寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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番外編

砂時計は引っ繰り返らない※※

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「え? 結婚ですか?」

 一度目の別れ話は、それだった。

「ああ。この間、縁談の話をしただろう」

 知る人ぞ知る、小さな呑み屋の隅のテーブル席に座った私達の話に耳を傾ける者は居ない。
 私達も含め十人程度の者が居る店内は、小さな囁き声が程良い楽曲の様にさざめいている。
 ここに居るのは、皆、男性で。
 ここに来る者は、身体の寂しさを埋める為に訪れる者ばかりだ。
 事実、私と彼もここで出逢った。

 ◇

 カウンター席に見掛けないが、何処かで見た気がする青年がいるな? と、思った。
 長い前髪で見え隠れしている、その目は細く鋭い。

 う~ん。初めてなのかな?
 そんなに殺気を放っていたら、誰も寄って行かないよ?
 まあ、私は行くけど。
 その精悍な顔は好みだし。身体付きも着物の上からだけど、覗く腕から鍛えられているのが解ったから。

 声を掛ければ、こちらを睨んで来たけど、直ぐに『ん? …何処かで会ったか?』と、首を僅かに傾げて見せた。これは了承の合図だろう。だから私も『奇遇ですね。私も同じ事を考えていました』と、目を細めて笑って見せた。
互いにそのつもりで来ているのだから、彼の太腿に手を置き、擽るように撫でれば『…その…初めてなんだが…』と、小さな呟きが聞こえて来て私は目を丸くした。

 え、嘘でしょ?

 小さく呟いたつもりが、彼には聞こえていたらしい。瞬時に朱が走った頬に触れながら、顔を近付けて耳元で囁いた。

「…私で良ければ教えて差し上げますよ?」

 と。

 それから数日経った日の事。
 討伐隊の医務室勤務に当たる日を密かに楽しみにしていた。

「悪いんだけど。こいつ診てやってくれないかな? 廃屋であやかしに脚をやられてさー」

 熊が、一人の青年に肩を貸してやって来た。
 その緩い顔は私の好みでは無いから、熊の名前は覚えていないが。
 肩を借りている青年は隊帽を被ったままで下を向いている為、顔は解らないが、この彼も背が高い。
 脚と言った様に、太腿に血の滲んだ包帯が巻かれている。現場で応急手当をしたのだろう。その破れたズボンは廃棄だろうな。

「ええ。座って脚を見せて下さい」

「ほら、ゆかりん座れ。ズボン捲れるか?」

 正面にある丸椅子に座る様に促せば、熊は頷いて青年をそこへと座らせた。

「…勤務中だ。高梨と呼べ」

 …あ…。
 この声…。

 ズボンを捲る為に屈んでいるし、やはり顔は見えないが、この声と周りを威圧する様な空気はつい先日経験したばかりだ。

「あー、腿だから、捲るだけじゃ駄目か。脱いだ方が早いな」

「おい! 天野!」

 カチャカチャと熊が座った青年の正面に回り、ズボンのベルトに手を掛ける。慌てて彼がその手を押さえるが、普通の人間は熊には勝てないと思う。あ、今、名前を言ったかな? まあ、熊の名前はいいか。
 しかし、熊が言う言葉はもっともなので、私も一言。

「男同士ですし、恥ずかしがる事はありませんよ。楽にして下さい」

 これは先日私が彼に言った言葉だ。

「…ん…?」

 私の言葉に彼が熊から手を離し、顔を動かして私を見て来た。熊が邪魔で見えないのだろう、身体を傾けて必死に首を伸ばしている。それが、ちょっと可愛らしく見えてしまう。

「よし! ちょっと腰を上げろな!」

「こっの、馬鹿力!」

 言うが早いか熊は片手で彼の腰を僅かに浮かせた隙に、もう片方の手でズボンを太腿の辺りまで下げた。それ以上は包帯を解かなければ無理だ。

「さ、センセ、チャチャッと診てやって!」

 熊が退いた事で、私はようやく真っ直ぐと彼を見る事が出来た。
 私がこちらの当番の時に彼の医務室の利用は無かったが、私は食堂で遠目に彼を見ていた。
 あの夜、汗で張り付いた前髪を掻き分けてやって、本当に驚いた。
 好ましいと思っていた彼の顔がそこにあったのだから。

 お返しとばかりに、私は仕事の時には着用している分厚いレンズの眼鏡を外して彼に笑い掛ける。

「先日はどうも。怪我が治ったらどうですか?」

 逃がしたくない気持ちが強くて、つい、口が滑ってしまった。
 私の言葉に彼は瞠目して固まり、熊は目を瞬かせながら私と彼を交互に見ていた。

 ◇

「ええ、断り切れずにお受けしたと聞きましたが…」

 出逢った頃は未だ若かったなと思いながら返事をすれば『ああ』と、対面に座る彼が小さく頷いてお猪口を傾ける。
 異国の酒も美味しいのだけど、と、私も自分のグラスに口を付け、彼の長い指を見ながら次の言葉を待つ。
 目が隠れそうなぐらいの長さの前髪を梳いて、彼は私を見て言った。

「だから、もう会うのは止めよう」

 と。

「…何故ですか?」

 目を細めた私に、彼は軽く眉を寄せた。

「相手に不義理だろう。普通の夫婦像を彼女は望んでいる。その願いを叶えてやりたい」

「その彼女とまぐわうつもりなのですか?」

「ぶほっ!?」

 言葉を選ばない私に、彼が口に含んでいた酒を噴き出して、げほげほと咽る。

「夫婦となるのですから、それは当然の行為ですが、あなた、女性相手に勃起するのですか?」

「ちょ、ま、詳しく話すから場所を変えるぞ!」

 酒のせいだけでは無く、顔を赤くした彼が勢い良く椅子から立ち上がった。

 ◇

「…何故、こうなる…?」

 場所を変えると言っても、行き着く先は私の家なのですけどね。
 平屋で部屋が四つ程ある私の家へと彼を招き入れて、詳しい話とやらを聞いていたら、別に別れる必要は無いのでは? と、思い、気が付いたら私は彼を押し倒していた。

「だって、それは偽装結婚でしょう? 私と別れる必要はありませんよね?」

 彼の腰を跨ぎ、着物の合わせ目から手を忍び込ませて、素肌に触れれば、彼は僅かに身を捩らせた。

「偽装だろうが何だろうが、婚姻は婚姻だ。夫となる相手の悪い話なぞ聞かせられないだろう」

「…悪い話、ですか…」

 さわりさわりと手を動かし、その程良い胸筋を堪能しながら、ゆっくりと手を腹筋へと移動をさせる。仕事柄、鍛えられた身体はとても美しい。処々に見て取れる傷痕も、彼が過酷な中を生き抜いて来た事を物語っている。
 腰の帯を解き、身体の位置を太腿の辺りまでずらし、身を屈めて顔を近付けてゆっくりとその傷痕に舌を這わせれば、彼の手が伸びて来て私の肩を掴んで来た。

「止せ。今日はそのつもりは無い」

 ただでさえ細い目を更に細めて彼は言った。

「お構いなく。あなたにその気は無くとも私にはありますから。それに凡そ二週間ぶりですよ? 溜まっているのでは?」

 囁く様に言いながら、布の上から彼の男根に唇を寄せて行く。まだ柔いそこに触れるのは、先にも口にした様に久しぶりで。そこから齎される快楽を知っている私は、口を開きその布越しに軽く歯を立てた。

「…っ、おい…っ…!」

 私の肩を掴む彼の手の力が強くなる。
 けど、そんな事をしても、ね?
 それは、反応していると教えている様な物だ。

「ねえ? これは悪い事なのですか? 私達は…私達も、互いに利害が一致したから、この様な関係になったのですよ? 結婚したとて、それからはずっと一人で熱を発散されるのですか? 無理ですよね? それが出来ていたのなら、今もこうしていませんよね?」

 身体を離し、布の中から芯を持ち始めた男根を取り出して見れば、そこには僅かに雫が浮かんでいた。
 そろりと指先でなぞればぴくりと震え、更に雫が溢れて来る。
 それに気を良くして男根を口に含めば、彼はギリッと私の肩に爪を喰い込ませて声を荒らげた。

「…つ、やま…っ…!」

「まだ婚姻前ですから構わないでしょう?」

 僅かに唇を離し、息を吹き掛けながら言えば、彼は眉を寄せる。

「…前だからとかは関係無い。俺は…っ…!」

「そんなに相手が気掛かりなのですか? それなら、私達の関係を話して許可を取れば良いでしょう?」

「はあっ!?」

 掴まれた肩の痛みに、軽く眉を顰めながら私は続ける。

「私もあなたも、まだ若いのですから。我慢は身体に良くありませんし。それに、彼女に自身の事を話したと言っていたではないですか。何時か、何処の誰とも知れぬ相手と恐々と関係を持つよりは、私だけに留めておいた方がお得ですし、私と云う存在がある事を知っていれば、彼女も安心すると思いますけどね? 彼女だって、それが出来ない事の負い目を追わずに済みますし」

「…ぐっ…!」

 そんな事は無いと言いたいのだろうが、私が持つ彼の男根は、もう完全にち上がっている。ドクドクと脈を打ち、開放して欲しいと溢れる雫は留まる事を知らない。
 腰を上げて、私も自分の腰の帯を解き、褌の紐を緩める。

「…ねえ? 互いにこうなってしまえば、もうどうしようもありませんよね?」

 股間に張り付いた布を剥がしながらそう言えば、彼の喉が上下した。

「…ん…っ…」

 彼の雫と私の雫を指に絡め、腕を回し後ろへと持って行く。
 顔は彼の男根へと近付けて、再びそれを銜える。
 腰は高く上げて、自分の指で解そうとするが、これだけでは滑りが足りない。もっと欲しい。

「…っ、そ…っ…!」

 そう思いながら、彼の幹を扱き鈴口を舐め、抉る様に突けば、彼が舌打ちをして片肘をついて腹筋を活かして起き上がった。

「…その気になりました?」

「…責任は取って貰うぞ」

 目元を赤くして睨み付けて来る彼に、私は唇の端だけで笑って見せた。

「ええ、お手柔らかに」

 …この時、素直に『別れたくたない』と『離れたくない』と、口にすれば良かった。
 今となってはもう遅いけれど。
 たった一言で良いから、想いを口にすれば良かった。

 ◇

 二度目の別れ話は、彼が結婚してから四年が経った頃。
 例のあの店でだ。
 嫌な予感はしていた。
 彼が、遠征に行った村から一人の子供を連れて帰って来た、と云う話は聞いていた。
 妖に襲われて身内を亡くした子は寺に預ける事になっている筈だ。
 だが、彼はその子を引き取り育てると言う。

「…今すぐにでも死んでしまいそうで、手が離せなかった」

 苦しそうに眉を寄せて話す彼に何と言えただろうか?
 あの時と同じ様に、身体で引き留める事なんて出来ない。
 嫌だと泣いて縋って見せる事が出来たのなら笑い話にでもなったのだろうか。

「あなた、実はお稚児趣味だったんですか。なるほど。結婚していれば養子も迎えやすいですからね。噂によると虐げられてきたせいで、成長が遅いとの事ですね。身体が出来るまで、むやみやたらと手を出してはいけませんよ」

 実際の私は酷薄な笑いを浮かべて、悪態を吐いていた。

雪緒ゆきおはそうでは無いっ!」

 ドンッと彼がテーブルを拳で叩く。
 店内のさざめきが止まったのを見て、彼が唇を噛み目を伏せた。
『とにかく』、と努めて冷静さを装って語る彼の言葉に耳を傾ける。
 早くに親を亡くしたその子供は親族の処を転々としていたと。
 子供の親には借金があった。それを親族が肩代わりしたと。
 その親族が立て替えた借金を、彼が親族に叩き付けて来たと。
 借金の事を子供は知らないし、話すつもりも無いと。
 子供はまともな食事も衣服も与えられていなかったと。
 何処でも小間使いの様な事をさせられて来たと。
 酷い人間しか知らない子供の為に、そうでは無い人間も居るのだと教えたいと。
 その手本となるような者になりたいと。

 …ねえ? それはどんな想いなのかな?
 自分がどんな表情で話しているのか解ってる?
 悔しいから言わないけれど。

「そうですか。では、仙人目指して頑張って下さいね」

 にっこりと微笑んで言った私のその言葉が、ほぼほぼ実現するだなんて、この時は思いもしなかった。

 ◇

 それから月日は流れ、日蝕と云う悪夢の様な日が来た。
 次々と運び込まれる患者に、一般も朱雀も関係無い。討伐部隊からの要請で、一般病棟に務めている者も現場へと出ている。一般病棟の医師だけでは手が足りず、民間の医師達にも声を掛けた。要請に応じてくれた医師は、討伐隊の者に守られてこちらへと来てくれる手筈になっている。
 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。
 非常電源とて無限では無い。
 日蝕が終われば、妖は退くのだろうか?
 妖が溢れ返った現状では、停電の復旧作業もままならない。
 早く日蝕が終われば良い。
 それだけを思いながら、運び込まれた患者の手当てをして行く。
 その時、首から下げている小型無線機から通信が入った。

『討伐隊の鬼の高梨が負傷した。これからそちらへ向かう』

 心臓が大きく跳ねた。
 今すぐにでも飛び出して行きたいが、目の前の患者を放り出す訳には行かない。
 負傷した。
 誰が?
 彼が?
 現場の治療では間に合わないのか?
 そんな怪我を彼が負ったのか?
 額から流れる汗がやけに冷たく感じた。

「…ゆかりさんは…っ…!」

 患者の手当ても落ち着き、事後処理が終わった頃には、外はもう夜の闇の中だった。
 彼は、民間から応援に来てくれていた相楽さがらと云う医師が診てくれたとの事だった。
 彼が居る病室の前で、そこから出て来た白衣を着た男性に、私は声を掛けた。
 黒縁の丸い眼鏡を掛けた垂れ目の彼は軽く瞬きをした後に、そっと人差し指を口にあてた。

「…紫君は麻酔が効いて眠ってるから。話は向こうで」

 にっこりと笑う彼に、私はそれに思い当たった。
 相楽と云う名前と、狸顔の彼。
 ああ、彼が良く話す狸の友人とは、目の前の彼の事かと。
 給湯室でお茶を入れてその熱に、ほっと息を付きながら、相楽医師の話を聞く。命に別状は無いとの言葉に、大きく安堵した。まあ、暫くは療養が必要だが、良い機会だからのんびり休めば良いと相楽医師は笑う。

「様子を見に行っても?」

 と聞けば、相楽医師は軽く苦笑をして『…雪緒君が居るから…』と、肩を竦めた。

 …目の奥が笑っていない…。
 …邪魔をするなと云う事だろうか…。

 雪緒君の話は時々、こちらにも流れて来る。
『鬼の高梨の養子』と云う事で、何かと注目を集めるのだ。『夏バテに良い食べ物はないか』と、あちらこちらの隊員に聞いたり、厨房の人間に話を聞いて回ったと云うのは有名な話だ。

 …と云うか、相楽医師は私の事を知っているのだろうか…?
 そう思った処で、ああ、そう云えば慌てていたせいでうっかり『紫さん』と、言ってしまっていた事に気付いた。そのせいかと。

「…まあ、見るだけならねえ~」

 思わず胡乱な目で見てしまったのだろう私に、相楽医師が軽く頭を掻きながら笑った。

 そっと戸を開けて、僅かな隙間から様子を伺えば、ベッドで眠る彼と、その脇の椅子に座る小さな少年が目に入った。

 …確か十六になる筈だが…細くて小さいな…。

 雪緒君は、きちんと揃えた脚の上に手を重ねて置いて、じっとベッドで眠る彼を見ていた。どんな些細な変化でも見逃すまいと云う様に、息を詰めて。
 どれだけ泣いたのだろうか、離れていて横顔しか解らないが、その丸く黒い瞳は腫れている様に見えた。

 そっと息を吐いて、開けた時と同じ様に静かに戸を閉めて歩き出す。

「ごめんねえ? 僕、二人を応援してるんだよね~」

 声が届かないであろう位置まで来た処で、背中に相楽医師のそんな声が届いた。

「…そうですか…」

 …無理だな、と私は思ってしまった。
 僅かな時間ではあるが、あの空気に触れてしまったら、嫌でもそう思ってしまう。
 あんなに真摯な目で彼を見られてしまったら、本当にどうしようもない。
 当初はとても見すぼらしく、感情も見せない子供だったと聞く。だが、身体は小さく細いが、髪には艶があり、肌も瑞々しく見えた。あの痛々しい涙の痕も彼が流させた物。
 雪緒君をそうしたのは他でも無い、彼だ。

「…本当に、仕方が無いですね…」

 あの日に。
 最初に別れを切り出された日に。
 身体だけで無く、その心も欲しいのだと、口にすれば良かった。
 だが、過ぎた時間は戻らない。
 現実の時間は、砂時計の様に引っ繰り返して戻る物ではない。
 もう、戻りはしないのだ。

 私は厠へと行き、後を付いて来た相楽医師にそこに並ぶ物を指差して言った。

「…彼に…を使う様に言ったら、どんな顔をしますかね?」

 と。

「ぶっ!! いいね、それっ!!」

 相楽医師は一度瞬きをした後に、腹を抱えて笑い出した。

 だって、仕方が無い。
 完全に失恋したのだから。
 少々の意地悪ぐらいは笑って許して欲しい。
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