推しに恋した。推しが俺に恋をした。

吉川丸子

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第二章 共鳴の輪郭

7.灯坂律の怒り

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 窓は閉めた。ドアも閉めた。昼間のこの時間は比較的穏やかだから雑音も少ないだろう。

「あー、ああー」

 マイクテストも終わったが念のため。録音ボタンを押してからギターを構える。パソコン、ソフト類、キーボード、マイク、インターフェースやプラグイン。目の前に揃った電子機材は、透子のお下がりと透子のバイト代で手に入れた。今日の相棒はギター一本。

「ムカついた」

 曲のタイトルを呟くと、コードをF♯7で押さえて、1、2、3、4、息を吸う。

「ふざけんな!!」

 シャウトから、ロックのリズムでコードを荒っぽく掻き鳴らす。腹の底からわき上がる怒りを身体じゅうで叫ぶのだ。

 何故こんなにも俺が怒っているのか。理由はいくつかある。理不尽なものだってあるが人間だから仕方がない。

 小さなことは、コンビニで買った雑誌の付録が破かれていたこと。別に欲しいものではなかったが、その行為に腹が立った。

 それから。俺のバンドのライブに、燦が聴きに来たこと。あの黒波燦が、だ、客が増えるのはいい。だが燦ときたら、ライブの前日にも会ってレッスンして、あいつの家で朝まで過ごしたのに、そのことを一言も言わなかった。「驚かせたかったからね」と笑っていたが、厄介なサプライズは透子だけで充分だ。
 確かに、あいつのマネージャーにチケットを売った。二枚売ったが、一枚はどうせお情けだろうと思って気にしていなかった。まさか黒波燦が来ると思わないじゃないか。

 ライブ会場にやたらオーラのある黒マスクをつけたでかくて小奇麗な男が現れたら目立って当然だ。光の当たるステージからも、一目でそれが燦だとわかったほどだ。当然、周りから妙に視線を集めていた。
 ライブが始まる前に、スカウトかもしれない男二人組が来ているとみんながわき立っていたのを思い出す。今の俺たちのレベルを考えれば、スカウトなんてありえないと首をひねっていたから、斜め上方向に合点がいった。黒波燦と佐藤マネージャーは確かに業界人だからな。

 加えてあいつに対してもう一つ腹が立った。

 ライブが終わった後、狭いロビーじゃ人が多すぎるからと裏口で待ち合わせた。あいつ、そこで何を言ったと思う?

 何も言わなかったんだ。

 にこにこした人のいい、よくメディアで見る笑顔を浮かべたまま。どうだった、と聞いても、「いいんじゃないかな」とだけ。
 マネージャーの佐藤の方がよほど正直で良かった。開口一番、俺が頭に巻いたバンダナと袖を破いたTシャツ姿に「魚屋みたいな格好ですね」と言った。

「曲は確かに面白いと思いました。花粉症の歌は身に沁みました。ベースラインが大変興味深かったですよ」
「ジャクソン5をパクった。コード進行はユーロビートでよくあるやつだ。俺はアレンジの才能がないから全部パクって」
「灯坂さんのギターだけ粒が揃って澄んでいましたね。心地よい音で、かえって浮いていました」
「皆社会人だから練習する時間が足りないんだ。みんな凄いぞ」
「? 天音透子氏は、バンドのほかの皆さん方のことをそうはおっしゃっていませんでしたよ?」
「ボーカルは声の質が独特で歌い込めばいい声になるし、鍛えれば音域も広がる。もっと歌や曲の世界に入り込んで歌詞の上に気持ちと声を乗せられるようになれば、もっと良くなる。ドラムは基礎を叩き込んで地道に練習すればもっともっと上手くなるが、忙しくて無理なだけだ。ベースはリズム感が」
「灯坂さん、ちょっと落ち着いていただけますか」
「あいつらは可能性の塊だ。俺には未来が見えるしあいつらの未来と演ってる」

 そんなやり取りの間中、やり取りが終わっても、燦は何も言わなかったし、今もライブについて何も言ってこない。

「言いたいことありゃはっきり言え!!」

 叫びと同時に弦が手元で切れた。俺は構わず演奏を続ける。
 未熟で愚かで下手くそな俺を見下しているのか? 陰であざ笑っているのか? そりゃああんたは完璧だ。見た目も中身も最高だ。俺の隣で、細かいところにこだわって世話を焼こうとする人間臭いあんたに騙された。愚かなほど格好つけることにこだわる姿に惑わされた。人間のにおいがしていたから誤解した。

 ああ、物足りない。セブンスのコードを一つ刻んで転調して、もうワンフレーズ追加する。

 同じ人間で同じ生き物だと知ってしまったからこそ、腹が立つ。いっそ幻滅できればよかった。恋心が邪魔すらしてくれない。なんであいつはあんなに努力ができるんだ。知らない未来にどうして立ち向かえる? 経験済みで先の読めるAと、やったこともない未来もわからないBを並べてなんでBを選べる? あんなに顔が良ければ、いくらでも人生イージーモードで生きていけただろう。俺だったらそうする!

 俺とあいつがつながっているのは人間の部分でだけ。泥臭くて感情的で、多かれ少なかれ誰もが持つ部分だ。愛か執着か性欲かわからないそこを必死に掴んで、あんたが好きだから俺と同じところにいて欲しいと叫ぶ。


 そんな自分自身に、結局一番ムカついた。
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