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33.

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 談話室から引き上げた兄妹は部屋で別れた。
 自室に入ったクリスは従者を気にかけることはない。基本的に、いないものとして扱っていた。
 もともと傅かれる生活はしていないし、従者はそもそも従者としての基本すらできていなかった。
 王太子の侍従は、王太子の気質をよく理解しており、完全に気配を消すことはなく、だが可能な限り気配を薄くして端に控え、一挙手一投足をよく見ている。
 指示される前に動くことができ、決して邪魔にならない。
 我が家に従者がやって来てすぐの時、期待はしていなかったものの、最低限自分の邪魔にならない範囲の仕事をやってもらおうと指導した。
 が、ダメだった。
 自己主張の激しい男は、命令もされていないのに勝手に話しかけてくるし、服は自分の好みで選ぼうとするし、部屋の中を見渡してはあれはなんですかこれはなんですかと子供のように聞いてくる。おまけに勝手に触れようとするし、茶を淹れさせてもまずいし、上着一つ満足に着せることもできない。
 クリスもまた、サラと同じように見られて困るようなもの、盗まれて困るような物は部屋に置かないようにしている。
 貴重品は全てマジックバッグに収納し、部屋にあるのは貴族として必要なもののみであった。
 従者が冒険者としての所持品に興味を持っていることを知っていた。
 冒険者として活動していたという彼は、馴れ馴れしくランクは?所持金は?装備は?等と聞いてくるのだった。
 答える必要性を感じないので、仕事以外の話題は無視することにしている。
 週末、ダンジョン攻略に出かける時には冒険者の装備を身につけるのだが、着替えを手伝うと言ってうるさい為、結界を張って部屋に入って来られないようにしていた。
 冒険者の装備は全て自分で手に入れた物である。
 大切な物であるし、高級品もある。
 気安く触れて欲しくないし、そもそも信用できない。
 戦利品を整理している時、何故だか自分が物をもらえると思っている節すらある。
 物欲しそうな顔で、「それいいですねぇ」「高そうですねぇ」「たくさん持ってらっしゃるんでしょう?」等と話しかけてくるのだ。
 ひたすらに不快であった。
 何故物をもらえると思うのか。
 こいつがいた家ではそれが当たり前だったのか。
 ならその家に帰れと言いたい。
 少なくとも、雇用主家族を不快にする使用人に物をくれてやる理由はなかった。
 部屋の端に控えて、何かを話したそうにしている従者に気づかないフリをして、着替えを持ちバスルームへ向かう。
 最初の頃、自分で着替えを持ち従者がいなかった時のように振る舞っていたら、従者が「自分の仕事なので、お任せ下さい」と言ってきた。やる気があるのかとクローゼットの中を見せ、バスルームから出たらコレを着るから用意して置いて欲しいと言った。
 できていたのは最初の数日で、一週間もすれば「あっ忘れていました」等と言うようになったので、それからは自分でやるようになった。
 従者の仕事をする為に金で雇われているくせに、その仕事ができないのならば金を払う意味はあるのだろうか。
 現在の従者は、ただそこにいるだけの邪魔な存在だった。
 それに加えて…と、兄は思う。
 バスルームから出てくると、ユナがいた。
 泣き真似をして、勝手に部屋の隅に立っている。
「…何か用か」
 と問えば、我が意を得たりとばかりに前のめりにサラにひどいことを言われた、もう来なくていいと言われた、クリストファー様から叱って欲しい、等とふざけたことをほざく。
 サラが言った通りだな、と思いながら自分で茶を淹れる。
「あっわたくしが…!」
 と慌ててユナが言うが、こいつの仕事はサラ付きのメイドであってクリスのメイドではなかった。
 誰の許しを得て部屋に入り、我が物顔で茶を淹れようとしているのか。
 本当に、不快だった。
 さらに不快なのは、従者がユナを庇い、サラを悪く言うことだった。
「ユナは俺と同じで男爵家の娘なんです。あ、こちらの家も男爵家だから同じですよね。お嬢様として育てられてきた彼女は、メイドに傅かれることはあってもメイドとして働いたことはないんだそうですよ。それでも家の為にと、働くことにしたそうです。そりゃ不慣れなこともありますよね。サラ様も同じ男爵家の娘なんだから、もっと優しくしてあげたらいいと思うんですよ」
 ぺらぺらとよく動く口だな、と、クリスは思った。
 ティーカップを持ってソファに腰掛け、マジックバッグから読みかけの本を取り出し読もうと開くが、めそめそと泣き真似を続ける女と、未だに喋り続ける男の存在が不快であった。
「ここで働くことが不満なら執事に言えばいい。仕事ぶりが評価されていれば、他家への紹介状も書いてくれるだろう」
 書いてもらえるとは思わないが、との意を込めて言うものの、意図が伝わっているとは思えない様子で、女は顔を上げた。
 やはり涙は一滴も流れていなかった。
「そんな!私はここで働くことが生き甲斐なのです!サラ様さえ優しくして下されば…!」
 雇用主家族に対して「優しくして欲しい」と要求する使用人とは、何様なのかとクリスは思う。優しくして欲しいのなら、少なくとも必要最低限の仕事をこなす努力をしてから言えと言いたい。
「配置換えを願い出ればいい。それも執事が差配する」
「クリストファー様!では私、クリストファー様付きになってもいいんですね!?」
「ごめん被る」
 おっといけない、本音がついうっかり漏れてしまった。
 なるほど、会話の成立しない人間とはこのように思考するのだな、と感心する。
 このまま放置しておくと、ありもしないことを放言されて自分付きにして欲しい、と執事に訴える可能性があった。
「この時間だと執事はもう自室に下がっているかな」
「あっいいえ、おそらく厨房にいらっしゃるかと」
「そう」
 期待に目を輝かせるユナを見ないようにしながら立ち上がる。
「執事様にご用なら呼んできますよ」
「構わない。おまえ達はもう下がっていい」
「そんなわけにはいきません。お付き合い致しますよ」
 何様なのかと、何度目かもわからないため息をついた。
 おまえは俺の友人じゃない。
 出した本を片づけ、部屋を出る。
 厨房へ行けば、ちょうど片づけを終えた料理人達と執事がいた。
 一斉に頭を下げる彼らに「突然済まない。続けてくれ」と声をかけ、執事の元へと歩く。執事は調理台に書類を並べ、イスに座って作業をしていた。料理人と話をしながら、帳簿を付けたり書類の確認をしたりするのが日課であった。雇用主家族の体調や、使用人の様子、本日あったことなどを話すのだそうだ。
 執事と料理長は最も古くからの使用人で、ずっと我が家に住み込みで働いていた。
 料理長は既婚であり、妻子がいる。
 住み込みで働く使用人の為の離れがあって、妻は掃除婦として決められた時間を働き、息子は十歳になったばかりであるが庭師になりたいと、通いの老庭師に師事していた。
「坊ちゃま。このような所までおいで頂かなくとも、わたくしが参りましたのに」
 執事の言葉に手を振って答える。
「いや、いいんだ。仕事中に済まない。座ってくれ」
「とんでもございません。一体、どうなさいました?」
 ちらりと、背後に並んで立つ従者とユナを見て、視線を戻す。
「ああ、そこにいる彼女は、サラ付きとして働くのが辛いんだそうだ。配置換えを希望している」
 瞬間、執事の瞳に冷気が宿る。
「ほう?」
「だがこの家で働き続けたいんだそうだ」
「それを坊ちゃまがわざわざ?」
 真意を問うような視線を向けてくるので、クリスは執事にのみ聞こえるよう、囁いた。
「俺の部屋に来て延々愚痴られてうるさくてな。俺付きにしてもらう、等とふざけたことを言うので、ごめん被ると言ったんだ。その辺、配慮してもらえると助かるんだけど」
「…なるほど…」
 極寒の冷気を宿しながら執事が呟く。
「配置換えを希望している、ということでいいんだな?」
 ユナに問えば、ユナは大きく頷いた。
「は、はいっ!お願い致します!」
「そうか。明日指示を出す。下がりなさい」
「はい!失礼致します!」
 ユナの顔が輝いている。明確に拒絶したというのに、クリス付きになれるとでも勘違いしているのか。
 一礼して去っていくユナを見もせず、今度は従者に対して「おまえも下がりなさい。坊ちゃまはわたくしが部屋までお送りします」と追い払う。
 二人がいなくなり、料理長を除く料理人も去って、厨房にはクリスと執事、料理長のみとなった。
「お茶を淹れましょう。坊ちゃま、お座りになって下さい」
 料理長がイスを持ってきて、執事の隣に並べた。
「ありがとう。料理長も下がっていいよ。ゆっくり休んでくれ」
「ありがとうございます。では私はこれで」
 料理長が頭を下げ、厨房を出ていった。
 執事にも座るよう言って、向かい合う。
「さて坊ちゃま、あのメイドと従者はお二人に対して無礼な振る舞いをしているようで」
「あいつらだけじゃない…知ってるだろう」
「はい。奥様のご命令の為、見て見ぬ振りをしております。申し訳ございません」
「それはわかってるからいいよ。…まぁそろそろ我慢の限界なんだけどね」
「心中お察し致します」
「あの女だけじゃないんだけど、他にも何人も夜這いかけてくるんだよね。あれも見て見ぬ振りしてる?」
「はい。坊ちゃまであれば大丈夫だろう、と奥様が」
「…サラは大丈夫だろうな…」
「あの従者が何度か部屋に入ろうとしておりますが、お嬢様もお部屋に結界を張っていらっしゃいますので」
「殺す時には声かけてくれよ」
「残念ながら殺しません」
「…はぁ…」
 ため息をつくクリスを痛ましげに見つめながら執事は呟く。
「少しずつ、まともな者と入れ替えております。問題のある者達とは関わらせないようにしておりますので目立ちませんが」
「そうか」
「唯一メイド長が…いえ、彼女は旦那様が関わらなければまともなので、使い方次第ですね」
「…それも十分問題だな」
「はい。いずれ入れ替えます」
「そうか」
「まずはあのユナというメイドですね。最も楽な仕事を自ら放棄するとは」
 呆れた様子の執事に同意する。
「…サラなんて、何も要求しないし望まないし、適当な仕事でも文句も言わないいい子なのに」
「…本気で仕えたい、と望む者に対しては、お嬢様も誠実に応えられることと思いますよ」
「いい子なんだよ」
「坊ちゃまも、ですね」
 笑顔で言われ、クリスは頬が引きつった。
「…そう来るか」
「ご両親の良い所を存分に受け継がれた、と、僭越ながら申し上げます。わたくし、お二人が生まれた頃からずっとお仕えしておりますゆえ、つい」
「…いいんだ、サムはもう一人の親みたいな感じだから。…恥ずかしいことを言ってしまった。もう寝よう」
「はい。部屋までお送り致します」
「仕事はいいのか」
「ちょうど終えた所だったのですよ」
「そうか」
 ティーカップを浄化魔法で綺麗にして元あった場所へ戻し、調理台の上とイスを片づけて、明かりを消す。
 通いの使用人しかおらず、まだクリスが小さかった頃。
 一人で部屋まで帰るのが怖くて、よくサムが送ってくれた。
 ベッドに入って眠りにつくまで、そばでついていてくれた。
 両親はサラと共に眠っていたから。
 一緒に眠りたい、とは言えなかった。
 何も言わずに付き添ってくれるサムの存在は、とても大きい。
 もう一人の親、と言ったのは嘘ではなかった。
「では坊ちゃま、おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ。良い夢を」
 扉の前で挨拶をかわし、中へと入る。
 不審な物、不審な人物がないかを確認してから、寝室へ。
 寝室の中も確認し、結界の魔道具を置いた。
 寝室一つを広範囲の結界で囲む魔道具は、残念ながら所持していない。
 存在はしているが、持っているのはおそらく国家規模のことと思われる。
 一人用テントを一晩守る為の魔道具を、寝室の扉前と窓の前に置くことで、外部からの侵入を阻止するのだった。
 サラもおそらく同じ方法で身を守っているのだろうと思うと、何故自室なのにこんな警戒をせねばならないのかと空しくなる。
 メイドや従者が増えた初日の夜、ないとは思うが念には念を入れて、と魔道具を置いて寝たら、深夜に女が扉越しに声をかけてきて戦慄したのだった。
 「愛人でいいのです」と言われた瞬間嫌悪した。
 中には「妻にしてくれ」という輩もいたが、こいつらは使用人としての仕事を全うするつもりがないのだと知ったのだった。
 主家から命じられて来たのだ。
 自らがそう言う意味で狙われているのだと、嫌でも自覚せざるを得なかった。
 そして深夜、やはりというべきか、ユナが来ていた。
 鍵はおそらく従者から借りたのだろう。扉を開けようとがちゃがちゃとやっているが、結界がある為開くことはない。
「え、なんで?開かないんだけど」
 と呟いてはがちゃがちゃとやっている。
「私です、ユナです。クリストファー様付きにして下さるんですよね。嬉しくて、来ちゃいました」
 何かを勘違いした愚かな女が、愚かなことを口走っている。
「私、いい妻になります。名誉騎士のお父様、魔術師団顧問のお母様と一緒に、この家を盛り立てていきます」
 殺意と共に、笑いがこみ上げる。
「開けてください。私、クリストファー様に誠心誠意お仕え致します…クリス様…」
 気持ち悪い。
 今すぐその顔を潰してしまいたい。
 音を遮断し、不快な声が聞こえないようにして、クリスはシーツを頭までかぶる。
 週末は可愛いサラとダンジョン攻略だ。
 楽しいことだけを考え、クリスは目を閉じるのだった。
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