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閑話 皇太子の日常
しおりを挟む帝国皇宮。
ある日の朝、廊下でソウタはレオ・ロウとユノ・セリウスを見つけると、満面の笑みで駆け寄った。
「レオ兄さん!ユノさん!」
その明るい声が、少し離れたところから歩いてきた皇太子ルースの耳にも届いた。ルースは、その呼び方に眉をひそめた。
(……レオ兄さん、だと?)
ソウタがレオ・ロウにだけ「兄さん」と親しげに呼びかけることに、ルースは気づいていなかった。
その事実に、ルースの顔に不満の色が浮かんだ。
ソウタが二人のところから補佐官室へと去っていった後、ルースはすぐにレオ・ロウの元へ歩み寄った。
「レオ・ロウ。なぜお前だけ、ソウタに『兄さん』と呼ばれているんだ?」
突然の問いに、レオ・ロウは戸惑った。なぜそう呼ばれるようになったのか、明確な理由を思い出せない。
「はっ……殿下。それが、いつの間にか、そう呼ばれるようになっておりまして……」
レオ・ロウが正直に答えると、ルースの眉間の皺がさらに深まる。
このままではレオ・ロウが理不尽な怒りを買うと察したユノ・セリウスは、可哀想な相棒を助けようと口を開いた。
「殿下。軍事学校時代、ソウタ様がトーナメントに出場する際、レオ・ロウがアタッカーとしての立ち振る舞いを教えたり、ソウタ様が貴族派のスパイを探す際に手助けしたりしました。そうした経緯で、親しくなったのではないでしょうか」
ユノ・セリウスの説明を聞いたルースは、ムッとして拗ねたように言った。
「ふん……私の方がレオ・ロウより強いのに、ソウタに私が武術を教えてあげられるというのに……!」
ルースは、ソウタが自分ではなくレオ・ロウに懐いているように見えることに、嫉妬を隠せない様子で愚痴をこぼした。
その愚痴を聞きながら、ユノ・セリウスは苦笑いを浮かべた。
軍事学校時代の、皇太子の記憶をなくしていたルースが、ソウタに守られて嬉しそうにしていたことを思い出したのだ。あの頃の殿下は、もっと素直だった。
とくに悪いことをした覚えがないレオ・ロウは、ルースの容赦ない視線に耐えかね、縮こまってしまった。
その頃、何も知らないソウタは、「今日も上手く仕事をサボれたらいいな」などと暢気に考えながら、補佐官室へと向かっていた。彼だけが、皇宮に渦巻く複雑な感情から、かけ離れた場所にいた。
翌日のフランゼ侯爵邸。
皇宮での仕事を終え、ソウタは侯爵邸で至福の時を過ごしていた。
皇太子ルースからの「自分の心を大切にしなさい(もっとサボってもいい)」という言葉に甘んじて、彼はのんびりとした休日を満喫していた。
(優しい上司と有能な友達に囲まれて幸せだな……)
ソウタは、窓から差し込む柔らかな光を浴びながら、この世界に転生する前からの趣味である菓子作りをしようと、キッチンで準備を始めた。
粉をふるい、卵を割り、バターを練る。その手つきは、迷いなく滑らかだ。
すると、侯爵邸のドアがノックされ、執事がレオ・ロウとユノ・セリウスが訪れたことを告げた。
「レオ兄さん、ユノさん? 何か急用ですか?」
ソウタが尋ねると、レオ・ロウとユノ・セリウスは顔を見合わせた。
皇太子ルースの「ソウタの様子を見に行け」という命令で来たとは言えず、言葉を濁した。
「い、いや、その……たまたま近くを通りかかって……」
レオ・ロウがしどろもどろに答える。
「ええ、殿下からのお言伝がございまして……」
ユノ・セリウスが助け船を出すが、やはり具体的な用件は言えない。
ソウタは、そんな二人の様子には気づかず、にこやかに言った。
「ちょうどよかった! 今、クッキーを焼いたばかりなんだ。よかったら食べていきませんか?」
ソウタは、焼き立てで甘い香りを漂わせる美味しそうなクッキーを、レオ・ロウとユノ・セリウスに振る舞った。
レオ・ロウは、貴族であるソウタが自ら菓子作りをしていることに驚きを隠せない。
「へえ、貴族なのに自分で料理ができるのか!」
普段、甘いものをあまり好んで食べないユノ・セリウスですら、そのクッキーを一口食べると、目を見開いた。
「これは……! 本当に美味しいです、ソウタ様!」
ユノ・セリウスは、心からの絶賛を口にした。
自分で作ったクッキーを美味しそうに食べてくれる二人の姿を眺め、ソウタは得意げに笑った。
三人で楽しく談笑し、和やかな時間が過ぎていく。
やがて、レオ・ロウとユノ・セリウスは、満足そうに「ごちそうさまでした」と侯爵邸を去っていった。
二人が帰った後、ソウタは首を傾げた。
(結局、なんの用だったんだろう? まあ、いいか。美味しいクッキーを一緒に食べられたし!)
帝国皇宮、皇太子の執務室。
レオ・ロウは、先ほどの侯爵邸でのクッキーの味を思い出し、ご機嫌な様子だった。
「殿下の命令のおかげで、美味しいクッキーが食べられました!」
ユノ・セリウスは、ルースに今日のソウタの様子を報告した。
「殿下。今日のソウタ様は、侯爵邸で菓子作りをして過ごしていました」
ルースは、その報告を聞いて、ぴくりと眉を動かした。
「……それで、ソウタの作ったものを、お前たちは食べたのか?」
ルースの声には、どこか緊張が混じっている。
ユノ・セリウスは、ルースの意図を察し、言い淀んだ。
その時、レオ・ロウが、悪びれる様子もなく、しっかりした声で答えた。
「はい! とても美味しいクッキーでした!」
レオ・ロウの純粋な返答に、ルースの顔色がサッと変わった。
彼の声には、急に威圧感が宿る。
「私の分は?」
その、氷のように冷たい一言に、レオ・ロウとユノ・セリウスは、揃って押し黙ってしまった。
執務室には、重苦しい沈黙が降り注ぐ。
ルースのソウタへの独占欲は、彼らの想像をはるかに超えていた。
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