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幼馴染み
【九】早起きは三文の徳?
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この日にしては珍しく晴れた青空の下で、目の前を歩く笹が居た。
いや、笹を肩に担いだ誰か、だ。
笹の葉が揺れる度に、艷やかな長い黒髪が見える。
それは、真っ直ぐと一本に伸びていた。
後頭部の高い位置で縛られた、一本の髪。それは軽く背中の下まで伸びていて、笹の葉が揺れて触れる度に、ゆさゆさと揺れていた。
「おはようございます、星先輩!」
その笹の葉に先に声を掛けたのは瑞樹だ。瑞樹の隣を歩く優士は、何処か虚ろな目で遠くを見ていたのだが、瑞樹はそれに気付かなかった。
優士は、何故そんな化け物笹を捕まえるのか、あと少しで正門を潜って行ったのに。見ろ、周りが俺達まで変な目で来たじゃないか、と、そう思っていた。
朝が早いから、まだ人通りは少ないが、同じ朱雀に所属する者ならまだしも、一般人の視線が痛かった。
「お。お前ら早いな!」
振り返った笹の葉は、やはり星で、白い歯を見せながらにっかりと笑った。
「今日は優士が食堂の朝定食を食べてみたいって言うから、早くに出て来たんです。星先輩は、何時もこんなに早いんですか?」
瑞樹の言葉に、優士は僅かに眉を動かした。確かに提案したのは優士だが、それは偶には瑞樹に家事を休んで貰おうと思ったからだ。食堂は厨房を挟んで二つのブロックに分かれており、一般人も利用出来る様になっている。ただし、そちらは有料だ。職員ならば無料で利用出来るのだから、使わない手は無い。
しかし、瑞樹の口振りから察するに、そんな優士の気遣いは瑞樹には届いてはいないらしい。
「ん? いや、いつもよりは早いぐらいか? ゆかりんたいちょに見つかる前に、これを食堂に置くんだ! 今日は記念日だからな!」
「記念日? 七夕ってだけですよね?」
「んっふっふっ。昼になればわかるぞ! じゃあな!」
訝しげに眉を寄せる優士に、星は何やら含んだ笑いを零して、門番に『おはよ!』と挨拶をして、走り出し、建物の中へと消えて行った。
残された二人は、ただ頭に疑問符を乗せるだけだ。
◇
「ああ、おはよう。早いな」
二人が更衣室へと行き、着物を脱いで隊服へと着替えていたら、長身で細身の、手には風呂敷包みを持ったむすりとした男が入って来た。
「あ、おはよう…ございます…?」
見覚えがある様な無い様な男の姿に、瑞樹と優士は挨拶しながらも、軽く首を傾げた。
「………そんなに変わる物でも無いと思うが…」
男は額に手をあてて、軽く息を吐いた後に、その手で軽く目に掛かる前髪を掻き上げた。
「っ、たっ!?」
「しっ、失礼しました、高梨隊長!」
そこから現れた、見慣れた形の良い額と細く鋭い瞳に、二人は慌てて頭を下げた。
「ああ、良い、慣れている」
軽く手を振りながら、高梨は二人の横を通り、自分のロッカーへと歩いて行く。
(あれ?)
と、瑞樹よりも先に頭を上げた優士は思った。
高梨と更衣室で出会ったのは初めてで、また、二人よりも朝は早く、帰りの遅い高梨の着物姿を見たのも、これが初めてだった。
隊服はかっちりと首元を隠す詰襟だ。その為に普段はそこを見る事は叶わない。だが、今は着物で、その普段は見られない首元が見えた。その首に、きらりと光る物が見えたのだ。
(…高梨隊長、ネックレスなんて付けていたのか…。…けど…)
「…うわ…」
優士の思考は徐に上げられた瑞樹の声によって中断された。
「…ああ、見苦しくてすまんな。昔の傷だ」
何故声が上がったのか、瞬時に理解した高梨は振り返る事無く、ロッカーの中から白いワイシャツを取り出す。
瑞樹が驚きの余りに思わず声をあげてしまったのは、引き締まり、鍛えあげられた背中に見惚れたからでは無い。
上半身を開けて露わになったその背中、右肩の下辺りから腰の近くまで、薄っすらと赤く引き攣れた様な傷痕があったからだ。
「…妖に、ですか…?」
「ああ。それと一緒に右腕もやられたが、背中程では無い。…怖くなったか?」
瑞樹の問いに答え、ワイシャツに腕を通しボタンを掛けながら、高梨が二人を振り返る。その目はやはり強く鋭く、怖いのならば、逃げるのならば、今の内だと語っている様に見えた。
「あ、いや…っ…!」
「そんな事は…っ…!」
慌てて否定をする二人に、高梨は肩を竦めて見せた。
ロッカーの中からズボンを取り出し、それに足を通しながら口を開く。
「恐怖心があるのは恥では無い。恐怖心を失くす事の方が怖い。覚えておけ。現場で生き残るのは、恐怖心を忘れない奴だ」
「え…」
「それって、ただの臆病者では…」
「そう思うか? まあ、良い。次の新月の遠征には、お前達を連れて行く。覚悟をしておけ」
着物を衣紋掛けに掛けて、ロッカーから爪先に鉄板の入った安全靴を取り出しそれを履きながら、高梨はふと思い出した様に、首を傾げてから言った。
「そう云えば、何故今日は早いんだ?」
と。
「あっ! 朝飯っ!」
「すみません、失礼します!!」
高梨の言葉に、二人は壁に掛けられている時計に目をやり、慌てて安全靴を履き出した。
ああ、なる程と高梨は納得した。
「朝礼に少しくらい遅れても文句は言わんから、落ち着いて食って来い。消化不良で具合が悪くなられては困るからな」
「はいっ!」
「気を付けます!」
素直に返事を返して、隊服の上着を手に慌ただしく更衣室の出入口に向かう二人の背中を見ながら、高梨は口元を緩ませた。
何処かの馬の尻尾も、これぐらいならばまだ可愛げがあるのにと、思いながら。
いや、笹を肩に担いだ誰か、だ。
笹の葉が揺れる度に、艷やかな長い黒髪が見える。
それは、真っ直ぐと一本に伸びていた。
後頭部の高い位置で縛られた、一本の髪。それは軽く背中の下まで伸びていて、笹の葉が揺れて触れる度に、ゆさゆさと揺れていた。
「おはようございます、星先輩!」
その笹の葉に先に声を掛けたのは瑞樹だ。瑞樹の隣を歩く優士は、何処か虚ろな目で遠くを見ていたのだが、瑞樹はそれに気付かなかった。
優士は、何故そんな化け物笹を捕まえるのか、あと少しで正門を潜って行ったのに。見ろ、周りが俺達まで変な目で来たじゃないか、と、そう思っていた。
朝が早いから、まだ人通りは少ないが、同じ朱雀に所属する者ならまだしも、一般人の視線が痛かった。
「お。お前ら早いな!」
振り返った笹の葉は、やはり星で、白い歯を見せながらにっかりと笑った。
「今日は優士が食堂の朝定食を食べてみたいって言うから、早くに出て来たんです。星先輩は、何時もこんなに早いんですか?」
瑞樹の言葉に、優士は僅かに眉を動かした。確かに提案したのは優士だが、それは偶には瑞樹に家事を休んで貰おうと思ったからだ。食堂は厨房を挟んで二つのブロックに分かれており、一般人も利用出来る様になっている。ただし、そちらは有料だ。職員ならば無料で利用出来るのだから、使わない手は無い。
しかし、瑞樹の口振りから察するに、そんな優士の気遣いは瑞樹には届いてはいないらしい。
「ん? いや、いつもよりは早いぐらいか? ゆかりんたいちょに見つかる前に、これを食堂に置くんだ! 今日は記念日だからな!」
「記念日? 七夕ってだけですよね?」
「んっふっふっ。昼になればわかるぞ! じゃあな!」
訝しげに眉を寄せる優士に、星は何やら含んだ笑いを零して、門番に『おはよ!』と挨拶をして、走り出し、建物の中へと消えて行った。
残された二人は、ただ頭に疑問符を乗せるだけだ。
◇
「ああ、おはよう。早いな」
二人が更衣室へと行き、着物を脱いで隊服へと着替えていたら、長身で細身の、手には風呂敷包みを持ったむすりとした男が入って来た。
「あ、おはよう…ございます…?」
見覚えがある様な無い様な男の姿に、瑞樹と優士は挨拶しながらも、軽く首を傾げた。
「………そんなに変わる物でも無いと思うが…」
男は額に手をあてて、軽く息を吐いた後に、その手で軽く目に掛かる前髪を掻き上げた。
「っ、たっ!?」
「しっ、失礼しました、高梨隊長!」
そこから現れた、見慣れた形の良い額と細く鋭い瞳に、二人は慌てて頭を下げた。
「ああ、良い、慣れている」
軽く手を振りながら、高梨は二人の横を通り、自分のロッカーへと歩いて行く。
(あれ?)
と、瑞樹よりも先に頭を上げた優士は思った。
高梨と更衣室で出会ったのは初めてで、また、二人よりも朝は早く、帰りの遅い高梨の着物姿を見たのも、これが初めてだった。
隊服はかっちりと首元を隠す詰襟だ。その為に普段はそこを見る事は叶わない。だが、今は着物で、その普段は見られない首元が見えた。その首に、きらりと光る物が見えたのだ。
(…高梨隊長、ネックレスなんて付けていたのか…。…けど…)
「…うわ…」
優士の思考は徐に上げられた瑞樹の声によって中断された。
「…ああ、見苦しくてすまんな。昔の傷だ」
何故声が上がったのか、瞬時に理解した高梨は振り返る事無く、ロッカーの中から白いワイシャツを取り出す。
瑞樹が驚きの余りに思わず声をあげてしまったのは、引き締まり、鍛えあげられた背中に見惚れたからでは無い。
上半身を開けて露わになったその背中、右肩の下辺りから腰の近くまで、薄っすらと赤く引き攣れた様な傷痕があったからだ。
「…妖に、ですか…?」
「ああ。それと一緒に右腕もやられたが、背中程では無い。…怖くなったか?」
瑞樹の問いに答え、ワイシャツに腕を通しボタンを掛けながら、高梨が二人を振り返る。その目はやはり強く鋭く、怖いのならば、逃げるのならば、今の内だと語っている様に見えた。
「あ、いや…っ…!」
「そんな事は…っ…!」
慌てて否定をする二人に、高梨は肩を竦めて見せた。
ロッカーの中からズボンを取り出し、それに足を通しながら口を開く。
「恐怖心があるのは恥では無い。恐怖心を失くす事の方が怖い。覚えておけ。現場で生き残るのは、恐怖心を忘れない奴だ」
「え…」
「それって、ただの臆病者では…」
「そう思うか? まあ、良い。次の新月の遠征には、お前達を連れて行く。覚悟をしておけ」
着物を衣紋掛けに掛けて、ロッカーから爪先に鉄板の入った安全靴を取り出しそれを履きながら、高梨はふと思い出した様に、首を傾げてから言った。
「そう云えば、何故今日は早いんだ?」
と。
「あっ! 朝飯っ!」
「すみません、失礼します!!」
高梨の言葉に、二人は壁に掛けられている時計に目をやり、慌てて安全靴を履き出した。
ああ、なる程と高梨は納得した。
「朝礼に少しくらい遅れても文句は言わんから、落ち着いて食って来い。消化不良で具合が悪くなられては困るからな」
「はいっ!」
「気を付けます!」
素直に返事を返して、隊服の上着を手に慌ただしく更衣室の出入口に向かう二人の背中を見ながら、高梨は口元を緩ませた。
何処かの馬の尻尾も、これぐらいならばまだ可愛げがあるのにと、思いながら。
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