12 / 24
第二章 共鳴の輪郭
3.灯坂律の距離
しおりを挟む
「灯坂さん」
出会った黒波燦は黒波燦以上に黒波燦で、黒波燦だった。もう黒波燦。どうしようもなく黒波燦。
よく本物に出会ったら期待がしぼむというが、黒波燦はそんなことなかった。もともと顔もスタイルも完璧。加えて髪も服装も完璧だったし、黒いコートに黒シャツだとか見た目からして理想の黒波燦だった。いい匂いがした。雑誌で見たやたら長ったらしい名前のついた海外の香水に違いない。仕草や表情はメディアを通して見るよりも魅力的で、いっそ肌に毛穴を見つけて興奮したほどだ。
その黒波燦に、「君の声に恋をした」と言われた俺の驚きは想像つかないだろう? 大声でわけのわからない叫びを撒き散らしながらその場から消え去らなかっただけ、俺の理性はよく働いたと思う。
こうして黒波燦のツテで俺の好きなユメワスのサインまでもらえて、黒波燦のマネージャーの運転する車に乗って、用事のついでだからと俺のバイト先まで送ってもらっている現実が、現実だとまだ理解しきれない。
「灯坂さん?」
「ああ、すまない。佐藤、マネージャー」
「別に佐藤呼びで構いませんよ。その方がこちらもなんでも話せますし聞けますから助かります。どうしました? 寝てましたか?」
「いや……」
あんたの運転する助手席で生まれ変わった俺の人生を反芻していたなんて言っても変な目で見られるだろうから、最近あまり寝ていないと適当に答えた。
「黒波はどうですか。あなたから見て、来月までにタイアップ企画に乗せてよさそうですか?」
「まず問題ない」
口が、言葉が先に言い切った。
燦は、俺の宿題を完璧にこなしてきたうえ、さらにその上のレベルにまで持ってきているからこちらが驚くほどだ。
「あいつはもう、多分あんたが想像している最低ラインには届いている。気になるなら一度聴きに来てみればいい」
「いや、遠慮します。天音透子氏の秘蔵っ子がそこまで言うのなら信用しますよ。ありがとうございます」
「その秘蔵っ子とかいうの、誰が言ってるんだ」
「天音透子氏ご本人がおっしゃってましたよ。私に直に電話してきて『あたしの秘蔵っ子が指導してるから大船に乗った気になって構えてろ』と笑っていました。直接会ったことはありませんが、おかしな……いえ、ユニークな方ですね」
「透子がか……」
思わず眉間をおさえた。
あのババアの秘蔵っ子なんて肩書き、大げさすぎる。天音透子といったら、俺にとってはただの音楽オタクでよく子供の頃遊んでくれた近所の変なババアだが、皆のイメージは才気あふれるミュージシャン、時代を作ったスーパースターだと言われている。
その秘蔵っ子といったらどれほどすごい才能の持ち主だと思われるだろう?
実際はただのフリーターで、人前で歌を歌ったことすらないというのに。
「言っておくが、俺はただその辺でバンド組んでるだけの男だ。透子とはただ幼い頃よく遊んでただけだからな。燦の最後の仕上がりまで俺は責任持たない。責任は全部透子にある」
「なるほど。逆に天音透子氏が全部責任を負ってくださるのなら楽しみです。どんな出来でも良い形にしてくださるでしょうから」
それはその通り。道端の石ころだって芸術作品に仕立て上げるし、それで番組企画一本作れと言われたら面白く作りあげる女だ。
「けれどあの方、私との電話で灯坂さんのことを『幼い頃から仕込んだから信用していいぞ』とおっしゃってました」
佐藤のアクセルとブレーキは神経質だが不快ではない。ゆったり背中を預けるシートも、心地よくリラックスできる。俺にはわからないが、きっと高い車なんだろう。
「あいつも適当なことを言う。それよりも俺からしたらやはり、く……ゴホッ、燦はすごい」
燦をフルネームで呼んでしまいそうになる癖が治らない。
「おや、そう思われますか」
「ああ。集中力が全然違う。あんな人間に出会ったことがない」
さっきだってそうだ。ガラス越しにラジオブースの燦を見ていたが、マイクの前に座った途端、プロの顔になった。メディアでよく見る『黒波燦』の顔だ。ようやく見慣れたと思っていた顔に、改めて心を奪われてしまった。
「それに、歌にこんなに身を入れて、他の仕事に影響がないか心配になる」
「それは余計なご心配というものです。あれはうちの看板商品の一つです。別に身を入れているのは歌だけじゃありません。芝居の現場に入る時はスタッフや共演者の情報を調べますし、必ずホンを読み込んで台詞を頭に入れてきます。バラエティは事前に寄越された内容と流れと出演者の諸々を頭に叩き込んできています」
そのくらいしてもらわないと困ります。でないとこちらが管理している意味がありませんからね。
佐藤はそんなことを言ったが、俺はめまいがした。燦にとって、あれは通常運転の一つらしい。
透子はよく『常に完璧のその上で遊ぶ。でないと大衆には届かない』と言っていたが、あいつは変人だしおかしな奴だから、正直何言ってるんだかわからないと思っていた。なのに仕事としてそれを当たり前のように努力して体現している人間の有様を肌で感じて、肝が冷えたのだ。
そう、恐ろしかった。俺のような凡人と、こんなにも覚悟、気概が違う。俺にはできない。人種が違う。
燦に初めて出会った時にも感じた、息を吸うように努力をする人種。そうだ思い出せ、燦がいたラジオブースの隣のブースで、恐ろしく綺麗な女が笑顔で番組を収録していた。きっとあの女だって想像できないような努力を積み重ねて、あそこにいる。
さっきスタジオで、「君に褒めて欲しいから練習したんだ」なんて言われたから、少しだけ調子に乗ってしまった。自分が、あいつの特別なんだと思ってしまった。俺のために頑張ったんだと思わされた。
そうだ、あいつは口がうまいと自分でも言ったじゃないか。
俺は思い込みが激しいとよく友人たちから言われる。どうやら俺は、ほんの数回身体を重ねただけで恋人を気取る、重たい男になってしまっていたらしい。
出会った黒波燦は黒波燦以上に黒波燦で、黒波燦だった。もう黒波燦。どうしようもなく黒波燦。
よく本物に出会ったら期待がしぼむというが、黒波燦はそんなことなかった。もともと顔もスタイルも完璧。加えて髪も服装も完璧だったし、黒いコートに黒シャツだとか見た目からして理想の黒波燦だった。いい匂いがした。雑誌で見たやたら長ったらしい名前のついた海外の香水に違いない。仕草や表情はメディアを通して見るよりも魅力的で、いっそ肌に毛穴を見つけて興奮したほどだ。
その黒波燦に、「君の声に恋をした」と言われた俺の驚きは想像つかないだろう? 大声でわけのわからない叫びを撒き散らしながらその場から消え去らなかっただけ、俺の理性はよく働いたと思う。
こうして黒波燦のツテで俺の好きなユメワスのサインまでもらえて、黒波燦のマネージャーの運転する車に乗って、用事のついでだからと俺のバイト先まで送ってもらっている現実が、現実だとまだ理解しきれない。
「灯坂さん?」
「ああ、すまない。佐藤、マネージャー」
「別に佐藤呼びで構いませんよ。その方がこちらもなんでも話せますし聞けますから助かります。どうしました? 寝てましたか?」
「いや……」
あんたの運転する助手席で生まれ変わった俺の人生を反芻していたなんて言っても変な目で見られるだろうから、最近あまり寝ていないと適当に答えた。
「黒波はどうですか。あなたから見て、来月までにタイアップ企画に乗せてよさそうですか?」
「まず問題ない」
口が、言葉が先に言い切った。
燦は、俺の宿題を完璧にこなしてきたうえ、さらにその上のレベルにまで持ってきているからこちらが驚くほどだ。
「あいつはもう、多分あんたが想像している最低ラインには届いている。気になるなら一度聴きに来てみればいい」
「いや、遠慮します。天音透子氏の秘蔵っ子がそこまで言うのなら信用しますよ。ありがとうございます」
「その秘蔵っ子とかいうの、誰が言ってるんだ」
「天音透子氏ご本人がおっしゃってましたよ。私に直に電話してきて『あたしの秘蔵っ子が指導してるから大船に乗った気になって構えてろ』と笑っていました。直接会ったことはありませんが、おかしな……いえ、ユニークな方ですね」
「透子がか……」
思わず眉間をおさえた。
あのババアの秘蔵っ子なんて肩書き、大げさすぎる。天音透子といったら、俺にとってはただの音楽オタクでよく子供の頃遊んでくれた近所の変なババアだが、皆のイメージは才気あふれるミュージシャン、時代を作ったスーパースターだと言われている。
その秘蔵っ子といったらどれほどすごい才能の持ち主だと思われるだろう?
実際はただのフリーターで、人前で歌を歌ったことすらないというのに。
「言っておくが、俺はただその辺でバンド組んでるだけの男だ。透子とはただ幼い頃よく遊んでただけだからな。燦の最後の仕上がりまで俺は責任持たない。責任は全部透子にある」
「なるほど。逆に天音透子氏が全部責任を負ってくださるのなら楽しみです。どんな出来でも良い形にしてくださるでしょうから」
それはその通り。道端の石ころだって芸術作品に仕立て上げるし、それで番組企画一本作れと言われたら面白く作りあげる女だ。
「けれどあの方、私との電話で灯坂さんのことを『幼い頃から仕込んだから信用していいぞ』とおっしゃってました」
佐藤のアクセルとブレーキは神経質だが不快ではない。ゆったり背中を預けるシートも、心地よくリラックスできる。俺にはわからないが、きっと高い車なんだろう。
「あいつも適当なことを言う。それよりも俺からしたらやはり、く……ゴホッ、燦はすごい」
燦をフルネームで呼んでしまいそうになる癖が治らない。
「おや、そう思われますか」
「ああ。集中力が全然違う。あんな人間に出会ったことがない」
さっきだってそうだ。ガラス越しにラジオブースの燦を見ていたが、マイクの前に座った途端、プロの顔になった。メディアでよく見る『黒波燦』の顔だ。ようやく見慣れたと思っていた顔に、改めて心を奪われてしまった。
「それに、歌にこんなに身を入れて、他の仕事に影響がないか心配になる」
「それは余計なご心配というものです。あれはうちの看板商品の一つです。別に身を入れているのは歌だけじゃありません。芝居の現場に入る時はスタッフや共演者の情報を調べますし、必ずホンを読み込んで台詞を頭に入れてきます。バラエティは事前に寄越された内容と流れと出演者の諸々を頭に叩き込んできています」
そのくらいしてもらわないと困ります。でないとこちらが管理している意味がありませんからね。
佐藤はそんなことを言ったが、俺はめまいがした。燦にとって、あれは通常運転の一つらしい。
透子はよく『常に完璧のその上で遊ぶ。でないと大衆には届かない』と言っていたが、あいつは変人だしおかしな奴だから、正直何言ってるんだかわからないと思っていた。なのに仕事としてそれを当たり前のように努力して体現している人間の有様を肌で感じて、肝が冷えたのだ。
そう、恐ろしかった。俺のような凡人と、こんなにも覚悟、気概が違う。俺にはできない。人種が違う。
燦に初めて出会った時にも感じた、息を吸うように努力をする人種。そうだ思い出せ、燦がいたラジオブースの隣のブースで、恐ろしく綺麗な女が笑顔で番組を収録していた。きっとあの女だって想像できないような努力を積み重ねて、あそこにいる。
さっきスタジオで、「君に褒めて欲しいから練習したんだ」なんて言われたから、少しだけ調子に乗ってしまった。自分が、あいつの特別なんだと思ってしまった。俺のために頑張ったんだと思わされた。
そうだ、あいつは口がうまいと自分でも言ったじゃないか。
俺は思い込みが激しいとよく友人たちから言われる。どうやら俺は、ほんの数回身体を重ねただけで恋人を気取る、重たい男になってしまっていたらしい。
21
あなたにおすすめの小説
夜が明けなければいいのに(洋風)
万里
BL
大国の第三皇子・ルシアンは、幼い頃から「王位には縁のない皇子」として育てられてきた。輝く金髪と碧眼を持つその美貌は、まるで人形のように完璧だが、どこか冷ややかで近寄りがたい。
しかしその裏には、誰よりも繊細で、愛されたいと願う幼い心が隠されている。
そんなルシアンに、ある日突然、国の命運を背負う役目が降りかかる。
長年対立してきた隣国との和平の証として、敵国の大公令嬢への婿入り――実質的な“人質”としての政略結婚が正式に決まったのだ。
「名誉ある生贄」。
それが自分に与えられた役割だと、ルシアンは理解していた。
部屋に戻ると、いつものように従者のカイルが静かに迎える。
黒髪の護衛騎士――幼い頃からずっと傍にいてくれた唯一の存在。
本当は、別れが怖くてたまらない。
けれど、その弱さを見せることができない。
「やっとこの退屈な城から出られる。せいせいする」
心にもない言葉を吐き捨てる。
カイルが引き止めてくれることを、どこかで期待しながら。
だがカイルは、いつもと変わらぬ落ち着いた声で告げる。
「……おめでとうございます、殿下」
恭しく頭を下げるその姿は、あまりにも遠い。
その淡々とした態度が、ルシアンの胸に鋭く突き刺さる。
――おめでとうなんて、言わないでほしかった。
――本当は、行きたくなんてないのに。
和風と洋風はどちらも大筋は同じようにしようかと。ところどころ違うかもしれませんが。
お楽しみいただければ幸いです。
悪役令息に転生した俺は推しの為に舞台から退場する
スノウマン(ユッキー)
BL
前世の記憶を思い出したアレクシスは悪役令息に転生したことに気づく。このままでは推しである義弟ノアが世界を救った後も幸せになれない未来を迎えてしまう。それを回避する為に、俺は舞台から退場することを選んだ。全てを燃やし尽くす事で。
そんな俺の行動によってノアが俺に執着することになるとも知らずに。
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
刺されて始まる恋もある
神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。
パブリック・スクール─薔薇の階級と精の儀式─
不来方しい
BL
教団が営むパブリックスクール・シンヴォーレ学園。孤島にある学園は白い塀で囲まれ、外部からは一切の情報が遮断された世界となっていた。
親元から離された子供は強制的に宗教団の一員とされ、それ相応の教育が施される。
十八歳になる頃、学園では神のお告げを聞く役割である神の御子を決める儀式が行われる。必ずなれるわけでもなく、適正のある生徒が選ばれると予備生として特別な授業と儀式を受けることになり、残念ながらクリスも選ばれてしまった。
神を崇める教団というのは真っ赤な嘘で、予備生に選ばれてしまったクリスは毎月淫猥な儀式に参加しなければならず、すべてを知ったクリスは裏切られた気持ちで絶望の淵に立たされた。
今年から新しく学園へ配属されたリチャードは、クリスの学年の監督官となる。横暴で無愛想、教団の犬かと思いきや、教団の魔の手からなにかとクリスを守ろうする。教団に対する裏切り行為は極刑に値するが、なぜかリチャードは協定を組もうと話を持ちかけてきた。疑問に思うクリスだが、どうしても味方が必要性あるクリスとしては、どんな見返りを求められても承諾するしかなかった。
ナイトとなったリチャードに、クリスは次第に惹かれていき……。
金の野獣と薔薇の番
むー
BL
結季には記憶と共に失った大切な約束があった。
❇︎❇︎❇︎❇︎❇︎
止むを得ない事情で全寮制の学園の高等部に編入した結季。
彼は事故により7歳より以前の記憶がない。
高校進学時の検査でオメガ因子が見つかるまでベータとして養父母に育てられた。
オメガと判明したがフェロモンが出ることも発情期が来ることはなかった。
ある日、編入先の学園で金髪金眼の皇貴と出逢う。
彼の纒う薔薇の香りに発情し、結季の中のオメガが開花する。
その薔薇の香りのフェロモンを纏う皇貴は、全ての性を魅了し学園の頂点に立つアルファだ。
来るもの拒まずで性に奔放だが、番は持つつもりはないと公言していた。
皇貴との出会いが、少しずつ結季のオメガとしての運命が動き出す……?
4/20 本編開始。
『至高のオメガとガラスの靴』と同じ世界の話です。
(『至高の〜』完結から4ヶ月後の設定です。)
※シリーズものになっていますが、どの物語から読んでも大丈夫です。
【至高のオメガとガラスの靴】
↓
【金の野獣と薔薇の番】←今ココ
↓
【魔法使いと眠れるオメガ】
イケメンダブルセンターとアンチ>ファンな平凡な俺
スノウマン(ユッキー)
BL
アイドルグループ【オーバーウェルミング】は圧倒的な歌唱力の深山影月、圧倒的なパフォーマンス力の漣陽太、そして圧倒的な平凡力な俺間桐真緒の3人で結成されている。
大人気の二人と違いアンチしかいない俺だが、メンバーからもファンからも愛される日が果たしてくるのか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる