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第694話

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 地下から顔を出したアリスは上空を飛ぶ大きな宝石で出来たドラゴンを見上げて口笛を吹いた。

「でっかいな~!」
「大きすぎて全貌が見えないね。ゴジラとかモスラよりも大きそうだな……」

 ノアとアリスは空を見上げて感嘆のため息を漏らすが、キリだけは空を見上げて鼻で笑った。

「案外ディノが炎でも吐けばアメリアごと燃やせるのでは?」

 もう疲れた。ミアに会いたい。抱きしめたい。癒やされたい。キリの頭の中では今、そんな事ばかりがグルグルと回っている。

「キリ、ディノはパスタしか茹でられないらしいからそれは難しいんじゃない?」
「はぁ……で、もうアメリアのバラは無くなったのですか?」

 キリの問いかけにノアは首を傾げて空に注視していると、突如として空から凄まじい咆哮のような声が聞こえてきた。

「私が初代に代わり、彼の最後の願いを叶えよう!」

 そう言ってディノは羽根を震わせて大きく息を吸い込んだ。それと同時にアメリアは錫杖を使って自分の周りに慌てて結界を張っているが、ディノの息は錫杖など簡単に通過してしまう。

 なぜならディノの息は攻撃ではないからだ。生命の息吹と終焉を司るディノの息には初代の錫杖も反応はしない。

 蝋燭を吹き消すのと同じように、ディノはゆっくりとアメリアに向かって息を吐き出した。その息はまるでそよ風のように山肌を撫で、地上にくまなく浸透していく。

 その息に触れると生命が途絶えそうだった植物は終わりを向かえ、その根本からまた新たな生命が誕生した。

 それを合図にノアは後からやってきたアンソニーと共にようやく地上に出てこっそりとアメリアの近くまで移動していく。

 そんなノア達の動きにも気づかないアメリアは、ディノの能力を見て高笑いし始めた。

「は、ははははは! 植物を枯らすだけ!? 聞いていたドラゴンの始祖という割には随分と脆弱な力ね。笑っちゃうわ! あなたが初代から何を託されたのかは知らないけれど、初代は今もここに居るわ! 今の彼の願いは私だけに聞こえてくる。この世界を手に入れ、理想の世界を創れとね! その前にあなたの力も吸い取ってしまいましょう!」

 アメリアはそう言ってディノを見上げた。すると、ディノの胸に何か青く光る石がキラキラと光っているのが見える。それを見てアメリアはピンときた。あれが、賢者の石だ。あそこに全ての叡智が詰まっているに違いない。

「愚かなドラゴン。いくら叡智を蓄えてもその正しい使い方を知らないのだものね。人間こそが至高の生物よ。その中でも寄り優られた優秀な血を引き継ぐ者だけがこの世界を支配する事が出来る。それは誰か。私よ! 初代聖女の末裔である私こそが! この世界を支配する事を許された唯一の人間なのよ!」

 声高らかに叫んだアメリアの耳に、突然誰かの拍手が聞こえてきた。アメリアはその音を聞いてゆっくり振り返ると、そこにはノアとアンソニー王が立っている。

「演説は終わったかな? アメリア」
「アンソニー……愚かな王が今更何の御用?」
「愚かな、か。君の言う通り僕は愚かな王だったね。国民を守るために君なんかに国を一時でも預けてしまったのだから」
「ふふ、今更何を後悔しているの? 私はちゃんとあなたの民達に救済の手を差し伸べたじゃない。沢山の愚かな羊を奴隷として生まれ変わらせてあげたのに、感謝も無し?」
「君はよく言っていたね。痛みを受ければ受けるほど人は成長するのだと。果たして本当にそうかな? 多くの痛みを受けた君は本当に成長したのかい?」
「私を見て成長していないと? 神にまでなろうとしている私を見て、成長していない? 残念だわ。あなたは私が思っていたよりもずっと愚かだったのね」

 哀れみの目をアンソニーに向けるが、アンソニーは相変わらず飄々としている。この男は昔からそうだ。感情の一切を表には出さない。だから何を考えているのか分からない。

 けれど、どうやらそれは誤解だったようだ。本当にアンソニーは何も考えていない。今のアメリアを見てこんな事を言ってのける程度には愚か者だ。

「何をもってして成長と言うのだろう。他者を顧みず好き勝手振る舞う事が君の言う神なのかい? 好きなものだけを寄せ集め、最終的にはそれすらも自分の手で手放し、今の君のように誰にも賛同されないまま一人きりになる事が成長なのかい?」
「それは仕方のない事ね。神とは誰にも理解されず常に孤独なものだもの」
「なるほど。僕の知っている神は沢山の仲間に囲まれて幸せそうだけれどね」

 妖精王を見る限り、彼はとても幸せそうだし楽しそうだ。そんな妖精王を思い出してアンソニーが笑うと、アメリアはあからさまに顔を歪めた。

「生まれついた場所でその人の一生はほぼ決まる。そういう意味では妖精王は運が良かったわよね。あんな幼い精神でも妖精王の名を持つ事が出来たのだから。私は違うわ。たまたま人間として生まれてしまったけれど、神になる予定だっただけなの。これが運命なの。なぜなら、私はあの初代聖女の末裔なんですもの!」

 アメリアが叫んだその時、背中がチリリと傷んだ気がした。

 けれどそれはなんてことの無い痛みだった。未来の神が話しているのだ。そんな痛みなど大した事ではない。

 胸を張って勝ち誇った笑みを浮かべたアメリアに、突然アンソニーの隣に居たノアが笑い出した。そんなノアを睨みつけると、ノアは大げさに肩を竦めて見せる。

「いや~ごめんごめん。今、この瞬間に君の勝ちは消えた。それにも気づかない神だなんて笑わせてくれるな、と思ってさ」
「……あなたはいつもそうやって周りを煙に巻くような話し方をして丸め込もうとするのね。けれどそんな事をしても、もう無駄なの。何もかもが遅いのよ、ノア」

 幼い頃にあれほど気にかけてやったノアは、一体いつからこんな小賢しい男になり下がったのだろうか。

 アメリアがため息を落としたのを見てさらにノアは笑う。

「僕は誰も煙に巻いたりしてないよ。いつだって真実しか話していない。この先の君のシナリオを予言してあげようか?」
「いらないわ。どうせ当たらないもの。何よりもこの錫杖とバラがあるかぎり、あなた達はもうどうする事も出来ない。バラは私の永遠の命を保証する。それは今の妖精王にもあの出来損ないの元妖精王にも止めることは出来ない。私を殺そうとすればその時点で全ての力が私に移るようになっているのですもの」
「なるほど。そういう契約をバラとしたのか。でも残念だね、アメリア。君を守っていたバラはもう君の背中には無いよ」
「……なんですって?」
「だから、君のバラはディノの息吹で枯れてしまったよって言ってるんだよ」
「……そんな事ある訳……」

 またいつものノアのはったりだ。そう思いながらそっとドレスの上から自分の背中に触れると、そこにあったはずのバラの蔦の感触が無くなっている。

「!?」

 アメリアは急いでドレスを脱ぎ捨てて下着姿になると、もう一度背中を触って愕然とした。あれほど見事に咲き誇っていたバラが、今にも消えて無くなりそうな程小さくなってしまっていたのだ。

「何故!? どこへ行ったの!?」
「言ったでしょ? バラは枯れた。それがディノの力だったんだよ、アメリア。ディノは何も無作為に植物を枯らしてた訳じゃない。君の背中のバラを枯らす為に力を使ったんだよ。それにも気づかないだなんて、とんだ間抜けな自称神様だと思わない?」
「ドラゴンにそんな力ある訳が――」

 顔を真っ赤にして言う絵美里にアンソニーが首を傾げた。

「どうしてだい? ディノだって初代が創った生物だよ? 言わば彼は生きたバラだ。そんな彼にどうしてそのバラと同様の力が無いと思うんだい? 君は以前言っていたね。バラと錫杖はセットだと。けれど本当はそうじゃない。バラとセットなのはディノだ。錫杖はあくまでも神の持ち物であり、それを正しく使えるのは神以外には居ない」
「う、嘘よ! ありえない! スチュアートの文献には確かにこの錫杖とバラは一緒に使えと! そしてその文献を見ることが許されたのは私と母だけで――」
「そりゃそうだ。君はスチュアート家の末裔なんだから」
「……は?」
「ごめんね、黙ってて。君はね、初代聖女の末裔なんかじゃないみたいなんだ。本物の聖女の末裔は君が生まれる前に、君の身内によって殺されてたんだよ。本物のアメリアと一緒にね。その時にどうやら犯人は奪ったその錫杖の力を使ってバラすらも取り上げたみたいなんだ。それをしたのがモルガナって言う、君の母親なんだけどね?」
「はっ……どこにそんな証拠があるというの? それはお得意のあなたの妄想でしかないわ」
「そうだね。でもよく考えてみてよ。モルガナは聖女の末裔だというのに、どうしてあんなにも死に怯えていたのかな、って。ディノの話では聖女の末裔は誰一人として悲惨な死は迎えてはいない。ちょっとした天罰が当たった人はいるかもだけどね。でもモルガナは異常なほど死を恐れていた。それは、初代がバラにつけた2つ目の制約を知っていたからなんだよ」

 ノアの言葉にようやくアメリアの顔色が変わった。

「君は聞かされていなかったんだろうけど、モルガナは全て知っていた。だって、モルガナが犯人なんだからね。だから錫杖を不用意に使わなかったんだ。でね、2つ目の制約っていうのは聖女の末裔以外の者がバラを悪しき事に使った場合、その代償は命と引き換えにやってくるというものだそうなんだ。ちなみに妖精王の錫杖というのは、妖精王以外が使うと大変な事になるみたいだよ? だから僕は思うんだ。モルガナがバラに願ったのは、錫杖の呪いを解く事だったんじゃないのかなって。でも君がそれを知らずにモルガナからバラを取り上げてしまった。だからモルガナは言い伝え通り、かなり壮絶な最後を迎えた。その時点で君が正統な聖女の末裔の子孫ではないって事が分かるよね?」
「嘘よ! そんなデタラメな話を私が信じると思っているの!? ああ、分かった。あなた羨ましいのね!? もう少しで神になれる私を羨んでいるのでしょう? 可哀想な人……選ばれた人間ではないというのは惨めね。とても惨めだわ!」
「まぁ、君がどう思おうとも僕はずーっと最初から本当の事しか言ってないんだけど。それにごめんね? 僕は君よりも一足先に神様になった事があるんだよ」
「……馬鹿な事を」
「本当だよ。そして今日、これからその役目をようやく終えようと思ってるんだよ。賢者の石を破壊してね」

 そう言ってノアはニコッと笑った。それを聞いてアンソニーがこっそりと後ろ手でサインを送る。それを見た岩陰に隠れていたリアンが、全員にゴーサインを出す手筈だ。

 そんなアンソニーには気づきもせずにアメリアは笑った。

「負け惜しみが上手ね、ノアは。それが本当ならさっさと降りなさいよ。あなたに神は向いていないわ」 

 そう言ってアメリアは錫杖を振り上げた。ノアに賢者の石を壊される訳にはいかない。バラを失った今、文献にあったもう一つの初代の置き土産である伝説の石を手に入れなければ、アメリアの神になるという目的が達成できなくなってしまう。

 錫杖から出た光は一直線にある方向に向かって光を放ったが、先ほどまでとは違い、錫杖を使うと体が軋むような気がする。

 アメリアは光を辿るように浮遊魔法で賢者の石の在り処まで飛ぶが、やはり体がギシギシと音を立てるように痛みだした。

「まさか……ね。私は神になる。これはその代償よ」

 明らかに痛む体をそう結論づけたアメリアは、物凄いスピードで光を追った。ノアよりも先に石を見つけて見せる。でなければまたノアは何らかの方法で石をアメリアから取り上げようとするに決まっているのだから。


 アメリアが目の前から移動したのを確認したノアは、薄ら笑いを浮かべてAMINASに向かって言った。

「AMINAS、魔女が行ったよ。最後のお仕事任せたからね」

 ノアの言葉が聞こえたのか、突然大気が不自然に揺れた。実体を持たないAMINASなりの返事だろうと認識したノアが振り返ると、地下の入り口には既に仲間たちが集結している。

「さぁ、皆も最後のお仕事だよ!」

 ノアが言うと、案の定返事をしてくれたのはアリスだけだ。

「皆! これで最後だ! いっけ~~~~~~~!!!!!!」
「ぐぉぉぉぉぉ!!」

 アリスはそう言って動物たちを連れて地下から飛び出した。地上にはまだアメリアが残した兵士たちがウジャウジャいる。これを全て片付けない事には、終わりとは言えない。

 アリスの言葉に動物たちは唸り声を上げて地上に散らばった。

「で、君はどうするんだい?」

 勢いよく地上に飛び出してきたアリスと動物たちに目を細めながらアンソニーがノアに問いかけると、ノアは最上級の笑顔を浮かべて言った。

「もちろん最後のシナリオをアメリアに教えてあげるんだよ。言ったでしょ? 歓喜しているアメリアを地の底に叩き落とすのが僕の最後の仕事だよって」
「……そうか。健闘を祈るよ」

 自信たっぷりにそんな事を言うノアに、アンソニーはそれ以上は何も言わずに、ようやくやってきたメイリングの騎士たちを連れて走り出した。

 それに続くようにあちこちから動物や妖精の咆哮が上がる。ふと視線を上げると、時折妖精王かオズワルドの物だろうと思われる光がはるか遠くに見えた。

 頭上ではディノを先導するかのようにキャロライン達が氷柱を落としながらゆっくりと進み、ディノはその後を優雅に泳ぐようにキャロラインの氷柱を魔法で大きくしている。

「ディノが火でも吹けば一発なんだけどな~」

 ノアの後ろから呆れたような声が聞こえてきて振り返ると、そこにはリアンとオリバーが腕を組んでディノを見上げていた。

「そりゃ無理っすよ、リー君。もしディノがそんな事をしたら、それこそ大地は焼け野原になっちゃうんじゃないっすか?」
「そっか。流石のディノもアメリア兵だけを焼き尽くす事は出来ないか。あんな事出来るのは妖精王ぐらいだよね。肝心の妖精王はあれで大分魔力使っちゃったっぽいし……そういう意味では王子とミニ王子のあの魔法は結構使えるんだね」

 そう言って指さしたリアンの言葉にオリバーとノアが振り返ると、そこにはルイスとレスターがアメリア兵に業火を使っている。

「もしかしたらオズも出来るんじゃないんすかね?」

 妖精王が出来たということは、オズワルドにも出来るのでは? と思ったが、それを否定したのはノアだ。

「無理じゃないかな。あれは錫杖の力だろうから。錫杖を持たないオズにはアメリア兵と仲間の騎士を瞬時に見分けるのは難しいと思うよ。扱いとしてはだから、ディノに近いよね」
「なるほど……てか、あんたこんな所でのんびりしてていいんすか!? AMINASに最後の司令出したんすよね!?」
「出したよ。僕が合図したら僕の声が源の木の所にいつでも繋がるようになってるよ」
「じゃあ何でやんないんすか?」
「うん? 今はアラン待ち――ああ、来た来た」
「ノア! 準備が出来ました! メガネはあの源の木に置いてきましたよ」

 アランは息を切らしながらそう言ってノアにモニターを手渡した。それを受け取ったノアはニコッと笑う。

「ありがとう、アラン。それじゃあなんちゃって神様の最後のお仕事を始めようかな」

 そう言ってノアはもう一度AMINASに問いかける。

「AMINAS、魔女は到着したかな? アランが設置したメガネ型カメラを外に繋いでくれる?」

 ノアが尋ねると、モニターに源の木が映し出された。そこには賢者の石がこれ見よがしに置いてあるが、まだアメリアの姿はない。

「まだ到着していないようですね」

 アランが言うと、ノアも頷く。

「分かりにくい場所にあるからね。ていうか、そうしないと罠だってバレちゃうでしょ?」
「なるほど。あ! 来ましたよ! それでは僕はそろそろ行きますね!」

 アランが指差すと、画面にようやくアメリアが映し出された。それを確認してアランはすぐさまアーロ達の元へと向かう。その背中にノアの声が届いた。

「ありがとう、アラン! さて、ようやく魔女さまのお出ましだね」

 アメリアは不思議な場所をキョロキョロと見渡し、錫杖を持つ腕を抑えている。その腕はインクをぶちまけれられたかのように黒く変色していた。

「うわ……あの腕なに? どうしたの?」

 思わずリアンが言うと、ノアは錫杖を指さして言った。

「バラが消えた事で錫杖の力がモロにアメリアに作用し始めたんだよ」
『なんて幻想的な場所かしら……確かにここは神の復活には良さそうだわ。そうだ! ここを聖地として今後崇めさせるのもいいわね! どうせ奴隷たちは馬鹿みたいに勝手に増えるのだし、減っても無理やり増やせばいいのだもの。家畜のように牧場でも作ってそこに裸で放り込んでおけば勝手に増えるでしょ』
「ちょ、あいつマジで悪魔じみた事言ってんすけど!?」
「元々ですよ、モブさん。そしてそれのさらに上を行くのがノア様です。ところでノア様、お嬢様から伝言です。ここらへん片付いたからちょっとあっち行ってくるね~! と言ってパパベアに跨り走り去って行きました」
「ありがとう、キリ。パパベアが居るなら迷子になる事もないかな」

 そう言って苦笑いを浮かべたノアは、モニターに視線移した。
 
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