偽りの婚約者のはずが、極上御曹司の猛愛に囚われています

冬野まゆ

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1巻

1-2

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「舞菜香、彼に口説かれたでしょ」
「はいッ⁉」

 思いがけない言葉に、素っ頓狂な声が漏れる。
 驚きのあまり大きな声が出てしまい、数人がこちらを見た。その中には裕弥も含まれていて、なんだか余計に恥ずかしい。

「急に変なこと言わないでよ」

 テーブルに肘をつき、頭を低くして文句を言う。

「だって彼、女慣れした遊び人として有名だから」

 莉子も舞菜香に合わせて姿勢を低くして言い返す。
 その言葉に舞菜香は、一人で来店した彼が、偶然居合わせた女性客に声をかけられていたことを思い出す。
 モデルかと思うほど存在感のある美女が彼に話しかけて、仲良く一緒に酒を飲んでいた。
 舞菜香は途中で店を出たので、二人がその後どうなったかは知らないが、美男美女が並んだ姿は絵になっていた。
 あんな美女と気後れせずに酒が飲める裕弥は、確かに女性慣れしているのだろう。
 だけど……

「さっきも言ったけど、たまに見かけるくらいで、彼の名前も知らなかったんだから。口説かれるなんてあるわけないでしょ」

 舞菜香の説明に、莉子は唇を尖らせる。

「なんだ、つまらない。舞菜香は美人だから、てっきり榛原さんが舞菜香を口説いてフラれたのかと思った」

 莉子には悪いが、舞菜香は至って平凡な顔立ちで美人というわけではない。
 小顔でぱっちりした二重ふたえの目をしているが、鼻や唇は小ぶりで、華やかな印象はない。
 中肉中背で印象に残るような特徴もなく、自慢できるとすれば、肩の少し下まで伸ばした髪の手触りの良さぐらいだろうか。
 舞菜香の髪は生まれつき色素が薄く、つややかでパーマをかけているような癖がある。それでいて、指で梳くと、絡まることなくさらさらしている。

「なんで榛原さんがフラれること前提なの?」
「だって舞菜香、遊び人にナンパされてもなびかないでしょ」
「確かにそうだけど、向こうにだって選ぶ権利があるんだから、私に声をかけたりしないわよ」
「そう? さっき榛原さん、舞菜香に気付いて嬉しそうだったけど」

 莉子の言葉に苦笑する。

「まさか。私と莉子が知り合いだったことに驚いていただけでしょ」

 そう言ってピザをかじると、莉子もピザを手に取って口に運ぶ。
 その味に驚いたのか、片手で口元を隠して目を見開く。

「なにこれ、すごく美味しい」
「でしょ。隠し味の柚子胡椒が絶妙なの」

 舞菜香は施工を請け負ったのをきっかけに会社の人たちと店を利用して以来、すっかり花いちのファンになってしまった。
 それは裕弥も同じらしく、結構な頻度でこの店で見かけている。だが、一度だって口説かれたことはない。
 莉子の言葉は冗談として聞き流し、その後は二人でおしゃべりと料理を心ゆくまで楽しんだ。
 帰り際、会計の段になって、裕弥が舞菜香への誕生日プレゼントとして、自分たちの会計まで済ませていたと知って驚かされた。
 しかもお礼を言おうにも、すでに店に彼の姿はなかった。
 あっけらかんとした性格の莉子はそれを知って、「さすが遊び人。行きずりの女性にも優しさを忘れない」と笑っていた。
 親の会社が彼の会社と付き合いがあるので、気にしていないようだ。
 舞菜香としては少々申し訳なく思うのだけど、もともと今日の食事は、誕生日プレゼントに莉子におごってもらう予定だったので、彼女が気にしていないのであれば、深く考えないでおくことにした。


 莉子と楽しいひとときを過ごした翌週の火曜日。
 三羽ホームのオフィスで来客用の飲み物を用意しながら、舞菜香は軽く両頬を叩いて自分を鼓舞していた。
 ついでに左右の人さし指で頬を押し上げ、表情筋に無理やり笑みを刻む。
 三羽ホームは、大手住宅メーカーで経験を積んだ所長の三羽が、独立して開業した建築デザインの会社だ。最初は大手の下請けの仕事が多かったそうだが、舞菜香が就職する頃には、完全に独立した形で仕事を請け負っていた。

「橋詰さん、なにやってるの?」

 給湯室の前を通りかかった先輩社員の長峰良彦ながみねよしひこに声をかけられた。
 壁紙の色見本などの分厚い資料を何冊も抱えている長峰は、資料の一番上を自分のあごで押さえてバランスを取っている。
 栄一と同期の彼は男性にしては小柄な方なので、ちょっと大変そうだ。

「お客様用のお茶を淹れていました」

 嘘にならない嘘をついて、舞菜香は湯呑みに急須のお茶をそそぐ。
 本当は今から打ち合わせをするクライアントが苦手なので、先に一人でお茶を出すのがイヤで、長峰が来るのを待っていたのだ。
 今日の打ち合わせは、舞菜香と長峰で対応することになっている。
 人数分のお茶をお盆に載せた舞菜香は、長峰と共に廊下を歩く。

「今日のクライアント、橋詰さんの元同級生なんだってね」

 隣を歩く長峰が言う。

「はい。特に仲が良かったわけでもないんですけど、どこからか私がここで働いていることを聞きつけて、わざわざ仕事の話を持ってきてくれたんです」

 ちょっと投げやりな口調になってしまうのは、その同級生が、先日莉子が話題にしていた安達だからだ。
 現在の彼女は父親が社長を務めるエステ店の統括マネージャーをしているそうで、古くなったテナントの内装リフォームを相談したいとのことだった。
 これまでの打ち合わせは所長と舞菜香が対応したので、長峰が彼女に会うのはこれが初めてになる。

「ご迷惑をおかけしたらすみません」

 前回の打ち合わせのことを思い出し、とりあえず先に謝っておく。

「元同級生のせいか話が脱線しがちだってことは、所長から聞いてるよ。女子のおしゃべりには慣れているから気にしなくて大丈夫だ」

 姉と妹に挟まれて育ったという長峰が、可愛いものだと言いたげに笑う。

「そう……ですか」

 たぶん長峰が想像しているような可愛い状況にはならない。
 しかし説明するには時間が足りないので、流れに任せることにする。
 安達を案内した応接室のドアをノックしようとした時、中から彼女の笑い声が聞こえてきた。
 それに続いて、鼻にかかった甘い声で話すのも聞こえてくる。
 ――電話中?
 だとしたら、少し待った方がいいだろうか?
 判断を仰ぐべく長峰に視線を送った時、彼女の声にこたえるように男性の声が聞こえてきた。
 一瞬スピーカーで話しているのかとも思ったけど違う。話している内容までは聞き取れないが、その声には聞き覚えがある。
 声の主が誰であるのか思い至った瞬間、冷たい手に心臓を鷲掴みにされたような衝撃に襲われ、舞菜香はノックをするのも忘れて応接室のドアを開けた。

「失礼します」

 盆を片手で支えてドアを開ける。
 声と同時にドアを開けたことで、咄嗟とっさの反応ができなかったのだろう。椅子に座る安達のすぐ脇でテーブルに腰を預けて話し込んでいた男性社員が、舞菜香たちが部屋に入ってきたのを見て慌てて立ち上がった。
 そのかたわらで、安達が一瞬目を丸くした後で意地の悪い笑みを浮かべたのを、舞菜香は見逃さなかった。
 露骨に自分をあざ笑う安達の表情に、背中にイヤな汗が浮かぶ。

「南野君、なにをしている? 今日の打ち合わせに、君は関係ないだろう」

 安達の横に立つ男性社員を見て、長峰が怪訝けげんな顔をする。
 その言葉に、彼、南野栄一が「いやぁ」と頭を掻く。
 どこかこちらをバカにした雰囲気をにじませる栄一の態度に、長峰が小さく苛立つのがわかった。
 同期である長峰と栄一は、お互いをライバル視している節がある。

「一人で待たされて暇だったから、私が引き止めたんです」

 自分の見せ方を熟知した隙のないメイクをほどこしている安達は、ビジネスマナーのお手本にできそうな笑みを浮かべた。
 どこか作り物めいた完璧なメイクと笑顔で、安達はスーツの上から栄一の腕に指を滑らせる。

「ああ……そういうことなら」

 クライアントにそう言われてしまえば、それ以上注意するわけにはいかない。
 長峰は言葉尻を弱くする。

「じゃあ俺は自分の仕事に戻ります」

 軽く頭を下げて、栄一は、舞菜香と目を合わせることなく部屋を出て行く。

「お待たせして申し訳ありませんでした」

 資料をテーブルに置き、名刺を渡して挨拶あいさつをした長峰が椅子を引く。
 舞菜香もそれぞれの前にお茶を置いて、長峰の隣に腰を下ろした。

「このお茶、橋詰さんがれたの?」

 頬杖をついた安達は、もう一方の手に持った湯呑みを揺らす。

「はい。宇治の玉露をれさせてもらいました」

 舞菜香が頷くと、安達の眉間にしわが寄る。

「わざわざ自分でれたお茶を出されてもね。ペットボトルのお茶の方が信頼できるんだけど」
「先日の打ち合わせの際、そのようにしたら、人間味に欠けると言われたのは安達さんの方かと思いますが?」

 舞菜香は笑顔で返す。
 彼女のワガママぶりを重々承知している身としては、クライアントだからといって、必要以上に下手に出ることはしない。

「もちろん気まぐれなお客様の希望にお応えできるよう、ペットボトルの日本茶の他に、コーヒーと紅茶も準備してあります」

 ついでに言えば、各種茶葉やコーヒーの挽き豆も準備してある。
 舞菜香がそう伝えると、安達が湯呑みをテーブルに戻した。
 隣では長峰が驚きの表情を浮かべている。もちろん普段の舞菜香は、クライアントにこんな態度は取らない。
 だからこそ、このやり取りで察するものがあったのだろう。
 背筋を伸ばして表情を引き締める。
 それから約一時間、どうにか打ち合わせを終えて安達を見送った長峰は、椅子に背中を預けて天井を仰いだ。

「なんだろう、橋詰さんが苦労しているって話しか記憶に残ってない」
「彼女が好き勝手に話を盛っているだけで、苦労はしていないですよ」

 長峰の感想に、テーブルを片付ける舞菜香は苦笑する。
 先ほどまで続いた打ち合わせで、安達は仕事の話はそっちのけで、舞菜香の父が橋詰鉱業という会社の社長だったことを話した。しかしその会社は、海外支社を任せていた社員の不祥事を引き金に信頼を失い倒産したことも。結果、舞菜香はそれまで通っていた名門と名高い大学の付属校をやめ、引っ越した先の公立学校に転校したことなど、今回の打ち合わせに全く関係のない話を、安達は延々と語っていたのだ。
 しかもその言葉の端々に、舞菜香へのさげすみをあらわにしていた。

「校名を聞いてマジで驚いた。橋詰さんが元お嬢様って噂は聞いたことはあったけど、本当にセレブだったんだな」

 安達の勢いに当てられて疲れたのか、すぐには動く様子のない長峰がからかってくる。
 三羽ホームは社員数二十人程度のアットホームな職場だ。親しい人には自分の過去を話すこともあるので、長峰もそれを耳にしたのだろう。

「若者の適応能力をなめないでください」

 舞菜香は陽気に笑う。
 お嬢様ぶるつもりはないが、最初の頃は家の狭さや、それまで通っていた学校と公立学校のカリキュラムの違いに戸惑った。
 だけど全ては舞菜香が中学生の時の話なのだ。
 すぐに慣れたし、新しい学校でも友達に恵まれて、楽しい日々を送ることができた。

「ご両親は元気なの?」

 安達が舞菜香の親のことも、好き勝手に言っていたので心配になったらしい。
 でもそれは、全て舞菜香の不幸を願う安達の勝手な妄想だ。
 舞菜香は肩をすくめる。

「両親も元気ですし、普通に働いています」

 確かに父の会社は倒産したが、それで人生が終わるわけではない。
 長年人の縁を大事にしてきた父は人望も厚く、おかげで知人の紹介を受けて再就職を果たし、今は真面目に会社員として働いている。母も家事のかたわらパートに出て家計を支えてきた。
 舞菜香が社会に出た今は、二人共のびのび暮らしている。
 確かに倒産して社名は失われたが、父は保身をはかることなく、残される社員の雇用継続を条件に様々な権利を譲渡し、別企業に業務を引き継いでもらうことができた。おかげで、周囲に与える迷惑は最小限に留められたのではないかと思う。
 舞菜香を目の敵にしている安達には悪いが、橋詰家の人間は会社の倒産後も幸せに暮らしている。

「しかしこれ、本当に仕事に繋がるかな?」

 今日の打ち合わせに備えて準備した企画書をペラペラめくりながら、長峰がうなる。
 舞菜香も、それに関しては謝るしかない。

「仕事に繋がらなかったらすみません」

 舞菜香としても、安達は、仕事の依頼を口実に自分に嫌味を言いに来ているだけではないかという気がしている。

「普通に話を進めていても契約直前に白紙になることはよくあるんだから、気にする必要はないさ。これまで橋詰さんの紹介で仕事に繋がった案件もいくつもあるんだ、たまにはこういうパターンもあるさ」

 これまで父の知人や、以前の学校の友達が、舞菜香を介して三羽ホームに仕事の依頼をしてくれたことが何度かある。
 もしかしたら安達は、共通の知人からそういった情報を耳にして、今回依頼してきたのかもしれない。

「ありがとうございます」

 気にする必要はないとはげます長峰に、舞菜香はお礼を言う。
 雑談を交わしたことで気分が切り替えられたのか、長峰も資料をまとめて立ち上がる。

「しかし、南野は、あんな高飛車なお嬢様の相手をよくできたな。軽薄さが鼻につく時もあるが、アイツのコミュ力の高さは尊敬するわ」

 お互いライバル視をしていても、長峰は相手の長所は正しく評価する人だ。
 何気なく放たれた長峰の言葉が、舞菜香の心に嫌な余韻を残す。
 栄一との交際のきっかけは彼からの猛烈なアプローチで、舞菜香は社交的で明るい栄一の性格を好ましく思い交際を始めた。
 コミュ力の高い栄一の姿は、人との縁を大事にする父の姿に通ずるものがあると思ったからだ。
 恋人として、アクティブで社交的な栄一の性格を好ましく思う反面、人脈を広げることに貪欲すぎる気がして、時にそれが舞菜香を不安にさせる。
 以前、莉子に紹介した時も、すぐに打ち解けて積極的に話しかけていた栄一の姿に多少モヤモヤしたのを思い出す。
 ――私の気のせいだよね。
 舞菜香の人生で、恋人がいたことは数えるほどしかない。
 恋に不慣れだから、彼が他の女性と親しくしている姿に、こんなにモヤモヤしてしまうのだ。
 舞菜香は無理やり自分を納得させて、長峰と一緒に会議室を後にした。



   2 誕生日の前夜に


 金曜日、栄一と共に誕生日を祝うために予約しておいたレストランの窓辺で、舞菜香は一人外の景色を眺めていた。
 この創作フレンチ店はかなりの人気があり、週末に席を取るには早い時期から予約を取っておく必要がある。
 ――ネットの書き込み通り、夜景が綺麗だな。
 用意されていたのは窓際の席で、食事をしながらきらびやかな都心の夜を楽しむことができる。
 ネット予約をする際、栄一が利用目的の欄に【誕生日祝い】と書いたのだろう。到着した時にはすでに、テーブルの真ん中に『Happy Birthday』のメッセージカードが添えられたささやかな花束が置かれていた。
 それは店側のおもてなしの気持ちの表れで、誰かを恨んだり、泣いたりするようなことではない。
 頭ではそう理解していても花束を直視できなくて外を眺めていると、向かいの椅子が引かれる音がした。
 見ると、舞菜香の向かいの席に腰を下ろそうとする莉子と目が合った。

「待たせてごめん。仕事が長引いちゃって」
「急に呼び出してごめんね」

 莉子は謝る舞菜香の声には聞こえないフリをして、店内を見渡すと「いい席じゃん」とはしゃぐ。

「こんな店、舞菜香より安達を選ぶようなクズ男と来るなんて勿体もったいないよ。今日の予定を空けておいて良かった」

 莉子の言葉に、舞菜香は視線を落としてそっと笑う。
 ホールスタッフが莉子の分のグラスを運んできた。そのついでに、メニューの説明をする。
 楽しそうにメニューの内容を確認する莉子に注文を任せて、舞菜香はここ数日のことを思い出す。
 安達が三羽ホームを訪れた日、会議室で彼女と話す栄一の姿に嫌な予感はしていたのだ。
 そしてその予感は的中し、今日の午後、栄一に別れを告げられた。
 正しくは、打ち合わせを口実に突然会社を訪れた安達に、『彼は私と付き合うことになったから』という形で告げられたのだ。
 その証拠にと見せてくれた安達のスマホの中には、ラグジュアリーなホテルと思われる場所で、仲睦まじくしている彼女と栄一の姿が収められていた。
 しかも安達は、栄一から聞いた話として、倒産後の舞菜香一家の暮らし向きをバカにするような話を散々してきた。
 三羽ホームの打ち合わせに安達が訪れるより前から、二人が知り合いだったとは思えない。安達が栄一と付き合うことにしたのは、彼が舞菜香の恋人と知ったからだろう。
 そして今日、栄一が舞菜香の誕生日祝いをする予定を待って、そのことを報告したのだ。

「私、安達さんにそこまで嫌われることしたかな?」

 呟いた舞菜香の鼻先で“パン”と乾いた音がした。
 驚いて視線を上げると、莉子が舞菜香に向けて腕を伸ばし、両手を合わせていた。

「舞菜香、あの男とよりを戻したいの?」
「まさかっ!」

 舞菜香は目を丸くする。
 あんなひどい裏切りを受けて、彼との関係を続けたいなんて思うはずがない。
 最初に誘ったのは安達かもしれないが、それに応じたのは栄一だ。
 栄一への未練を微塵みじんも感じさせない舞菜香の様子を見て、莉子はそれでいいと頷く。

「じゃあ、この話は終わり。私は友人の誕生日を祝いに来たんだから」

 そう言った莉子は、「ただ舞菜香の未練を完全に断ち切るために、これだけは言わせて」と前置きして、以前舞菜香と三人で会った時に、栄一から連絡先を聞かれたり、舞菜香の隙を盗んで二人で会う約束を持ち掛けられたりしていたのだと教えてくれた。
 それを聞けば、栄一との交際に、莉子が物言いたげな態度だったことにも合点がいく。
 莉子に言わせると、栄一は舞菜香と交際することで、自分の人脈を広げたかったのではないかということだ。
 元橋詰鉱業の社長令嬢である舞菜香には、今もそれなりの人脈がある。

「ごめん。全然気付かなかった」

 謝る舞菜香に、莉子は「私こそごめん」と、謝ってきた。

「アイツにかぎらず、私と話しながら、私じゃなくて親を見てるなって感じる人はよくいるから。だからアイツのことは好きにはなれないけど、舞菜香に言うほどではないなって思ってたの。舞菜香のことは、大事にしてくれているみたいだったし」

 莉子が言う通り、これまで栄一は舞菜香のことを大事にしてくれていたと思う。
 このレストランだって、彼が今日のために予約してくれたのだ。
 それでいて、安達と付き合うことになった途端、予約のキャンセルまで舞菜香に押し付けてきた。だから、急なキャンセルは店にも申し訳ないと思い、莉子に付き合ってもらって利用することにしたのだ。

「結局は私、彼に利用されていただけなんだ」

 言葉にすると、その事実が胸に重くのしかかる。
 きっと彼はこれまでも、利用価値のある女性と交際して、それ以上に価値がある存在が現れれば乗り換える。そんなことを繰り返してきたのだろう。
 安達によると、栄一は倒産したとはいえ、元は一流企業を経営していた橋詰家にはもっと財産があると思って口説いたのに、舞菜香の家が貧乏でガッカリしたと愚痴っていたそうだ。
 舞菜香としては誠実な恋愛をしていると思っていただけに、彼のそんな打算的な面を見抜けなかったことが情けない。
 そうやって暗い方に傾いていきそうになる舞菜香の心を、莉子の明るい声が引き止める。

「はい。今度こそこの話終わり」

 もう一度軽く手を打ち鳴らし、莉子はさっさと話題を変えてしまう。

「そんなことより、私の職場にいるムカつく上司の話を聞いてくれない?」

 そう切り出した莉子は、そのまま最近新しく上司になった人に対する愚痴を零す。とはいっても、笑える話ばかりだ。
 社交的で話好きな莉子の語り口調は軽快で、聞き役の舞菜香は、どちらかといえばしょうもない二人の対立構造に声を出して笑ってしまう。

「誕生日祝いなのに、愚痴ばっかりでごめんね」

 コース料理の途中で、ひとしきり上司への愚痴を零した莉子がそう謝ってきたけど、舞菜香にはそれが彼女なりの気遣いなのだとわかっている。
 莉子の話のおかげで、落ち込んでいた気持ちがかなり軽くなった。
 ――大丈夫。
 友人のその優しさに感謝して、舞菜香は自分にそう言い聞かせた。
 栄一の裏切りには、正直かなり傷付いている。
 愛されていると思っていた相手に利用されていたという事実は、自分の存在を全否定されたような苦しさがあった。
 それでもこうやって、傷付いた自分に寄り添ってくれる友人がいるのだから、またちゃんと元気を取り戻すことができる。
 舞菜香が気持ちを立て直して残りの料理を食べ終えると、莉子が二人分の食事代を払うと言った。

「私が呼び出したんだから、私が払うよ」

 急な誘いにもかかわらず、駆けつけてくれただけでも感謝しているのだ。
 それなのに彼女は、自分が払うと言って譲らない。

「だって私、もとから今日の予定は空けておくって言っておいたでしょ。誘ってもらえて感謝しているくらいだよ。それにこの前の支払いは、通りがかりの遊び人が済ませてくれたから、私はお金を出していないしね」

 その言葉に、裕弥の顔を思い出す。今週は忙しくて花いちに行けていないが、今度会ったら彼にもお礼を言わなくてはいけない。

「でもここ、結構するよ」
「その分、私の誕生日に期待してる」

 莉子がニシシと笑う。

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