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第五章 葉月(八月)
86.八月四日 午後 冤罪の女
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やや体力を消耗し宿に支えられている八早月は、正面に立っている女性を見つめていた。てっきり神の遣いである狐辺りが現れると考えていたのに、人型のなにかがやって来ると言うのは想定外の出来事と言えよう。
過去同様なことを行った際に現れたのは、土着の付喪神であったり、神の遣いである神使や聖獣が主だった。過去誰かに仕えていた呼士が人型のままで現れたこともあったが、それでもはっきりした姿ではなく、今にも消えそうに未練だけを頼りに現れる程度である。
「あなたはどちら様ですか?
どうやら妖と同じ気配ですが悪意を感じません。
まさか神様ではないでしょうが、人型のお狐様ですか?」
「私の名は藻、元は人に見染められた狐でした。
人の世でひそやかに暮らしていた妖狐でございます。
それがある時正体がばれてしまい追われる羽目になったのです」
「藻というのは玉藻前ではありませんか?
九尾だと聞いていましたが実際には二尾とは思ってもいませんでした。
それにしても、気配からは人を呪い災いをまき散らしていたとは思えません。
伝承では討伐され殺生石になったとのこと、間違いないでしょうか?」
「とんでもない! 私は一度たりとも人を殺めたことなぞございませぬ。
その証に私は二尾ではございませぬか。
玉藻前は確かに私と同じ妖狐でございますが大陸からやって来た九尾の狐です。
あの女は宮中での仕事についた私をだまし上皇に取り入りました。
しかし狐であることがばれ、私を身代わりにして逃げてしまったのです!」
一般的に伝えられている物語とは大分異なるようではあるが、そもそも玉藻前の話が史実であったと認められているわけでもない。内容がどれだけ食い違おうが、まあそんなものだろう。細かいことは気にせず八早月は質問を続けた。
「なるほど、そういうことがあったのですね。
するとあなたは殺生石となった狐とは別物だと言うことなのでしょうか。
それと稲荷神との関係も良くわかりません」
「日ノ本における妖狐にはいくつか種類が有り全て別物なのです。
私のような人として暮らしている妖狐がまず一つ。
稲荷神様の眷属である狐がもう一つ、そして大陸渡来の九尾の狐でございます」
「でもあなたも稲荷神社へ祀られているのですよね?
それは眷属としてなのでしょうか?」
「その辺りはあやふやなのですが……
一部の稲荷神社で私は神として祀られまして多少の力を得ることとなりました。
いつしか九尾の狐も同じように祀られ地域の護り手になっております。
大多数の稲荷神社では稲荷神様の眷属として狐が遣えておりますね」
「と言うことは、あなたは元々妖だけれど今は八百万の一柱ということなのですね。あなた自身が狐を従えることは出来ないのですか?」
半ばあきらめながらも八早月は何かしらヒントになればと、藻への聞き取りを続けることにしたのだが、実際にはもっと簡単に話は解決することとなる。
「いいえ、元をたどれば結局は狐ですから、従えることは容易いことです。
昔は随分と人へ力を分け与え、災いを取り除く助力をお願いしたものです。
なにせ九尾の狐である玉藻前が石となり全国へ飛び散ってしまいましたから。
ですが今はもう殺生石単体では力を失っているので追う必要が無くなりました」
「なるほど、そのような事情があったのですね。
実はあなたの力を貸して頂きたい件がございましてお呼びしました。
申しおくれましたが、私は八岐大蛇様に仕える巫の櫛田八早月と申します。」
「八岐大蛇ですって!? それこそ大妖、いや邪神ではないのですか?
史実では須佐之男命様により倒されたはず……
それがなぜ神として崇められているのでしょう」
「それは藻様、あなたも同じではありませんか?
どれが正しい史実なのか今ではもうわかりませんが、私共への伝承はこうです。
八岐大蛇様は、姉である天照大御神と仲を違えてしまったスサノオを憐れみ剣を授けました。神話で言うところの、八岐大蛇様の尾から天叢雲剣を取り出したとされている一節です。
しかしこれは八岐大蛇様が授けたもので、八代目櫛田家当主が鍛えた剣なのです」
「そんなこと…… いいえ、史実がどうあれ事実と異なることもありましょう。
私がそれを疑うなんて持ってのほか……
それでその八岐大蛇の遣いが私に何用でしょう」
「私の友人に稲荷の巫としての力を発現させたものがおります。
しかし先祖から伝承された物ではなく突発的に得たため上手く扱えておりません。
今は無節操に振舞う子狐の守護獣がついて回っている状態なのです。
これを何とか本人が制御することは可能でしょうか」
「守護獣が言うことを聞く程度であれば容易いことです。
しかし九尾と戦うのであればまた別の訓練や力の継承が必要となりましょう。
とは言えこれは誰にでも授けられるものではなく素養が大切なのですが」
「いいえ、そこまでは必要ございません。
あくまで平穏な日常が過ごせれば良いのですから制御だけで充分です。
それでは数日後にまた及び立てしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん構いません。
ご友人があなたと同じくらい強大な力を持っているといいのですが。
そうすれば私もずっと現世にいられますのに。
傍らのお嬢さんが羨ましい限りです」
「それはおそらく難しいでしょうね。
なにせ巫の家系でもなく修練を積んだこともない、ごく普通の娘なのですから」
「では八早月殿、あなたの元ならいかがですか?
剣術はからっきしですが、神通力はなかなかのものですよ?
得意なのは呪術払いや結界破りです。
ぜひ私を眷属として従えてくださいませ! お願いします!」
この申し出には八早月だけでなく真宵も、他の当主たちも驚くしかなかった。なんと言っても八早月は八岐大蛇の巫なのだから、同時に別系列の呼士を従えることなどできるとは思えない。
それに目の前で申し出ているこの藻は一応神格であり、まさかそれが人に向かって眷属になりたいと言いだすのは、荒唐無稽であり得ない申し出としか思えなかった。
過去同様なことを行った際に現れたのは、土着の付喪神であったり、神の遣いである神使や聖獣が主だった。過去誰かに仕えていた呼士が人型のままで現れたこともあったが、それでもはっきりした姿ではなく、今にも消えそうに未練だけを頼りに現れる程度である。
「あなたはどちら様ですか?
どうやら妖と同じ気配ですが悪意を感じません。
まさか神様ではないでしょうが、人型のお狐様ですか?」
「私の名は藻、元は人に見染められた狐でした。
人の世でひそやかに暮らしていた妖狐でございます。
それがある時正体がばれてしまい追われる羽目になったのです」
「藻というのは玉藻前ではありませんか?
九尾だと聞いていましたが実際には二尾とは思ってもいませんでした。
それにしても、気配からは人を呪い災いをまき散らしていたとは思えません。
伝承では討伐され殺生石になったとのこと、間違いないでしょうか?」
「とんでもない! 私は一度たりとも人を殺めたことなぞございませぬ。
その証に私は二尾ではございませぬか。
玉藻前は確かに私と同じ妖狐でございますが大陸からやって来た九尾の狐です。
あの女は宮中での仕事についた私をだまし上皇に取り入りました。
しかし狐であることがばれ、私を身代わりにして逃げてしまったのです!」
一般的に伝えられている物語とは大分異なるようではあるが、そもそも玉藻前の話が史実であったと認められているわけでもない。内容がどれだけ食い違おうが、まあそんなものだろう。細かいことは気にせず八早月は質問を続けた。
「なるほど、そういうことがあったのですね。
するとあなたは殺生石となった狐とは別物だと言うことなのでしょうか。
それと稲荷神との関係も良くわかりません」
「日ノ本における妖狐にはいくつか種類が有り全て別物なのです。
私のような人として暮らしている妖狐がまず一つ。
稲荷神様の眷属である狐がもう一つ、そして大陸渡来の九尾の狐でございます」
「でもあなたも稲荷神社へ祀られているのですよね?
それは眷属としてなのでしょうか?」
「その辺りはあやふやなのですが……
一部の稲荷神社で私は神として祀られまして多少の力を得ることとなりました。
いつしか九尾の狐も同じように祀られ地域の護り手になっております。
大多数の稲荷神社では稲荷神様の眷属として狐が遣えておりますね」
「と言うことは、あなたは元々妖だけれど今は八百万の一柱ということなのですね。あなた自身が狐を従えることは出来ないのですか?」
半ばあきらめながらも八早月は何かしらヒントになればと、藻への聞き取りを続けることにしたのだが、実際にはもっと簡単に話は解決することとなる。
「いいえ、元をたどれば結局は狐ですから、従えることは容易いことです。
昔は随分と人へ力を分け与え、災いを取り除く助力をお願いしたものです。
なにせ九尾の狐である玉藻前が石となり全国へ飛び散ってしまいましたから。
ですが今はもう殺生石単体では力を失っているので追う必要が無くなりました」
「なるほど、そのような事情があったのですね。
実はあなたの力を貸して頂きたい件がございましてお呼びしました。
申しおくれましたが、私は八岐大蛇様に仕える巫の櫛田八早月と申します。」
「八岐大蛇ですって!? それこそ大妖、いや邪神ではないのですか?
史実では須佐之男命様により倒されたはず……
それがなぜ神として崇められているのでしょう」
「それは藻様、あなたも同じではありませんか?
どれが正しい史実なのか今ではもうわかりませんが、私共への伝承はこうです。
八岐大蛇様は、姉である天照大御神と仲を違えてしまったスサノオを憐れみ剣を授けました。神話で言うところの、八岐大蛇様の尾から天叢雲剣を取り出したとされている一節です。
しかしこれは八岐大蛇様が授けたもので、八代目櫛田家当主が鍛えた剣なのです」
「そんなこと…… いいえ、史実がどうあれ事実と異なることもありましょう。
私がそれを疑うなんて持ってのほか……
それでその八岐大蛇の遣いが私に何用でしょう」
「私の友人に稲荷の巫としての力を発現させたものがおります。
しかし先祖から伝承された物ではなく突発的に得たため上手く扱えておりません。
今は無節操に振舞う子狐の守護獣がついて回っている状態なのです。
これを何とか本人が制御することは可能でしょうか」
「守護獣が言うことを聞く程度であれば容易いことです。
しかし九尾と戦うのであればまた別の訓練や力の継承が必要となりましょう。
とは言えこれは誰にでも授けられるものではなく素養が大切なのですが」
「いいえ、そこまでは必要ございません。
あくまで平穏な日常が過ごせれば良いのですから制御だけで充分です。
それでは数日後にまた及び立てしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん構いません。
ご友人があなたと同じくらい強大な力を持っているといいのですが。
そうすれば私もずっと現世にいられますのに。
傍らのお嬢さんが羨ましい限りです」
「それはおそらく難しいでしょうね。
なにせ巫の家系でもなく修練を積んだこともない、ごく普通の娘なのですから」
「では八早月殿、あなたの元ならいかがですか?
剣術はからっきしですが、神通力はなかなかのものですよ?
得意なのは呪術払いや結界破りです。
ぜひ私を眷属として従えてくださいませ! お願いします!」
この申し出には八早月だけでなく真宵も、他の当主たちも驚くしかなかった。なんと言っても八早月は八岐大蛇の巫なのだから、同時に別系列の呼士を従えることなどできるとは思えない。
それに目の前で申し出ているこの藻は一応神格であり、まさかそれが人に向かって眷属になりたいと言いだすのは、荒唐無稽であり得ない申し出としか思えなかった。
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