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 マーシャは急いで帰宅し、自室に籠る。
 どういうことなの。話が違う。
 ヒロインは、十歳の頃から冒険者として活動していたあの娘だった。
 ヒロインは、主席だった。
 ヒロインは、レイノルド殿下と顔見知りのようだった。
 そして自分は、生徒会に入れなかった。
 入学式当日の、王太子に教室へ案内してもらうイベントが不発だった。
 悪役令嬢かヒロインかの二択であり、先に王太子に話しかけた方が教室へ案内してもらえるはずだったのに。
 あの娘は平民で、生活の為に冒険者をしているのだろうと憐れんで優しくしてやっていたのに、違った。
 学園に入学し、ゲームがスタートしてからヒロインらしく成長していくストーリーであったのに、現実は異なっている。
 冒険者として連れ歩いていたから、彼女もおそらくDランクあたりだろう。
 主席であったということは、生徒会入りするのだろう。
 
 本来入るはずであった、このわたくしを押しのけて!
 
 …王太子や公爵令息ルートに入ると、成績がそれほどでなくても生徒会に出入りする権利が与えられる。
 悪役令嬢に虐められて辛い思いをしているヒロインを守る為、という名目で。
 だがマーシャは虐める予定なんてなかったから、上手く行けばヒロインは王太子と関わることなく終わるはずだったのに。
 名目に関係なく生徒会に入るのなら、狙われてしまう可能性が高い。
 すでに王太子と顔見知りであったなら、兄を通して取り入っているかもしれない。
 ああ、嫌だ。
 レイノルドのことが好きなのに。
 ヒロインがレイノルドを狙っているのなら、勝ち目はないのでは?
 でも、諦められない。
 好きなんだもの。
 前世を思い出す前に好きになり、思い出してからも好きだったのだ。
 虐めたりはしない。
 断罪されても、逆に「ざまぁ」してやるつもりでいた。自分は虐めたりしていない、冤罪であるのに悪者にしてくるヒロインが酷い、という風に。
 ヒロインはスタンピードの討伐メンバーに選ばれれば、ハッピーエンドが約束されたも同然だった。
 レイノルドにしろ他の攻略対象にしろ、本陣で指揮を取るので前線には出て来ない。
 その頃には愛を自覚し始めているレイノルド達は、ヒロインを前線に送らねばならないことに心を痛めている。
「必ず無事に、帰って来てくれ」
 泣きそうな表情を堪え、両肩に手を置いて囁くスチルは乙女心を打ち抜いた。
 生きて帰れば愛が深まる。
 悪役令嬢は討伐メンバーに選ばれ、共に行動するヒロインを殺そうと画策する。
 わたくしはそんなことはしない。
 理想は、自分が選ばれ、ヒロインが選ばれないこと。
 自分は侯爵令嬢である。
 上位貴族の繋がりはあるし、王家との関係も悪くない。
 レイノルドは、来年には卒業してしまう。
 今年一年が勝負なのだった。
 これまで通りお茶会等の集まりには積極的に参加する。
 王家主催の大規模なパーティーでもない限り下位貴族は呼ばれないから、その間にレイノルドとの距離を詰めるのだ。
 上位貴族の令嬢のお茶会に、男爵家の子供が呼ばれることもまずない。
 ヒロインがいないところで、勝負する。
 後は、ヒロインの行動の監視。
 冒険者としての行動は、高ランクの冒険者を雇って監視させるのが手っ取り早い、と考える。
 執事に「父に内緒で」とお願いすれば、困った顔をしながらも聞いてくれるので好きだった。
 メイドも、護衛も、皆優しくしてくれるので好きだった。
 あとは、自分が幸せになるだけだ。
 すでに侯爵家の後継となる弟がいるから、わたくしはどこかに嫁がねばならない。
 せっかく嫁ぐなら、王太子妃を目指して何が悪いのか。
 自分が真実の愛の相手になることだって可能だろう。
 この世界は、ゲームの世界だが現実なのだ。
 幸いなことに、悪役令嬢のスペックは高い。
 青みがかった明るい茶髪に碧い瞳の美少女であるし、頭だって悪くない。
 討伐メンバーにだって選ばれるくらいなのだから、冒険者としても優秀なのである。
 ああ、面倒だけれど、ランクも上げておきたいわ。
 お父様に、お願いしなければ。
 外泊を許してくれないから、ランクを上げられないのだ。
 侯爵令嬢がそんなことをする必要はない、と言われるけれど、将来の為にできることはしておかなければ。
 何よりも、レイノルドに好きになってもらうために。
 そう、マーシャは決意するのだった。
 
 
 
 
 
 翌日、マーシャが登校すると、空気がおかしい。
 皆、挨拶すれば返して来るけれども、すぐに目を逸らす。
 昨日早々に帰ってしまったせいで、友好を深め損ねたからか、と思い至り、マーシャは隣の席で本を読んでいる同位の侯爵令嬢に話しかけた。
「エリザベス様、選択科目はもうお決めになりまして?」
「…ええ、だいたいは」
「わたくし魔法が得意ですので、魔法科を中心に取ろうかと思っておりますの。エリザベス様はいかが?」
「わたくしは婿を取って家に残りますので、経営や法律を取ろうかと思っておりますわ」
 エリザベス・ホーキングは侯爵家の一人娘である。
 婿を取るのは理解できたが、経営や法律を学ぼうとすることには疑問が沸いた。
「領地経営に関わるということですの?それは当主の仕事ではなくて?」
「もちろんそうなのですけれど、婿となる方とともに自領を盛り立てたい、と願うのはいけないことかしら」
「いいえ、立派だと思いますわ。けれど社交を考えるのであれば、淑女科でもよろしいのでは?」
 思いついた科を言えば、エリザベスは眉を顰めて戸惑うような仕草をした。
「…淑女科の内容はご確認になってません?」
「え?ええ、取るつもりもないものですから、よく見ておりませんの」
「…そうですか。あら、ミラ様、ごきげんよう」
「エリザベス様、おはようございます」
 教室に入って来た、前の席の伯爵令嬢に挨拶をしたエリザベスは、マーシャから目を逸らし読んでいた本をミラに向けた。
「先日教えてくれた本、さっそく読んでおりますのよ。とても興味深くて面白いわ」
「ああ、良かった!私が大好きな先生の、デビュー作ですの。ミステリーとホラーの融合ですので、ご婦人にはなかなか理解されにくい作品なのですが、エリザベス様に気に入って頂けて嬉しいです!」
「筆致が素晴らしいわ。とても怖いのだけど、先が気になって仕方がないの。読み終わったらぜひ感想を聞いて欲しいわ」
「もちろんです!」
 盛り上がっている二人に置いてけぼりを食らって、マーシャは憮然とした。
 伯爵令嬢とは茶会で何度か顔を合わせた記憶はあるけれど、個人的に話をした記憶はなかった。
「ミラ様、ごきげんよう。面白い本をご存じなのね」
 話しかければ、二人はようやくこちらを向いた。
「おはようございます」
「二人で盛り上がってひどいわ。わたくしも仲間に入れてちょうだいな」
「…エリザベス様におすすめした本、興味がおありですか?」
 ミラの言葉に、マーシャはエリザベスが持っている本のタイトルを見た。
 『惨劇の夜に口づけを』。
 ミステリーとホラーの融合だと言っていた。
「そういうのはちょっと」
「…そうですか」
「恋愛物語は好きよ」
「そうなのですね」
 ミラは口を閉ざしてしまい、代わりにエリザベスがミラに話しかけた。
「この先生、恋愛物語は書いてらっしゃらないわよね?」
「はい、エリザベス様」
「まぁ、そうなの?残念だわ」
 マーシャが言えば、二人は互いに視線を交わしていた。
 「二人は仲良し」という空気感を出され、マーシャは疎外感を味わう。
「エリザベス様もミラ様も、もっとお話しして欲しいわ。仲良くしましょう?」
 わたくしは歩み寄ることだってできるんだから、とマーシャは話しかけるが、ミラは困惑交じりに眉を寄せた。
「…私は伯爵令嬢でございます。気安く話しかけられる身分ではございません。ご容赦下さいませ」
「エリザベス様はわたくしと同じ侯爵令嬢よ?」
「エリザベス様とは挨拶を交わして頂き、友人、とおっしゃって下さいますので」
「…あら?わたくし、あなたと挨拶したことなかったかしら?」
「はい。こちらから挨拶をさせて頂いたことはございますが、話しかけることをお許し頂いたことはございません」
 しん、と教室が静まり返った。
 伯爵令嬢も上位貴族である。
 茶会で挨拶を受けておきながら挨拶を返さなかったというのだから、お高く止まっていると判断されても仕方がない。
 挨拶は筆頭侯爵家よりも下位の相手から来るものであったし、マーシャはいちいち把握などしていなかった。
「あら、そうだったかしら。ごめんあそばせ。クラスメートになったのだから、これからどうぞよろしくね」
「…はい、よろしくお願い致します」
 会話が一区切りついた隙を見計らうように、エリザベスは話題を変えた。
「ねえミラ様、ミラ様は法律科を取るのでしょう?」
「はい、エリザベス様。私は三女ですし、勉強を頑張りたいのです」
「わたくしも法律科を取るつもりなの。一緒に頑張りましょうね」
「はい!」
 なんとなく、二人の会話から弾き出された感があり、マーシャは前を向いた。
 魔法科を取る者は他にもいるだろう。
 そのときにまた話しかけよう、と思いながら、選択科目の記された冊子を取り出して中を見る。
 選択科目は時間の許す限り、詰め込もうと思えば詰め込める。
 卒業までの必要単位数は決まっているが、それ以上取っても問題はない。
 学びたければいくらでも学べるようになっていた。
 マーシャは必要単位数だけ取るつもりだ。今は冒険者ランクを上げる為に時間を割きたいと考えており、余裕が出来たらまたその時に考えればいいだろうと思っている。
 冊子を見ていると、廊下からサラとギルドマスターの息子が話しながら入ってきた。
 ギルドマスターの息子は、身分は平民である。
 冒険者として活動しており、頭が良く、将来は冒険者ギルドをもっと大きく発展させたいと考え、学園に入学したのだった。
「いやー助かった。二日目から遅刻するところだった」
「お兄様と一緒だから馬車に同乗できたけど、そうじゃなかったら無理だからね」
「貴族って大変だよな。男女二人っきりになっちゃいけないとか。…今からでも寮に入ろうかなぁ。ギリギリまで寝ていられる方がいい」
「寮についてはよくわからないから、ちゃんと調べてね」
「おう、そうする。おはよーございまっす」
「おはようございます」
 賑やかに入って来る二人に返される挨拶は気さくなものだった。
 エリザベスやミラまでが普通に挨拶を返していて、マーシャは面白くない気分になった。
 二人が席に着いてすぐ、隣の席のアイラ・ハートフィールド伯爵令嬢がサラに話しかけていた。
 ギルドマスターの息子は最前列の席、サラは一番後ろの席である。
 マーシャはサラの隣の隣、つまり伯爵令嬢の隣であった。
 この学園は成績順や名前順、などというつまらぬ並びはしておらず、ランダムで配置されている。
 昔は席が決まっておらず、自由に座ることが出来ていたらしいが、とある上位貴族の子息が「俺の席を取りやがって」と下位貴族の子息を殴ってから、クラスの席は決められるようになったのだという。
 その分選択科目の授業の席は自由なので、特に不満は出なかったようだ。
 そんなことを考えている間にも、サラと伯爵令嬢は会話を続けていた。
「サラ様、選択科目は何を中心にお取りになりますの?」
「魔法科と騎士科かなぁ、と思っております」
「えっ騎士科も?理由をお伺いしても…?」
「パーティを組んでいる時は後衛が多いのですけれど、ソロの時は魔法だけでなく剣も使えた方が便利だなぁ、と思うことが多くて…。魔力は無限ではないので、剣が使えたら効率良く戦闘できますし」
「まぁ、すごいわ…!お一人で戦えるなんて」
「卒業後には冒険者として活動して行きたい、と思っているのです」
「女性の冒険者も増えているとはいえ、まだまだ厳しい道と聞きますわ。わたくし、応援致します」
「ありがとうございます、アイラ様。アイラ様は何を?」
「わたくしは…」

「冒険者としてやって行きたいのでしたら、今度わたくしと一緒にダンジョン攻略に行きませんこと?」

「…はい?」
 会話に割って入ったグレゴリー侯爵令嬢に、サラは思わず眉間に皺が寄りそうになるのを我慢した。
 何故一緒に行かねばならないのか。
 そんな言葉を飲み込んで侯爵令嬢を見れば、得意げな顔をしていた。
「…一緒に、とおっしゃいますと?」
「言葉通りの意味ですわ。わたくしも冒険者ランクを上げておきたいと思っておりますの。先に試験を受けなければなりませんけれど、あなたもご一緒にいかが?もののついで、ですもの。同行してもよろしくてよ」
 どうしていつも偉そうな物言いなのだろう、と、サラは思う。
 サラが付き従うことを許してやる、と言っているのだった。
 アイラは心配そうな表情でサラを見、クラスメートもなんとも言えない微妙な表情でサラを見守っていた。
 侯爵令嬢の言い方が、クラスメートに対するには不適切であるという認識が間違っていないと知り、サラは安堵する。
 サラは焦ることなく、貴族令嬢としての笑みを浮かべながら侯爵令嬢へと向き直った。
「…受験資格を得なければならないので、一緒には無理かと思います。私のことはお気になさらず、進めて下さい」
「あら、そうなの?名誉騎士のお父様がいらっしゃるのに、騎士科で勉強しなければならないなんて大変だろうと思って、声をかけたのだけれど」
 しん、と教室が再度静まり返った。
 父親に教えてもらえなくて可哀想、と言っているのだった。
 サラは表情を変えることなく、淡々と口を開く。
「専門教科を習うなら、専門の教師に習うのが効率的ではないでしょうか。貴族子女は家庭教師から様々なことを習うはずですが、グレゴリー侯爵家ではお父様から習われるのですか?」
 言われて、マーシャは否定した。
「そんなわけないでしょう?家庭教師からきちんと学んだわ」
「そうですよね」
「ええ」
 サラが口を噤んだので、マーシャはまた口を開く。
「十歳で冒険者を始めてから、何度も一緒に冒険した仲じゃない。遠慮せず、もっと気軽に話しかけてくれてもいいのよ」
 マーシャはヒロインに手を差し伸べてあげれば喜ぶだろうと、信じて疑っていなかった。
 こちらは侯爵家で、あちらは男爵家なのだ。
 前世で読んだ小説や漫画でもあったのだ、悪役令嬢がヒロインに優しくすることで恩を売り、友人関係を築いて上手くやる、という話が。
「それは無理ですわ」
 けれどサラの返答はそっけない。
「…どういう意味かしら?」
 首を傾げれば、サラが困ったような表情を浮かべた。
「グレゴリー侯爵令嬢様から名乗って頂いてませんので、男爵家であるこちらから話しかけるのは無礼でしょう?」
「えっ…」
 と声を上げたのは、クラスメートの誰かだった。
 声がした方に視線を向けるが、全員が目を逸らす。
 顎に指先を置いて考えてみるが、記憶になかった。
「…そうだったかしら?」
「はい」
「そういえばそう…なのかしら?」
 教室の端に控えているメイドと護衛を見やるが、特に反応はない。
 ということは、話しかけることを許可していない、ということだ。
「それはごめんなさいね。あなたとは仲良くしたいわ。魔法科も取る予定なの。どうぞよろしくね」
「…よろしくお願いします」
 ちょうど担任がやって来たので返事だけして、サラは前を向いてしまった。
 こちらが親切に声をかけてやっているのに、そっけない、とマーシャは不満に思うのだった。
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