虹色アゲハ【完結】

よつば猫

文字の大きさ
9 / 41

ベニモンアゲハ1

しおりを挟む
 次の日。
揚羽は手料理を振る舞う約束のため、鷹巨が迎えに来てくれる偽装住居に向かっていた。

 そこは、以前送ってもらったマンションで。
タクシーで移動の最中、倫太郎からメッセージが入る。

〈今そっち言った〉

 言った?
どうやら予測変換の選択ミスのようで、すぐに〈行った〉と訂正が入る。

 それは鷹巨がこっちに向かった事を知らせるもので。
作戦に不備をきたさないよう、倫太郎はすでに鷹巨のマンション付近で張り込んでいたのだ。

 それはともかく、倫太郎がそんなミスをするのは珍しく。
揚羽は、昨日打ち合わせした時の……
どこか上の空で、ずっとソファで丸くなっていた倫太郎を思い返す。

 もしかして具合が悪いんじゃ?

「ねぇ、どっか悪いの?」
すぐに電話をかけると。

『は?
どこも悪くねぇし』

 そう答えた倫太郎は、注意しなければ気付かないレベルではあったものの、息が荒かった。

『っ、切るぞ』

「いや悪いでしょ」

『いや意味わかんねぇし』

「どこが悪いの?」

『だからっ……性格?』

「ふざけないで!」

『ふざけてんのはそっちだろっ』
と、押し問答の末。

「わかった。
じゃあビデオ通話に切り替えるから、顔色見せて」

『はあっ?
この大事な時に何言ってんだよっ。
いいから作戦に、』

「どっちが大事だと思ってんのよ!」
倫太郎の言葉を掻き消して、一喝する揚羽。

 その瞬間、胸を思い切り掴まれて、何も言えなくなった倫太郎は……
思わず電話を切ってしまう。

「あっ……
何切ってんの、あいつ」
呆れながらも。

 もうすぐ目的地に着いて、鷹巨と合流するため。
揚羽はふぅと一呼吸して、再び携帯を発信した。

「もしもし、鷹巨さん?
あの、大変申し訳ないんですが……
今日の約束、次の日曜に延期にしてもらってもいいですか?」

『えっ……
どうしたんですか?』

「実は、親の体調が悪くて……
側についててあげたいんです」

『……わかりました。
そういう事なら、全然来週で構いません』
鷹巨は、どこかほっとした声で答えた。

「ほんとにすみません……
もうこっちに来てましたよね?」

『気にしないでください。
それに僕は……
聡子さんのそういう優しいところ、すごく素敵だと思います』

 素敵、ね……
そこは結婚詐欺師らしく、好きっていうところじゃないの?

 相変わらず間抜けな詐欺師、と思いながら通話を終えると。
ターゲットとの接触に備えて盗聴器を起動していたため、聴いていた倫太郎が電話で怒鳴り込んできた。

『おい何やってんだよ!呼び戻せよっ』

「もう、勝手に切っといてなんなの?
てゆうか理由聴いてたでしょ?
それで呼び戻すとか、どう考えてもおかしいでしょ」

『だからって!
来週に延期したら作戦の方がおかしくなんだろっ』

 そう、ドタキャンした立場で一週間も時間が開きながら、まだ味噌を取ってきてないのは不自然だ。

「そんなの、他のプランを考えればいいだけじゃない。
だいたい、無理に決行してミスしないって言える?」

『言えるよ、死んでもやり遂げてやる』

「死んだら出来ないでしょ?
バカ言わないで病院行くわよ」

『だから悪くねぇっつってんだろ!』

「私が心配で出来ないの!
っとに、こっちがミスするわ」

 再び倫太郎は、胸を激しく掴まれて……
目頭が熱くなる。

「すみません、行き先変えてもらっていいですか?」
揚羽はタクシーの運転手に、倫太郎が張り込んでる場所を指示すると。

「これ以上心配かけたくなかったら、大人しくそこで待ってて」
そう言って電話を切った。

 一緒に居るところを誰かに見られるワケにはいかなかったが……
それどころか、鷹巨に見られる可能性も高かったが……
そんな事より。
倫太郎が素直に病院に行くとも思えず、運転も危ないと判断しての行動だった。


 案の定。
倫太郎は顔色が悪く、痛みと熱で発汗も伴っていた。

 すぐに車を近くの駐車場に移動させ、タクシーで病院に連行すると……
穿孔性虫垂炎と診断され、緊急手術をする事になった。





 「まったく……
腹膜炎のギリギリ手前だったんだからね?」

「そんな事より……
足引っ張って、ごめん」

「はあ?
むしろそんな事より、心配かけてごめんでしょ?」

「……ん。
心配かけて、ごめん……」
いつになくしおらしい倫太郎に。

 揚羽は胸をくすぐられて、ふふっと笑う。

「なんだよ」

「ううん、無事に手術が終わってよかった。
あ、そうだ。
何かと便利だから、私は姉って設定にしてるから」

「……ふぅん」
途端、拗ねた様子で顔を背ける倫太郎。


 だけど……

「安藤さーん」
「あ、はーい」

 看護婦が呼んだ自分の苗字に、返事をする揚羽を見て。
思わず嬉しくなる。


「個室頼んでたんだけど明日空くみたい、ってなにニヤケてんの?」

「別にニヤケてねぇし」

「うっそ、今あの看護婦さん見てニヤケてたじゃない。
巨乳だったもんね」

「はっ?
バカじゃねぇの」

「まっ、そんな元気があるなら大丈夫か」

「あぁも寝るから帰れよ」
そう言って布団をすっぽり被る倫太郎。

「はいはい。
あとで保険証とか必要なもの持ってくるから、ゆっくり休みなさい」

 倫太郎の名前が本名で、ちゃんと保険に入っていた事には驚いたものの。
そんな情報を当たり前のように晒して、自分に管理させてくれる事を嬉しく思いながら……
悪態をつく姿にほっとして、揚羽は病室を後にした。




 そして月曜。
倫太郎の見舞いをすませて、揚羽が店に出勤すると……
予告通り、久保井がやってきた。

 ところが柑愛は、その日子供が熱を出したという理由で休んでいて……

 揚羽はしめたとばかりに。
「せっかくいらっしゃったんだから、1杯だけでも」と引き止め。
ママに頼んで、席につけてもらった。


「お怪我をされてるのに、引き止めてすみません。
でも、どうされたんですか?」

 久保井は手に包帯を巻いていた。

「仕事でバックリ切っちゃって……
心配してくれるんだ?」

 誰があんたなんか……
むしろいい気味。
内心毒づきながらも。

「もちろんです。
それで気になって、引き止めたのもあるんです」

 すると久保井にじっと見つめられ……
思わずその視線から逃げてしまう。

 2人っきりの状況は、思いのほか揚羽の心を騒めかせていて……
胸を揺さぶるその視線は、より威力を発揮していた。

「でも、今日みたいな事にならないように、連絡先を伺っててもいいですか?
柑愛ちゃんが休みの時とか、何かトラブルがあった時は連絡します」

「や、田中専務に怒られちゃうし。
次からは来る前に、お店に連絡するんで」

 さすがにそこはガードが固いわね……

「意外と遠慮するタイプなんですね」

「あれっ、俺どんなイメージ?」
くしゃっと八重歯を覗かせて。

 それが揚羽の胸を締め付ける。

「っ、そうですね……
自由奔放な猫みたいな?」

「それいいねっ。
でもあんまそうすると、刺されたりするからな~」
そう言って久保井は下腹部を指差した。

 へぇ、刺されたんだ?
まぁあんたの場合、当然の報いでしょ。
いっそ死ねばよかったのに。
僅かにしてしまった心配を掻き消すように、揚羽は必死に毒づいた。

「そんな俺の話より、揚羽ちゃんの事聞かせてよ」

「例えば、何を」

「例えば、それって源氏名?」

「本名ですよ。
私、名前が2つあるのって苦手で」

 本当の名前の私は、もういない。
あんたのせいで、この世から死んだも同然だからね……

 そう、蝶は死と再生の象徴らしく。
揚羽にとってはその名前こそが、もはや本名なのだった。


 そうして、大した情報も得れないまま……
久保井は約束通り、一杯飲みあげて帰ってしまった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

25年目の真実

yuzu
ミステリー
結婚して25年。娘1人、夫婦2人の3人家族で幸せ……の筈だった。 明かされた真実に戸惑いながらも、愛を取り戻す夫婦の話。

処理中です...