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番外章:モジュレーション:零れ落ちた七楽章
第一楽章:狂詩曲(ラプソディ):欲望の暴発
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風和らぐ早春の朝。高級料亭の庭園では、桜の蕾が今にも弾けそうに膨らんでいる。 朝の五時に叩き起こされた石小路真翠は、まるで行き場のない人形のように、家族の手によって着飾られていた。身に纏っているのは、正月の参拝でしか袖を通さないような、豪奢な振袖だ。重厚な帯が胸元を締め付け、彼女の呼吸を浅くさせる。
待合室で両親と共に座りながら、真翠は絶望に近い思いでリストを眺めていた。家族が彼女のために選んだ、最初の見合い相手。しかも、石小路の家はそんな男を三十人も用意していた。 (一体どこから、これほど多くの男を集めてきたというの……)
かつて、母は優しく語ってくれたことがあった。「うちの娘は、商品のように選ばれる必要なんてないわ。お父さんと私のように、自由に出会って、愛する人と結ばれてほしいの」と。 けれど、結局のところ、父は一族からの圧力に抗いきれなかった。真翠の意向など無視され、見合いの場が整えられた。
真翠にも、一人だけ心の中に住み着いている人がいた。十七歳の時に出会い、十二年もの間、彼女の視界の端にずっと居座り続けている人。今年で二十八歳になる真翠を、独身のまま留まらせてしまった元凶。 石小路の本家に巣食う老人たちは、「石小路の娘が三十歳を過ぎても独身でいれば、一族に災いをもたらす」という迷信を、本気で信じている。
真翠は正座したまま、不意に込み上げてきた吐き気に襲われた。 「……ごめんなさい、お手洗いに」 両親に短く謝罪し、彼女は逃げるように廊下へ飛び出した。重い裾をさばきながら必死に走る。
曲がり角で、向かいから来た家族連れとぶつかりそうになり、真翠は反射的に頭を下げた。その家族の真ん中にいた、自分と同年代と思われる男が、真翠の姿を一瞥するなり露骨に嫌悪と蔑みの表情を浮かべた。
真翠は自覚している。自分は決して、目を引くような美人ではない。取り立てて目を引くところのない、白い紙のように淡白で特徴のない顔。高校の三年間も、大学の四年間も、一度も異性から興味を持たれたことのない、浮いた話とは無縁のタイプ。 だからこそ、十二年もの間、あのあまりにも美しすぎる星野煌人を片恋し続けてしまった。
(……ダメ。今は考えちゃダメ) 真翠は首を振り、脳裏にこびりついた煌人の顔を追い払おうとした。けれど、振り払えば振り払うほど、その端正な顔立ちは鮮明になっていく。 ふと、無意識につかんできたハンドバッグの中を確認した。財布、スマートフォン。そして、一本の鍵。星野煌人のマンションのスペアキーだ。
昨日、通勤用のリュックから和装用の小さな手提げに中身を移し替えた際、これを入れた記憶はない。けれど、そこにある。 気づいた時には、彼女はタクシーの座席に座っていた。口をついて出たのは、自分の実家の住所ではなく、煌人のマンションの住所だった。
マンションの麓に着いた時、真翠は我に返って狼狽えた。今日は土曜日だ。煌人は、きっと部屋にいる。 (……どうせ、いつものように毒舌で貶められるだけ。そうしたら、美味しいお昼ご飯でも作ってもらおう) お腹が空いていた。心も、身体も、ひどく空虚だった。
エレベーターに乗り、心臓が激しく鼓動しているのを感じる。ドアの前で鍵を差し込み、ゆっくりと回した。 部屋の中には、案の定、彼がいた。一分の隙もないルームウェアを纏い、膝の上にノートパソコンを置いている。画面を見つめる真剣な眼差し。真翠は立ち尽くした。煌人が自分に気づくのを待つしかなかった。
やがて、煌人が顔を上げ、真翠の姿を捉えた。 「……へぇ。成人式に出直したいわけ? 残念だけど、年齢制限オーバーだよ」 やはり、可愛げのない口だ。真翠は目眩がして、苦しげな表情で彼を見つめた。 煌人の表情が、わずかに強ばった。 「真翠。……おいで、抱っこしてあげる」
思考よりも先に身体が動いた。小鳥が巣に飛び込むように、真翠は煌人の腕の中に身を投げた。孤独な夜に夢想した温もり。けれど、耳に届いたのは甘い言葉ではなかった。 「真翠。僕の女になれよ。そうすれば、助けてやる」 それは愛の告白ではなく、弱みに付け込んだ冷酷な取引だった。
煌人は、呆然とした真翠を抱き上げ、寝室のベッドの上に彼女を横たわらせた。煌人が覆い被さってくる。片手で真翠の腰を固定し、もう片方の手で彼女の頭をぽんぽんと叩いた。 「嫌なら抵抗しろ。……今ならまだ間に合うぞ」 真翠は応えなかった。ただ、縋るように彼の背中に手を回し、小さく首を横に振った。 「始めたら、もう止まらないからな。……あとで泣いても知らないぞ」
煌人の手が振袖の帯の結び目にかけられ、器用に解いていく。 高級な和服が、一枚、また一枚と剥がされ、絨毯(カーペット)の上に乱雑に捨てられていく。まるで一輪の散り際を過ぎた荼蘼(たび)の花のように見えた。 彼はその純白の和装下着の中に両手を差し込み、狂ったように弄る。
「真翠の胸、大きいな」 「言わないで……恥ずかしいわ……っ」 「いつの間にこんなに大きく育ったんだ?」 「そんなの……私に、わかるわけない……っ」 「なら俺に聞いてみろ。俺なら……はぁ……知っているかもしれないぜ」 「……知りたくないわ」 「おや、知りたくないのか。……将来知りたくなったら、その時に教えてやるよ」
同時に、真翠の秘所を包んでいた最後の布地――純白の絹を剥ぎ取った。彼はすでに凶暴なまでに昂ぶり、怒張した熱い塊を、真翠の湿った入り口に力任せに押し当てた。 「嫌、煌人、お願い……っ」 彼は唇を重ね、歯列をこじ開けて真翠の懇願を封じ込めた。それと同時に、下半身をゆっくりと繋いでいく。 「あ……っ、痛い……!」 「真翠、いい子にしろ。すぐに気持ちよくなる」 「嫌……もう嫌……っ」 「さっきチャンスを与えてやったのに……今はもう、止まらないんだ」
煌人は真翠の耳元で、せき立てるような荒い呼吸を吐きながら、徐々に力を強めていく。 未経験の女性特有の「天然の障壁」に突き当たると、真翠はその未知の感覚に戸惑い、煌人の背中を強く抱きしめることしかできなかった。 真翠の密着に刺激され、最後の一線を繋ぎ止めていた理性が弾け飛ぶ。 彼は、一気に真翠の身体を貫いた。
「あ……っ、痛い……!」 真翠は彼の唇を振り払った。煌人は満足げに笑い、一度引き抜く。指先には、鉄錆の匂いがする鮮紅の、粘り気のある血がついていた。 「真翠、見ろ。……お前はもう、俺のものになったんだ。……もう、元には戻れないよ」
真翠は煌人の指先に滲む嫣紅をはっきりと見てしまい、すべてが荒唐無稽だと感じた。煌人はその血を拭い去ることなく、自らの口に入れ、陶酔したようにその味を確かめた。 再び真翠の胸元に顔を埋め、執拗に弄り、愛撫し続ける。片方の乳首を舐め上げ、もう片方を手で休むことなく愛撫し続けた。
「だめ、煌人、激しすぎる……っ」 「ハニー、お前の胸は本当に誘惑的だ」 「そんな、そんなこと言わないで……っ」 「ハニー、知ってるか? 金沢のあの老害どもも、本当に価値の分かってない連中だな。本気でお前を売りたいなら、和服なんて無粋なもの着せるべきじゃなかった。――ホステスのカクテルドレスでも着せて、この胸をこれでもかと強調させればよかったんだ。お前にはそれ以外、男を惹きつける魅力なんてないんだからな。」
その侮辱が彼女の意識を絶望へと叩き落とした。煌人は再び耳元に顔を寄せ、くすくすと喉を鳴らした。 「おっと、忘れていたよ真翠。お前にはもう、他へ行く資格なんてなかったな。お前は俺のものだ。……俺だけの、所有物になったんだから。」
欲望の塊が、再び真翠の湿りきった最奥に突き立てられる。 「あ……っ、痛い……! お願い、煌人、抜いて……っ!」 「ハニー、これでも手加減してるんだぜ? ……で? 金沢のあの老害どもは、何人の男を用意したんだ」 「さ……っ、さ……」 「……3人か。そんな数にビビって俺のところに逃げてきたのか、お前は」 真翠が震える唇で吐き出したのは、あまりにも異常な数字だった。 「……30……にん……」
一瞬、煌人の動きが完全に止まった。 「……何人だと?」 「30人……。」 声から一切の温度が消えた。 (――俺の、たった一人の……大事な真翠に、なんて真似を……! 受けるはずのない屈辱を味わせやがって、あの老い損ない共……!)
「……そいつらとは、何人会ったんだ。1人残らず顔を合わせたのか?」 「……ない……っ。誰にも会わずに、ここに来たの……っ!」 煌人の喉が、獣のように低く鳴った。怒りの頂点で、脳を焼くような歪んだ悦びが駆け巡る。 「……ふん。一目散に俺のところに逃げてきたわけか」
彼は猛烈な速度で抽動(ピストン)を開始した。 「……っ、いやぁっ! やめて……激しすぎる……っ!!」 「やめて、だと? ……いいぜ、だったら『30回』だ。他の男の顔なんて、2度と思い出せないようにしてやる。……ちゃんと数えろ。1回でも間違えたら……最初からやり直しだ」
「1……っ、はぁ……2……っ……3……」
「いい子だ……ご褒美にキスしてやる。んっ、んぅ――」
「んっ…はぁ…はぁ…んっ…っ」
「いくつだ? キスが気持ちよすぎて数えるのを忘れたか? ……もう一度最初からだ」
「1、2、3……う、んっ!」
「気持ちいいか? 真翠……お前みたいな魅力のない女、俺くらいしか相手にしないぜ。さあ言え、煌人様に感謝しますと」 「言わない……っ」 「口の減らない奴だ……だが下は……俺の形に合わせて迎合してるぜ。早く数えろ!」
「4、5、6……18、19、20……っ」
「いい子だ。あと10回だ、腰を上げろ」 「嫌……っ、深すぎる……ダメ……っ」 真翠は拒絶しながらも、逃げ場のない快楽に流されるまま、弱々しく腰を浮かせて煌人を迎え入れた。煌人はその手首を掴み、頭上のシーツへと押さえつけた。
「21……はぁ……22……23……っ、あぁっ! ……29……30……あぁっ!」
「30回……お願い、もう終わりにして……」
「誰が30回で終わりだと言った? 俺が言ったのは、30人の見合い相手、1人につき30回だ。……いつ終わるか決めるのは……俺だ。わかったか?」
「煌人、だめ、もう無理、おかしいの、私おかしくなっちゃう、壊れる、壊れちゃう、お願い……っ!」 「はぁ……壊れやしないさ……真翠……俺も、もうすぐ……あ、あぁっ!」
真翠は下腹部に熱いものが広がるのを感じた。 「ねぇ、煌人。中に、出したの……?」 「あぁ。最高に気持ちよかった」 「あの、もし……」 「怖がることはないさ。お前の生理は月初めに終わったばかりだ。今日は、大丈夫だ」
真翠はその言葉を聞いた瞬間、背筋が凍るのを感じた。淡々とした口調の中に潜む狂気に気づき、そのまま反対側に寝返りを打ち、煌人の顔を見ることができなかった。 (……どうして私、この人のところに来ちゃったんだっけ……) そんな思考さえ、今はもう霧の向こう側だ。 (……もう、いいや。どうせ何一つ、手に入らないんだから) 虚無感だけが、熱を持った身体の底へと沈んでいった。
煌人が浴室へと消え、静かな水音が響き始める。その音を聞きながら、真翠は悪夢から覚めたように、ようやく意識をつなぎとめた。 鉛のように重い身体を引きずり、ベッドを抜け出す。クローゼットを開け、彼が普段使っている目立たないスウェットを手に取った。彼にはジャストサイズでも、真翠が着るとぶかぶかだった。けれど、今の彼女にそれを気にする余裕などなかった。
リビングへ向かい、冷蔵庫のメモ板に、極めて公式的な伝言を刻む。 『明日、18時。石小路宅』 それは恋人への言葉ではなく、あまりにも無機質な通告だった。
西日に染まる街をタクシーで抜け、石小路宅へたどり着いた。 玄関を開けると、リビングには焦燥しきった両親が待っていた。怒鳴られると思っていた真翠を待っていたのは、母の拍子抜けするほどの穏やかな問いかけだった。 「真翠……大丈夫なの?」 「ごめんなさい、心配をかけて」 父が困ったような、申し訳なさそうな表情で口を開いた。 「真翠、今日のお見合いの件だが……気にする必要はない。実は、向こうも断りに来たんだ。男性の方には、すでに将来を誓った相手がいたそうでな。だが、次の機会は……」
(――お見合いは、最初から不成立だったのね) 自分が必死に逃げ出した場は、自分がいなくても勝手に終わっていた。その事実が、真翠の空虚さをさらに深めた。 「お父さん、お見合いはもう、すべて断ってください。……明日、星野君が改めてご挨拶に伺います」 「煌人くんが? ああ……そうか、二人で話をつけたんだな」 「……はい」 「そう……よかったわ、本当によかった」 「お母さん、私……疲れたから、もう休むわ。明日のことは、星野君に直接聞いて」 「どうぞおやすみなさい、今日は疲れたでしょう」
自室に戻り、真翠はベッドに倒れ込んだ。泣きたいのに、涙は一滴も出てこない。 (私は……星野煌人の女になったの? 恋人でも、彼女でもなく、ただの……「女」?) その歪な関係を理解するには、彼女の心はあまりにも摩耗していた。だから今は、ただ眠るしかなかった。
翌日の夕刻。食事を前に、煌人は非の打ち所のない礼儀正しさで石小路家の和室に迎え入れられた。高価な菓子折りを携え、謝罪のために深々と畳に頭を下げるその姿を、真翠は彼の後ろで跪いたまま冷ややかに見つめていた。彼女には理解できなかった。なぜ、今日の彼と昨日の彼が、これほどまでに別人のようなのか。
「昨日は私の軽率な振る舞いで真翠の見合いを壊し、そのまま連れ去るような真似をし、ご両親には多大なご心配をおかけしました。心よりお詫び申し上げます」
真翠の父は、目の前に座る若者を見つめた。自分の息子と何ら変わらぬほど優秀な青年だ。 「昨日のことは、もう責めはしない。だが煌人君、我が娘と交際する覚悟があるのなら、石小路家の家訓に従ってもらわねばならん」 「はい。何なりと」 「石小路の娘は、結婚の日まで清らかであるべきだ。……婚前交渉は一切認めない。これを受け入れられるか?」
その言葉が響いた瞬間、昨日すでに越えてはならない一線を越えてしまった事実を思い出し、煌人の背筋に凍りつくような戦慄が走った。 (――なんてことをしてしまったんだ。昨日、俺は……!) 後悔が、どす黒い波となって彼を襲う。なぜ、あんなにも軽率だったのか。真翠を愛し、守り抜くと誓ったはずの自分が、誰よりも先に彼女を傷つけてしまった。 煌人は拳を握りしめ、冷や汗を流しながらも、必死に声を絞り出した。 「……はい。承知いたしました」
真翠はその後ろ姿を眺め、ただ虚無感に浸っていた。この男が、ますます理解できなくなる。 夕食を終え、玄関先まで煌人を送る道中、真翠は一度も口を開かなかった。 「真翠。ご両親が見てる。……少しだけでいい、抱きつかせてくれ。じゃないと怪しまれる」 煌人が耳元で低く囁く。真翠は感情を殺し、表情を和らげ、玄関を出る際に彼に軽く抱きしめられるのを許した。 「続きは明日、会社で話そう。ご両親を心配させるなよ」
そう言って、彼は優しく真翠の頭を撫で、門の内にいる真翠の両親へ再び礼儀正しく致意を示して去っていった。 遠ざかっていく聞き慣れた車のテールランプを見つめながら、真翠はただ、彼が自分から絶望的なまでに遠くへ行ってしまったことだけを感じていた。
待合室で両親と共に座りながら、真翠は絶望に近い思いでリストを眺めていた。家族が彼女のために選んだ、最初の見合い相手。しかも、石小路の家はそんな男を三十人も用意していた。 (一体どこから、これほど多くの男を集めてきたというの……)
かつて、母は優しく語ってくれたことがあった。「うちの娘は、商品のように選ばれる必要なんてないわ。お父さんと私のように、自由に出会って、愛する人と結ばれてほしいの」と。 けれど、結局のところ、父は一族からの圧力に抗いきれなかった。真翠の意向など無視され、見合いの場が整えられた。
真翠にも、一人だけ心の中に住み着いている人がいた。十七歳の時に出会い、十二年もの間、彼女の視界の端にずっと居座り続けている人。今年で二十八歳になる真翠を、独身のまま留まらせてしまった元凶。 石小路の本家に巣食う老人たちは、「石小路の娘が三十歳を過ぎても独身でいれば、一族に災いをもたらす」という迷信を、本気で信じている。
真翠は正座したまま、不意に込み上げてきた吐き気に襲われた。 「……ごめんなさい、お手洗いに」 両親に短く謝罪し、彼女は逃げるように廊下へ飛び出した。重い裾をさばきながら必死に走る。
曲がり角で、向かいから来た家族連れとぶつかりそうになり、真翠は反射的に頭を下げた。その家族の真ん中にいた、自分と同年代と思われる男が、真翠の姿を一瞥するなり露骨に嫌悪と蔑みの表情を浮かべた。
真翠は自覚している。自分は決して、目を引くような美人ではない。取り立てて目を引くところのない、白い紙のように淡白で特徴のない顔。高校の三年間も、大学の四年間も、一度も異性から興味を持たれたことのない、浮いた話とは無縁のタイプ。 だからこそ、十二年もの間、あのあまりにも美しすぎる星野煌人を片恋し続けてしまった。
(……ダメ。今は考えちゃダメ) 真翠は首を振り、脳裏にこびりついた煌人の顔を追い払おうとした。けれど、振り払えば振り払うほど、その端正な顔立ちは鮮明になっていく。 ふと、無意識につかんできたハンドバッグの中を確認した。財布、スマートフォン。そして、一本の鍵。星野煌人のマンションのスペアキーだ。
昨日、通勤用のリュックから和装用の小さな手提げに中身を移し替えた際、これを入れた記憶はない。けれど、そこにある。 気づいた時には、彼女はタクシーの座席に座っていた。口をついて出たのは、自分の実家の住所ではなく、煌人のマンションの住所だった。
マンションの麓に着いた時、真翠は我に返って狼狽えた。今日は土曜日だ。煌人は、きっと部屋にいる。 (……どうせ、いつものように毒舌で貶められるだけ。そうしたら、美味しいお昼ご飯でも作ってもらおう) お腹が空いていた。心も、身体も、ひどく空虚だった。
エレベーターに乗り、心臓が激しく鼓動しているのを感じる。ドアの前で鍵を差し込み、ゆっくりと回した。 部屋の中には、案の定、彼がいた。一分の隙もないルームウェアを纏い、膝の上にノートパソコンを置いている。画面を見つめる真剣な眼差し。真翠は立ち尽くした。煌人が自分に気づくのを待つしかなかった。
やがて、煌人が顔を上げ、真翠の姿を捉えた。 「……へぇ。成人式に出直したいわけ? 残念だけど、年齢制限オーバーだよ」 やはり、可愛げのない口だ。真翠は目眩がして、苦しげな表情で彼を見つめた。 煌人の表情が、わずかに強ばった。 「真翠。……おいで、抱っこしてあげる」
思考よりも先に身体が動いた。小鳥が巣に飛び込むように、真翠は煌人の腕の中に身を投げた。孤独な夜に夢想した温もり。けれど、耳に届いたのは甘い言葉ではなかった。 「真翠。僕の女になれよ。そうすれば、助けてやる」 それは愛の告白ではなく、弱みに付け込んだ冷酷な取引だった。
煌人は、呆然とした真翠を抱き上げ、寝室のベッドの上に彼女を横たわらせた。煌人が覆い被さってくる。片手で真翠の腰を固定し、もう片方の手で彼女の頭をぽんぽんと叩いた。 「嫌なら抵抗しろ。……今ならまだ間に合うぞ」 真翠は応えなかった。ただ、縋るように彼の背中に手を回し、小さく首を横に振った。 「始めたら、もう止まらないからな。……あとで泣いても知らないぞ」
煌人の手が振袖の帯の結び目にかけられ、器用に解いていく。 高級な和服が、一枚、また一枚と剥がされ、絨毯(カーペット)の上に乱雑に捨てられていく。まるで一輪の散り際を過ぎた荼蘼(たび)の花のように見えた。 彼はその純白の和装下着の中に両手を差し込み、狂ったように弄る。
「真翠の胸、大きいな」 「言わないで……恥ずかしいわ……っ」 「いつの間にこんなに大きく育ったんだ?」 「そんなの……私に、わかるわけない……っ」 「なら俺に聞いてみろ。俺なら……はぁ……知っているかもしれないぜ」 「……知りたくないわ」 「おや、知りたくないのか。……将来知りたくなったら、その時に教えてやるよ」
同時に、真翠の秘所を包んでいた最後の布地――純白の絹を剥ぎ取った。彼はすでに凶暴なまでに昂ぶり、怒張した熱い塊を、真翠の湿った入り口に力任せに押し当てた。 「嫌、煌人、お願い……っ」 彼は唇を重ね、歯列をこじ開けて真翠の懇願を封じ込めた。それと同時に、下半身をゆっくりと繋いでいく。 「あ……っ、痛い……!」 「真翠、いい子にしろ。すぐに気持ちよくなる」 「嫌……もう嫌……っ」 「さっきチャンスを与えてやったのに……今はもう、止まらないんだ」
煌人は真翠の耳元で、せき立てるような荒い呼吸を吐きながら、徐々に力を強めていく。 未経験の女性特有の「天然の障壁」に突き当たると、真翠はその未知の感覚に戸惑い、煌人の背中を強く抱きしめることしかできなかった。 真翠の密着に刺激され、最後の一線を繋ぎ止めていた理性が弾け飛ぶ。 彼は、一気に真翠の身体を貫いた。
「あ……っ、痛い……!」 真翠は彼の唇を振り払った。煌人は満足げに笑い、一度引き抜く。指先には、鉄錆の匂いがする鮮紅の、粘り気のある血がついていた。 「真翠、見ろ。……お前はもう、俺のものになったんだ。……もう、元には戻れないよ」
真翠は煌人の指先に滲む嫣紅をはっきりと見てしまい、すべてが荒唐無稽だと感じた。煌人はその血を拭い去ることなく、自らの口に入れ、陶酔したようにその味を確かめた。 再び真翠の胸元に顔を埋め、執拗に弄り、愛撫し続ける。片方の乳首を舐め上げ、もう片方を手で休むことなく愛撫し続けた。
「だめ、煌人、激しすぎる……っ」 「ハニー、お前の胸は本当に誘惑的だ」 「そんな、そんなこと言わないで……っ」 「ハニー、知ってるか? 金沢のあの老害どもも、本当に価値の分かってない連中だな。本気でお前を売りたいなら、和服なんて無粋なもの着せるべきじゃなかった。――ホステスのカクテルドレスでも着せて、この胸をこれでもかと強調させればよかったんだ。お前にはそれ以外、男を惹きつける魅力なんてないんだからな。」
その侮辱が彼女の意識を絶望へと叩き落とした。煌人は再び耳元に顔を寄せ、くすくすと喉を鳴らした。 「おっと、忘れていたよ真翠。お前にはもう、他へ行く資格なんてなかったな。お前は俺のものだ。……俺だけの、所有物になったんだから。」
欲望の塊が、再び真翠の湿りきった最奥に突き立てられる。 「あ……っ、痛い……! お願い、煌人、抜いて……っ!」 「ハニー、これでも手加減してるんだぜ? ……で? 金沢のあの老害どもは、何人の男を用意したんだ」 「さ……っ、さ……」 「……3人か。そんな数にビビって俺のところに逃げてきたのか、お前は」 真翠が震える唇で吐き出したのは、あまりにも異常な数字だった。 「……30……にん……」
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「……そいつらとは、何人会ったんだ。1人残らず顔を合わせたのか?」 「……ない……っ。誰にも会わずに、ここに来たの……っ!」 煌人の喉が、獣のように低く鳴った。怒りの頂点で、脳を焼くような歪んだ悦びが駆け巡る。 「……ふん。一目散に俺のところに逃げてきたわけか」
彼は猛烈な速度で抽動(ピストン)を開始した。 「……っ、いやぁっ! やめて……激しすぎる……っ!!」 「やめて、だと? ……いいぜ、だったら『30回』だ。他の男の顔なんて、2度と思い出せないようにしてやる。……ちゃんと数えろ。1回でも間違えたら……最初からやり直しだ」
「1……っ、はぁ……2……っ……3……」
「いい子だ……ご褒美にキスしてやる。んっ、んぅ――」
「んっ…はぁ…はぁ…んっ…っ」
「いくつだ? キスが気持ちよすぎて数えるのを忘れたか? ……もう一度最初からだ」
「1、2、3……う、んっ!」
「気持ちいいか? 真翠……お前みたいな魅力のない女、俺くらいしか相手にしないぜ。さあ言え、煌人様に感謝しますと」 「言わない……っ」 「口の減らない奴だ……だが下は……俺の形に合わせて迎合してるぜ。早く数えろ!」
「4、5、6……18、19、20……っ」
「いい子だ。あと10回だ、腰を上げろ」 「嫌……っ、深すぎる……ダメ……っ」 真翠は拒絶しながらも、逃げ場のない快楽に流されるまま、弱々しく腰を浮かせて煌人を迎え入れた。煌人はその手首を掴み、頭上のシーツへと押さえつけた。
「21……はぁ……22……23……っ、あぁっ! ……29……30……あぁっ!」
「30回……お願い、もう終わりにして……」
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「煌人、だめ、もう無理、おかしいの、私おかしくなっちゃう、壊れる、壊れちゃう、お願い……っ!」 「はぁ……壊れやしないさ……真翠……俺も、もうすぐ……あ、あぁっ!」
真翠は下腹部に熱いものが広がるのを感じた。 「ねぇ、煌人。中に、出したの……?」 「あぁ。最高に気持ちよかった」 「あの、もし……」 「怖がることはないさ。お前の生理は月初めに終わったばかりだ。今日は、大丈夫だ」
真翠はその言葉を聞いた瞬間、背筋が凍るのを感じた。淡々とした口調の中に潜む狂気に気づき、そのまま反対側に寝返りを打ち、煌人の顔を見ることができなかった。 (……どうして私、この人のところに来ちゃったんだっけ……) そんな思考さえ、今はもう霧の向こう側だ。 (……もう、いいや。どうせ何一つ、手に入らないんだから) 虚無感だけが、熱を持った身体の底へと沈んでいった。
煌人が浴室へと消え、静かな水音が響き始める。その音を聞きながら、真翠は悪夢から覚めたように、ようやく意識をつなぎとめた。 鉛のように重い身体を引きずり、ベッドを抜け出す。クローゼットを開け、彼が普段使っている目立たないスウェットを手に取った。彼にはジャストサイズでも、真翠が着るとぶかぶかだった。けれど、今の彼女にそれを気にする余裕などなかった。
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自室に戻り、真翠はベッドに倒れ込んだ。泣きたいのに、涙は一滴も出てこない。 (私は……星野煌人の女になったの? 恋人でも、彼女でもなく、ただの……「女」?) その歪な関係を理解するには、彼女の心はあまりにも摩耗していた。だから今は、ただ眠るしかなかった。
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「昨日は私の軽率な振る舞いで真翠の見合いを壊し、そのまま連れ去るような真似をし、ご両親には多大なご心配をおかけしました。心よりお詫び申し上げます」
真翠の父は、目の前に座る若者を見つめた。自分の息子と何ら変わらぬほど優秀な青年だ。 「昨日のことは、もう責めはしない。だが煌人君、我が娘と交際する覚悟があるのなら、石小路家の家訓に従ってもらわねばならん」 「はい。何なりと」 「石小路の娘は、結婚の日まで清らかであるべきだ。……婚前交渉は一切認めない。これを受け入れられるか?」
その言葉が響いた瞬間、昨日すでに越えてはならない一線を越えてしまった事実を思い出し、煌人の背筋に凍りつくような戦慄が走った。 (――なんてことをしてしまったんだ。昨日、俺は……!) 後悔が、どす黒い波となって彼を襲う。なぜ、あんなにも軽率だったのか。真翠を愛し、守り抜くと誓ったはずの自分が、誰よりも先に彼女を傷つけてしまった。 煌人は拳を握りしめ、冷や汗を流しながらも、必死に声を絞り出した。 「……はい。承知いたしました」
真翠はその後ろ姿を眺め、ただ虚無感に浸っていた。この男が、ますます理解できなくなる。 夕食を終え、玄関先まで煌人を送る道中、真翠は一度も口を開かなかった。 「真翠。ご両親が見てる。……少しだけでいい、抱きつかせてくれ。じゃないと怪しまれる」 煌人が耳元で低く囁く。真翠は感情を殺し、表情を和らげ、玄関を出る際に彼に軽く抱きしめられるのを許した。 「続きは明日、会社で話そう。ご両親を心配させるなよ」
そう言って、彼は優しく真翠の頭を撫で、門の内にいる真翠の両親へ再び礼儀正しく致意を示して去っていった。 遠ざかっていく聞き慣れた車のテールランプを見つめながら、真翠はただ、彼が自分から絶望的なまでに遠くへ行ってしまったことだけを感じていた。
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誓約書。
そして、5年の沈黙。
これは――
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