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第334話 番外編 アリスのクリスマス2022 パート3
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アラン・チビアリス夫妻
「リリーは寝た?」
「うん、やっと。はぁ……肩凝った」
チビアリスが夫婦の寝室に戻ると、アランがベッドの上で読んでいた本を閉じた。
「僕が居るとどうも寝ないんですよねぇ」
「なんでだろう?」
「う~ん……ちょっと魔力を調べさせてもらおうと思ったのがいけなかったのかな?」
「かも」
チビアリスはリリーが生まれてすぐにアランが起こした騒動を思い出して笑った。
「痛かったんだよ、注射が」
「こう見えて注射は得意なんですけどね」
「そういう事じゃないと思う。寝てる時に注射されたら誰でもビックリするよ。私も皆もビックリしてたでしょ?」
「してた。あの時は本当にすみませんでした。もうしません」
「よろしい。ふふ。他の時はそんな事ないのに、寝る時だけはアラン様が居ると寝ないもんね」
「そうなんですよ……ちょっとショックですよね」
自業自得とは言え、あれからリリーはアランが部屋に居るといつまでも泣いている。普段は天使のように可愛いが、あの時ばかりは悪魔でも乗り移ったかと思うほど激しい。
「でもリリーはアラン様大好きだよ。だって、起きたら絶対にアラン様探すもん。もしかしたら私の一番のライバルはリリーになっちゃうかも」
「それは嬉しいような悲しいような複雑な気持ちですね」
「そうだね」
チビアリスはアランの胸に頬を寄せて小さく微笑んだ。我が子にこんな嫉妬するなんてみっともないと思うのに、たまに、ごくたまにそんな風に思ってしまう自分の事が嫌になるチビアリスだ。
でもアランはそういう心の機微にはとても鈍くて、きっとこんな事を言っても困ってしまうだろうと思って口に出した事は無い。
「可愛いリリーと可愛いアリス……僕には考えもしなかった絵に描いたような幸せにたまに戸惑いますよ」
アランがチビアリスの髪を撫でながら言うと、チビアリスがピクリと肩を揺らした。続いてじっとアランを見つめてくる。
「?」
「どうして?」
「え?」
「どうしてリリーが先?」
「ん?」
何が? と思ったが、チビアリスの目が悲しそうに潤んだ。それを見てハッとしたアランは必死になって何を間違えたかを考えるが、何せ恋愛経験がほぼ無いアランだ。チビアリスに会うまではずっと研究一筋だったので、どうして今の会話でチビアリスがこんな顔をするのかが分らない。
アランはきっと本気で分らない、という顔をしていたのだろう。それまでピタリと寄り添っていたチビアリスがそっと体を離した。
「変な事言ってごめんなさい。また夜中にリリーが起きると困るから今のうちに寝るね。おやすみなさい」
そう言ってチビアリスはアランから離れてそっぽを向いて布団に潜った。こうしてしまえばアランはもう構ってこない。それはアランの優しさなのかもしれないが、時には強くどうしたのだ? と問いただして欲しいと思うのはわがままなのだろうか。
チビアリスは布団に潜ったまま小さく鼻を鳴らした。その声が聞こえたのか、訳の分からないチビアリスに嫌気がさしたのか、アランが突然ベッドから出ていってしまった。
「アラン様の……バカ」
いや、バカなのは自分だ。分かっている。何故あの雰囲気であんな事を口走ってしまったのだ。リリーが生まれてからというもの、情緒が不安定すぎて自分でも疲れてくる。些細な事にイライラしたり、普段は考えないような事を思い出して悲しくなったり、チビアリスは未だにアリスの代わりなのではないかと不安になったり、どうして毎日毎日こんな事を考えてしまうのだろう……。
「分かんない……なんで? 私、どうしちゃったの?」
自分に自信が無いのは昔からだが、最近は特に酷い気がする。チビアリスは布団にさらにきつく丸まって、後から後から出てくる涙を拭っていた。
部屋を出たアランは急いで真っ暗な応接室に移動してすぐさまノアに電話をした。
『アラン? ちょ、今忙しいんだけどなに?』
「あ、すみません。ちょっと相談したい事がありまして」
『相談? それ、今すぐ?』
「出来れば」
切羽詰まったアランの声にノアは流石に不審に思ったのか、小さなため息を落として言った。
『キリ、子どもたちにアリスが衣装作ってるらしいからそれ着せてやって。ごめん、で、どうしたの? こんな時間に』
「それが実は――と、言う事がありまして。これは僕が悪かったのでしょうか?」
何がチビアリスを怒らせたのか分らないが、チビアリスはいつも心の内をアランに伝えてはくれない。そこに踏み込めない自分の心の弱さにもうんざりだし、何も話してくれないチビアリスにも悲しくなってくる。
しょんぼりと項垂れながらアランが経緯を説明すると、ノアが今度ははっきりと大きなため息を落とした。
『あのね、アラン。チビアリスはついこの間ね、人間を一人この世に自分の体から出したんだよ』
「は?」
『分らない? 人間を、一人、自分の体の中から取り出したんだ。10ヶ月もずっと一緒に生活してきた人間をね』
「はぁ……え?」
『それはね、僕たちが思ってる以上に嬉しくもあり、同時に寂しくもあるんだよ』
「……」
『ある日僕たちの腕や足が無くなったら、君はどう思う? 辛い、苦しい、寂しい、そう思わない?』
「思い……ます。絶望します」
『そうだよ。チビアリスはそれと同じことをしたのも同然なんだよ。それを君は幸せだと言って初めにリリーの名前を出した。それはチビアリスからすれば、自分はリリーを産めばそれで良かったの? ってなってもおかしくないでしょ?』
「そ、そんな事で? 順番の……話、なんですか?」
『そんな事って言うけどね、チビアリスの中には多分ずっと自分はアリスの代わりだって思ってる部分があると思うんだよ。ただでさえ自分は二番目かもしれないって思ってる所にそんな事言われたらさ、どう思うの』
「ぼ、僕がアリスさんを好きだったのは学生の頃の話で、今はもうそんな事微塵も考えて無いのに!?」
『時期の問題じゃないし、それをちゃんと今まで伝えて来なかった君の責任だよ。チビアリスが産後の鬱状態になってるのは、もちろん本人の不安とか寂しさもあるんだろうけど、君のそういう言動や態度が拍車をかけてるんだって気づくべきだよ。もちろん君だけじゃない。他の皆もそうだ。リリーばかりを可愛がって、誰かちゃんとチビアリスを見てあげてるの?』
「……そう言えばそうかもしれません……」
リリーが生まれてからというもの、初孫ということもあって両親はリリーを可愛がりすぎるぐらい可愛がっている。研究所の皆もそうだ。チビアリスだけがやって来ると必ず尋ねるのだ。『リリーは?』と。もちろん誰にも悪気はない。
けれどチビアリスからしたらその状態はどう感じているのだろうか。
『はっきり言うけど、チビアリスはリリーの付属品じゃないよ。彼女は彼女だ。他の誰でもない、君が愛した、たった一人の人間なんだよ』
「……」
ノアにハッキリと言われてアランは愕然とした。そんな気はなかったけれど、いつの間にかそんな風にチビアリスに思われていたのだろうか。
『ついでに言っとくと、相手がチビアリスで良かったね、アラン』
「え?」
『もしもこれを君が大好きだったアリスにしてたら、今頃君はこの寒空の下裸で放り出されて、市中引きずり回されてたからね。アリスは血みどろになろうが自分で気付かなきゃ止めてくれないよ。極めつけは翌朝置いてあるのは離縁届けだよ、間違いなく』
「ひいっ! そ、そんなに!?」
血だるまになる自分を想像して震えたアランにノアの厳しい声が追い打ちをかけてくる。
『そんなにだよ。君は気づいてないかもしれないけど、それだけの事をしたんだよ。ちなみに僕がチビアリスの立場なら君が再起不能になるように一生ネチネチ言い続けてストレスで殺すかな?』
「……」
見えないのにノアのニコッが見えた気がしてアランはゴクリと息を呑んで早口で言った。
『アランさ、ちょっと考えてみなよ。チビアリスは君たちがリリーと顔を合わせる前からもうずっとリリーと一緒に居たんだよ。君との子どもだって言って一日中触って話しかけてさ、それぐらい愛情深い子なんだよ。お腹から居なくなった途端に寂しくなるのは当然じゃない?』
「すみません、忙しいのに。アリスに伝えてきます」
最後のノアの言葉にアランは頭を何かで殴られたような気分になった。これは急がなければならない。感情の機微に疎いとか引きこもってたからとか孤児院育ちだからとか言ってる場合じゃない。
アランはノアの返事も待たずに電話を切ってすぐさま寝室に戻った。
「アリス!」
寝室に入ってベッドを見ると、チビアリスはベッドの上で布団にくるまって完全にボール状に丸まっていた。
アランはその布団を剥ぎ取って頑なに顔を見せようとしないチビアリスを無理やり抱き上げて自分の膝に座らせる。
「アリス、ごめん。僕が間違ってた。君が居たからリリーが生まれた。僕にとってリリーはもちろん可愛い。でもそれは、君が産んだからこそなんだよ。君じゃなければリリーをこんなに愛しいと思わなかった。君と僕の子供だから、リリーが可愛くて仕方ないんだ。他の皆もそう。僕と君の子だからこそあんなにも可愛がってくれてる。それは、君と僕が皆に愛されているからなんだよ」
「……でも……皆、私の事なんて忘れてるもん……私はもう、ただのリリーのママってだけだもん……」
「違う! アリスはアリスだ。僕のアリスは君しか居ない。あのアリスでもなく君しか居ないんだよ。僕に手当てされて驚いたような顔をしてた君しか居ないんだよ!」
全然上手く伝えられない。どうしたらこの気持がチビアリスに伝わるのか分らないが、ようやくチビアリスは泣きはらした目でこちらを見上げてきた。
「私、ここに居てもいいの……? これからもただのアリスで居てもいい?」
「当然! 僕の愛する唯一無二の人は君なんだから。ここに居てくれなくちゃ困る!」
「……ごめんなさい。なんかね、ずっとこんなだったの。モヤモヤしてイライラして、こんな事じゃちゃんとママになれないって思えば思うほど苦しくて……私、こんなにも弱かったっけ? って……自分でもどうしたらいいのか全然分かんなくて……」
「ノアがね、言ってた。アリスは人間を一人この世に送り出したんだって。長い間ずっと一緒に居た人が突然自分の体から出ていくって寂しいよって。多分、アリスはそういう感じになってたんじゃないのかな」
「……ずっと一緒だった人……突然……そう、突然無くなっちゃったの。お腹がね、急に空っぽになって……嬉しいのに悲しくて寂しくて……どうしたらいいのか分かんなくなった。あんなに重かったのに、なんで? ってなっちゃって……」
そこまで言って急に何かに気づいたようにチビアリスは平らになった自分のお腹をそっと撫でた。元気に生まれてきてくれて嬉しかった。声を初めて聞いた時、感動して泣いてしまった。それと同時に襲ってきたのは計り知れない喪失感だった。
それを泣きながらアランに伝えると、アランはチビアリスを強く抱きしめてくれた。
「ごめん、きっとそんな風に思わせたのは僕の責任なんだ。大事にしてたつもりになってただけで、ちゃんと君を支えてあげられなかった。本当に……ごめん」
「……ううん。私も勝手に不安になってごめんなさい。多分……依存してたんだと思う。お腹の中に居てくれることで、寂しさとかを紛らわせてたのかも……」
少しずつ冷静になって、アランの声を聞いているうちに何となく自分の事を分析出来るようになってきた。元々チビアリスも研究者のはしくれだ。どうしてそうなってしまったのかが分かれば、対処の仕方を考える事も出来る。
チビアリスは顔を上げてアランに向かって笑いかけると、今度は何故かアランが泣きそうな顔をしている。
「良かった、やっと笑ってくれた」
「そんな顔するほど私笑えてなかった?」
「うん……もうずっと見てなかった気がする」
「そっか……。アラン様も不安になった?」
「今のアリスを見て、僕もずっと不安だったのかもって思った。何も話してくれない君に踏み込めなかった僕は、もしかしたら不安だったのかなって」
「じゃあ、ずっと一緒だったんだね」
チビアリスはアランに抱きついて軽くキスをした。そんなチビアリスの行動にアランは一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐにキスを受け入れてくれる。
「僕たちはきっと、ずっとこうやって遠回りばかりするんだろうね」
「でもそれが私達なんだよね、きっと」
それでいいのだ。最後の最後に間違えなければ、全て良し! と言い切ったアリスの笑顔が脳裏にチラついた二人だった。
「リリーは寝た?」
「うん、やっと。はぁ……肩凝った」
チビアリスが夫婦の寝室に戻ると、アランがベッドの上で読んでいた本を閉じた。
「僕が居るとどうも寝ないんですよねぇ」
「なんでだろう?」
「う~ん……ちょっと魔力を調べさせてもらおうと思ったのがいけなかったのかな?」
「かも」
チビアリスはリリーが生まれてすぐにアランが起こした騒動を思い出して笑った。
「痛かったんだよ、注射が」
「こう見えて注射は得意なんですけどね」
「そういう事じゃないと思う。寝てる時に注射されたら誰でもビックリするよ。私も皆もビックリしてたでしょ?」
「してた。あの時は本当にすみませんでした。もうしません」
「よろしい。ふふ。他の時はそんな事ないのに、寝る時だけはアラン様が居ると寝ないもんね」
「そうなんですよ……ちょっとショックですよね」
自業自得とは言え、あれからリリーはアランが部屋に居るといつまでも泣いている。普段は天使のように可愛いが、あの時ばかりは悪魔でも乗り移ったかと思うほど激しい。
「でもリリーはアラン様大好きだよ。だって、起きたら絶対にアラン様探すもん。もしかしたら私の一番のライバルはリリーになっちゃうかも」
「それは嬉しいような悲しいような複雑な気持ちですね」
「そうだね」
チビアリスはアランの胸に頬を寄せて小さく微笑んだ。我が子にこんな嫉妬するなんてみっともないと思うのに、たまに、ごくたまにそんな風に思ってしまう自分の事が嫌になるチビアリスだ。
でもアランはそういう心の機微にはとても鈍くて、きっとこんな事を言っても困ってしまうだろうと思って口に出した事は無い。
「可愛いリリーと可愛いアリス……僕には考えもしなかった絵に描いたような幸せにたまに戸惑いますよ」
アランがチビアリスの髪を撫でながら言うと、チビアリスがピクリと肩を揺らした。続いてじっとアランを見つめてくる。
「?」
「どうして?」
「え?」
「どうしてリリーが先?」
「ん?」
何が? と思ったが、チビアリスの目が悲しそうに潤んだ。それを見てハッとしたアランは必死になって何を間違えたかを考えるが、何せ恋愛経験がほぼ無いアランだ。チビアリスに会うまではずっと研究一筋だったので、どうして今の会話でチビアリスがこんな顔をするのかが分らない。
アランはきっと本気で分らない、という顔をしていたのだろう。それまでピタリと寄り添っていたチビアリスがそっと体を離した。
「変な事言ってごめんなさい。また夜中にリリーが起きると困るから今のうちに寝るね。おやすみなさい」
そう言ってチビアリスはアランから離れてそっぽを向いて布団に潜った。こうしてしまえばアランはもう構ってこない。それはアランの優しさなのかもしれないが、時には強くどうしたのだ? と問いただして欲しいと思うのはわがままなのだろうか。
チビアリスは布団に潜ったまま小さく鼻を鳴らした。その声が聞こえたのか、訳の分からないチビアリスに嫌気がさしたのか、アランが突然ベッドから出ていってしまった。
「アラン様の……バカ」
いや、バカなのは自分だ。分かっている。何故あの雰囲気であんな事を口走ってしまったのだ。リリーが生まれてからというもの、情緒が不安定すぎて自分でも疲れてくる。些細な事にイライラしたり、普段は考えないような事を思い出して悲しくなったり、チビアリスは未だにアリスの代わりなのではないかと不安になったり、どうして毎日毎日こんな事を考えてしまうのだろう……。
「分かんない……なんで? 私、どうしちゃったの?」
自分に自信が無いのは昔からだが、最近は特に酷い気がする。チビアリスは布団にさらにきつく丸まって、後から後から出てくる涙を拭っていた。
部屋を出たアランは急いで真っ暗な応接室に移動してすぐさまノアに電話をした。
『アラン? ちょ、今忙しいんだけどなに?』
「あ、すみません。ちょっと相談したい事がありまして」
『相談? それ、今すぐ?』
「出来れば」
切羽詰まったアランの声にノアは流石に不審に思ったのか、小さなため息を落として言った。
『キリ、子どもたちにアリスが衣装作ってるらしいからそれ着せてやって。ごめん、で、どうしたの? こんな時間に』
「それが実は――と、言う事がありまして。これは僕が悪かったのでしょうか?」
何がチビアリスを怒らせたのか分らないが、チビアリスはいつも心の内をアランに伝えてはくれない。そこに踏み込めない自分の心の弱さにもうんざりだし、何も話してくれないチビアリスにも悲しくなってくる。
しょんぼりと項垂れながらアランが経緯を説明すると、ノアが今度ははっきりと大きなため息を落とした。
『あのね、アラン。チビアリスはついこの間ね、人間を一人この世に自分の体から出したんだよ』
「は?」
『分らない? 人間を、一人、自分の体の中から取り出したんだ。10ヶ月もずっと一緒に生活してきた人間をね』
「はぁ……え?」
『それはね、僕たちが思ってる以上に嬉しくもあり、同時に寂しくもあるんだよ』
「……」
『ある日僕たちの腕や足が無くなったら、君はどう思う? 辛い、苦しい、寂しい、そう思わない?』
「思い……ます。絶望します」
『そうだよ。チビアリスはそれと同じことをしたのも同然なんだよ。それを君は幸せだと言って初めにリリーの名前を出した。それはチビアリスからすれば、自分はリリーを産めばそれで良かったの? ってなってもおかしくないでしょ?』
「そ、そんな事で? 順番の……話、なんですか?」
『そんな事って言うけどね、チビアリスの中には多分ずっと自分はアリスの代わりだって思ってる部分があると思うんだよ。ただでさえ自分は二番目かもしれないって思ってる所にそんな事言われたらさ、どう思うの』
「ぼ、僕がアリスさんを好きだったのは学生の頃の話で、今はもうそんな事微塵も考えて無いのに!?」
『時期の問題じゃないし、それをちゃんと今まで伝えて来なかった君の責任だよ。チビアリスが産後の鬱状態になってるのは、もちろん本人の不安とか寂しさもあるんだろうけど、君のそういう言動や態度が拍車をかけてるんだって気づくべきだよ。もちろん君だけじゃない。他の皆もそうだ。リリーばかりを可愛がって、誰かちゃんとチビアリスを見てあげてるの?』
「……そう言えばそうかもしれません……」
リリーが生まれてからというもの、初孫ということもあって両親はリリーを可愛がりすぎるぐらい可愛がっている。研究所の皆もそうだ。チビアリスだけがやって来ると必ず尋ねるのだ。『リリーは?』と。もちろん誰にも悪気はない。
けれどチビアリスからしたらその状態はどう感じているのだろうか。
『はっきり言うけど、チビアリスはリリーの付属品じゃないよ。彼女は彼女だ。他の誰でもない、君が愛した、たった一人の人間なんだよ』
「……」
ノアにハッキリと言われてアランは愕然とした。そんな気はなかったけれど、いつの間にかそんな風にチビアリスに思われていたのだろうか。
『ついでに言っとくと、相手がチビアリスで良かったね、アラン』
「え?」
『もしもこれを君が大好きだったアリスにしてたら、今頃君はこの寒空の下裸で放り出されて、市中引きずり回されてたからね。アリスは血みどろになろうが自分で気付かなきゃ止めてくれないよ。極めつけは翌朝置いてあるのは離縁届けだよ、間違いなく』
「ひいっ! そ、そんなに!?」
血だるまになる自分を想像して震えたアランにノアの厳しい声が追い打ちをかけてくる。
『そんなにだよ。君は気づいてないかもしれないけど、それだけの事をしたんだよ。ちなみに僕がチビアリスの立場なら君が再起不能になるように一生ネチネチ言い続けてストレスで殺すかな?』
「……」
見えないのにノアのニコッが見えた気がしてアランはゴクリと息を呑んで早口で言った。
『アランさ、ちょっと考えてみなよ。チビアリスは君たちがリリーと顔を合わせる前からもうずっとリリーと一緒に居たんだよ。君との子どもだって言って一日中触って話しかけてさ、それぐらい愛情深い子なんだよ。お腹から居なくなった途端に寂しくなるのは当然じゃない?』
「すみません、忙しいのに。アリスに伝えてきます」
最後のノアの言葉にアランは頭を何かで殴られたような気分になった。これは急がなければならない。感情の機微に疎いとか引きこもってたからとか孤児院育ちだからとか言ってる場合じゃない。
アランはノアの返事も待たずに電話を切ってすぐさま寝室に戻った。
「アリス!」
寝室に入ってベッドを見ると、チビアリスはベッドの上で布団にくるまって完全にボール状に丸まっていた。
アランはその布団を剥ぎ取って頑なに顔を見せようとしないチビアリスを無理やり抱き上げて自分の膝に座らせる。
「アリス、ごめん。僕が間違ってた。君が居たからリリーが生まれた。僕にとってリリーはもちろん可愛い。でもそれは、君が産んだからこそなんだよ。君じゃなければリリーをこんなに愛しいと思わなかった。君と僕の子供だから、リリーが可愛くて仕方ないんだ。他の皆もそう。僕と君の子だからこそあんなにも可愛がってくれてる。それは、君と僕が皆に愛されているからなんだよ」
「……でも……皆、私の事なんて忘れてるもん……私はもう、ただのリリーのママってだけだもん……」
「違う! アリスはアリスだ。僕のアリスは君しか居ない。あのアリスでもなく君しか居ないんだよ。僕に手当てされて驚いたような顔をしてた君しか居ないんだよ!」
全然上手く伝えられない。どうしたらこの気持がチビアリスに伝わるのか分らないが、ようやくチビアリスは泣きはらした目でこちらを見上げてきた。
「私、ここに居てもいいの……? これからもただのアリスで居てもいい?」
「当然! 僕の愛する唯一無二の人は君なんだから。ここに居てくれなくちゃ困る!」
「……ごめんなさい。なんかね、ずっとこんなだったの。モヤモヤしてイライラして、こんな事じゃちゃんとママになれないって思えば思うほど苦しくて……私、こんなにも弱かったっけ? って……自分でもどうしたらいいのか全然分かんなくて……」
「ノアがね、言ってた。アリスは人間を一人この世に送り出したんだって。長い間ずっと一緒に居た人が突然自分の体から出ていくって寂しいよって。多分、アリスはそういう感じになってたんじゃないのかな」
「……ずっと一緒だった人……突然……そう、突然無くなっちゃったの。お腹がね、急に空っぽになって……嬉しいのに悲しくて寂しくて……どうしたらいいのか分かんなくなった。あんなに重かったのに、なんで? ってなっちゃって……」
そこまで言って急に何かに気づいたようにチビアリスは平らになった自分のお腹をそっと撫でた。元気に生まれてきてくれて嬉しかった。声を初めて聞いた時、感動して泣いてしまった。それと同時に襲ってきたのは計り知れない喪失感だった。
それを泣きながらアランに伝えると、アランはチビアリスを強く抱きしめてくれた。
「ごめん、きっとそんな風に思わせたのは僕の責任なんだ。大事にしてたつもりになってただけで、ちゃんと君を支えてあげられなかった。本当に……ごめん」
「……ううん。私も勝手に不安になってごめんなさい。多分……依存してたんだと思う。お腹の中に居てくれることで、寂しさとかを紛らわせてたのかも……」
少しずつ冷静になって、アランの声を聞いているうちに何となく自分の事を分析出来るようになってきた。元々チビアリスも研究者のはしくれだ。どうしてそうなってしまったのかが分かれば、対処の仕方を考える事も出来る。
チビアリスは顔を上げてアランに向かって笑いかけると、今度は何故かアランが泣きそうな顔をしている。
「良かった、やっと笑ってくれた」
「そんな顔するほど私笑えてなかった?」
「うん……もうずっと見てなかった気がする」
「そっか……。アラン様も不安になった?」
「今のアリスを見て、僕もずっと不安だったのかもって思った。何も話してくれない君に踏み込めなかった僕は、もしかしたら不安だったのかなって」
「じゃあ、ずっと一緒だったんだね」
チビアリスはアランに抱きついて軽くキスをした。そんなチビアリスの行動にアランは一瞬驚いたような顔をしたけれど、すぐにキスを受け入れてくれる。
「僕たちはきっと、ずっとこうやって遠回りばかりするんだろうね」
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