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第二章

第二十四話

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 嗚咽を漏らして泣きつづける悠花を、智晃は寝室に連れこんだ。
 寝室に行くまでにキスをしながら服を脱がせ合って、ベッドに倒れ込む時には二人とも全裸だった。
 智晃は少ない理性をかきあつめて避妊具を装着すると、すぐさま悠花の中に己を突き入れた。本当は一瞬だけ、そのまま彼女の中に入れてしまおうと思った。彼女の生理周期は把握している。今はその時期ではないけれど、妊娠なんてどんなタイミングでおこるかはわからない。
 妊娠すれば、彼女を繋ぎとめておけるかもしれない。
 そんな卑怯な考えが一瞬でも浮かんだ自分を、智晃は蔑んだ。
 いや、こんな状況で妊娠すれば、むしろ彼女は黙って自分から離れてしまう可能性だってある。
 そう思い直しただけで彼女を思い遣ってのことではなかった。
 身勝手で矮小な自分を改めて思い知る。
 愛撫もせずにいれたのに、悠花のそこは智晃をすんなり受け入れてくれた。なおかつ出し入れするごとに滑りをよくし、温かくやわらかく包みこんでくる。

「ごめん……すぐに入れて」
「あやまらないで……私だって智晃さんと早く繋がりたかった」

 悠花が泣きそうに微笑む。
 自分たちの間にはタイムリミットがある。
 本当はもっと話をしなければならないとわかっているのに、それ以上に求めているものがあってそれを互いに理解している。
 智晃は悠花の髪に触れた。頬にも首筋にも鎖骨にも肩にも。
 あますことなく触れ続けながらキスをする。深く舌をからめて互いの唾液を呑みあうキス。くちゅくちゅという水音は唇からも繋がった場所からも響いていた。
 やわらかな胸を少し乱暴に揉む。すでに尖っていた胸の先を指でくすぐった。悠花がびくびくと震える。どこをどうすれば彼女が気持ちいいのか、達するのか、智晃は知り尽くしている。
 彼女にはずっとそういう抱き方をしてきた。
 強く腰を押しつけると、触れ合った唇が逃げて高い喘ぎが漏れる。

「あっ……とも、あきさんっ」
「イきそう? いやらしく濡れて収縮して僕にしがみついている」
「あっ、はぁ……んんっ!」
「悠花が気持ちいいところを抉ってあげる。ほら僕ので一度イこう? 僕も一緒にイく」
「やぁ! あんっ……きちゃう……はぁんっ」

 智晃はそのままスピードを上げて深く彼女の中に入る。悠花も恥じらうことなく、卑猥な声をあげる。智晃は悠花をぐちゃぐちゃに乱したかったし、きっと悠花は壊れたいのだと思った。
 初めて出会った日の霧雨の夜を思い出す。
 そうだ。あの日から彼女はずっと泣いていた。「壊れたい」と言っていた。いや、何度となく悠花は智晃に「壊してほしい」と望んできた。
 快楽に溺れていれば、それだけに集中していれば、余計なことを考えずに済む。
 煩わしいものから解き放たれる。
 それがたとえ一瞬でも。
 それが一時しのぎのことでしかなくても。

「あんっ……やっ、智晃さんっ! イ……くっ」
「悠花っ、悠花!!」

 悠花の弱い場所を狙って、智晃は己を深くさしこんでいく。奥の奥まで、こじあけるようにして抉って、どこまでも彼女の中に入り込んで抜け出せなくなればいいのにと思う。
 どうしてここでしか繋がれないのだろうか?
 彼女がどこにも行かないように、自分に縛りつけられればいいのに、永遠に繋がっていることはできない。
 いつも刹那の感情に突き動かされて、悠花を抱くことが多かった。
 抱けば満たされるはずなのに、彼女とのセックスはいつも智晃に渇望を植えつけた。
 どれだけ抱いても足りない。
 いくら繋がっても離れて行ってしまう。
 そんな危うげな存在感に翻弄され続けた。
 智晃は悠花の手をつかむと指をからませて繋ぎ合った。そのまま悠花の奥へと進んでいく。
 快楽に染まる薄紅色の悠花の頬に、雨のように散っていく水滴が、彼女の汗なのか自分のものなのか、それとも涙なのか区別がつかなかった。初めて会った霧雨のように自分たちはずっと雨の中にいる。
 そして、終わりたくはないのにセックスには終わりがある。

「ああっ……はっ……ああっ!!」

 一際いやらしく悠花の声が耳に届く。
 智晃はぎりぎりまで耐えたものの、抗えずに悠花の中に欲を解き放った。避妊具越しにせき止められて、それが彼女の中に入ることはない。それがひどく歯痒い。
 びくびくと震える悠花を強く抱きしめて、終わりなんかなければいいのにと強く願った。
 自分の腕の中にいる存在が、ふわりと風にさらわれて消えていく。そんな幻想に取りつかれて、智晃は怯えたように悠花を抱きしめ続ける。

「智晃さん……?」
「悠花、離したくない。あなたと離れたくない。このままこの部屋に閉じ込めて、どこにも行けないようにして、縛りつけられたらいいのに……」

 潜在的な本音を口に出すと、頭が勝手に計算をはじめる。
 できなくはない。
 やろうと思えばきっとこのまま悠花を閉じ込めることはできる。
 誰も知らない場所に彼女を連れ出して、そこに閉じ込めて、誰にも会わせず口も聞かせず世の中の雑事も知らせず、噂にものまれないように。
 彼女の細い左手首に課した枷では、すぐに引きちぎられてしまうから手首にも足首にももっと頑丈なものを取り付けよう。いやいっそ手足をもいで自由を奪って動けなくしてしまえば彼女は永遠に自分から逃げ出すことはない。
 そこまで思考が進んだ時に智晃は泣きたくてたまらなくなった。
 

 そんなのはもう……愛じゃない――!!


 ベッドを殴りつけようと振り上げた拳を、智晃は押しとどめた。強く握りしめて理性をかきあつめる。そしてゆっくりと悠花の中から自身を取り出した。
 智晃は悠花から離れると避妊具を片付ける振りをして背中を向けた。欲望のなれの果ての役立たないものをゴミ箱に捨てるとベッドに腰掛ける。
 視界の端に、自分に伸びかけていた悠花の指先がためらうように揺れて、そして握りしめられるのが見えた。

「ごめんなさい……」

 震える声に悠花が泣いているのはわかった。
 でも智晃は口を開くことも、そこから動くこともできなかった。
 口を開けば嗚咽が漏れる。彼女に向き合えば泣いている無様な姿をさらす。
 そしてきっと醜い感情を、汚い言葉にして吐き出してしまう。
 謝罪なんていらない。本当は考える時間なんて必要ない。
 悠花の出した答えが変わらない限り、自分が欲しいものは得られない。
 それがこれから先に訪れる確定した未来。
 それを覆す権利も力も智晃にはない。
 そばにいたいだとか、離れたくないだとか、縛りつけたいだとか、別れないだとか。


 愛しているだとか――――


 そんな言葉に何の効力もない。
 意味もない。

「悠花……シャワー浴びておいで。迎えが来るまでにきちんとしたほうがいい」

 悠花がひゅっと息を呑むのがわかった。泣くのを我慢するそのかすかな音は、刃のように智晃の胸に突き刺さる。悠花は喉をならしてすべてを呑みこむと「はい」という声だけを絞り出した。
 寝室のドアが閉まって、悠花の気配が消える。
 智晃は、さっきは耐えた衝動を解放してベッドに拳を打ち付けた。頭をたれて声を殺す。太腿に落ちていく水滴を追って、シャワールームで泣いているだろう彼女を想った。
 大人になったと思っていた。
 度量が大きくなって、余裕ができて、もっと包み込むように優しく人を愛していけると思っていた。
 卑怯で醜くて不甲斐なくて……こんな惨めな自分がいたことに何度となく智晃は驚く。
 未熟さを罵ればいいのか。
 それともこれほど揺さぶられるような相手と出会ったことを誇ればいいのか。
 智晃は、愛することの困難さに抗う術を見失っていた。





 ***





 悠花は脱ぎ散らかした服を腕に集めて脱衣室にばらまくと、バスルームに飛び込んだ。シャワーコックを全開まで開けて、まだ冷たいままの水を浴びる。
 そしてやっと声をあげて泣いた。
 髪が濡れて肌に重く張り付く。涙と汗でボロボロの化粧も汚く流れていく。
 肌に刺さる水の冷たさが、智晃の代わりに自分を責めているようだった。
 自分が泣くのは卑怯だ。
 智晃を泣かせておいて、自分が泣くのはおかしい。
 優しい人にあんな泣き方をさせるようなことを自分はしているのだ。そのことを受け止められないならそもそもあんな決断するべきじゃない。
 相反しているのだろう。
 別れないと言いながら離れようとするなんて矛盾もいいところだ。
 でもいくら考えてもどうひねり出しても、今の悠花が出せる一番前向きな答えがあれでしかなかった。
 自分の足でしっかり立って前を向いて歩いて行く。
 そこから始めなければ、誰かに手助けしてもらうことも甘えることもできない。
 智晃のそばにいて甘い言葉に酔ってあたたかい腕に包まれて彼に守られる。
 それはきっと悠花の望みで、智晃の望みでもある。
 互いの望みが同じならそれを叶えればいい。
 新たな仕事など探さずに彼と結婚すればいい。
 悠花は智晃を愛しているし、彼もまた愛してくれている。
 自分たちは愛し合っている。
 何度となく心が揺らいだ。これ以上彼を苦しめる選択をするべきじゃないと。
 でも、悠花には見えないのだ。
 その幸せな未来が見えない。
 それを選んだ先に、幸せそうに二人でほほ笑むビジョンが浮かばないのだ。
 自分の中にある遠慮や自信の無さや後ろめたさが消えないときっといつか破たんする。
 それを智晃に理解してもらおうと思うのは我儘で身勝手なことなのだ。
 体が芯まで冷えて、悠花はかじかむ指でようやく給湯ボタンを押した。そこに表示されるデジタル時計を見て、タイムリミットの時間をはかる。
 迎えに来る桧垣の前で泣くわけにはいかない。泣けばそこにつけこまれる。枷のない彼は悠花が望めば地方にも海外にも平気で連れ出そうとするだろう。
 これが最後だと言い聞かせて、悠花は生じるそのままに涙を流した。シャワーのお湯が洗い流しているうちにきっとそれはお湯だけになる。
 今だけ、今だけと念じるように唱えて泣きつづけた。





 ***





 悠花と入れ替わりに智晃がシャワーを浴びて出てきた時、智晃はいつもと変わらない穏やかな表情をしていた。そして時間まで悠花は智晃に背後から抱きしめられたままソファに座っていた。
 その間、互いに言葉を発することなく刻々と迫りくる時を過ごす。
 智晃が準備してくれていたコーヒーは結局飲まずに、彼の手で片付けられていて、カードキーだけがそこにあった。
 悠花は自分を抱きしめる智晃の手をずっと掴んでいた。
 心の中では嵐のように言葉が溢れている。でも何かを口にすればきっと、弱くてずるい言葉とともに涙がこぼれるだけのような気がした。
 触れている場所から気持ちが伝わればいいのにと、夢みたいなことを考える。
 そうすれば、どれだけ本当は智晃のそばにいたいと願っているかわかってもらえるだろう。
 そしてきっとどれだけ彼にそばにいてほしいと願っているかも。

「悠花、下まで送る」
「はい」

 するりと離れて悠花は立ち上がった。智晃と体が離れて冬でもないのに寒いと感じる。背中を向けた彼に手が伸びかけて、悠花は左手首のブレスレットをつかむことで抑え込んだ。

「カードキーは持っていて」

 悠花はきゅっと唇を結んで、差し出されたカードキーを見つめた。そしてそっとそれを受け取る。
 「別れよう」その言葉がいつ出てくるか、怯えていたのだとそのとき気がついた。
 そしてそう言い出されなかったことに、カードキーが自分の手に戻ってきたことに切ないほど胸が痛む。
 きっとこれを受け取る資格などとうに失くしている。
 智晃から離れて遠くへ行こうとする自分には必要ないものだ。

「悠花、必ずまた連絡する」
「……はい」
「悠花も、いろいろ決めたら行動を起こす前に僕に連絡してほしい」
「……はい」
「今度こそ、僕に一番に相談してほしいんだ」
「はい」
「泣かないで……あなたを彼には奪われたくない。彼の前で泣くのだけはだめだ」
「泣かない。智晃さんの前でしか泣かない」

 悠花が智晃にしがみつくのと、智晃の腕がさらうように抱きしめるのが同時だった。
 悠花は目を閉じて泣くのを堪える。嗚咽が漏れないように智晃が唇を塞いでくれる。
 激しく深く求めあうように舌をからめた。
 わずかにしか残されていない時間の中で唯一繋がりあえる場所で互いの愛を確かめ合う。
 それはどこまでも淫靡でありながら、ひどく切ない口づけだった。
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