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第2章 図書館で見つけた、世界の裏側
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放課後の図書館は、昼間とは別の顔をしている。
人の気配はまばらで、足音も、ページをめくる音も、すべてが控えめだった。
高い窓から差し込む夕暮れの光が、書架の影を長く伸ばしている。
私は入口で立ち止まり、胸元をそっと押さえた。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
「……来てくれて、ありがとう」
声をかけられて振り向くと、朝凪くんが少し離れた場所に立っていた。
昨日と同じように、近づきすぎない距離。
「ううん……私も、静かな場所が好きだから」
本当は違う。
触れずに話せる場所を、無意識に選んでいた。
二人並んで、奥の閲覧席へ向かう。
机を挟んで向かい合うと、視線が合うだけで胸がざわついた。
「……昨日、大丈夫だった?」
朝凪くんが、気遣うように尋ねる。
「うん。ちょっと驚いただけ」
嘘ではない。
けれど、本当の理由は言えなかった。
しばらく、言葉のない時間が流れる。
沈黙が、重くならないのが不思議だった。
「ここ、初めて?」
彼が、周囲の書架に目を向けながら言った。
「いいえ。よく来るの」
「そうなんだ……なんだか、君に似合う」
不意にそんなことを言われて、頬が熱くなる。
「静かで、落ち着いてて……夜に近い感じがする」
夜に近い。
その言葉に、胸の奥が小さく跳ねた。
私は話題を逸らすように、立ち上がる。
「何か探してる本、ある?」
「……古い本。学園のことが書いてあるやつ」
少しだけ、言い淀む。
その様子が、気になった。
「月影学園って、昔からあるでしょ」
「うん。創立、百年以上前」
「……その頃の話を、知りたくて」
理由は聞かなかった。
聞いてはいけない気がしたから。
二人で書架を巡る。
背表紙に並ぶ、古びた文字たち。
その中で、ひときわ古そうな一冊が目に留まった。
「……これ」
手を伸ばしかけて、私は一瞬、ためらった。
けれど、朝凪くんが少し離れたまま頷く。
「それ、だと思う」
本を引き抜いた瞬間、空気が変わった。
紙の匂い。
埃と、インクと、夜の匂い。
ページを開くと、そこには手書きの図と文章が並んでいた。
『月影学園は、境界の上に建てられた』
心臓が、どくりと鳴る。
「境界……?」
声に出した瞬間、視界の端が、わずかに揺れた。
『満月の夜、世界は重なり、裏側が姿を現す』
『それを守るため、番人が置かれた』
私は思わず、本から目を離して朝凪くんを見る。
彼は、静かに視線を伏せていた。
「……和泉」
低く、真剣な声。
「この先は、読まなくてもいい」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「どうして?」
「それは……」
答えはなかった。
けれど、分かってしまった。
この本に書かれていることは、彼自身に繋がっている。
それでも、私はページをめくった。
『番人は、人と関わってはならない』
『約束を交わせば、存在は削られていく』
頭の中で、何かが噛み合う。
満月の夜。
約束。
消えていく存在。
「……朝凪くん」
名前を呼ぶと、彼はゆっくり顔を上げた。
「君は、何を知ったの?」
その問いに、胸が痛んだ。
「全部は……分からない。でも」
私は本を閉じ、そっと抱きしめる。
「この学園は、普通じゃない」
「……うん」
「そして、あなたも」
夕暮れの光が、彼の輪郭を淡く照らす。
その姿が、ほんの少しだけ薄く見えた気がした。
「それでも」
私は、勇気を振り絞って言った。
「放課後、一緒にいられるなら……私は」
言葉は、最後まで続かなかった。
朝凪くんが、静かに首を振る。
「それ以上、言わないで」
優しい拒絶だった。
「君が傷つく」
その一言が、何よりも切なかった。
図書館の窓の外で、空がゆっくりと夜に近づいていく。
月は、まだ見えない。
けれど確かに、世界の裏側は、すぐそこまで来ていた。
そして私は知ってしまった。
この恋は、守られているのに、
同時に、許されていないのだと。
その夜、月影学園はいつもより静かだった。
帰宅途中の生徒の足音も消え、校舎は深い息を潜めている。
私は自室の窓から、ゆっくりと昇ってくる月を見つめていた。
満月だった。
胸の奥が、嫌な予感でざわめく。
図書館で読んだ言葉が、何度も頭をよぎった。
――満月の夜、世界は重なり、裏側が姿を現す。
スマートフォンが震える。
『今、外に出ないで』
朝凪くんからの短いメッセージだった。
指先が、自然と画面を握り締める。
『どうして?』
『……学園が、揺れるから』
意味が分からない。
けれど、彼の言葉には逆らえなかった。
***
それでも、私は学園へ向かっていた。
理由は単純だった。
彼が、そこにいると分かってしまったから。
夜の校舎は、昼とは別物だった。
街灯の光が届かない場所で、影が不自然に揺れている。
「……朝凪くん」
小さく名前を呼ぶと、風が鳴いた。
「来るなって言ったのに」
低い声が背後から響く。
振り向くと、月明かりの中に朝凪くんが立っていた。
いつもより、影が薄い。
それだけで、胸が苦しくなる。
「ごめん。でも……」
「君は、ここにいちゃいけない」
そう言いながら、彼は校舎の奥をちらりと見る。
その瞬間、空気が歪んだ。
廊下の先。
見慣れたはずの床と壁が、ゆっくりと“ずれる”。
まるで、重なり合う二つの写真みたいに。
「……なに、これ」
声が震える。
「境界が、開き始めてる」
朝凪くんは、私の前に一歩出た。
守るように。
「満月の夜だけ、この学園は世界の裏側と重なる」
図書館の本の言葉が、現実になる。
「じゃあ……あなたは」
問いかけると、彼は少しだけ黙った。
「俺は、その“綻び”を抑える役目」
静かな声だった。
「完全に閉じることも、壊すこともできない。ただ……留めるだけ」
彼の視線の先で、影が蠢く。
人の形に似ているのに、どこか歪んでいた。
「……あれは?」
「裏側の残滓。ここに入り込もうとしてる」
私は思わず、彼の服の裾を掴んでいた。
「触れないで」
朝凪くんの声が、少しだけ強くなる。
「俺が境界に触れると、君まで引き込まれる」
手を離そうとして、離せなかった。
「でも……あなた一人で?」
彼は、ほんの少し困ったように笑う。
「慣れてる」
その言葉が、胸に刺さった。
朝凪くんは、月の下へ歩き出す。
足元で、影が静かに退いていく。
「満月が高くなるまで、ここにいろ」
「……行かないで」
気づけば、そう言っていた。
彼が、足を止める。
「俺は、約束を守るためにいる」
振り返った横顔は、優しくて、悲しかった。
「この学園を、君たちの世界を、壊さないために」
月明かりが、彼の身体を透かす。
一瞬、本当に消えてしまうんじゃないかと思った。
「朝凪くん……」
名前を呼ぶと、彼は私を見る。
「満月の夜が終われば、また普通に戻る」
でも、その言葉は、私を安心させなかった。
――約束を重ねるほど、存在は削られていく。
本に書かれていた一文が、脳裏をよぎる。
「じゃあ……」
声が震える。
「あなたは、いつまでここにいられるの?」
朝凪くんは、答えなかった。
代わりに、そっと微笑んだ。
「放課後まで、だよ」
それは期限みたいな言葉だった。
校舎の奥で、歪みが静かに収まっていく。
境界は、再び閉じ始めていた。
月は、変わらず輝いている。
けれど私は知ってしまった。
彼は、この世界に“居続ける”存在じゃない。
それでも私は――
次の満月を、恐れながら待ってしまう。
(つづく)
人の気配はまばらで、足音も、ページをめくる音も、すべてが控えめだった。
高い窓から差し込む夕暮れの光が、書架の影を長く伸ばしている。
私は入口で立ち止まり、胸元をそっと押さえた。
心臓の音が、やけに大きく聞こえる。
「……来てくれて、ありがとう」
声をかけられて振り向くと、朝凪くんが少し離れた場所に立っていた。
昨日と同じように、近づきすぎない距離。
「ううん……私も、静かな場所が好きだから」
本当は違う。
触れずに話せる場所を、無意識に選んでいた。
二人並んで、奥の閲覧席へ向かう。
机を挟んで向かい合うと、視線が合うだけで胸がざわついた。
「……昨日、大丈夫だった?」
朝凪くんが、気遣うように尋ねる。
「うん。ちょっと驚いただけ」
嘘ではない。
けれど、本当の理由は言えなかった。
しばらく、言葉のない時間が流れる。
沈黙が、重くならないのが不思議だった。
「ここ、初めて?」
彼が、周囲の書架に目を向けながら言った。
「いいえ。よく来るの」
「そうなんだ……なんだか、君に似合う」
不意にそんなことを言われて、頬が熱くなる。
「静かで、落ち着いてて……夜に近い感じがする」
夜に近い。
その言葉に、胸の奥が小さく跳ねた。
私は話題を逸らすように、立ち上がる。
「何か探してる本、ある?」
「……古い本。学園のことが書いてあるやつ」
少しだけ、言い淀む。
その様子が、気になった。
「月影学園って、昔からあるでしょ」
「うん。創立、百年以上前」
「……その頃の話を、知りたくて」
理由は聞かなかった。
聞いてはいけない気がしたから。
二人で書架を巡る。
背表紙に並ぶ、古びた文字たち。
その中で、ひときわ古そうな一冊が目に留まった。
「……これ」
手を伸ばしかけて、私は一瞬、ためらった。
けれど、朝凪くんが少し離れたまま頷く。
「それ、だと思う」
本を引き抜いた瞬間、空気が変わった。
紙の匂い。
埃と、インクと、夜の匂い。
ページを開くと、そこには手書きの図と文章が並んでいた。
『月影学園は、境界の上に建てられた』
心臓が、どくりと鳴る。
「境界……?」
声に出した瞬間、視界の端が、わずかに揺れた。
『満月の夜、世界は重なり、裏側が姿を現す』
『それを守るため、番人が置かれた』
私は思わず、本から目を離して朝凪くんを見る。
彼は、静かに視線を伏せていた。
「……和泉」
低く、真剣な声。
「この先は、読まなくてもいい」
その言葉に、胸が締め付けられる。
「どうして?」
「それは……」
答えはなかった。
けれど、分かってしまった。
この本に書かれていることは、彼自身に繋がっている。
それでも、私はページをめくった。
『番人は、人と関わってはならない』
『約束を交わせば、存在は削られていく』
頭の中で、何かが噛み合う。
満月の夜。
約束。
消えていく存在。
「……朝凪くん」
名前を呼ぶと、彼はゆっくり顔を上げた。
「君は、何を知ったの?」
その問いに、胸が痛んだ。
「全部は……分からない。でも」
私は本を閉じ、そっと抱きしめる。
「この学園は、普通じゃない」
「……うん」
「そして、あなたも」
夕暮れの光が、彼の輪郭を淡く照らす。
その姿が、ほんの少しだけ薄く見えた気がした。
「それでも」
私は、勇気を振り絞って言った。
「放課後、一緒にいられるなら……私は」
言葉は、最後まで続かなかった。
朝凪くんが、静かに首を振る。
「それ以上、言わないで」
優しい拒絶だった。
「君が傷つく」
その一言が、何よりも切なかった。
図書館の窓の外で、空がゆっくりと夜に近づいていく。
月は、まだ見えない。
けれど確かに、世界の裏側は、すぐそこまで来ていた。
そして私は知ってしまった。
この恋は、守られているのに、
同時に、許されていないのだと。
その夜、月影学園はいつもより静かだった。
帰宅途中の生徒の足音も消え、校舎は深い息を潜めている。
私は自室の窓から、ゆっくりと昇ってくる月を見つめていた。
満月だった。
胸の奥が、嫌な予感でざわめく。
図書館で読んだ言葉が、何度も頭をよぎった。
――満月の夜、世界は重なり、裏側が姿を現す。
スマートフォンが震える。
『今、外に出ないで』
朝凪くんからの短いメッセージだった。
指先が、自然と画面を握り締める。
『どうして?』
『……学園が、揺れるから』
意味が分からない。
けれど、彼の言葉には逆らえなかった。
***
それでも、私は学園へ向かっていた。
理由は単純だった。
彼が、そこにいると分かってしまったから。
夜の校舎は、昼とは別物だった。
街灯の光が届かない場所で、影が不自然に揺れている。
「……朝凪くん」
小さく名前を呼ぶと、風が鳴いた。
「来るなって言ったのに」
低い声が背後から響く。
振り向くと、月明かりの中に朝凪くんが立っていた。
いつもより、影が薄い。
それだけで、胸が苦しくなる。
「ごめん。でも……」
「君は、ここにいちゃいけない」
そう言いながら、彼は校舎の奥をちらりと見る。
その瞬間、空気が歪んだ。
廊下の先。
見慣れたはずの床と壁が、ゆっくりと“ずれる”。
まるで、重なり合う二つの写真みたいに。
「……なに、これ」
声が震える。
「境界が、開き始めてる」
朝凪くんは、私の前に一歩出た。
守るように。
「満月の夜だけ、この学園は世界の裏側と重なる」
図書館の本の言葉が、現実になる。
「じゃあ……あなたは」
問いかけると、彼は少しだけ黙った。
「俺は、その“綻び”を抑える役目」
静かな声だった。
「完全に閉じることも、壊すこともできない。ただ……留めるだけ」
彼の視線の先で、影が蠢く。
人の形に似ているのに、どこか歪んでいた。
「……あれは?」
「裏側の残滓。ここに入り込もうとしてる」
私は思わず、彼の服の裾を掴んでいた。
「触れないで」
朝凪くんの声が、少しだけ強くなる。
「俺が境界に触れると、君まで引き込まれる」
手を離そうとして、離せなかった。
「でも……あなた一人で?」
彼は、ほんの少し困ったように笑う。
「慣れてる」
その言葉が、胸に刺さった。
朝凪くんは、月の下へ歩き出す。
足元で、影が静かに退いていく。
「満月が高くなるまで、ここにいろ」
「……行かないで」
気づけば、そう言っていた。
彼が、足を止める。
「俺は、約束を守るためにいる」
振り返った横顔は、優しくて、悲しかった。
「この学園を、君たちの世界を、壊さないために」
月明かりが、彼の身体を透かす。
一瞬、本当に消えてしまうんじゃないかと思った。
「朝凪くん……」
名前を呼ぶと、彼は私を見る。
「満月の夜が終われば、また普通に戻る」
でも、その言葉は、私を安心させなかった。
――約束を重ねるほど、存在は削られていく。
本に書かれていた一文が、脳裏をよぎる。
「じゃあ……」
声が震える。
「あなたは、いつまでここにいられるの?」
朝凪くんは、答えなかった。
代わりに、そっと微笑んだ。
「放課後まで、だよ」
それは期限みたいな言葉だった。
校舎の奥で、歪みが静かに収まっていく。
境界は、再び閉じ始めていた。
月は、変わらず輝いている。
けれど私は知ってしまった。
彼は、この世界に“居続ける”存在じゃない。
それでも私は――
次の満月を、恐れながら待ってしまう。
(つづく)
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