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番外章:モジュレーション:零れ落ちた七楽章
第三楽章:即興曲(アンプロンプチュ):泡沫の熱、甘い毒と、蜘蛛の糸
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煌人のマンションで一夜を過ごしてから、二週間が経った。
煌人からは時折、「雨が降るから傘を忘れるなよ」といった、他愛のない気遣いのメッセージが届く。真翠もそれに礼儀正しく返信はするものの、自分から話題を振ることは二度となかった。
そんなある日の昼時。
真翠が母特製のライ麦サンドイッチを頬張っていると、煌人がふらりと技術部に現れた。相変わらず、嫌になるほど目を引く男だ。
「……何の用?」
真翠の問いに直接は答えず、煌人はいつもの笑みを浮かべて彼女を見つめた。そして、弁当箱からサンドイッチを一切れつまみ上げると、無造作に口に運ぶ。
「こんなもんで腹膨れるのか? しかもこのパン、硬すぎだろ」
考えるより先に、言葉が口を突いて出た。
「母さんが作ったの。文句があるなら直接電話して言ってよ」
母親の手作りだと聞くや否や、煌人は瞬時に表情を取り繕った。
「おばさまの手作りか。なるほど、道理で栄養満点……」
「無理して褒めなくていいから。最近の母さん、ダイエット食にハマってて、私まで強制されてるんだから……」
その理由を聞いた煌人は、目を細めて真翠をじろじろと眺め始めた。
「何よ、人の顔見て」
「いや、用事があってね」
煌人は微笑みながら財布を開き、二枚のチケットを取り出した。
「これ、やるよ」
「えっ……どうやって手に入れたの!?」
それは今日初日を迎える、超人気ヒーロー映画のプレミアチケットだった。真翠も二度抽選に応募したが、あえなく落選していたはずのものだ。
「仕事が終わったら一緒に行こう。な?」
「行かないわよ、私……」
煌人がすっと距離を詰め、耳元で低く囁く。
「……言っただろ。『会社では今まで通りでいい』って。以前の君なら、俺と一緒に行ったはずだ。そうだろ?」
「……うん」
「本当は、行きたいんだろ?」
「……うん」
「決まりだ。定時後、駐車場で待ってる」
「……ありがと」
煌人は慣れた手つきで真翠の頭をぽんぽんと撫でると、周囲にも聞こえるような声でこう言い残した。
「おばさまがダイエット食を食べさせる理由、わかった気がするよ。花嫁衣裳を着る時に太ってたら困るからだろ?」
真翠はその手をパシッと叩き落とした。
「……あんたに関係ないでしょ!」
「関係ないかな? ははは!」
そう笑いながら、彼は技術部を去っていった。
真翠は手元のチケットを見つめながら、煌人が口にした「花嫁衣裳」という言葉を、心のどこかで反芻していた……。
映画館に到着するまで、二人の手はずっと自然に繋がれたままだった。
もともとスーパーヒーロー映画が好きなのは真翠の方だ。半年前、真翠がチケットを買い、煌人を誘ったことがあった。当然、真翠はスクリーンに釘付けだったが、煌人は上映の三分の一も過ぎないうちに眠りに落ちてしまった。終演後、真翠は空になったポップコーンのバケツを彼の頭に叩きつけてやろうかと思ったほどだ。
それが今、煌人は自らチケットを用意し、さらには真翠の大好物であるキャラメル味のポップコーンまで買って隣に座っている。
だというのに——。
この映画、どうしてこんなに退屈なのだろう。
駄作というわけじゃない。ただ、半年前のあの神作へと繋ぐための、単なる「調整役」のような映画だ。物語を無理やり引き延ばし、次なる展開への橋渡しをするだけの、中途半端な一作。
今の真翠と煌人の関係も、まさにそんな「煮え切らない」状態だった。
熱狂するほど愛し合っているわけでも、かといって決別するほど冷え切っているわけでもない。ただ惰性で繋がり、あやふやな距離感を保ち続けている。
「捨ててしまいたい……のかな」
本当にこの関係を終わらせたいのか、真翠には確信が持てなかった。
スクリーンの中では派手なアクションが繰り広げられているが、彼女の心は、冷めかけたポップコーンのように湿気たまま、どこへも行けずに停滞していた。
「映画、つまらなかったか?」
「……別に」
「昼飯、足りなかったんだろ?」
「……うん」
「夜食、食べに行こう。いい店があるんだ」
「……わかった」
「今日はもう、家には返さないからな」
「……うん」
「いい子だ」
「……え? 何? 私、帰るわよ」
「真翠、もう遅いよ。今日はこのまま一緒にいよう、な?」
「……あ」
煌人は微笑み、愛おしそうに彼女の頭を撫でた。そのまま車に乗せられ、連れて行かれたのはレストランなどではなかった。深夜の闇に怪しく紫色の光を放つ、城のような外観の建物。——ラブホテルだ。
目の前の光景に、真翠は呆然と立ち尽くした。
「星野煌人! ここが夜食を食べる場所なわけ!?」
煌人は悪びれる様子もなく、平然と言ってのける。
「公式サイトに載ってたうどんの写真が、すごく旨そうだったからさ」
「誰が信じるのよ、そんな嘘!」
真翠の拳が煌人の胸にめり込む。彼はその一撃をまともに受け止めると、彼女の手を優しく、だが強く握りしめた。
「真翠……入るか?」
「……うん」
「いい子だ」
駐車場に車を止めたものの、煌人は予約アプリを前に苦戦していた。
実は彼には、知る人ぞ知る弱点がある。意外にもデジタル機器の操作が苦手なのだ。彼のパソコンを選んだのも真翠だし、スマホに入っているアプリのほとんども、彼女が設定してやったものだった。
真翠は小さくため息をつくと、自然な動作で彼のスマホを取り上げた。手慣れた指さばきで操作を進め、さらには無意識のうちに「会員登録」まで済ませてしまう。ポイントを貯めれば、将来的にギフト券と交換できるから——という、いつもの習慣だ。
「……はい、できた」
煌人は戻ってきたスマホの画面を眺め、ふっと意味深な笑みを浮かべた。
その瞬間、真翠は自分が何をしたのかに気づき、凍り付いた。
(私、何を……よりによって、こんな場所でポイントなんて……!)
これではまるで、二人でここに来ることを「リピート前提」で受け入れたようなものではないか。
真翠は真っ赤になり、逃げるようにうつむいた。
部屋に入るなり、煌人は背後から真翠を拘束するように抱きしめ、耳元で低く、熱い吐息を吹きかけた。
「……腹、減ってるか?」
「……別に」
「じゃあ、先にシャワー浴びようか」
「……うん」
真翠は逃げるように先にバスルームへ向かった。シャワーで手早く汚れを洗い流し、奥にある重厚なドアを開けると、そこには見たこともないほど巨大なジェットバスが鎮座していた。
(……本当に、こんな世界があるんだ)
眩暈を覚えるような非日常感に包まれながら、真翠は一人、湯船に身を沈めた。
だが、静寂はすぐに破られる。再び響き渡るシャワーの音。真翠は膝を抱え、外に向かって声を張り上げた。
「待って、まだ私が入ってるから……!」
しかし、煌人はその制止を意に介さず、何も身に纏わぬ野性的な姿で、迷いなく浴槽へと踏み込んできた。彼は真翠の頬を指先でなぞり、強引に顔を上げさせる。
「手をどけろよ。前は暗すぎて、ちゃんと見られなかっただろ?」
「やだ……ここ、明るすぎるもん……っ」
抗議の声は、重なり合う唇によって塞がれた。真翠が押し返そうとした両手は、瞬時に彼の大きな手に捕らえられ、頭上へと押し上げられる。遮るもののなくなった真翠の胸が、煌人の熱い視線に晒された。
「綺麗だよ、真翠。隠さないで、俺に見せて」
「やめて……恥ずかしすぎる……っ」
「いい子だ。……じゃあ、俺の方も触ってごらん。こっちの方が、もっと恥ずかしいことになってるから」
煌人は真翠の手を引き、自身の脈打つ火熱へと導いた。
「……大きいだろ? 硬くて、すごく熱い」
「そんなの……わかんない……っ」
逃げ場のない水の檻の中で、煌人の声がさらに低く、毒のように甘く響く。
「ほら、もっとちゃんと弄れよ。……こいつらを外でイかせてやれないなら、お前のナカに直接ぶちまけて、そこで解放してやるしかないだろ?」
「……っ、でも、私……やり方なんて、わかんない」
真翠の消え入りそうな声を聞いた瞬間、煌人の唇が満足げに弧を描いた。彼は真翠の背後に回り込み、彼女を自分の胸板と太ももの間に挟み込むようにして座らせる。
「……教えてやるよ。いいか、まずはこうだ」
煌人の大きな手が、真翠の震える手を上から包み込んだ。
熱く、硬く、脈打つその感触が、彼女の掌を通してダイレクトに伝わってくる。
「……あ、熱い……っ」
「そう、熱いだろ? 生きてるからな。……いいか、まずはここを親指で。そう、優しく。……次は手のひら全体で、根元からゆっくり押し上げるように……」
真翠の手を操りながら、煌人は彼女の耳たぶを甘噛みし、熱い吐息を流し込む。
おぼつかない真翠の手つき。不慣れゆえの、時折強く当たりすぎる指先。だがその「拙さ」こそが、煌人の理性をさらに削っていく。
「……ん、そうだ。上手いぞ、真翠。……でも、そんなにビクビクしてたら、いつまで経っても終わらない。……ほら、もっと力を抜いて、俺の熱を感じろ」
滑りやすくなった肌と肌が擦れ合い、水音とは違う、粘り気のある音が狭い浴室に響き始める。
「……こう、ですか?」
「あぁ……っ、くそ、……っ。……そうだ、そこだ。……いいか、その調子で、次はもっと速く……」
真翠の必死な努力とは裏腹に、彼女の手の中にある「欲望」はますます密度を増し、今にも爆発しそうなほど膨れ上がっていく。
「真翠……このままだと、そのおっぱいの間で全部出しちまいそうだ。……それでもいいか? それとも……やっぱり、『ナカ』がいいか?」
「……やだ、ダメ、……っ!」
「間に合わない、真翠……出る、……っ、あぁ!」
真翠の胸元に、白い粘着物がぶちまけられた。
呆然とそれを見つめていた真翠は、本能的なパニックに襲われ、そのまま勢いよく浴槽の熱い湯の中へと体を沈めてしまった。
「真翠、待て……っ!」
煌人の制止は間に合わなかった。真翠は湯船の中で目を見開いた。胸元に付着していた半透明の粘着物が、熱い湯に触れた瞬間に真っ白な繊維状へと変質し、その一部は彼女の長い髪にまで白く絡みついてしまった。真翠はそれを取り除こうとしたが、どうしても触れる勇気が湧いてこない。
結局、煌人が彼女を浴槽から抱き上げ、シャワーの下に座らせた。彼は噴き出しそうになる笑いを必死に堪え、一本正念な顔で真翠の体を洗い流していく。
「……いいか、真翠。あれの正体は、基本的にはタンパク質なんだ。だから熱い湯に触れると性質が変化して固まるんだよ」
「……っ! そんな知識、誰が知りたいって言うのよ!」
「美容にもいいって説があるくらい栄養価が高いんだ。……どうだ? 一口飲んでみるか?」
「死んでも嫌!」
「それは残念だ。……せっかくのご馳走だったのにな」
二人がようやく体を洗い流し、ホテルのルームウェアに着替えた後のことだ。煌人は真翠を背後から抱き寄せるようにして、ヘアドライヤーで彼女の髪を乾かし始めた。
真翠には学生時代からの妙なこだわりがあった。とにかくドライヤーが嫌いなのだ。かつて仕事の残業で初めて煌人の家に泊まった際、無理やり乾かされたこともある。あの時、煌人がどれほど彼女の髪を自分の手で乾かしてやりたいと切望していたか——今日、ようやくその願いが叶った。
「なあ、真翠。お前、なんでそんなにドライヤーが嫌いなんだ?」
「……温風が耳に当たると痒いし、それに音がうるさいんだもん」
「可愛い理由だな」
「……何か言った?」
「もっと他の女を見習って、ちゃんと乾かせって言ったんだ。そうしないと、綺麗にセットできないだろ」
「余計なお世話よ!」
真翠はぷいっと立ち上がり、彼の手を逃れてソファへと避難した。煌人は手元でドライヤーを片付けながら、彼女の背中に声をかける。
「なあ、真翠。……うどん、食べるか?」
「……ん」
その後、二人は例の「美味しい」と評判のうどんを口にした。
意外にも——それは本当に、驚くほど美味しかった。
「また、食べに来ような」
「……ん」
「いい子だ」
うどんを食べ終えると、煌人はベッドに横たわり、隣のスペースを軽く叩いた。真翠が促されるままに隣へ座ると、彼は静かに問いかける。
「……真翠、するのか?」
「……ん、……したくない」
「どこか、具合でも悪いか?」
「……よくわからないの。仕事が終わった時から、ずっとどこかおかしいの」
「疲れてるんだろ。……ほら、こっちに来い。少し休もう」
「……うん」
「今日は、本当にいい子だな」
煌人の胸元に顔を埋めた瞬間、真翠は胸の奥がひどく詰まったような感覚に陥った。
ようやく、その異常感の正体に気づく。——原因は、この男だ。
今日のすべてがあまりに場当たり的で、まるで目の前に蜘蛛の巣があると分かっているのに、自らそこへ飛び込んでいくような……。その糸に付着した毒を舐め、自ら幻覚に溺れようとしているような、そんな感覚。
煌人は真翠の髪を愛おしそうに撫でながら、静かに明日の予定を口にする。
「明日は週末だ。朝飯を食ったら、どこか遊びに行くか。……スケッチに行くなら、一度お前の家に画板を取りに寄るか?」
「……ううん、いい」
「ん?」
「いいの。明日の朝、そのまま家まで送って」
「……。そうか、わかった」
煌人からは時折、「雨が降るから傘を忘れるなよ」といった、他愛のない気遣いのメッセージが届く。真翠もそれに礼儀正しく返信はするものの、自分から話題を振ることは二度となかった。
そんなある日の昼時。
真翠が母特製のライ麦サンドイッチを頬張っていると、煌人がふらりと技術部に現れた。相変わらず、嫌になるほど目を引く男だ。
「……何の用?」
真翠の問いに直接は答えず、煌人はいつもの笑みを浮かべて彼女を見つめた。そして、弁当箱からサンドイッチを一切れつまみ上げると、無造作に口に運ぶ。
「こんなもんで腹膨れるのか? しかもこのパン、硬すぎだろ」
考えるより先に、言葉が口を突いて出た。
「母さんが作ったの。文句があるなら直接電話して言ってよ」
母親の手作りだと聞くや否や、煌人は瞬時に表情を取り繕った。
「おばさまの手作りか。なるほど、道理で栄養満点……」
「無理して褒めなくていいから。最近の母さん、ダイエット食にハマってて、私まで強制されてるんだから……」
その理由を聞いた煌人は、目を細めて真翠をじろじろと眺め始めた。
「何よ、人の顔見て」
「いや、用事があってね」
煌人は微笑みながら財布を開き、二枚のチケットを取り出した。
「これ、やるよ」
「えっ……どうやって手に入れたの!?」
それは今日初日を迎える、超人気ヒーロー映画のプレミアチケットだった。真翠も二度抽選に応募したが、あえなく落選していたはずのものだ。
「仕事が終わったら一緒に行こう。な?」
「行かないわよ、私……」
煌人がすっと距離を詰め、耳元で低く囁く。
「……言っただろ。『会社では今まで通りでいい』って。以前の君なら、俺と一緒に行ったはずだ。そうだろ?」
「……うん」
「本当は、行きたいんだろ?」
「……うん」
「決まりだ。定時後、駐車場で待ってる」
「……ありがと」
煌人は慣れた手つきで真翠の頭をぽんぽんと撫でると、周囲にも聞こえるような声でこう言い残した。
「おばさまがダイエット食を食べさせる理由、わかった気がするよ。花嫁衣裳を着る時に太ってたら困るからだろ?」
真翠はその手をパシッと叩き落とした。
「……あんたに関係ないでしょ!」
「関係ないかな? ははは!」
そう笑いながら、彼は技術部を去っていった。
真翠は手元のチケットを見つめながら、煌人が口にした「花嫁衣裳」という言葉を、心のどこかで反芻していた……。
映画館に到着するまで、二人の手はずっと自然に繋がれたままだった。
もともとスーパーヒーロー映画が好きなのは真翠の方だ。半年前、真翠がチケットを買い、煌人を誘ったことがあった。当然、真翠はスクリーンに釘付けだったが、煌人は上映の三分の一も過ぎないうちに眠りに落ちてしまった。終演後、真翠は空になったポップコーンのバケツを彼の頭に叩きつけてやろうかと思ったほどだ。
それが今、煌人は自らチケットを用意し、さらには真翠の大好物であるキャラメル味のポップコーンまで買って隣に座っている。
だというのに——。
この映画、どうしてこんなに退屈なのだろう。
駄作というわけじゃない。ただ、半年前のあの神作へと繋ぐための、単なる「調整役」のような映画だ。物語を無理やり引き延ばし、次なる展開への橋渡しをするだけの、中途半端な一作。
今の真翠と煌人の関係も、まさにそんな「煮え切らない」状態だった。
熱狂するほど愛し合っているわけでも、かといって決別するほど冷え切っているわけでもない。ただ惰性で繋がり、あやふやな距離感を保ち続けている。
「捨ててしまいたい……のかな」
本当にこの関係を終わらせたいのか、真翠には確信が持てなかった。
スクリーンの中では派手なアクションが繰り広げられているが、彼女の心は、冷めかけたポップコーンのように湿気たまま、どこへも行けずに停滞していた。
「映画、つまらなかったか?」
「……別に」
「昼飯、足りなかったんだろ?」
「……うん」
「夜食、食べに行こう。いい店があるんだ」
「……わかった」
「今日はもう、家には返さないからな」
「……うん」
「いい子だ」
「……え? 何? 私、帰るわよ」
「真翠、もう遅いよ。今日はこのまま一緒にいよう、な?」
「……あ」
煌人は微笑み、愛おしそうに彼女の頭を撫でた。そのまま車に乗せられ、連れて行かれたのはレストランなどではなかった。深夜の闇に怪しく紫色の光を放つ、城のような外観の建物。——ラブホテルだ。
目の前の光景に、真翠は呆然と立ち尽くした。
「星野煌人! ここが夜食を食べる場所なわけ!?」
煌人は悪びれる様子もなく、平然と言ってのける。
「公式サイトに載ってたうどんの写真が、すごく旨そうだったからさ」
「誰が信じるのよ、そんな嘘!」
真翠の拳が煌人の胸にめり込む。彼はその一撃をまともに受け止めると、彼女の手を優しく、だが強く握りしめた。
「真翠……入るか?」
「……うん」
「いい子だ」
駐車場に車を止めたものの、煌人は予約アプリを前に苦戦していた。
実は彼には、知る人ぞ知る弱点がある。意外にもデジタル機器の操作が苦手なのだ。彼のパソコンを選んだのも真翠だし、スマホに入っているアプリのほとんども、彼女が設定してやったものだった。
真翠は小さくため息をつくと、自然な動作で彼のスマホを取り上げた。手慣れた指さばきで操作を進め、さらには無意識のうちに「会員登録」まで済ませてしまう。ポイントを貯めれば、将来的にギフト券と交換できるから——という、いつもの習慣だ。
「……はい、できた」
煌人は戻ってきたスマホの画面を眺め、ふっと意味深な笑みを浮かべた。
その瞬間、真翠は自分が何をしたのかに気づき、凍り付いた。
(私、何を……よりによって、こんな場所でポイントなんて……!)
これではまるで、二人でここに来ることを「リピート前提」で受け入れたようなものではないか。
真翠は真っ赤になり、逃げるようにうつむいた。
部屋に入るなり、煌人は背後から真翠を拘束するように抱きしめ、耳元で低く、熱い吐息を吹きかけた。
「……腹、減ってるか?」
「……別に」
「じゃあ、先にシャワー浴びようか」
「……うん」
真翠は逃げるように先にバスルームへ向かった。シャワーで手早く汚れを洗い流し、奥にある重厚なドアを開けると、そこには見たこともないほど巨大なジェットバスが鎮座していた。
(……本当に、こんな世界があるんだ)
眩暈を覚えるような非日常感に包まれながら、真翠は一人、湯船に身を沈めた。
だが、静寂はすぐに破られる。再び響き渡るシャワーの音。真翠は膝を抱え、外に向かって声を張り上げた。
「待って、まだ私が入ってるから……!」
しかし、煌人はその制止を意に介さず、何も身に纏わぬ野性的な姿で、迷いなく浴槽へと踏み込んできた。彼は真翠の頬を指先でなぞり、強引に顔を上げさせる。
「手をどけろよ。前は暗すぎて、ちゃんと見られなかっただろ?」
「やだ……ここ、明るすぎるもん……っ」
抗議の声は、重なり合う唇によって塞がれた。真翠が押し返そうとした両手は、瞬時に彼の大きな手に捕らえられ、頭上へと押し上げられる。遮るもののなくなった真翠の胸が、煌人の熱い視線に晒された。
「綺麗だよ、真翠。隠さないで、俺に見せて」
「やめて……恥ずかしすぎる……っ」
「いい子だ。……じゃあ、俺の方も触ってごらん。こっちの方が、もっと恥ずかしいことになってるから」
煌人は真翠の手を引き、自身の脈打つ火熱へと導いた。
「……大きいだろ? 硬くて、すごく熱い」
「そんなの……わかんない……っ」
逃げ場のない水の檻の中で、煌人の声がさらに低く、毒のように甘く響く。
「ほら、もっとちゃんと弄れよ。……こいつらを外でイかせてやれないなら、お前のナカに直接ぶちまけて、そこで解放してやるしかないだろ?」
「……っ、でも、私……やり方なんて、わかんない」
真翠の消え入りそうな声を聞いた瞬間、煌人の唇が満足げに弧を描いた。彼は真翠の背後に回り込み、彼女を自分の胸板と太ももの間に挟み込むようにして座らせる。
「……教えてやるよ。いいか、まずはこうだ」
煌人の大きな手が、真翠の震える手を上から包み込んだ。
熱く、硬く、脈打つその感触が、彼女の掌を通してダイレクトに伝わってくる。
「……あ、熱い……っ」
「そう、熱いだろ? 生きてるからな。……いいか、まずはここを親指で。そう、優しく。……次は手のひら全体で、根元からゆっくり押し上げるように……」
真翠の手を操りながら、煌人は彼女の耳たぶを甘噛みし、熱い吐息を流し込む。
おぼつかない真翠の手つき。不慣れゆえの、時折強く当たりすぎる指先。だがその「拙さ」こそが、煌人の理性をさらに削っていく。
「……ん、そうだ。上手いぞ、真翠。……でも、そんなにビクビクしてたら、いつまで経っても終わらない。……ほら、もっと力を抜いて、俺の熱を感じろ」
滑りやすくなった肌と肌が擦れ合い、水音とは違う、粘り気のある音が狭い浴室に響き始める。
「……こう、ですか?」
「あぁ……っ、くそ、……っ。……そうだ、そこだ。……いいか、その調子で、次はもっと速く……」
真翠の必死な努力とは裏腹に、彼女の手の中にある「欲望」はますます密度を増し、今にも爆発しそうなほど膨れ上がっていく。
「真翠……このままだと、そのおっぱいの間で全部出しちまいそうだ。……それでもいいか? それとも……やっぱり、『ナカ』がいいか?」
「……やだ、ダメ、……っ!」
「間に合わない、真翠……出る、……っ、あぁ!」
真翠の胸元に、白い粘着物がぶちまけられた。
呆然とそれを見つめていた真翠は、本能的なパニックに襲われ、そのまま勢いよく浴槽の熱い湯の中へと体を沈めてしまった。
「真翠、待て……っ!」
煌人の制止は間に合わなかった。真翠は湯船の中で目を見開いた。胸元に付着していた半透明の粘着物が、熱い湯に触れた瞬間に真っ白な繊維状へと変質し、その一部は彼女の長い髪にまで白く絡みついてしまった。真翠はそれを取り除こうとしたが、どうしても触れる勇気が湧いてこない。
結局、煌人が彼女を浴槽から抱き上げ、シャワーの下に座らせた。彼は噴き出しそうになる笑いを必死に堪え、一本正念な顔で真翠の体を洗い流していく。
「……いいか、真翠。あれの正体は、基本的にはタンパク質なんだ。だから熱い湯に触れると性質が変化して固まるんだよ」
「……っ! そんな知識、誰が知りたいって言うのよ!」
「美容にもいいって説があるくらい栄養価が高いんだ。……どうだ? 一口飲んでみるか?」
「死んでも嫌!」
「それは残念だ。……せっかくのご馳走だったのにな」
二人がようやく体を洗い流し、ホテルのルームウェアに着替えた後のことだ。煌人は真翠を背後から抱き寄せるようにして、ヘアドライヤーで彼女の髪を乾かし始めた。
真翠には学生時代からの妙なこだわりがあった。とにかくドライヤーが嫌いなのだ。かつて仕事の残業で初めて煌人の家に泊まった際、無理やり乾かされたこともある。あの時、煌人がどれほど彼女の髪を自分の手で乾かしてやりたいと切望していたか——今日、ようやくその願いが叶った。
「なあ、真翠。お前、なんでそんなにドライヤーが嫌いなんだ?」
「……温風が耳に当たると痒いし、それに音がうるさいんだもん」
「可愛い理由だな」
「……何か言った?」
「もっと他の女を見習って、ちゃんと乾かせって言ったんだ。そうしないと、綺麗にセットできないだろ」
「余計なお世話よ!」
真翠はぷいっと立ち上がり、彼の手を逃れてソファへと避難した。煌人は手元でドライヤーを片付けながら、彼女の背中に声をかける。
「なあ、真翠。……うどん、食べるか?」
「……ん」
その後、二人は例の「美味しい」と評判のうどんを口にした。
意外にも——それは本当に、驚くほど美味しかった。
「また、食べに来ような」
「……ん」
「いい子だ」
うどんを食べ終えると、煌人はベッドに横たわり、隣のスペースを軽く叩いた。真翠が促されるままに隣へ座ると、彼は静かに問いかける。
「……真翠、するのか?」
「……ん、……したくない」
「どこか、具合でも悪いか?」
「……よくわからないの。仕事が終わった時から、ずっとどこかおかしいの」
「疲れてるんだろ。……ほら、こっちに来い。少し休もう」
「……うん」
「今日は、本当にいい子だな」
煌人の胸元に顔を埋めた瞬間、真翠は胸の奥がひどく詰まったような感覚に陥った。
ようやく、その異常感の正体に気づく。——原因は、この男だ。
今日のすべてがあまりに場当たり的で、まるで目の前に蜘蛛の巣があると分かっているのに、自らそこへ飛び込んでいくような……。その糸に付着した毒を舐め、自ら幻覚に溺れようとしているような、そんな感覚。
煌人は真翠の髪を愛おしそうに撫でながら、静かに明日の予定を口にする。
「明日は週末だ。朝飯を食ったら、どこか遊びに行くか。……スケッチに行くなら、一度お前の家に画板を取りに寄るか?」
「……ううん、いい」
「ん?」
「いいの。明日の朝、そのまま家まで送って」
「……。そうか、わかった」
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愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
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