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「リヒト王子様……もし今、マティアス王子様が見つかったら、最初に何を話すんですか?」
石段を慎重に登りながら、セレスは何気なく問いかけた。ひそひそ声になってしまうのは、森の闇が深く人の声さえ呑み込んでしまうように感じるからだ。
「まずは、どうして黙って城を出たのか聞きたい。それから俺の思いを伝える。兄上がどんな選択をしたくても、勝手に消えてしまうのは許せないって。弟として、王になる以前に一人の家族として、ちゃんと話したかった」
リヒトはそう言うと、石段の途中で一瞬立ち止まる。背後からのランプの灯りが、彼の横顔をはっきりと浮かび上がらせた。
「だけど……本当にそれだけなのかな」
「どういう意味ですか?」
セレスが聞き返すと、リヒトはかすかに苦笑した。
「俺はもしかしたら、王位を巡って兄上に対抗したい気持ちが心の底にあるのかもしれない。それを認めるのが怖かった。だから“家族として話したい”なんて言い訳をしてるんじゃないかって、時々自分で思うんだ」
「そんなこと……王位を巡る気持ちがあっても、おかしくないですよ。誰だって嫉妬や対抗心はあります。むしろ本当の家族なら、そういう感情も含めてちゃんと話し合うべきじゃないでしょうか」
セレスは素直な気持ちを言葉にする。自分の感情を正直に認めるのは、とても勇気がいることだ。リヒトは少し救われたような表情を浮かべ、再び前を向いた。
そのとき、後方から小さな呼び声が聞こえる。レナが足を滑らせそうになったらしく、ダリウスに支えられているようだ。
「ごめん、大丈夫よ。ちょっと苔で滑っただけ」
「焦らず行こう。ここで誰かが大怪我をしたらそれこそ大変だからね」
ダリウスが控えめに声をかけ、レナも恐縮した様子で石段をゆっくりと上る。緊張感が走るが、誰も挫けようとはしない。マティアスへの想いが、それぞれに燃えているからだ。
セレスは自分の胸をそっと押さえる。あの“薬草入り茶菓子”を王子に食べさせてしまった日のことを思い出す。そもそもはマティアスの冷たい態度に憤っただけだった。ほんの軽い仕返しのはずが、こんな大事件につながるとは思いもしなかった。
「もしあのとき、王子様がお菓子を食べて腹痛を起こさなかったら、今ごろは平和な日々を送っていたのかしら」
でも、そうしたら王子が抱える悩みや、リヒトの苦悩にも気づかずに過ぎていっただろう。セレスは罪悪感と同時に、少しだけ“今の状況に意味がある”と感じていた。それがこの国の運命を変えるきっかけになっているのかもしれない。
「セレス、大丈夫か? 足元、気をつけて」
リヒトが振り返って声をかける。セレスは急いでうなずき、歩みを進める。これ以上何も言えず、ただ必死に前へ進むしかないのだ。
「私も、もし王子様に会えたら謝りたい。それと、もう一度お菓子を味わってほしい……薬草なんて入れない、美味しいやつを」
思わず本音が口から出る。リヒトは意外そうに笑い、少しだけスピードを落としてくれた。
「兄上は君のお菓子を気に入っていたと思うよ。何も言わなかっただけで、実は時々レナから“今日の茶菓子、美味しいってマティアス王子が言ってたよ”って聞いていたんだ」
「そう、なんですか」
セレスの胸がじんと熱くなる。マティアスは不愛想な顔ばかりしていたけれど、本当はお菓子を楽しみにしてくれていたのかもしれない。だとしたら、あの薬草を混ぜた行為がどれほど失礼だったか、改めて痛感する。
やがて石段の先が開け、月明かりが差し込む小さな広場のような場所に出た。古い祠のような建物が半ば崩れて並び、大きな木の根が地面を覆っている。夜風が不気味に吹き抜け、四人は思わず身震いした。
「ここが……儀式の場所の一端なのかな」
レナがつぶやくと、ダリウスは周囲を慎重に確かめる。魔術的な気配は感じられるが、マティアスの姿はない。もしかすると更に奥へ進んだのだろう。
「暗くて危険だ。今夜はここで仮の野営をして、明朝早くに再び探すことにしよう。この辺りなら隠れ場所もあるし、闇雲に動くよりは安全だ」
ダリウスの提案にリヒトやレナもうなずく。セレスも正直、疲労が限界に近い。横になっては眠れないかもしれないが、少しでも休息を取るべきだろう。
「みんな、お腹は大丈夫か? 夕方からまともに食べていないはずだ」
リヒトが気遣うが、セレスは苦笑して首を振る。
「本当は温かいスープでも作りたいところだけど、火を起こすのはリスクがあるから……乾パンや干し果物で我慢するしかなさそうね」
四人は祠の陰に身を寄せ合い、簡単な食事を取る。月明かりとランプの淡い光が、崩れた石像を照らし出し、何とも言えない神秘的な雰囲気が漂う。
セレスは夜空を見上げながら、マティアスの行方に想いを馳せる。もしここで出会えたなら――きっと伝えるべき言葉はたくさんある。王位の問題、儀式の真実、そしてあの茶菓子の謝罪。次々と頭に浮かぶが、何も明確な答えは出ないまま夜は更けていく。
「腹痛からはじまった騒動が、こんなところまで来ちゃうなんてね」
ぽつりとつぶやくセレスの言葉が、静寂の森に溶け込んだ。
石段を慎重に登りながら、セレスは何気なく問いかけた。ひそひそ声になってしまうのは、森の闇が深く人の声さえ呑み込んでしまうように感じるからだ。
「まずは、どうして黙って城を出たのか聞きたい。それから俺の思いを伝える。兄上がどんな選択をしたくても、勝手に消えてしまうのは許せないって。弟として、王になる以前に一人の家族として、ちゃんと話したかった」
リヒトはそう言うと、石段の途中で一瞬立ち止まる。背後からのランプの灯りが、彼の横顔をはっきりと浮かび上がらせた。
「だけど……本当にそれだけなのかな」
「どういう意味ですか?」
セレスが聞き返すと、リヒトはかすかに苦笑した。
「俺はもしかしたら、王位を巡って兄上に対抗したい気持ちが心の底にあるのかもしれない。それを認めるのが怖かった。だから“家族として話したい”なんて言い訳をしてるんじゃないかって、時々自分で思うんだ」
「そんなこと……王位を巡る気持ちがあっても、おかしくないですよ。誰だって嫉妬や対抗心はあります。むしろ本当の家族なら、そういう感情も含めてちゃんと話し合うべきじゃないでしょうか」
セレスは素直な気持ちを言葉にする。自分の感情を正直に認めるのは、とても勇気がいることだ。リヒトは少し救われたような表情を浮かべ、再び前を向いた。
そのとき、後方から小さな呼び声が聞こえる。レナが足を滑らせそうになったらしく、ダリウスに支えられているようだ。
「ごめん、大丈夫よ。ちょっと苔で滑っただけ」
「焦らず行こう。ここで誰かが大怪我をしたらそれこそ大変だからね」
ダリウスが控えめに声をかけ、レナも恐縮した様子で石段をゆっくりと上る。緊張感が走るが、誰も挫けようとはしない。マティアスへの想いが、それぞれに燃えているからだ。
セレスは自分の胸をそっと押さえる。あの“薬草入り茶菓子”を王子に食べさせてしまった日のことを思い出す。そもそもはマティアスの冷たい態度に憤っただけだった。ほんの軽い仕返しのはずが、こんな大事件につながるとは思いもしなかった。
「もしあのとき、王子様がお菓子を食べて腹痛を起こさなかったら、今ごろは平和な日々を送っていたのかしら」
でも、そうしたら王子が抱える悩みや、リヒトの苦悩にも気づかずに過ぎていっただろう。セレスは罪悪感と同時に、少しだけ“今の状況に意味がある”と感じていた。それがこの国の運命を変えるきっかけになっているのかもしれない。
「セレス、大丈夫か? 足元、気をつけて」
リヒトが振り返って声をかける。セレスは急いでうなずき、歩みを進める。これ以上何も言えず、ただ必死に前へ進むしかないのだ。
「私も、もし王子様に会えたら謝りたい。それと、もう一度お菓子を味わってほしい……薬草なんて入れない、美味しいやつを」
思わず本音が口から出る。リヒトは意外そうに笑い、少しだけスピードを落としてくれた。
「兄上は君のお菓子を気に入っていたと思うよ。何も言わなかっただけで、実は時々レナから“今日の茶菓子、美味しいってマティアス王子が言ってたよ”って聞いていたんだ」
「そう、なんですか」
セレスの胸がじんと熱くなる。マティアスは不愛想な顔ばかりしていたけれど、本当はお菓子を楽しみにしてくれていたのかもしれない。だとしたら、あの薬草を混ぜた行為がどれほど失礼だったか、改めて痛感する。
やがて石段の先が開け、月明かりが差し込む小さな広場のような場所に出た。古い祠のような建物が半ば崩れて並び、大きな木の根が地面を覆っている。夜風が不気味に吹き抜け、四人は思わず身震いした。
「ここが……儀式の場所の一端なのかな」
レナがつぶやくと、ダリウスは周囲を慎重に確かめる。魔術的な気配は感じられるが、マティアスの姿はない。もしかすると更に奥へ進んだのだろう。
「暗くて危険だ。今夜はここで仮の野営をして、明朝早くに再び探すことにしよう。この辺りなら隠れ場所もあるし、闇雲に動くよりは安全だ」
ダリウスの提案にリヒトやレナもうなずく。セレスも正直、疲労が限界に近い。横になっては眠れないかもしれないが、少しでも休息を取るべきだろう。
「みんな、お腹は大丈夫か? 夕方からまともに食べていないはずだ」
リヒトが気遣うが、セレスは苦笑して首を振る。
「本当は温かいスープでも作りたいところだけど、火を起こすのはリスクがあるから……乾パンや干し果物で我慢するしかなさそうね」
四人は祠の陰に身を寄せ合い、簡単な食事を取る。月明かりとランプの淡い光が、崩れた石像を照らし出し、何とも言えない神秘的な雰囲気が漂う。
セレスは夜空を見上げながら、マティアスの行方に想いを馳せる。もしここで出会えたなら――きっと伝えるべき言葉はたくさんある。王位の問題、儀式の真実、そしてあの茶菓子の謝罪。次々と頭に浮かぶが、何も明確な答えは出ないまま夜は更けていく。
「腹痛からはじまった騒動が、こんなところまで来ちゃうなんてね」
ぽつりとつぶやくセレスの言葉が、静寂の森に溶け込んだ。
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