雨恋ー可愛い義弟はもう、いないー

矢簑芽衣

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第34話

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《今日は一日雨になるようです。“雨隠り 心欝せみ出で見れば 春日の山は色づきにけり”という和歌がありますが、雨で家に籠りがちな人でも出掛けたくなるようなスポットを本日は紹介して…》
 テレビを一瞥することもなく、流れる音声だけを私はベッドの上で寝ころんだまま聞いていた。
『夏樹くんの今後の幸せを一番に考えるべきじゃないですか』
 佳奈ちゃんが放った言葉がずっと頭の中で反芻している。
 私の夏樹への想いは簡単に手放せるものではない。でも、私の想いが夏樹を苦しめているとしたら……。私の心が揺らぐ。
 寝返りをうつと私はベッドの上に放り投げていたスマホに手を伸ばす。スマホで光る画面が私の顔を青白く照らした。
 私は夏樹に電話を掛ける。夏樹はすぐに電話に出た。
『姉さん? どうしたの、姉さんから電話だなんて珍しい』
「今から会えない? 直接会って話したいことがあるの」
『今から? 俺、仕事で外に出てるんだけど少しだけなら時間作れるよ』
「ありがとう。今からそっちに行くから」
 私は電話を切るとベッドから起き上がった。

 夏樹と落ち合う場所は奇しくも、夏樹と一緒に雨宿りをした東屋のある公園だった。公園内で咲いているのか、金木犀の香りが雨の湿った匂いと混ざって漂っている。
 私が東屋で待っていると、すぐに夏樹がやって来た。
「姉さん、待たせたね」
 傘を閉じた夏樹はスーツについた雨粒を払う。
「急にごめんね」
「ううん、平気だよ。外回りの日に雨ってついてないよな。あーあ、こっちも濡れてる」
 夏樹は片足を少し上げると、雨で濡れて元の色よりも濃くなったスラックスの裾を私に見せてきた。
 私の横で無邪気に笑う夏樹。私もつられて微笑む。
 いつも雨が降ると、必ず私のことを心配してそばにいてくれた。手を握ってくれた。あぁ、こんな時に限って思い出すだなんて……。
「ねぇ。私、もう雨の日でも大丈夫だよ。夏樹に守ってもらわなくても」
 いつの日か言えなかった言葉を今、口にする。だけれど、だんだんと声が小さくなって最後は夏樹に届いてなかったかもしれない。
 もし、夏樹の記憶がこのまま戻らないとしたら、私は夏樹にとって姉でしかない。夏樹の今後の幸せを願うのなら、私が夏樹にしがみついていてはいけない。私と離れることが夏樹の幸せだから。
「私、前に夏樹に伝えたいことがあるって言ったじゃん?」
「……うん」
 夏樹の表情から笑みが消えて真顔になった。この時を待ち望んでいたかのように。
「ずっと、伝えられないままだったから今、言うね」
 それくらい最後に言ったって罰は当たらないでしょう?
 最後は夏樹が好きって言ってくれた笑顔で、夏樹にさよならをしよう――。
「夏樹。私、夏樹のことが大好き。世界で一番愛しているよ」

 俺は、姉さんの笑った顔がずっと見たかった。でも俺に向ける笑顔と言えば微笑んでいる顔ばかりだった。姉さんはどんなふうに笑うんだろう。そう、ずっと思っていた。
 そんな姉さんが、今、笑った――。
 陽だまりの中、満開の桜が一瞬見えた。その光景を、俺は、知っている――……。
 瞬間、風が強く吹いて、俺の身体を通り抜けた。木々がざわめく。
「ふふ、言いたかったのはそれだけ。それじゃあ、仕事頑張ってね」
 傘を差すと、俺に背中を向けて歩いて行く。

 俺は震えが止まらない手をずっと見ていた。
 雨音がする。しかし、雨は静かに降っていた。


 

 
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