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番外編 『新世界へようこそ 1』
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英雄たちはこの日、朝から大忙しだった。とうとう全世界一斉バーベキューが開催される事になったからだ。
「キャロ、この衣装でいいと思うか?」
ルイスが乗馬服を着て尋ねると、キャロラインはそんなルイスを見て笑顔で首を振った。
「ええ。どうせ汚れるでしょうし、それでいいと思うわ」
「そうだな。キャロも乗馬服だしな」
「そうなの。とうとう私も乗馬服を作ったの! まだ馬には乗れないけど……ニケなら乗れるわ!」
キャロラインが意気込んで言うと、ルイスは微笑んでキャロラインを強く抱きしめてくれた。
「では俺と一緒に練習をしようか。キャロが頑張り屋なのはよく知っているし、すぐに普通の馬にも乗れるようになると思うぞ。それに馬に乗れなくともキャロはキャロだ。そんな事でキャロが築き上げてきた功績は揺るがないし、俺はそんなキャロを誇りに思っている。いつだってな」
「ルイス……ありがとう。私はやっぱり素晴らしい人と結婚をしたのね」
「はは、それは俺のセリフだな。いや、お互い様なのか?」
「そうよ。私達の運命はずっと昔から決まっていた。何度もループをしたのだって、私とあなたが共に生きる為だった。最近ではよくそう思うの」
あれほど怖かったループ事件の事を、いつかこんな風に思えるようになるだなんてあの頃には思いもしなかった。いつかまたループして時間が巻き戻ったらどうしようかと不安に感じていた毎日が、いつの間にかあの時間はルイスと共に過ごすための必要な時間だったのだと思えるようになったのだ。
「何を今更言うのかと思えば! 俺はお前と結婚した時からそうだと思っていたぞ?」
「そうなの? もしもまた時間が戻ってしまったらと考えることは無かったの?」
あまりにも自信満々に言うルイスにキャロラインが首を傾げて尋ねると、ルイスは満面の笑みで頷いた。
「ああ。不思議なことにただの一度もそんな風には思わなかったんだ。俺はキャロと違って実際のループに気付いていなかったから余計なのかもしれないが、そんな不安は一切無かった。あの時に感じたのはキャロと共に創る国はどれほど美しいのだろうか、とかそんな事しか頭になかったな。まさかあの時の戦争がこんな事に繋がっているだなんて思っていなかったが、今回の戦争が始まった時もそうだ。意味もなく何故か大丈夫だと思っていた。こういう所が多分、お花畑だって言われるんだろうな」
そう言って苦笑いを浮かべたルイスにキャロラインが徐ろに抱きついてくる。
「あなたはそれでいいの。アリスにしてもあなたにしても、お花畑と呼ばれる人たちはいつも周りを明るく照らしてくれる。私が陰りそうになった時に助けてくれるのはいつだってあなたやアリスなの。だからあなたはそのままで居て」
どうしてもネガティブな思考になりそうな時、キャロラインを勇気づけてくれるのはいつだってルイスとアリスだ。だからこそキャロラインにとってこの二人の存在は必要不可欠で、かけがえのない存在なのだと胸を張って言える。
「それは俺にとってもそうなんだぞ? 俺にとってキャロは唯一無二の人間だ。代わりなど居ないし、お前が居ないと何も出来ない事も分かっている。俺たちは互いの足りない所を上手く補っている。俺は、ずっとそう思っている」
「……そうね……私達は二人でようやく一人なのね」
「ああ。だからな、キャロ。これからもよろしく頼む」
「こちらこそ!」
キャロラインが顔を上げると、ルイスは照れたように頬を染めて微笑んでいた。そんなルイスを見てキャロラインも思わず笑みを浮かべてしまった。
「それじゃあイライジャ、私達は行ってきます」
これからシャルルとシエラはバセット領に移動する。そこには各国の王とその身内達が集まる予定だ。もちろん、もうすっかり恒例のバーベキューの為である。
「ええ。水晶の設置や鉄板、網の準備はオズとディノがしてくれるのですよね?」
イライジャは辺りを伺いながら慇懃な態度でシャルルに問いかけた。廊下の先にこちらを伺う高位貴族が見えたのだ。
彼らは未だに貴族制度の思考が抜けない。いつものような口調でシャルルに話しかけたら、後で何を言われるか分からない。
そんなイライジャの心を正しく理解したのか、シャルルが苦笑いを浮かべて頷いた。
「ええ、そのようです。ありがたい事ですね」
この後、キャロラインとルイスが持ち込んだ全国民を巻き込んだ作戦がいよいよ決行される。
同時に全ての場所にバーベキューの準備を手配するのはそれこそ至難の技だと思われていたのだが、そこは自由に強大な魔力を使うことが出来るオズワルドとディノが手を貸してくれる事になった。
「それにしてもディノは分かるけど、よくオズも手を貸してくれる事になったよね」
ようやく周りに誰も居なくなった事を確認したイライジャが腰に手を当てて言うと、シャルルはようやく準備を終えて部屋から出てきたシエラをうっとりと抱きしめしながら言う。
「オズはバーベキューが好きだそうですよ。リゼと共にちくわを焼くのだと言ってはりきっていました」
「……ちくわ」
ちくわ一つでそんなありえない程の魔力を使うのか。流石のイライジャが引き攣ると、そんなイライジャにシャルルの腕の中からシエラが身を乗り出して言った。
「だってね、イライジャ。オズってアリス工房の化粧水と石鹸と引き換えに妖精王の粉を大量に渡しちゃうような人なのよ? そういう意味ではあの人ほど些細な幸せに重きを置いている人は居ないと思うの」
「確かに」
根が純粋なのか、それとも閉じ込められていた期間が長すぎたのか、オズワルドはそういうありふれた幸せに飢えている。だからこそきっと、小さな幸せのありがたみが痛いほどよく分かるのだろう。
「そういう意味ではあの人こそ妖精王を名乗っても良さそうですけどね」
「そうだけど、本人がそれを嫌がったんでしょ?」
「ええ。ですが結果としてそれで良かったのでしょうね。ところでシエラ」
「なぁに?」
「今日のあなたは美しすぎませんか? その格好でバセット領へ行くのですか?」
決して華美ではないシックな色のドレスはそれだけでシエラの色の白さと繊細さを引き立てている。あまりにも美しいシエラを他所の所に連れていくのはいつだって心配なシャルルが言うと、シエラは笑ってドレスの裾を掴んだ。
「ええ。暗い色のドレスってこれしかなくて」
「?」
「暗い色のドレスをあえて選んだと言う事?」
何故この日にあえてそんな暗い色を選ぶのか不思議に思ってイライジャが尋ねると、シエラは途端に頬を紅潮させて早口で言う。
「ええ! だって、この後バーベキューよ!? 汚したら大変だし、汚すかもと思いながら食べるのは嫌だもの!」
「……なるほど。とても合理的な考え方ですね」
シエラの答えを聞いてあまりにも自分が想像していた答えとはかけ離れていたシャルルがポツリと言うと、隣でイライジャが何かに納得したように腕を組んで頷いている。
「やっぱりシエラもアリスなんだなぁ……」
「ちょっと止めてください! アレとシエラを一緒にしないでください!」
「そうは言うけど、今の発言は凄くアリスっぽかったでしょ?」
「うっ……」
そこだけは否定出来なくて思わずシャルルが黙り込むが、当の本人はそんな二人を見ておかしそうに笑っている。
「元々の人格は私もアリスもそう変わらないわ。それに、アリスのああいう所は私も共感出来るもの。それは皆もでしょ?」
だからここまでやってくることが出来たのだ。シエラの言葉に二人は渋々頷いた。
「まぁ、とりあえず行ってらっしゃい」
「イライジャは本当に来ないのですか?」
「俺はいい。面倒だし、今日こそ家族と過ごしたいから」
そう言ってイライジャはいつまでも新婚気分の二人を残して書類を脇に抱えて廊下を歩き出した。
家には今日のバーベキューを楽しみにしている最愛の妻と可愛い子どもが待っている。こんな時まであの新婚気取りの世話をしてやるつもりなどない。
「行っちゃった」
「家族も連れてきていいんですよ? と言ったんですけどねぇ」
シャルルが言うと、そんなシャルルを呆れたような顔をしてシエラが見つめてくる。
「私達が居るとイライジャはたとえ家族が居ても楽しめないでしょ?」
「そういうものですか?」
「そういうものですよ。あなたのそういう所は妖精の気質が強いのかしら?」
「どういう所です?」
「う~ん……何ていうか、好きなものに全力投球な所?」
そう言ってシエラは未だに放してくれないシャルルを見上げると、シャルルは満面の笑みを浮かべて頷く。
「それはそうかもしれませんね。そんな私と結婚したのですから、シエラもそこはもう覚悟していてください」
「今更だわ、そんな事。私の未来には絶対にあなたがいるもの」
「それは私の未来もそうです。あなたが居ない未来など、私にとっては無いに等しいですから」
シャルルはシエラをさらに抱き寄せて身をかがめてそっとキスをする。
最初はくすぐったそうにそれを受け入れていたシエラだが、いつまで経ってもシャルルが止めないので身を捩ってシャルルの腕の中から逃れると頬を膨らませた。
「そういうところは直してちょうだい!」
「何故?」
「恥ずかしいから! もう!」
フンと鼻息を荒くして怒るシエラを見ても、シャルルに反省の色などない。むしろ喜んでいる。
「それは無理な相談ですね。だって、私はそんなあなたも愛しいのですから」
シャルルは逃げ出してしまったシエラの腕を掴んでもう一度引き寄せると、その耳元で囁く。
「だからね、シエラ。あなたもいい加減慣れてくださいね?」
と。
そんなシャルルにシエラは顔を真っ赤にして今度はそっぽを向いてしまったけれど、シャルルにとってはそれもご褒美だ。
結局、シャルルはシエラが何をしても可愛いのである。
ラルフはオルトと共に今日の予定の最終チェックをしていた。何故二人がこんな事をしているかと言うと、全国一斉バーベキューの開始の挨拶を頼まれたからだ。
「ここまでで何かおかしな文章はないか?」
「ああ。いや、ちょっと待って。ここまで堅苦しくしなくてもいいんじゃないか?」
オルトがラルフが持っていた書類の一部を指差すと、ラルフは無言で頷いてその場所を修正する。
「しかし若返ると体が軽いだけではなくて、何だか思考もはっきりするな」
ラルフがポツリと見事に皺が消えた手の甲を見つめて言うと、そんなラルフにオルトが苦笑いを浮かべて言った。
「まぁ、人間の成長のピークは20歳ぐらいだそうだからな。しかしまさか俺たちまで若返るとは思わなかったな。ソラの声は聞こえなかったが、この俺たちもこの世界にまだ必要だと判断されたということか」
「そうだな。確かにうちは世継ぎがまだ居ないからな。そういう意味の若返りかも知れない」
「それはそうだ。兄さんの所にいつまでも子どもが出来なかったのは、間違いなく晩婚だったからだろう」
「何も私の子どもで無くても良かったんだぞ? お前やセイの子でも良かったんだ」
世継ぎがいつまでも出来ないのは晩婚だったからだと言われて思わずラルフが言い返したその時。
「その理屈だと、レヴィウスを継ぐのはノアの子でも良いって事になる。それは怖いからラルフ兄さんが頑張って」
「セイ!」
「いつ来たんだ!?」
「今」
言いながらセイは騎士団の正装で部屋の真ん中まで来ると、頭半分ほど背が高いラルフとオルトを見上げて書類を手渡した。
「これ、騎士団の新しい名簿」
「あ、ありがとう」
「うん。それじゃ、僕は先にバセット領に行く」
「あ、ああ。気をつけてな」
それだけ言って部屋を出て行ったセイを見てラルフとオルトはゴクリと息を呑んで顔を見合わせた。
「私は今思えばセイの若い頃をまともに知らないんだ。何せあいつが成人した頃には既にオピリア漬けにされていたから」
「それは俺もだ、兄さん」
「あれは……ノアだな。何故あんなにも無駄にキラキラしているんだ?」
「ああ。硬質なノアだ。あれほど外見と中身が真逆な兄弟も珍しい」
セイは見た目は一見冷たそうに見えるが、中身はとても優しく思いやりに溢れている。それに反してノアは見た目こそ穏やかで柔和そうだが、中身はとんでもない悪魔を飼っている。
二人はもう一度顔を見合わせて思わず苦笑いを浮かべた。
「どうしてああも両極端なんだ?」
「分からない。二人の良い所を取ったら完璧な人間になるのでは?」
「いや、それはつまらないだろう。あの二人はあれでいいんだ。多分」
セイもノアもラルフ達の弟だ。たとえ半分しか血が繋がっていなくても、彼らは大切な家族なのだ。
「それにしてもセイは随分急いでバセット領に向かったな。何かあるのか?」
「さあ? 俺は何も聞いていないが……まさかまた嫁が何かしでかしたか?」
オルトの言葉にラルフは引きつって急いで書類を机に片付けてマントを翻した。
「少し早いが我々も行こう。何かあってからでは遅い。アーシャを連れてくる」
「そうだな。嫁は義理の妹だ。何かしでかしたらそれは俺たちの責任でもあるぞ」
家族皆が散り散りになってしまった過去は二人の人生に暗い影を落とした。エリスに導かれて和解した時には既に両親もノアも失った後だったのだ。
そんな過去の過ちをもう二度と侵さないよう、ラルフもオルトも気がつけばいつも家族の事を考えるようになっていた。失った両親はもう戻らないけれど、気がつけば家族は増えている。
たとえそれが悪魔のような弟と怪獣のような嫁であったとしても。
「キャロ、この衣装でいいと思うか?」
ルイスが乗馬服を着て尋ねると、キャロラインはそんなルイスを見て笑顔で首を振った。
「ええ。どうせ汚れるでしょうし、それでいいと思うわ」
「そうだな。キャロも乗馬服だしな」
「そうなの。とうとう私も乗馬服を作ったの! まだ馬には乗れないけど……ニケなら乗れるわ!」
キャロラインが意気込んで言うと、ルイスは微笑んでキャロラインを強く抱きしめてくれた。
「では俺と一緒に練習をしようか。キャロが頑張り屋なのはよく知っているし、すぐに普通の馬にも乗れるようになると思うぞ。それに馬に乗れなくともキャロはキャロだ。そんな事でキャロが築き上げてきた功績は揺るがないし、俺はそんなキャロを誇りに思っている。いつだってな」
「ルイス……ありがとう。私はやっぱり素晴らしい人と結婚をしたのね」
「はは、それは俺のセリフだな。いや、お互い様なのか?」
「そうよ。私達の運命はずっと昔から決まっていた。何度もループをしたのだって、私とあなたが共に生きる為だった。最近ではよくそう思うの」
あれほど怖かったループ事件の事を、いつかこんな風に思えるようになるだなんてあの頃には思いもしなかった。いつかまたループして時間が巻き戻ったらどうしようかと不安に感じていた毎日が、いつの間にかあの時間はルイスと共に過ごすための必要な時間だったのだと思えるようになったのだ。
「何を今更言うのかと思えば! 俺はお前と結婚した時からそうだと思っていたぞ?」
「そうなの? もしもまた時間が戻ってしまったらと考えることは無かったの?」
あまりにも自信満々に言うルイスにキャロラインが首を傾げて尋ねると、ルイスは満面の笑みで頷いた。
「ああ。不思議なことにただの一度もそんな風には思わなかったんだ。俺はキャロと違って実際のループに気付いていなかったから余計なのかもしれないが、そんな不安は一切無かった。あの時に感じたのはキャロと共に創る国はどれほど美しいのだろうか、とかそんな事しか頭になかったな。まさかあの時の戦争がこんな事に繋がっているだなんて思っていなかったが、今回の戦争が始まった時もそうだ。意味もなく何故か大丈夫だと思っていた。こういう所が多分、お花畑だって言われるんだろうな」
そう言って苦笑いを浮かべたルイスにキャロラインが徐ろに抱きついてくる。
「あなたはそれでいいの。アリスにしてもあなたにしても、お花畑と呼ばれる人たちはいつも周りを明るく照らしてくれる。私が陰りそうになった時に助けてくれるのはいつだってあなたやアリスなの。だからあなたはそのままで居て」
どうしてもネガティブな思考になりそうな時、キャロラインを勇気づけてくれるのはいつだってルイスとアリスだ。だからこそキャロラインにとってこの二人の存在は必要不可欠で、かけがえのない存在なのだと胸を張って言える。
「それは俺にとってもそうなんだぞ? 俺にとってキャロは唯一無二の人間だ。代わりなど居ないし、お前が居ないと何も出来ない事も分かっている。俺たちは互いの足りない所を上手く補っている。俺は、ずっとそう思っている」
「……そうね……私達は二人でようやく一人なのね」
「ああ。だからな、キャロ。これからもよろしく頼む」
「こちらこそ!」
キャロラインが顔を上げると、ルイスは照れたように頬を染めて微笑んでいた。そんなルイスを見てキャロラインも思わず笑みを浮かべてしまった。
「それじゃあイライジャ、私達は行ってきます」
これからシャルルとシエラはバセット領に移動する。そこには各国の王とその身内達が集まる予定だ。もちろん、もうすっかり恒例のバーベキューの為である。
「ええ。水晶の設置や鉄板、網の準備はオズとディノがしてくれるのですよね?」
イライジャは辺りを伺いながら慇懃な態度でシャルルに問いかけた。廊下の先にこちらを伺う高位貴族が見えたのだ。
彼らは未だに貴族制度の思考が抜けない。いつものような口調でシャルルに話しかけたら、後で何を言われるか分からない。
そんなイライジャの心を正しく理解したのか、シャルルが苦笑いを浮かべて頷いた。
「ええ、そのようです。ありがたい事ですね」
この後、キャロラインとルイスが持ち込んだ全国民を巻き込んだ作戦がいよいよ決行される。
同時に全ての場所にバーベキューの準備を手配するのはそれこそ至難の技だと思われていたのだが、そこは自由に強大な魔力を使うことが出来るオズワルドとディノが手を貸してくれる事になった。
「それにしてもディノは分かるけど、よくオズも手を貸してくれる事になったよね」
ようやく周りに誰も居なくなった事を確認したイライジャが腰に手を当てて言うと、シャルルはようやく準備を終えて部屋から出てきたシエラをうっとりと抱きしめしながら言う。
「オズはバーベキューが好きだそうですよ。リゼと共にちくわを焼くのだと言ってはりきっていました」
「……ちくわ」
ちくわ一つでそんなありえない程の魔力を使うのか。流石のイライジャが引き攣ると、そんなイライジャにシャルルの腕の中からシエラが身を乗り出して言った。
「だってね、イライジャ。オズってアリス工房の化粧水と石鹸と引き換えに妖精王の粉を大量に渡しちゃうような人なのよ? そういう意味ではあの人ほど些細な幸せに重きを置いている人は居ないと思うの」
「確かに」
根が純粋なのか、それとも閉じ込められていた期間が長すぎたのか、オズワルドはそういうありふれた幸せに飢えている。だからこそきっと、小さな幸せのありがたみが痛いほどよく分かるのだろう。
「そういう意味ではあの人こそ妖精王を名乗っても良さそうですけどね」
「そうだけど、本人がそれを嫌がったんでしょ?」
「ええ。ですが結果としてそれで良かったのでしょうね。ところでシエラ」
「なぁに?」
「今日のあなたは美しすぎませんか? その格好でバセット領へ行くのですか?」
決して華美ではないシックな色のドレスはそれだけでシエラの色の白さと繊細さを引き立てている。あまりにも美しいシエラを他所の所に連れていくのはいつだって心配なシャルルが言うと、シエラは笑ってドレスの裾を掴んだ。
「ええ。暗い色のドレスってこれしかなくて」
「?」
「暗い色のドレスをあえて選んだと言う事?」
何故この日にあえてそんな暗い色を選ぶのか不思議に思ってイライジャが尋ねると、シエラは途端に頬を紅潮させて早口で言う。
「ええ! だって、この後バーベキューよ!? 汚したら大変だし、汚すかもと思いながら食べるのは嫌だもの!」
「……なるほど。とても合理的な考え方ですね」
シエラの答えを聞いてあまりにも自分が想像していた答えとはかけ離れていたシャルルがポツリと言うと、隣でイライジャが何かに納得したように腕を組んで頷いている。
「やっぱりシエラもアリスなんだなぁ……」
「ちょっと止めてください! アレとシエラを一緒にしないでください!」
「そうは言うけど、今の発言は凄くアリスっぽかったでしょ?」
「うっ……」
そこだけは否定出来なくて思わずシャルルが黙り込むが、当の本人はそんな二人を見ておかしそうに笑っている。
「元々の人格は私もアリスもそう変わらないわ。それに、アリスのああいう所は私も共感出来るもの。それは皆もでしょ?」
だからここまでやってくることが出来たのだ。シエラの言葉に二人は渋々頷いた。
「まぁ、とりあえず行ってらっしゃい」
「イライジャは本当に来ないのですか?」
「俺はいい。面倒だし、今日こそ家族と過ごしたいから」
そう言ってイライジャはいつまでも新婚気分の二人を残して書類を脇に抱えて廊下を歩き出した。
家には今日のバーベキューを楽しみにしている最愛の妻と可愛い子どもが待っている。こんな時まであの新婚気取りの世話をしてやるつもりなどない。
「行っちゃった」
「家族も連れてきていいんですよ? と言ったんですけどねぇ」
シャルルが言うと、そんなシャルルを呆れたような顔をしてシエラが見つめてくる。
「私達が居るとイライジャはたとえ家族が居ても楽しめないでしょ?」
「そういうものですか?」
「そういうものですよ。あなたのそういう所は妖精の気質が強いのかしら?」
「どういう所です?」
「う~ん……何ていうか、好きなものに全力投球な所?」
そう言ってシエラは未だに放してくれないシャルルを見上げると、シャルルは満面の笑みを浮かべて頷く。
「それはそうかもしれませんね。そんな私と結婚したのですから、シエラもそこはもう覚悟していてください」
「今更だわ、そんな事。私の未来には絶対にあなたがいるもの」
「それは私の未来もそうです。あなたが居ない未来など、私にとっては無いに等しいですから」
シャルルはシエラをさらに抱き寄せて身をかがめてそっとキスをする。
最初はくすぐったそうにそれを受け入れていたシエラだが、いつまで経ってもシャルルが止めないので身を捩ってシャルルの腕の中から逃れると頬を膨らませた。
「そういうところは直してちょうだい!」
「何故?」
「恥ずかしいから! もう!」
フンと鼻息を荒くして怒るシエラを見ても、シャルルに反省の色などない。むしろ喜んでいる。
「それは無理な相談ですね。だって、私はそんなあなたも愛しいのですから」
シャルルは逃げ出してしまったシエラの腕を掴んでもう一度引き寄せると、その耳元で囁く。
「だからね、シエラ。あなたもいい加減慣れてくださいね?」
と。
そんなシャルルにシエラは顔を真っ赤にして今度はそっぽを向いてしまったけれど、シャルルにとってはそれもご褒美だ。
結局、シャルルはシエラが何をしても可愛いのである。
ラルフはオルトと共に今日の予定の最終チェックをしていた。何故二人がこんな事をしているかと言うと、全国一斉バーベキューの開始の挨拶を頼まれたからだ。
「ここまでで何かおかしな文章はないか?」
「ああ。いや、ちょっと待って。ここまで堅苦しくしなくてもいいんじゃないか?」
オルトがラルフが持っていた書類の一部を指差すと、ラルフは無言で頷いてその場所を修正する。
「しかし若返ると体が軽いだけではなくて、何だか思考もはっきりするな」
ラルフがポツリと見事に皺が消えた手の甲を見つめて言うと、そんなラルフにオルトが苦笑いを浮かべて言った。
「まぁ、人間の成長のピークは20歳ぐらいだそうだからな。しかしまさか俺たちまで若返るとは思わなかったな。ソラの声は聞こえなかったが、この俺たちもこの世界にまだ必要だと判断されたということか」
「そうだな。確かにうちは世継ぎがまだ居ないからな。そういう意味の若返りかも知れない」
「それはそうだ。兄さんの所にいつまでも子どもが出来なかったのは、間違いなく晩婚だったからだろう」
「何も私の子どもで無くても良かったんだぞ? お前やセイの子でも良かったんだ」
世継ぎがいつまでも出来ないのは晩婚だったからだと言われて思わずラルフが言い返したその時。
「その理屈だと、レヴィウスを継ぐのはノアの子でも良いって事になる。それは怖いからラルフ兄さんが頑張って」
「セイ!」
「いつ来たんだ!?」
「今」
言いながらセイは騎士団の正装で部屋の真ん中まで来ると、頭半分ほど背が高いラルフとオルトを見上げて書類を手渡した。
「これ、騎士団の新しい名簿」
「あ、ありがとう」
「うん。それじゃ、僕は先にバセット領に行く」
「あ、ああ。気をつけてな」
それだけ言って部屋を出て行ったセイを見てラルフとオルトはゴクリと息を呑んで顔を見合わせた。
「私は今思えばセイの若い頃をまともに知らないんだ。何せあいつが成人した頃には既にオピリア漬けにされていたから」
「それは俺もだ、兄さん」
「あれは……ノアだな。何故あんなにも無駄にキラキラしているんだ?」
「ああ。硬質なノアだ。あれほど外見と中身が真逆な兄弟も珍しい」
セイは見た目は一見冷たそうに見えるが、中身はとても優しく思いやりに溢れている。それに反してノアは見た目こそ穏やかで柔和そうだが、中身はとんでもない悪魔を飼っている。
二人はもう一度顔を見合わせて思わず苦笑いを浮かべた。
「どうしてああも両極端なんだ?」
「分からない。二人の良い所を取ったら完璧な人間になるのでは?」
「いや、それはつまらないだろう。あの二人はあれでいいんだ。多分」
セイもノアもラルフ達の弟だ。たとえ半分しか血が繋がっていなくても、彼らは大切な家族なのだ。
「それにしてもセイは随分急いでバセット領に向かったな。何かあるのか?」
「さあ? 俺は何も聞いていないが……まさかまた嫁が何かしでかしたか?」
オルトの言葉にラルフは引きつって急いで書類を机に片付けてマントを翻した。
「少し早いが我々も行こう。何かあってからでは遅い。アーシャを連れてくる」
「そうだな。嫁は義理の妹だ。何かしでかしたらそれは俺たちの責任でもあるぞ」
家族皆が散り散りになってしまった過去は二人の人生に暗い影を落とした。エリスに導かれて和解した時には既に両親もノアも失った後だったのだ。
そんな過去の過ちをもう二度と侵さないよう、ラルフもオルトも気がつけばいつも家族の事を考えるようになっていた。失った両親はもう戻らないけれど、気がつけば家族は増えている。
たとえそれが悪魔のような弟と怪獣のような嫁であったとしても。
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