していた食べ物をキャメルは我慢するのを止めた。その代わり、おやつはチャップマン商会から仕入れたおからのクッキーやアレルギー対策されたケーキなどが中心になった。それを一袋、一日かけて少しずつ食べる。もちろんカサンドラと一緒にだ。
そして暇があればベッドの上でバタバタした。傍から見たら何をしているのか分からないだろうが、意外とこれが汗をかく。
『ふぅ、ふぅ』
『やりすぎはよくありませんよ、キャメル様』
『いや、何だか楽しくなってきたんだ。最近は動かないと体がムズムズする』
汗で張り付いた髪を払いながら言うとカサンドラも嬉しそうに笑う。
こうしてダイエットを始めて一月が過ぎた頃、キャメルは目に見えて痩せた。自分で歩けるようになり、念願の庭にカサンドラと二人で歩く事も出来るようになったのだ!
この辺りから皆の見る目が変わった。キャメルとカサンドラを馬鹿にしていた使用人たちが、少しずつ手を貸してくれるようになった。
あちこちで聞き齧ったダイエット方法を教えてくれたり、大豆で作られた差し入れを持ってきてくれたりする使用人たち。
その度にキャメルは丁寧に礼の手紙を書いた。見た目でキャメルを非難していた使用人達は、この時ようやくキャメルの人となりを知った。使用人の話をちゃんと聞きそれを実践する柔軟な態度、何よりも相手がどんな身分であれいちいち礼の手紙を寄越してくる律儀さ。真面目過ぎるのではないかと思うほどキャメルは実直だ。
『不思議なものだ。あれほど濃い味付けの物が好きだったのに、今は素朴な味付けが何より旨く感じる。肉にしてもそうだ。脂身が好きだったが、脂身を食べすぎると胸焼けを起こすようになった……これがアリス嬢の言う、本当に体が欲しがっているものか!』
キャメルが笑顔を浮かべるとカサンドラも嬉しそうに笑う。
『きっとそうです! アリス様が仰ってたとおりです! 私もキャメル様と食事をするうちに、ちっぽけじゃなくなってきました!』
『うむ』
そう言って袖をまくりあげたカサンドラの肩には今もあの痣があるけれど、不思議とその痣を見てもそれすらも愛しいと思うようになっていた。この痣も含めてカサンドラなのだ。
アリスとはあれから誰にも内緒で経過を報告する手紙のやりとりをしている。
アリス曰く、人間には一人一人に合った体型があるという。それを超えても少なすぎてもいけないらしい。何よりもダイエットは我慢ではないそうだ。我慢をしてストレスを溜めたら余計に太る。心が健康な時でないとダイエットは成功しないという。
心と体には密接な関係があってどうたらこうたらと書かれていたが、確かに我慢していた時はずっとイライラしていた。我慢をしているのに何故か太ったというのに、不思議と食べるダイエットに切り替えてからはぐんぐん痩せたのだ。もちろん食べる量には気をつけたが。
何だか痩せた事で自信が湧いてきたキャメルはそれからも屋敷中一丸となってダイエットに励んだ。
『キャメル様が使用人食堂のメニューも変えてくださるそうよ。色んな料理を選べるようにするんですって!』
『量も自分で決めていいそうよ。今まで私には多かったから嬉しい』
『旦那様がキャメル様に付き合って食事を変えただろ? そのおかげか知らんが持病の薬がいらなくなるまでに病気が改善してるらしい』
『奥様なんてあの春雨ラーメンに変えてから何だかお肌がツヤツヤするのって喜んでらしたわ』
キャメルが言い出したカサンドラと庭を歩きたいという願いは、気がつけばいつの間にか屋敷の中の色んなものを変えていた。
そして現在――。
「カサンドラ~! キャメル様がお呼びよ」
「はぁい! あ、アンさん、これ新しいチャップマン商会のチラシです!」
「いつもありがとう。助かるわ」
アンはそう言ってカサンドラから受け取ったチラシを持って食堂に向かう。それを一番目立つ所に貼り付け、その下にいつものように欲しい物リストと小さなカゴを置いておく。ここに皆、自分の欲しい物を書いてお金を入れるのだ。それを週に二度、カサンドラがまとめて買い物に行く。
元奴隷だから信用できない。最初は皆がそんな事を言ってカサンドラと距離を取っていたけれど、カサンドラは今やこの屋敷に無くてはならない存在になっている。
あのキャメルをゆっくりではあるが走れるほどまでに痩せさせたのは彼女だ。そしてその副産物も沢山あった。それはもう皆、気付いている。
「カサンドラ! また一人でチャップマン商会に行っていたのか⁉」
「はい! 私はお買い物係なので」
「むぅ……今日はエマさんか?」
「そうですよ。シュタはエマさんとコキシネルさんですから。あ、アリス様からお手紙預かっています。ここに置いておきますね」
「ああ、ありがとう。次はいつ行くんだ? 明後日か?」
「はい。そうだ! キャメル様も一緒に行きましょう! 見てるだけでもとても楽しいので!」
「そ、そうだな」
嬉しそうにそう言ってキャメルの手を握りしめてくるカサンドラを見下ろして、キャメルは思わず頬を染めた。
今のキャメルの悩みは専らカサンドラだ。キャメルは生まれて初めての恋をしている。恋愛初心者のキャメルには何をどうすればいいかさっぱり分から無さ過ぎてアリスに相談した所、アリスはノリノリで相談に乗ってくれている。
キャメルはカサンドラが仕事に戻ったのを確認すると、アリスから受け取った手紙を開いた。
『女子は必ずしも痩せた人が好きな訳じゃないよ! 色んな人がいるもん。それに最初は見た目かもしんないけど、そこ超えたら最後はやっぱ中身だよ! ダイエットは時間がかかるよ。恋も時間かけてゆっくり育てよ。そしてやっぱ筋肉! これは大事だよ! 大事な人守るためにも筋肉つけよ! 筋肉は! 裏切らない! 恋の伝道師アリス』
「筋肉は……裏切らない、か」
最初にもらった手紙はドン引きするほど読みにくかったが、最近では星や音符やハートが乱舞していても気にならなくなった。心の底からアリスがキャメルを応援してくれている事がわかるからだ。
何よりもアリスだけだ。キャメルの相手が元奴隷だと知っても、だから? と返してきたのは。噂に聞くアリス工房のアリスは、せせこましく生きていない。流石、前ルーデリア王に『人間卒業おめでとう』と言われただけある。
キャメルは決意を新たに手紙を綺麗に折り畳んで机に仕舞った。
美しいカサンドラに恥じないよう生きよう。いつか胸を張ってカサンドラに想いを伝える事が出来るようにする為に。
キャメルが欲しがれば何でも買い与え、食べたいと言った物は全て食べさせた結果、身長はぐんぐん伸び、もちろん横にもぐんぐん大きくなってしまった。
気付いたときには取り返しがつかない程大きくなってしまったキャメルを見て、周りは誰も構ってくれなくなってしまったのは言うまでもない。もちろん、舞い込んでいた縁談も実際のキャメルを見て全て断られる始末。それでもキャメルはまだその原因には気付いてはいなかった。
何故なら父と母だけはキャメルを愛してくれていたし、今でも愛してくれているからだ。
だが、それがいけなかったのだろう。ある日キャメルはメイド達がキャメルの事を裏でクマだとか大男だとか豚だと言っているのを聞いてしまったのだ。
キャメルは悔しかった。情けなくてその日から鏡を見ることが出来なくなってしまった。
元々気の弱い性格だ。言い返す事も見返すことも出来なかった。それでも自分から何かを強請ることはなくなった。それはせめてもの抵抗だったのかもしれないが、そんなキャメルを心配した両親はそれからも毎日お菓子や贅沢な食事をキャメルに与える。キャメルは嫌とは言えずそれを全て平らげる。
悪循環だと分かっていても、両親の愛情だと思えばそれを無下にする事も出来なかったのだ。
そして年頃になってもそれは収まらず、とうとう自分の足で一人で立って歩くことが出来なくなってしまった頃、カサンドラが親戚の紹介でやってきた。
あまりにもキャメルが大きくなってしまった事で今いるメイド達だけでは世話が出来なくなってしまった上に、メイド達も誰もキャメルの世話をしたがらなかったからだ。
奴隷商に居た娘ならばそんな汚れ役でも喜んでやるはずだと言う思惑が最初はあったのだろう。
『はじめまして、キャメル様。カサンドラと申します』
『ああ』
カサンドラはまるで平伏すかのように頭を床に擦り付けてキャメルに挨拶をする。正に奴隷の挨拶だ。
でもそれは全然良い気分なんかじゃない。むしろこんな者にしか自分は相手にされないのかと思うと、胸が軋むほど辛かった。
けれど――。
『キャメル様、何なりとお申し付けください。私があなたの足になります』
顔を上げて微笑んだカサンドラを見てキャメルは息を呑んだ。一目惚れとかそういうのではない。久しぶりに両親以外からの心からの笑顔を見たからだ。
『お前は……嘲笑わないのだな』
『? 笑っていますよ?』
『そうではなくて……こんな状態の私を見てもバカにしないんだな』
思わず漏れた本音を聞いて、カサンドラは少しだけ首を傾げてやっぱり華のように笑う。
『こんな事を言ったら失礼かもしれませんが、クマさんのように大きくて羨ましいです。私はこんなにもちっぽけですから』
そう言って自分の棒きれのような手足をキャメルに見せて笑ったカサンドラを見て、生まれて初めて誰かを抱きしめたいと思った。そしてその時にちらりと見えた肩に押された奴隷の紋章が憎くて仕方なかった。
それからキャメルは常に側にカサンドラを置くようになった。部屋で食事を取る時も常に隣に座らせた。そしてこっそり自分の料理をカサンドラに分けたりしていたのは誰にも内緒だ。
ある日、キャメルはポツリと窓から庭を見て思った。
『あの庭をお前と杖無しに歩けたら、楽しいだろうな』
と。
するとそれを聞いたカサンドラは嬉しそうにキャメルの手を取って、庭を二人で歩くことが出来たらしたい事というリストを作り出したのだ。その時にキャメルはついでにカサンドラに字を教えた。
覚えたての拙い字で書かれた二人でしたい事リストは今も増え続けている。
この日からキャメルは変わった。純粋で無垢なカサンドラと醜い自分では釣り合わない。必ず痩せてこの願いを叶えてみせる、と。
『まず食事からだな。カサンドラ、どうすればいいと思う?』
『私もよく分からないので……そうだ! チャップマン商会のエマさんに聞いてみます! アリス工房ならもしかしたら良い物を扱ってるかもしれません!』
『チャップマン商会? ああ、噂のか。最近評判がとてもいいらしいな』
『はい! 他のメイドの方たちも色々お買い物していますよ! キャメル様が最近お気に入りのラーメンもあそこのです!』
『そうか。では痩せるのにはどうしたらいいか聞いておいておくれ』
『はい!』
カサンドラは早速あちこちで痩せるためにはどうすればいいかを聞いて回った。カサンドラがそんな事を聞いて回るのは全てキャメルを痩せさせたいからだと言うことに皆が気付いていただろうが、バカにはするものの誰も相手にもしなかった。どうせ痩せられない。あのキャメルだから。
まるであちこちからそんな声が聞こえてきているような気がして苦しかった。
しばらくしてカサンドラがキャメルに一通の手紙とキャメルの大好きなラーメンを持って帰ってきた。
『ラーメン? 痩せたいのに私にラーメンを食べさせるのか⁉』
溜まっていた鬱憤をぶつけるように思わず強い口調でカサンドラを責めてしまったキャメルに、カサンドラはただ黙って微笑んで指を三本立てて言った。
『3分待っていてください! きっと驚きますよ!』
そして3分後、カサンドラはラーメンを持ってきた。ダイエットを始めてから食べたくても食べなかったラーメンにキャメルはゴクリと息を飲む。
『さあキャメル様! どうぞお召し上がりください』
『……』
キャメルは半信半疑でラーメンを覗き込む。すると不思議なことにいつもの黄色い麺ではないではないか。
『カサンドラ、これは? 麺が変わったのか?』
『はい。エマさんに相談したら、エマさんがそのままアリス様にお伝えしてくださったらしくて特別に作ってくださったんです! 麺は春雨と言うそうです。原料はじゃがいもや緑豆のデンプンで出来ているそうですよ。量さえ守れば痩せるのにとても向いているそうです! 食べてみてください』
『あ、ああ』
狐につままれたような気分で久しぶりのラーメンをすすると、キャメルは驚きに目を見張った。
『カサンドラ、お前も食べてみろ! 面白い食感だぞ! ああ、なるほどこれはよく噛まなければならないのだな』
麺だけではなくスープもまたいつもと少し違う。少し癖があってトロリとしている。
『それから、こちらがお預かりしたアリス様からのお手紙です。どうぞ』
『うむ』
キャメルは手紙を受け取って中を開くとまずは目を丸くする。読みにくい。星や音符が沢山ついていて非常に読みづらい。
『なんて書いてあるんですか?』
『ん? ああ、動けない人の正しいダイエットの方法だそうだ。なになに? 我慢はしてはいけない! 食べたい物を時間をかけて食べる! 味つけをちょっとでいいから薄くする! 肉は脂身より赤身! ベッドの上でじたばたする! 朝一番に白湯を飲む! 食べた後何も出なくてもお手洗いに行く! これだけで結構痩せる! ……だ、そうだ。これはあてになるのか?』
『……どうなんでしょう?』
『よく分からんが……とりあえず実践してみるか』
その日からアリス直伝のダイエット計画が始まった。ダイエットの為に我慢していた食べ物をキャメルは我慢するのを止めた。その代わり、おやつはチャップマン商会から仕入れたおからのクッキーやアレルギー対策されたケーキなどが中心になった。それを一袋、一日かけて少しずつ食べる。もちろんカサンドラと一緒にだ。
そして暇があればベッドの上でバタバタした。傍から見たら何をしているのか分からないだろうが、意外とこれが汗をかく。
『ふぅ、ふぅ』
『やりすぎはよくありませんよ、キャメル様』
『いや、何だか楽しくなってきたんだ。最近は動かないと体がムズムズする』
汗で張り付いた髪を払いながら言うとカサンドラも嬉しそうに笑う。
こうしてダイエットを始めて一月が過ぎた頃、キャメルは目に見えて痩せた。自分で歩けるようになり、念願の庭にカサンドラと二人で歩く事も出来るようになったのだ!
この辺りから皆の見る目が変わった。キャメルとカサンドラを馬鹿にしていた使用人たちが、少しずつ手を貸してくれるようになった。
あちこちで聞き齧ったダイエット方法を教えてくれたり、大豆で作られた差し入れを持ってきてくれたりする使用人たち。
その度にキャメルは丁寧に礼の手紙を書いた。見た目でキャメルを非難していた使用人達は、この時ようやくキャメルの人となりを知った。使用人の話をちゃんと聞きそれを実践する柔軟な態度、何よりも相手がどんな身分であれいちいち礼の手紙を寄越してくる律儀さ。真面目過ぎるのではないかと思うほどキャメルは実直だ。
『不思議なものだ。あれほど濃い味付けの物が好きだったのに、今は素朴な味付けが何より旨く感じる。肉にしてもそうだ。脂身が好きだったが、脂身を食べすぎると胸焼けを起こすようになった……これがアリス嬢の言う、本当に体が欲しがっているものか!』
キャメルが笑顔を浮かべるとカサンドラも嬉しそうに笑う。
『きっとそうです! アリス様が仰ってたとおりです! 私もキャメル様と食事をするうちに、ちっぽけじゃなくなってきました!』
『うむ』
そう言って袖をまくりあげたカサンドラの肩には今もあの痣があるけれど、不思議とその痣を見てもそれすらも愛しいと思うようになっていた。この痣も含めてカサンドラなのだ。
アリスとはあれから誰にも内緒で経過を報告する手紙のやりとりをしている。
アリス曰く、人間には一人一人に合った体型があるという。それを超えても少なすぎてもいけないらしい。何よりもダイエットは我慢ではないそうだ。我慢をしてストレスを溜めたら余計に太る。心が健康な時でないとダイエットは成功しないという。
心と体には密接な関係があってどうたらこうたらと書かれていたが、確かに我慢していた時はずっとイライラしていた。我慢をしているのに何故か太ったというのに、不思議と食べるダイエットに切り替えてからはぐんぐん痩せたのだ。もちろん食べる量には気をつけたが。
何だか痩せた事で自信が湧いてきたキャメルはそれからも屋敷中一丸となってダイエットに励んだ。
『キャメル様が使用人食堂のメニューも変えてくださるそうよ。色んな料理を選べるようにするんですって!』
『量も自分で決めていいそうよ。今まで私には多かったから嬉しい』
『旦那様がキャメル様に付き合って食事を変えただろ? そのおかげか知らんが持病の薬がいらなくなるまでに病気が改善してるらしい』
『奥様なんてあの春雨ラーメンに変えてから何だかお肌がツヤツヤするのって喜んでらしたわ』
キャメルが言い出したカサンドラと庭を歩きたいという願いは、気がつけばいつの間にか屋敷の中の色んなものを変えていた。
そして現在――。
「カサンドラ~! キャメル様がお呼びよ」
「はぁい! あ、アンさん、これ新しいチャップマン商会のチラシです!」
「いつもありがとう。助かるわ」
アンはそう言ってカサンドラから受け取ったチラシを持って食堂に向かう。それを一番目立つ所に貼り付け、その下にいつものように欲しい物リストと小さなカゴを置いておく。ここに皆、自分の欲しい物を書いてお金を入れるのだ。それを週に二度、カサンドラがまとめて買い物に行く。
元奴隷だから信用できない。最初は皆がそんな事を言ってカサンドラと距離を取っていたけれど、カサンドラは今やこの屋敷に無くてはならない存在になっている。
あのキャメルをゆっくりではあるが走れるほどまでに痩せさせたのは彼女だ。そしてその副産物も沢山あった。それはもう皆、気付いている。
「カサンドラ! また一人でチャップマン商会に行っていたのか⁉」
「はい! 私はお買い物係なので」
「むぅ……今日はエマさんか?」
「そうですよ。シュタはエマさんとコキシネルさんですから。あ、アリス様からお手紙預かっています。ここに置いておきますね」
「ああ、ありがとう。次はいつ行くんだ? 明後日か?」
「はい。そうだ! キャメル様も一緒に行きましょう! 見てるだけでもとても楽しいので!」
「そ、そうだな」
嬉しそうにそう言ってキャメルの手を握りしめてくるカサンドラを見下ろして、キャメルは思わず頬を染めた。
今のキャメルの悩みは専らカサンドラだ。キャメルは生まれて初めての恋をしている。恋愛初心者のキャメルには何をどうすればいいかさっぱり分から無さ過ぎてアリスに相談した所、アリスはノリノリで相談に乗ってくれている。
キャメルはカサンドラが仕事に戻ったのを確認すると、アリスから受け取った手紙を開いた。
『女子は必ずしも痩せた人が好きな訳じゃないよ! 色んな人がいるもん。それに最初は見た目かもしんないけど、そこ超えたら最後はやっぱ中身だよ! ダイエットは時間がかかるよ。恋も時間かけてゆっくり育てよ。そしてやっぱ筋肉! これは大事だよ! 大事な人守るためにも筋肉つけよ! 筋肉は! 裏切らない! 恋の伝道師アリス』
「筋肉は……裏切らない、か」
最初にもらった手紙はドン引きするほど読みにくかったが、最近では星や音符やハートが乱舞していても気にならなくなった。心の底からアリスがキャメルを応援してくれている事がわかるからだ。
何よりもアリスだけだ。キャメルの相手が元奴隷だと知っても、だから? と返してきたのは。噂に聞くアリス工房のアリスは、せせこましく生きていない。流石、前ルーデリア王に『人間卒業おめでとう』と言われただけある。
キャメルは決意を新たに手紙を綺麗に折り畳んで机に仕舞った。
美しいカサンドラに恥じないよう生きよう。いつか胸を張ってカサンドラに想いを伝える事が出来るようにする為に。
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