【BL】その先には君がいる

Motoki

文字の大きさ
上 下
8 / 21

8

しおりを挟む
「ホントはさ、久坂先生に謝ろうと思って、あそこで待ってたんだ」

 帰りの電車の中。両手で1つの吊り革を握った彼は、身を乗り出すようにして体重をかけた。

「まだ謝ってもらってないけど」

 ブスリとして言うと、藤堂君は顔を伏せるように笑って首を振る。

「ダメダメ。さっきのでチャラだよ」

「チャラ?」

「昨日のお礼と謝罪。その2つ分は、あの人に頭下げたもんね。俺」

 ベッと小さく舌を突き出す。

「あんな事しなくてよかったのに」

 僕の不機嫌なんて意に介さず、彼は「でもさ」と返してくる。

「あのままだとあの人、なんの事だろってずっと考えるよ。不意に思い出しちゃったらどーすんの」

「自業自得だよ」

「先生、いれなくなっちゃうって言ったじゃん」

「だから。自業自得なんだよ、僕の」

 隣から、じっと見つめてくる藤堂君の視線を感じる。

 何かを言おうとしている気配は感じられたが、僕は態度でそれを撥ね退けた。

「でも俺は。辞めてほしくないな、あそこ」

 窓の外を見つめ、独り言のように呟く。

 チロリと彼に視線を落とすと、顔をこちらへと向け、ニッコリと微笑んだ。

「なんでなの?」

「ん? 内緒」

 吊り革にぶら下がり、立てた人差し指を唇へとあてる。

 その動作はとてもかわいらしくて、彼から目が離せなくなる。

 僕の視線に気付いたのか身を正し、顔を逸らせるようにして窓の外へと目を向けた。

「――ねぇ先生。俺一昨日、ウチが母子家庭だって言ったでしょ?」

「うん」

「ウチの両親、離婚しててさ。原因は親父の浮気なんだけど。そん時、母さん凄ェ泣いてさ。手ぇつけらんないぐらいだったんだよね」

 視線を落とし、辛い記憶に顔を歪ませる。

「地獄だったなぁ、あん時は」

 ポツリと小さく呟いて、口を閉じる。しばらくしてハッとしたように顔をこちらへと向けると、指を突き出してきた。

「なのにさっ、今度は自分が不倫してんだぜ? サイテーだと思わねぇ?」

 僕を指差し、勢いよく言う。

「あのオッサンには、俺より年下の娘がいるって言うし。子供があんな思いすんのは可哀想だっての!」

 彼の言葉は、まるで僕を責めているかのようで、僕は同意する事も出来ずに、「ごめん」と小さく返していた。

「あ、いや。今のは先生の事言ったんじゃなくて、その……」

 気まずそうに手を振った後、彼は動きを止めて「でもさ」と低く呟いた。

 僕から顔を逸らす。

「それでもやっぱり。浮気する奴も、不倫する奴も、俺は最低だと思うんだ」

「……うん」

 気持ちが沈んでいく。彼の言っている事はまさしく正論で、返す言葉もなかった。

「あっ。――でもそう言やさぁ。酔ってたからだったんだな。先生が俺に、あんな事しようとしたのって」

 今思い出した、と空気を切り替えるように彼が笑う。

「あんな事?」

 その言葉に弾かれるように僕を見て、次の瞬間、不機嫌そうに顔をしかめた。

「解んないなら、いいんだ」

 その瞳はもう僕には戻ってこなかったので、彼の心を探る事は出来なかった。

 ――ねぇ、もし今。

 酔ってたからじゃないと言ったら、君はどんな顔をするの?

 酔ってなんていなかったし、この瞬間も君に触れたいと思っていると言ったなら、君はどんな顔をしてみせるのだろう。

 こんな事、言えやしないのにね。

 正しいのは、君なのに。

 あの時は只『雅臣』に触れたかった。君が雅臣に似てるから、雅臣と同じ事を言うから、触れた後も雅臣と似ているのかを試したくなっ た。

 でも今は、僕の為に頭を下げてくれた、顔を歪ませながらも辛い思い出を話してくれた、藤堂君に触れてみたいと思うよ。

 ――どうして。先輩とあんな事、してしまったんだろう。

 後悔する気持ちと、後悔したくない気持ちが心の中で渦を巻く。

 それは、やっと叶った欲望だったから。一時でも彼を、『自分のモノ』に出来たから。

 ……雅臣。僕は、あの頃から何1つ変わってないんだよね。

 叶いもしないのに、その時の欲情に身を任せて、独占出来ない相手に溺れて。

 ねぇ。君は今どうしてるの? あの彼女とはまだ付き合ってる? 普通にもう、結婚してるのかな?

 不意に、どうしようもなく雅臣に会いたくなる。

 あの関係に戻れなくても、こうしてまた、肩を並べてみたいと思った。

 隣の藤堂君に目を向ける。真っ直ぐと窓の外を見つめる瞳は、雅臣のそれにとてもよく似ていて。

 僕の、言葉を吐き出す勇気を、剥ぎ取ってしまう。

 ねぇ雅臣。僕が人を好きになるその先には、やっぱり今でも、君が姿を現すんだ。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

【短編集】恋人になってくれませんか?※追加更新終了

恋愛 / 完結 24h.ポイント:71pt お気に入り:1,066

元敵同士だけど救いたい

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:62

我が家の台所で浮気現場に遭遇しました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:37

【完結】御令嬢、あなたが私の本命です!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:736

【完結】そっといかせて欲しいのに

BL / 完結 24h.ポイント:99pt お気に入り:43

愛があってもやっぱり難しい

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:53

王家の影一族に転生した僕にはどうやら才能があるらしい。

BL / 連載中 24h.ポイント:3,897pt お気に入り:2,712

処理中です...