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15話 再会は、理性の敵
その頃、王城の一角にある末王子宮では。
「昼の広間での続きですが……」
穏やかに語りかけながら、バッカスはクリストフェルの手を取った。
大きな掌に包まれる感触に、クリストフェルは目を瞬く。
導かれるようにソファーへと連れていかれ、抵抗する間もなくそこに座った。
「続き?」
返す声も、まだどこか気が抜けたままだ。
「ええ」
短く答えると、バッカスはその場で片膝をついた。
視線の高さが逆転し、見上げてくる金の瞳がまっすぐにクリストフェルを捉え、細められる。
クリストフェルは本能的に、逃げ場がないと感じて息を飲んだ。
「傷の件で、ずいぶん叱られる覚悟をしてきました」
その言葉で。
今まで胸を満たしていた安堵が、ふっと剥がれ落ちる。
ぱちぱちと瞬きしたあと、クリストフェルは広間での激昂を思い出した。
「……そうだよ! それだよ!! なんで怪我したのっ!」
声が一段高くなり、包まれている手にも無意識の力が入る。
「古竜の爪です」
『……おそらく』と。
そう続く語尾を飲み込んだ、あまりにもあっさりとした返答だった。
クリストフェルの膝の上で、バッカスはその両手を包み込んだ。
逃がさないように、落ち着かせるように。
指先に、じわりと力が込められた。
「やっぱり古竜じゃないかっ!」
「ですが浅いです」
クリストフェルの抗議を遮り、いかにも大したことではないと言いたげにバッカスは淡々と続ける。
「正直、本当に古竜なのか枝木で掠ったのか、記憶にもございませ、」
「浅いとか、そういう問題じゃないし!」
クリストフェルは眉を寄せ、思わず声を荒げた。
——怖かったのに。
ずっと怖くて、祈り続けて、やっと無事に帰ってきたから、よかったと思えたのに。
たとえ小さな傷だとしても、そんな風に流されたら、心配した気持ちすら否定された気がしてしまう。
「申し訳ありません……」
低く静かな謝罪。
けれどクリストフェルには、本当に反省しているのかわからない声に聞こえた。
バッカスは顔を上げ、揺るがない金の瞳でクリストフェルを射抜いた。
距離が近く手も離されない、逃げることも誤魔化すこともできない位置で。
「……もうっ、バッカスの馬鹿っ!」
堪えきれずに吐き出した言葉は、怒りというより八つ当たりに近かった。
バッカスの顔は、ひどく嬉しそうに見えたのだ。
そんな顔を見てしまったら、クリストフェルはもう、何も言えなかった。
バッカスは、押し黙ったクリストフェルの手を何度も握り返し、静かに囁いた。
「……怒ってくださるのが、嬉しいのです」
「えっ?」
「私の傷ひとつで、あれほど取り乱してくださるほどに、殿下が私のことを 好 き でいてくださるのが」
その言葉に、クリストフェルの心臓が大きく跳ねた。
部屋の空気が急に熱を持ち、先程までの軽さがすっと消えていく。
代わりに現れたのは、十年以上想いを隠してきたバッカスの、一年離れて過ごしていた男の静かな熱だった。
クリストフェルはごくりと喉を鳴らす。
「バッカス……」
名前を呼ぶと、その音に反応するように、バッカスの指先がぴくりと揺れた。
繋がれたままの手の温度が、じわりと伝わってくる。
見下ろせば視線が絡み、互いに何も言わないまま、呼気が感じられるほど顔が近づく。
クリストフェルは思う。
——触れられたい。
そのまま、自然にそうなる気がした。
バッカスの視線が向かう唇へ。
あと少しで……と、胸を高鳴らせた、その時だった。
コンコン。
やけに現実的で遠慮のない音が扉を鳴らした。
「クリストフェル殿下、夜食をお持ちしました」
ぴたりと時間が止まる。
互いに動きを止めたまま数秒、触れたままの手も、そのままで。
先ほどまで確かにあった流れが、きれいに断ち切られていた。
静まり返った空気の中で、クリストフェルが小さく息を吐く。
「……兄さまの差し金だ」
ぼそりと呟いた声は恨めしげだった。
それを聞き、バッカスの肩が笑いを堪えるように震えた。
「ええ、間違いなく」
低く返しながらも、声の奥にかすかな愉しさが混じる。
「兄さまのばか……」
不満を隠そうともせずに言いながら、クリストフェルは顔を背けた。
近づいた距離をそのままにしておくのが、落ち着かない。
バッカスもまた、何事もなかったように静かに立ち上がる。
けれど離れる直前、指先が名残を惜しむように動いたのを、クリストフェルは見逃した。
隣へと移動する気配、それだけで、濃密だった空気が遠くなった気がした。
運ばれてきたのは軽いつまみと、クリストフェルには紅茶、バッカスにはワイン。
メイドが去り扉が閉まり、再び静けさが戻る。
先ほどまでとは明らかに違う静けさだった。
「ティリウス殿下は、賢明です……」
バッカスがグラスに手を伸ばしながら言う。
「全然賢明じゃないっ!」
即座に返すクリストフェルの声は、少し拗ねていた。
あの瞬間の続きを失ったことに、さすがのクリストフェルも気づいている。
「私としては、もう少し不健全でもよかったのですが……」
さらりと落とされた言葉に、クリストフェルの思考が一瞬止まる。
「僕も……」
肯定しかけて、一気に顔が熱くなる。
寸前まで起きかけていたことを、否応なく思い出してしまう。
胸の奥ではまだ、止められた熱の続きがくすぶっていた。
バッカスは、そんな様子を横目に見ながら瞳を細め、、今度こそはっきりと、楽しげに笑った。
クリストフェルは、バッカスが帰ってきたのだとようやく感じることができた。
ちゃんと、自分のところへ帰ってきてくれたのだ、と。
胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、その厚い肩へ額を押しつけた。
するとバッカスの手が、あやすようにクリストフェルの金髪を撫でてくれた。
——ずっと遠くにいたくせに、こんなふうに甘やかして、意地悪をして、全部持っていく…ほんとに……バッカスの馬鹿。
クリストフェルは、その馬鹿が好きでたまらないのだから、もうどうしようもないのだが。
「……はっ、危うく誤魔化されるところだったっ!」
バッカスの肩に頭を預け、そこを大きな手に撫でられて、再び良い雰囲気が醸し出されようとしたものの、危ういところでクリストフェルは甘える姿勢を元に戻した。
——だから、怒ってるんだってば!
「殿下?」
名を呼ばれても、クリストフェルはすぐには答えず、むくれたように口を尖らせたのだった。
∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴
『いいね』ものすごく励みになります、ありがとうございます!
頑張ります(๑•̀ㅂ•́)و✧
「昼の広間での続きですが……」
穏やかに語りかけながら、バッカスはクリストフェルの手を取った。
大きな掌に包まれる感触に、クリストフェルは目を瞬く。
導かれるようにソファーへと連れていかれ、抵抗する間もなくそこに座った。
「続き?」
返す声も、まだどこか気が抜けたままだ。
「ええ」
短く答えると、バッカスはその場で片膝をついた。
視線の高さが逆転し、見上げてくる金の瞳がまっすぐにクリストフェルを捉え、細められる。
クリストフェルは本能的に、逃げ場がないと感じて息を飲んだ。
「傷の件で、ずいぶん叱られる覚悟をしてきました」
その言葉で。
今まで胸を満たしていた安堵が、ふっと剥がれ落ちる。
ぱちぱちと瞬きしたあと、クリストフェルは広間での激昂を思い出した。
「……そうだよ! それだよ!! なんで怪我したのっ!」
声が一段高くなり、包まれている手にも無意識の力が入る。
「古竜の爪です」
『……おそらく』と。
そう続く語尾を飲み込んだ、あまりにもあっさりとした返答だった。
クリストフェルの膝の上で、バッカスはその両手を包み込んだ。
逃がさないように、落ち着かせるように。
指先に、じわりと力が込められた。
「やっぱり古竜じゃないかっ!」
「ですが浅いです」
クリストフェルの抗議を遮り、いかにも大したことではないと言いたげにバッカスは淡々と続ける。
「正直、本当に古竜なのか枝木で掠ったのか、記憶にもございませ、」
「浅いとか、そういう問題じゃないし!」
クリストフェルは眉を寄せ、思わず声を荒げた。
——怖かったのに。
ずっと怖くて、祈り続けて、やっと無事に帰ってきたから、よかったと思えたのに。
たとえ小さな傷だとしても、そんな風に流されたら、心配した気持ちすら否定された気がしてしまう。
「申し訳ありません……」
低く静かな謝罪。
けれどクリストフェルには、本当に反省しているのかわからない声に聞こえた。
バッカスは顔を上げ、揺るがない金の瞳でクリストフェルを射抜いた。
距離が近く手も離されない、逃げることも誤魔化すこともできない位置で。
「……もうっ、バッカスの馬鹿っ!」
堪えきれずに吐き出した言葉は、怒りというより八つ当たりに近かった。
バッカスの顔は、ひどく嬉しそうに見えたのだ。
そんな顔を見てしまったら、クリストフェルはもう、何も言えなかった。
バッカスは、押し黙ったクリストフェルの手を何度も握り返し、静かに囁いた。
「……怒ってくださるのが、嬉しいのです」
「えっ?」
「私の傷ひとつで、あれほど取り乱してくださるほどに、殿下が私のことを 好 き でいてくださるのが」
その言葉に、クリストフェルの心臓が大きく跳ねた。
部屋の空気が急に熱を持ち、先程までの軽さがすっと消えていく。
代わりに現れたのは、十年以上想いを隠してきたバッカスの、一年離れて過ごしていた男の静かな熱だった。
クリストフェルはごくりと喉を鳴らす。
「バッカス……」
名前を呼ぶと、その音に反応するように、バッカスの指先がぴくりと揺れた。
繋がれたままの手の温度が、じわりと伝わってくる。
見下ろせば視線が絡み、互いに何も言わないまま、呼気が感じられるほど顔が近づく。
クリストフェルは思う。
——触れられたい。
そのまま、自然にそうなる気がした。
バッカスの視線が向かう唇へ。
あと少しで……と、胸を高鳴らせた、その時だった。
コンコン。
やけに現実的で遠慮のない音が扉を鳴らした。
「クリストフェル殿下、夜食をお持ちしました」
ぴたりと時間が止まる。
互いに動きを止めたまま数秒、触れたままの手も、そのままで。
先ほどまで確かにあった流れが、きれいに断ち切られていた。
静まり返った空気の中で、クリストフェルが小さく息を吐く。
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ぼそりと呟いた声は恨めしげだった。
それを聞き、バッカスの肩が笑いを堪えるように震えた。
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「兄さまのばか……」
不満を隠そうともせずに言いながら、クリストフェルは顔を背けた。
近づいた距離をそのままにしておくのが、落ち着かない。
バッカスもまた、何事もなかったように静かに立ち上がる。
けれど離れる直前、指先が名残を惜しむように動いたのを、クリストフェルは見逃した。
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バッカスは、そんな様子を横目に見ながら瞳を細め、、今度こそはっきりと、楽しげに笑った。
クリストフェルは、バッカスが帰ってきたのだとようやく感じることができた。
ちゃんと、自分のところへ帰ってきてくれたのだ、と。
胸の奥がじんわり熱くなるのを感じながら、その厚い肩へ額を押しつけた。
するとバッカスの手が、あやすようにクリストフェルの金髪を撫でてくれた。
——ずっと遠くにいたくせに、こんなふうに甘やかして、意地悪をして、全部持っていく…ほんとに……バッカスの馬鹿。
クリストフェルは、その馬鹿が好きでたまらないのだから、もうどうしようもないのだが。
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——だから、怒ってるんだってば!
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名を呼ばれても、クリストフェルはすぐには答えず、むくれたように口を尖らせたのだった。
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