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23.放送初日②

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12月13日夜
都内某所

 ヒナキはURANOSの新曲「Get Over」を口ずさみながら、新ドラマの放送開始を待っていた。自分の出演しているドラマを見ること自体に、もはや感慨はない。けれど、今回は違う。
「JUNの俳優デビュー作だもんな……はぁ、涙が出るよ」
 URANOSをデビュー当初から(といっても1年そこそこだが)追っているファンとしては、複雑な気持ちもあるが、自分と同じ領域に来てくれるなんて、感慨深いものがある。
——ずっと一緒に演技していたとはいえ、画面越しだとどうなるのか楽しみだな。
 そう思った直後、先日の撮影を思い出し、ふっと額が熱くなる。11月最後にNGを連発した、例のキスシーンだ。
 そうして、それに釣られて思い浮かぶのは、つい数日前の潤とのやりとり。2人で走って、薄暗いところに逃げ込んで、初めてプライベートなキスをした。
——あのとき、なんでキスしたんだろう。
 その疑問に対する答えは分かり切っている。けれど、潤に確かめた訳ではない。潤は潤で、気持ちを隠すつもりはないのに、今すぐ口にする気はないようだった。
——言ってしまったら、僕を殺さなきゃいけなくなるから?
 マリンの話が本当かどうかも分からないのに、この数日間、ヒナキはその考えに取り憑かれていた。
「潤を死なせるわけにはいかない……でも」
 もし潤がヒナキを殺したら。それで、幸せに生きてくれるのだろうか? ヒナキを殺したことなど忘れて、死神として、ヒトとして、長い人生をまっすぐに歩いていけるのだろうか?
「なんて、考える辺り性格悪いな……僕は」
 思わず自嘲する。ひやりとした部屋の中に、小さく乾いた笑い声が響いた。
 自分など、潤にとっては取るに足らない存在だ。まだ若い彼には、一時の気の迷いに過ぎない。そしてヒナキにとってもまた、潤と過ごした時間は長い生涯の中のほんの一瞬でしかないのだ。その一瞬の幸せのために、果たして全てを犠牲になどできるだろうか。
「…………考えても、仕方ないか」
 ヒナキは長いため息をついた。これまで、自分の死についてなど考えたことなどなかった。前向きに生きることも、死ぬことも、望む理由がなかったのだ。
——でも、最後くらい。
 愛する誰かのために、綺麗に終わらせられるなら。それも悪くないんじゃないだろうか。ただぼんやりと、無駄に長い時間を意味もなく漂うよりは、きっちり終わりを迎えられた方が有意義なのでは?
 そう、理論上は分かっていても、心はついてこない。そんなことを本心では望んでいない。ヒナキは、橘花アオイのように時間の尊さなど知らない。
 視界の端で、ふと何かが光るのが分かった。視聴予約していたテレビが、自動で電源をオンにしたらしい。いつのまにか、時刻は0時30分になっていた。
——始まる。
 ヒナキはテレビの前まで移動すると、立ったまま画面を眺めた。見覚えのある導入シーンに、見覚えのある背景、セット、衣装。火野カガリが教師に殴られるシーンから、物語は始まった。
——そういえば、読み合わせの時このシーンをしたんだったな。
 たった3ヶ月前の話だが、今ではもうずっと昔のことのようだ。憧れの存在でしかなかったJUNが、ヒナキの目の前に現れて。いつのまにか、触れられる存在になって。
——僕は、本気で好きになってしまった。
 無意識のうちに、唇に指で触れていた。横浜で彼とキスをしたのが、夢だったのではないかとさえ思えた。もう、潤の温もりなどカケラも残っていない。
「ねぇ、友達になろうよ。火野君」
 画面の中で、橘花アオイが笑った。柔らかな音楽に包まれて、カガリと見つめ合っていた。
「オレのことはカガリって呼べよ。アオイ」

「ふふっ……」
 少しぎこちなさのある潤に、思わず笑ってしまう。撮影が始まってすぐの潤は、そういえばいつもガチガチに緊張していた。今でこそ分かるが、あまり喋らないのは緊張している表れだった。彼は本来よく喋る方なのである。
 CMが始まり、物語が途切れた。ヒナキはスマホを取り出して、潤とのトーク画面を開いた。
「ドラマ見てる?」
 一言、それだけを送信する。思いのほか、すぐに既読がついた。
「見てます(絵文字)」
 目の絵文字つきで届いた返信に、またヒナキは笑みを溢した。
「恥ずかしいですけど
なんか懐かしくて楽しいです」
 続けて届いたメッセージは、潤の素直な感想らしかった。ヒナキはスタンプを返し、返事を打ち始める。
「潤が緊張してるの画面越しでも伝わってくる」
 これも、送ると同時に既読がついた。CMが終わるまでおそらくあと少しだが、彼もスマホを持ったまま待っているらしかった。
「えっ(絵文字)」
 ショックを受けた絵文字がついている。潤がその顔をしているのを想像したら面白い。ひとしきり笑ってから、スタンプを返した。
 ほどなくして、ドラマの後半が始まった。ヒナキはスマホを握ったまま、画面に向き直った。カガリのモノローグが入っている。別撮りだったためか、このセリフはリラックスしているようだ。
 アオイと、まだ出会って間もない頃のカガリは、彼のペースに振り回されて戸惑う場面が多い。一匹狼だった彼が少しずつ絆されていく様は、潤の緊張が解けていく様子と重なっているかのようだ。
 シーンが進むにつれて、ヒナキは画面に集中するようになった。やはり脚本で読むよりも、作品として映像を見る方が没入感があって楽しい。これが好きだから、役者をやっていると言っても過言ではないのだ。
「僕も友達って呼べる人ほとんどいないんだ。一緒だね」
 アオイがカガリに向かって微笑む。
「ハァ? お前と一緒にすんな」
「あはははっ、結構似たもの同士だよ、僕たち」
 主題歌のイントロが流れ始めた。第1話がもうすぐ終わる。ここは、ヒナキにとっても印象的なシーンだった。
「誰も信用せずに生きてきた……君は僕と同じ匂いがするんだ、カガリ」
「あ……?」
「これからよろしくね」
 エンドクレジットとともに、JUNの歌声が流れ始めた。このドラマのためにMEGが書き下ろした、「Never Let Me Go」。サブスクを解禁してからしばらく経つが、テレビのスピーカーで聴くと、いつもと違って聞こえる。
 ドラマ用に短く編集されたその曲は、ちょうど次話へ繋がるカットと共に終わった。すぐにCMが流れ始め、現実へと引き戻される。
「……終わった」
 ヒナキはスマホを取り出した。潤に何を言おう。トーク画面を眺めながら考える。行方の定まらない指が、空を切った。
 「僕と潤も、もしかしたら似たところがあるのかもしれないね」なんて、言えるはずはない。それはヒナキの心のうちに留めておくべきだ。
 そうこうしているうちに、潤からのメッセージが届いた。
「あとで電話してもいいですか?」
 思わずスマホを落としそうになり、ヒナキは慌てて指に力を込めた。
——で、電話!?
 なんで、と返すわけにもいかず、ひとまず「いいよ」と返信する。すると、潤からあまり見たことのない可愛らしいスタンプが送られてきた。
「なんでひよこ?」
 潤らしくない。ような気がする。けれど、それがまた面白くて、ヒナキは笑った。
——電話なんかしたら、会いたくなっちゃいそうだな。
 そんなことを考えながら、テレビの電源を落とした。いつの間にか、部屋の中は寒くなくなっていた。





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