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第1話
012. 始まったらしい5
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さて、とハクが立ち上がったのはボクが小鳥さんを丸ごと胃に収めて、飯盒の中のスープを飲み干してからだった。
「そろそろ行きましょうか」
「もうですか?」
飯盒の底の肉の一かけらも惜しいと思っていた矢先だった。
「雨が降るのよ。
早めに屋根のあるところに行きたいわ」
「え、こんなにいい天気なのに?」
「空気が重いのよ」
そういって彼女はさっさと荷物をまとめてしまった。
雲もない晴天で何を言っているのかわからず、スープの雫を啜っていた。
「ほらね?」
ハクの読みは的中した。
ほどなくして暖かいスープとは真逆の、冷たい雫が下りてきた。
急いでその場を離れたが、雨宿りのために走って岩陰に隠れることが出来たのは、ひとしきり粒に打たれてからだった。
「今日はここまでかしらね」
寒さでかじかむ指先を、ハクの熾してくれた火に当てながら聞いた。
「ごめんなさい。ボクがグズグズしてたばっかりに」
情けなさと寒さで、そのときのボクの顔は真っ青だっただろう。
陽が出ているときはあんなに暖かな風が包み込んでくれたのに、暗く濡れた今は冷気がこの身を切りつけてくる。
「これで拭くと良いわ」
そういってハクは温もりの宿る手ぬぐいを渡してきた。
「ありがと……うわ!」
濡れた顔の水気をとろうとボクが布で前髪をかきあげると、ハクが灰色の着物に締めていた青い帯を解き始めていた。
「え!? あ! えぁ!??」
言葉として意味をなさない音を上げながら、ボクはとっさに後ろを向いた。
「何してるんですか!?」
「ナニって……濡れた体を拭くんだけど……
そうそう、今みたいに背中を火に当てるのは体を温める時に良いわよ」
「いやいやいや。
そうじゃなくって!
今ですか!?
ここでですか!?」
見てはいないが、おそらくハクはキョトンとした顔でこちらを見ているんだろう。
「暖かい火のあるところでしようかと思って」
「そうじゃなくって!」
おかしいよね?
いくらハクがボクをそういう目で見ていないからって、ボクがそうで無いわけじゃなくって……
「えー?
みないのー?」
ボクの紅潮した顔の横を不意に現れた女神・エリィがまたしても腰かけた態勢で漂う。
「なんでここに!?」
「いいじゃない。
みーんな見てるんだから。
お前がビビって小鳥を食べられなかったのも、みーんなね」
「それはいいよ……」
「なぁに?」
ハクにはエリィが見えていない。
それどころか声も聞こえていないようだ。
「な、なにもないです!」
そう、というとハクの方からシュルシュルという衣擦れの音が聞こえてきた。
「そういうこと」
「そういうことって……」
「んで、見ないの?」
「見られるわけないだろう!」
エリィは視線だけを泳がせてボクと背後のハクを見比べたようだった。
「向こうさんは気にしてないみたいだけど?」
「それは、そうかもしれないけど……
ボクは……
やっぱりそういうのは……」
「あらー、前の世界、普段はあんなのやこんなのも平気で見てたのに」
「な――!?」
「好きなんでしょ?
そーいうのが」
「いや、好きじゃないっていうか、嫌いじゃないっていうか……
何を言わせて――」
今の女神の顔は、それはそれは楽しそうで、意地の悪い顔をしている。
「正直になりなよ」
ほら、こっち向いて火に当たりなさいな。
ハクの雪に染み入るような通る声が、心なしか熱を帯びているような気がする。
「ほらほら、向こうさんもそう言ってるよ」
「でも、こういうのは卑怯って言うか……」
「今は仕方がないんじゃない?
拒否してないし、誰も責めないわー」
エリィが耳元でささやく声が、いやに甘く響いてくる。
「そ、そんなこと……
じゃ、じゃあ、見るぞ?
見るよ?
いいんだな!?」
振り向いた。
意を決して。
仕方のない状況である、相手も拒んでいないと正当な理由をつけて。
「風邪でもひいたの?」
鼻息の粗いボクにハクは心配そうに言った。
「あれ……?」
ハクの姿は、裸だった。
白い肌を隠すものはなかった。
正確には濡れた上半身を拭くために着物をはだけていたのだが、無いものもあった。
ボクがあると思っていた、女性としての膨らみだ。
「ハク……さん?」
「なぁに? あんまりジロジロみられてるとハズかしいわね」
ハクの身体は間違いなく美しかった。
艶のある透き通った白い肌、絞り込まれた――筋肉質な胸板。
明らかに鍛えこまれた、武人としてのソレだった。
「おとこ、の人」
「そうよ?」
ハクは体を一しきり拭き終えると、水気を帯びた手ぬぐいを肩に勢いよくかけた。
パァンッ、という小気味いい音がした。
「おんなのひと、じゃ……なかったんですね」
「そうね。
間違えられることもあるけど、れっきとしたオトコね」
「その喋り方は?」
「癖よ」
あ、そう、ですか。
尻すぼみな言葉を発することしかできなかったボク。
その横で腹を抱えて笑うエリィ。
女神の笑い声がその場に響いた。
「そろそろ行きましょうか」
「もうですか?」
飯盒の底の肉の一かけらも惜しいと思っていた矢先だった。
「雨が降るのよ。
早めに屋根のあるところに行きたいわ」
「え、こんなにいい天気なのに?」
「空気が重いのよ」
そういって彼女はさっさと荷物をまとめてしまった。
雲もない晴天で何を言っているのかわからず、スープの雫を啜っていた。
「ほらね?」
ハクの読みは的中した。
ほどなくして暖かいスープとは真逆の、冷たい雫が下りてきた。
急いでその場を離れたが、雨宿りのために走って岩陰に隠れることが出来たのは、ひとしきり粒に打たれてからだった。
「今日はここまでかしらね」
寒さでかじかむ指先を、ハクの熾してくれた火に当てながら聞いた。
「ごめんなさい。ボクがグズグズしてたばっかりに」
情けなさと寒さで、そのときのボクの顔は真っ青だっただろう。
陽が出ているときはあんなに暖かな風が包み込んでくれたのに、暗く濡れた今は冷気がこの身を切りつけてくる。
「これで拭くと良いわ」
そういってハクは温もりの宿る手ぬぐいを渡してきた。
「ありがと……うわ!」
濡れた顔の水気をとろうとボクが布で前髪をかきあげると、ハクが灰色の着物に締めていた青い帯を解き始めていた。
「え!? あ! えぁ!??」
言葉として意味をなさない音を上げながら、ボクはとっさに後ろを向いた。
「何してるんですか!?」
「ナニって……濡れた体を拭くんだけど……
そうそう、今みたいに背中を火に当てるのは体を温める時に良いわよ」
「いやいやいや。
そうじゃなくって!
今ですか!?
ここでですか!?」
見てはいないが、おそらくハクはキョトンとした顔でこちらを見ているんだろう。
「暖かい火のあるところでしようかと思って」
「そうじゃなくって!」
おかしいよね?
いくらハクがボクをそういう目で見ていないからって、ボクがそうで無いわけじゃなくって……
「えー?
みないのー?」
ボクの紅潮した顔の横を不意に現れた女神・エリィがまたしても腰かけた態勢で漂う。
「なんでここに!?」
「いいじゃない。
みーんな見てるんだから。
お前がビビって小鳥を食べられなかったのも、みーんなね」
「それはいいよ……」
「なぁに?」
ハクにはエリィが見えていない。
それどころか声も聞こえていないようだ。
「な、なにもないです!」
そう、というとハクの方からシュルシュルという衣擦れの音が聞こえてきた。
「そういうこと」
「そういうことって……」
「んで、見ないの?」
「見られるわけないだろう!」
エリィは視線だけを泳がせてボクと背後のハクを見比べたようだった。
「向こうさんは気にしてないみたいだけど?」
「それは、そうかもしれないけど……
ボクは……
やっぱりそういうのは……」
「あらー、前の世界、普段はあんなのやこんなのも平気で見てたのに」
「な――!?」
「好きなんでしょ?
そーいうのが」
「いや、好きじゃないっていうか、嫌いじゃないっていうか……
何を言わせて――」
今の女神の顔は、それはそれは楽しそうで、意地の悪い顔をしている。
「正直になりなよ」
ほら、こっち向いて火に当たりなさいな。
ハクの雪に染み入るような通る声が、心なしか熱を帯びているような気がする。
「ほらほら、向こうさんもそう言ってるよ」
「でも、こういうのは卑怯って言うか……」
「今は仕方がないんじゃない?
拒否してないし、誰も責めないわー」
エリィが耳元でささやく声が、いやに甘く響いてくる。
「そ、そんなこと……
じゃ、じゃあ、見るぞ?
見るよ?
いいんだな!?」
振り向いた。
意を決して。
仕方のない状況である、相手も拒んでいないと正当な理由をつけて。
「風邪でもひいたの?」
鼻息の粗いボクにハクは心配そうに言った。
「あれ……?」
ハクの姿は、裸だった。
白い肌を隠すものはなかった。
正確には濡れた上半身を拭くために着物をはだけていたのだが、無いものもあった。
ボクがあると思っていた、女性としての膨らみだ。
「ハク……さん?」
「なぁに? あんまりジロジロみられてるとハズかしいわね」
ハクの身体は間違いなく美しかった。
艶のある透き通った白い肌、絞り込まれた――筋肉質な胸板。
明らかに鍛えこまれた、武人としてのソレだった。
「おとこ、の人」
「そうよ?」
ハクは体を一しきり拭き終えると、水気を帯びた手ぬぐいを肩に勢いよくかけた。
パァンッ、という小気味いい音がした。
「おんなのひと、じゃ……なかったんですね」
「そうね。
間違えられることもあるけど、れっきとしたオトコね」
「その喋り方は?」
「癖よ」
あ、そう、ですか。
尻すぼみな言葉を発することしかできなかったボク。
その横で腹を抱えて笑うエリィ。
女神の笑い声がその場に響いた。
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