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サラは帰宅した瞬間母に抱きしめられ、「おかえり」と迎えられた。自分でもわからぬ涙が溢れ、サラは自身で戸惑った。
嗚咽を漏らす娘を母は愛しげに抱きしめて、着替えさせる為共にサラの部屋へと向かった。
クリスとは仕事部屋で待ち合わせをし、サラの着替えも手伝った。
御者とマリアは涙ながらに謝罪をし、土下座をせん勢いで頭を下げた。
二人を責めるつもりはない。
むしろ巻き込まれた被害者なのだった。
これからも我が家で働いて欲しい、今日はゆっくり休んで欲しい、と言えば感謝されたが、何度も怖い目に遭っているのに、働き続ける意志を見せてくれる二人には、プロ意識を見た。
御者は昔からいる使用人であり、問題はない。
マリアは最近雇ったメイドであったが、彼女は貴族の推薦状を持っていなかった。
貴族のお手つきとなったメイドの娘で、職場を追われ別の貴族家で働くことになった母親と共に、マリアも小さな頃から働いていたのだという。
男爵家で働いていたが、そこの男爵に母親が見初められ、後妻として迎えられた。
男爵には元から娘がおり、マリアと年齢も近かった為に受け入れられず、母とマリアは娘に嫌われた。
当然使用人達としても面白くない。娘の味方をし、あることないこと男爵に吹き込んだ。
最初は聞き入れなかった男爵も、娘や信頼する使用人達に悪し様に言われる母娘の方に問題があるのではないかと思うようになり、やがて別に愛人を作って追い出されたのだった。
母はまたメイドの口を探したが、紹介状も持たず、以前働いていた男爵家に問い合わせれば悪し様に言われる女を雇う家はなかった。
マリアは十三歳になっており、働けるようになっていたので母は町の食堂で、娘はメイド見習いとして別の男爵家に入ることになった。
そこにいたのは学園に入学したばかりの息子と、五歳年下の娘がいた。
娘付きのメイドの一人として真面目に働いていたマリアだったが、息子が学園を卒業する年、マリアに手を出そうとした。
抵抗したが、それが親にバレ、息子は「マリアの方から誘惑してきた」と嘯いたのだった。
無論マリアは否定したし、娘もマリアを庇う。
真面目に働いてきただけあって、使用人達もマリアを庇った。
男爵もまた、マリアを信じた。
息子の素行が悪すぎたのである。
だがメイドに手をつけようとした、という噂が出回るのはよろしくない。
息子は男爵家を継がなければならないのだ。
男爵はマリアに詫びながら、紹介状と多めの退職金を渡し、クビにした。
マリアはそれから転々と貴族家を移動しており、理由はだいたいが「旦那様に迫られた」や「息子に迫られた」という理由であった。
名誉騎士の募集に応募する前にクビになった理由は、「無愛想でかわいげがない」であった。
マリアは隠さなかった。
赤裸々に話し、もはや表情が上手く動かないこと、掃除などの裏方で使って頂けるなら、身を粉にして働きます、と頭を下げたのだった。
母親はまだ食堂で働いていたが、そこの女将が病でもう長くなく、今は母親が女将の代わりとして切り盛りしているのだという。
女将が亡くなった後も変わらず働き続けて欲しい、と息子の料理人も懇願しており、母は私がいなくても大丈夫なのです、と言った。
マリアを雇ってしばらくは裏方で使っていたが、仕事ぶりはとても真面目であった。執事も太鼓判を押し、「無表情だからと仕事ぶりを評価しないとは、宝をドブに捨てるようなもの」と評した。
サラ付きにならないかと打診した時には、一度は断ってきた。
「わたくしなどが専属では、サラ様の評判に傷が付きます」と。
サラの評判を気にするのか、とアンジェラも執事も思ったのだった。
結果としてサラ付きとなったが、仕事ぶりは変わらず真面目であった。
マリアのサラに対する態度は、正しいメイドの姿であった。
サラから不満の一つも聞いたことはないし、マリアに接するサラの態度は敬意を持っているように見える。
いい関係を築いているのだと思ったし、最近マリアはサラに対して笑顔を見せるようになっていた。
働きたいと思ってくれる間は、うちにいてくれたらいいと思うアンジェラだった。
クリスと合流し、あったことを話し合う。
時間も遅くなっていたので手短に済ませ、明日のダンジョン攻略は休もうか、というクリスに、サラは首を振ったのだった。
「殿下やカイルさん達と約束したもの。私は大丈夫だから、参加しましょ」
と言われては、やめておけとも言えず、また気分転換にもいいかと許したのだった。
クリスとサラを早めに解放し、アンジェラは夫の帰りを待つ。
明け方近くに戻ってきた夫は、少し落ち着いた表情はしていたものの、怒りはまだ収まっていないようだった。
気持ちは同じだ、と、夫を抱擁し、「さっさと片づけてしまいましょうね」と言ったのだった。
翌朝、兄妹はダンジョン攻略の為にダンジョン都市へと赴いて行った。
帰って来た時には兄妹共に明るい表情をしており、迎えた両親は内心安心したのだった。
「おかえり、クリス、サラ」
「おかえりなさい!さぁさ、二人とも、着替えて夕食後には、談話室に集合よ!」
笑顔で両親に迎えられ、兄妹は顔を見合わせながらも言う通りにするのだった。
一見するといつもと変わらぬ談話室であるのだが、愛犬コリンはご機嫌で父の腹の上を転がっており、父はそんな愛犬の背をご機嫌で撫でている。
母は鼻歌を歌い出さんばかりに笑顔であるし、ココアを配る執事も安らかな笑顔であった。
兄妹は再度顔を見合わせ、いいことがあったのだろう、と察した。
ココアを受け取り、両親のどちらかが話し始めるのを待つ。
母だろう、と思っていたら、父が話し始めて驚く二人であった。
「やっと忌々しい頭痛の種が一つ消えたよ。ああ、清々した」
「本当ね。長かったわ」
「…頭痛の種とは、昨日の一件のことですか?」
兄の問いに、両親は頷く。
そして今日一日で起こったことを教えてくれたのだった。
サラの誘拐に関わっていた者は全て捕らえ、取り調べも完了した。
主犯はメルヴィル前侯爵。父の一番上の兄である。
きっかけはサラが王太子パーティーに入ったこと。
孫娘を王太子妃に、と考えていた前侯爵は焦ったのだった。
「前侯爵と孫、封蝋の偽造をした現侯爵、彼らは罪人として罰を受ける。娘や孫は嫁いでいる者はそのまま、未婚の者は母親の実家へ移される。三代が関わった犯罪だ。領地は没収され、四男が侯爵位を継ぐことになった」
「…次男三男は文句言いませんでした?」
「彼らには書面で通知となっている。文句があるなら、法務省へ行くだろう」
「……」
「…四男は…兄は、冒険者を始めた娘を魔獣に殺され失っている。悲しみに暮れていた四男を差し置き、長男は取り巻きだった男達の家を脅し、いいように使っていた」
「…そんなことが」
「四男は近衛騎士団長だ。領地がなくとも十分やっていける。今までもやってきたのだからな。本人は侯爵家に心底嫌気が差したと言っていたが、名ばかりでも子供達の将来を考えれば、爵位を持っていてもいいだろう、と思い直したらしい」
「なるほど…」
「…これで誘拐されることはなくなる?」
サラの問いに、両親は難しい顔をした。
「まだ危険が?」
代わりに兄が問い、両親は顔を見合わせる。
「今回の件は、公にはされないわ。陛下のご判断でね」
「…陛下の?」
兄妹が同時に首を傾げた。
「事実を公にしない理由は、二つ。一つはサラの名誉の為。もう一つは旧態依然とした貴族達への牽制なの」
「牽制…」
「公にしなくとも、噂は回る。名誉騎士が昨日、王宮中に殺気をまき散らした事実は広く知られちゃってるの。そして突然の実家の没落。何かあったと、思うでしょう?」
「……」
兄妹は顔を見合わせる。
「おまけに名誉騎士と騎士団総長自らが事態の収拾に当たったのだから、なおさらよ」
「私は地位や権力を望んでいるわけではない。上位貴族達のように権力争いにも興味がない。それでも敵対する連中はまだいる。私が邪魔ということは、目的を異にしているということだ。それは陛下の目的とも異なるものだ」
「…つまり、陛下は我々一家を囮にして、反対勢力を一掃したいと?」
兄の言葉に、両親は頷いた。
「これでも随分減らしたのよ。あと少しなんだけれど、そいつらが馬鹿なら何かしかけてくるでしょう」
「…そうですね、賢ければ今回の件で察するでしょうし」
「ええ。…だからね、まだ注意は怠らないでね」
「わかりました」
兄妹は納得した。
両親はずっと陰で動いていたのだった。
いつもならココアを飲み干したら退室するのだが、ここで執事がワゴンを押して部屋へと入ってきたので、兄妹は同時にそちらを見た。
「失礼致します、奥様。お持ちしました」
「ありがとう」
執事はテーブルを用意し、そこに一口で食べられるケーキやスコーンなどを並べ始めた。
意味がわからず、兄妹は目を瞬く。
「…アフタヌーンティーの時間には遅いのでは?」
兄の言葉に、母が笑う。
「そうなんだけどね、とてもいい小麦が手に入ったものだから、試食してちょうだい」
「…小麦?」
「ええ、食べてみて!」
兄妹は顔を見合わせながら、ケーキを手に取り、食べる。
…普通に、美味しいものだった。
「どうかしら?」
「すみません、俺には美味しいです、としか言えませんが」
「私もです…」
父を見れば、父もケーキを食べて頷いている。
母は満足そうに笑った。
「良かったわ!この小麦ね、在庫がたくさんあって困るからって、とても安く売ってもらえたのよ。ドレイサー男爵家って言ってね。せっかくだから領地でも取り引きしようと思っているの」
「安くて美味しいなら、いいと思います」
「でしょう!領地は住民が増えて自給自足が難しくなったでしょう?今までは他の小麦を使っていたのだけど、いい取引先がないか、探していたのよ~」
「そうなんですね」
素直に頷く兄妹に、母は笑みを深くした。
「じゃ、問題ないわね。そのように進めてくれる?」
「かしこまりました」
母の言葉に、執事は頷いた。
紅茶を置いて退出していったので、紅茶を飲み終わるまで団欒の時間が延びたのだった。
ダンジョンはどうだったか等を報告しながら静かに過ごし、兄妹は退出した。
サラを部屋へと送ったクリスは、自室の控え室で寝こけていた従者を叩き起こし、父の執務室へと移動した。
入室すればそこには両親と執事がおり、従者は扉の外で待機しようとしていたが中へと入れる。
扉を閉ざし、両親が座っている正面のソファに従者を座らせ、自分は側面の一人用のソファに座った。
執事は両親とクリスの間に立っていた。
座らされた従者は何事かと不審にきょろきょろと落ち着きなく室内を見回していたが、誰も咎めはしなかった。興味もない。
父が最初に口を開く。
「さて、君は今日付けで解雇となる。明日中に荷物をまとめて出て行くように」
「は?」
使用人としては無礼極まりない反応であり返答であった。
「旦那様自らお言葉を下さったことに感謝しなさい」
執事の言に、正気に返った従者が食ってかかる。
「いや、何故ですか?俺、何かしました?」
執事が不快に眉を吊り上げたが、両親は眉一つ動かさなかった。
従者の人間性はすでに把握されている。
「おまえの雇い主は没落したので、ここにいる必要はもうないということだ」
執事の言葉遣いが変わったが、従者は気づかない。
「え?この男爵家、没落したんですか?」
その言葉に吹き出したのは母だった。
爆笑と言っても良かったが、さすが元貴族令嬢は大口を上げて笑うことはなく、父の腕に縋りつき、身体を震わせながら笑っていた。
父と執事は無表情であった。
「やだわサムったら。誤解を招く言い方をするから」
母が声を震わせながら執事に指摘し、執事は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「相手の知能レベルに合わせて言ってあげないと、時間が無駄になるだけだから、気をつけてちょうだい。危うく私が笑い死にしてしまうところだったわ」
「それはいけない」
父が母の肩を抱き、母はまだ笑いの余韻の残る顔で父を見上げた。
「そうね、私が笑い死にする前に、終わらせましょ」
はー、とため息をついた母は、執事を見た。
執事は再度従者を見て、きょとんとしている男を見下ろした。
「おまえをここに遣わし、命令していたメルヴィル侯爵家は没落したので、用済みとなった。おまえはクビだ」
従者にも理解できるよう、丁寧に説明した執事の言葉に、母は笑いがぶり返したらしく、また父に縋って震えている。
父は無言で母の背中を撫でていた。
「え?クビ?でも俺、何もしてませんよ」
「そうだな、何もしていない。何もしていないからクビなのだ」
「は?意味がわかりません」
「おまえは従者としての役割を果たしていない」
「…は?だってクリストファー様が仕事させてくれないんですよ」
「それはおまえが仕事をせずにさぼっていい理由になるのか?」
「…いや、それは、」
指摘すれば、さすがに思うところはあったのか語尾に力がなくなった。
「おまえが仕事を覚えようとせず、真面目に努めようとしないから、坊ちゃまはおまえに仕事をさせることを諦めた。従者失格だ」
「ちゃんとやろうとしました。慣れないことはできなくても仕方がないじゃないですか。教えてくれたらちゃんとできますよ」
「その喋り方、その態度。使用人として許されるとでも?」
「…じゃぁ注意したらいいじゃないですか」
あくまでも他人のせいにしたいらしい男に、執事は無表情で首を振った。
「注意しても直らないから諦めた。何故直るまで手をかけてやらねばらないのか。何故直るまで手をかけてもらえると思うのか。何故己で直そうと努力をしないのか」
「……」
「おまえには給料を払う価値がない。故にクビだ。明日中に出て行くように」
「そんな、急に追い出されたら俺はどうすればいいんですか?紹介状、書いてもらえるんですか?」
「書くわけがない」
「ひどい!!」
「ひどいのはおまえの勤務態度であり、自業自得というものだ」
「そんな、」
「冒険者に戻ればいいじゃないか」
懲りずに文句を言い掛けた従者を遮ったのはクリスだった。
クリスの方を見る従者に、クリスは足を組み、つまらなさそうに片手を振る。
「使用人の解雇通告の場にいる必要もない、両親と俺がいる時点で気付け。おまえが従者としてここに来た経緯は承知している。冒険者活動を妨げていた侯爵家はもういない。自由に復帰すればいい」
「…え、本当に…?」
「さっきからサムがそう言っている。クビだからさっさと出て行って、自分の好きに生きればいいと」
そこで初めて理解したのか、従者は目を見開いた。
クリスは早々に部屋に戻りたい気分だったが、執事を見る。
「そういうことでいいんだろう?」
「はい、坊ちゃま」
「え、あ、そういうことなら、朝イチで出て行きます!お世話になりました!」
手のひらを返して喜色満面に頭を下げ、さっさと退出して行く従者を、もはや誰も見ていなかった。
「クリスは優しいわね」
「いえ、全然優しくないです」
母の言葉に、クリスは首を振った。
「さっさと視界から消えて欲しかっただけです」
「あなたには苦労をかけたわね」
「やっと解放されます。家でくらいのんびりしたい…」
「お疲れ様」
「では今日はもう寝ます。おやすみなさい」
「おやすみ」
「部屋までお送り致します、坊ちゃま」
「いや、大丈夫。まだ仕事あるだろう?」
執事の申し出を断って、部屋を出た。
昨日の一件の精神的な疲れを引きずっており、さっさと寝たかった。
従者がいなくなり、最近はメイドの入れ替えもほぼ済んで、夜這いもなくなった。やっと憂いなく熟睡できそうで安堵する。
従者は喜び勇んで出て行くのだろうが、先が明るいとは思えない。
あんな馬鹿が冒険者として大成できるはずがないのだった。
それでも自由になれるのだから、好きに生きればいいのだ。
二度と関わらずに済むことを願う。
訳あり従者であるから今までどんな無礼も我慢していたが、赤の他人となってしまえばもはや我慢するつもりはなかった。
次に会う機会があったとしても、今まで通りの対応をしてもらえると思ったら大間違いなのだ。
会わないに越したことはないが、もし万が一迷惑をかけられる可能性も考えて、対策はしておこうと思うのだった。
それからしばらくは大きな問題が起きることもなく、週末にはダンジョン攻略をし、王太子とサラは少しずつ心の距離を縮めていった。
カイルやリディアもサラのことを妹のように、娘のように接してくれている。
サラは自然な表情が増え、発言も増えていた。
少しずつ、本当の仲間になっていくサラを見て、クリスだけでなく皆が温かい気持ちで見守っているのだった。
嗚咽を漏らす娘を母は愛しげに抱きしめて、着替えさせる為共にサラの部屋へと向かった。
クリスとは仕事部屋で待ち合わせをし、サラの着替えも手伝った。
御者とマリアは涙ながらに謝罪をし、土下座をせん勢いで頭を下げた。
二人を責めるつもりはない。
むしろ巻き込まれた被害者なのだった。
これからも我が家で働いて欲しい、今日はゆっくり休んで欲しい、と言えば感謝されたが、何度も怖い目に遭っているのに、働き続ける意志を見せてくれる二人には、プロ意識を見た。
御者は昔からいる使用人であり、問題はない。
マリアは最近雇ったメイドであったが、彼女は貴族の推薦状を持っていなかった。
貴族のお手つきとなったメイドの娘で、職場を追われ別の貴族家で働くことになった母親と共に、マリアも小さな頃から働いていたのだという。
男爵家で働いていたが、そこの男爵に母親が見初められ、後妻として迎えられた。
男爵には元から娘がおり、マリアと年齢も近かった為に受け入れられず、母とマリアは娘に嫌われた。
当然使用人達としても面白くない。娘の味方をし、あることないこと男爵に吹き込んだ。
最初は聞き入れなかった男爵も、娘や信頼する使用人達に悪し様に言われる母娘の方に問題があるのではないかと思うようになり、やがて別に愛人を作って追い出されたのだった。
母はまたメイドの口を探したが、紹介状も持たず、以前働いていた男爵家に問い合わせれば悪し様に言われる女を雇う家はなかった。
マリアは十三歳になっており、働けるようになっていたので母は町の食堂で、娘はメイド見習いとして別の男爵家に入ることになった。
そこにいたのは学園に入学したばかりの息子と、五歳年下の娘がいた。
娘付きのメイドの一人として真面目に働いていたマリアだったが、息子が学園を卒業する年、マリアに手を出そうとした。
抵抗したが、それが親にバレ、息子は「マリアの方から誘惑してきた」と嘯いたのだった。
無論マリアは否定したし、娘もマリアを庇う。
真面目に働いてきただけあって、使用人達もマリアを庇った。
男爵もまた、マリアを信じた。
息子の素行が悪すぎたのである。
だがメイドに手をつけようとした、という噂が出回るのはよろしくない。
息子は男爵家を継がなければならないのだ。
男爵はマリアに詫びながら、紹介状と多めの退職金を渡し、クビにした。
マリアはそれから転々と貴族家を移動しており、理由はだいたいが「旦那様に迫られた」や「息子に迫られた」という理由であった。
名誉騎士の募集に応募する前にクビになった理由は、「無愛想でかわいげがない」であった。
マリアは隠さなかった。
赤裸々に話し、もはや表情が上手く動かないこと、掃除などの裏方で使って頂けるなら、身を粉にして働きます、と頭を下げたのだった。
母親はまだ食堂で働いていたが、そこの女将が病でもう長くなく、今は母親が女将の代わりとして切り盛りしているのだという。
女将が亡くなった後も変わらず働き続けて欲しい、と息子の料理人も懇願しており、母は私がいなくても大丈夫なのです、と言った。
マリアを雇ってしばらくは裏方で使っていたが、仕事ぶりはとても真面目であった。執事も太鼓判を押し、「無表情だからと仕事ぶりを評価しないとは、宝をドブに捨てるようなもの」と評した。
サラ付きにならないかと打診した時には、一度は断ってきた。
「わたくしなどが専属では、サラ様の評判に傷が付きます」と。
サラの評判を気にするのか、とアンジェラも執事も思ったのだった。
結果としてサラ付きとなったが、仕事ぶりは変わらず真面目であった。
マリアのサラに対する態度は、正しいメイドの姿であった。
サラから不満の一つも聞いたことはないし、マリアに接するサラの態度は敬意を持っているように見える。
いい関係を築いているのだと思ったし、最近マリアはサラに対して笑顔を見せるようになっていた。
働きたいと思ってくれる間は、うちにいてくれたらいいと思うアンジェラだった。
クリスと合流し、あったことを話し合う。
時間も遅くなっていたので手短に済ませ、明日のダンジョン攻略は休もうか、というクリスに、サラは首を振ったのだった。
「殿下やカイルさん達と約束したもの。私は大丈夫だから、参加しましょ」
と言われては、やめておけとも言えず、また気分転換にもいいかと許したのだった。
クリスとサラを早めに解放し、アンジェラは夫の帰りを待つ。
明け方近くに戻ってきた夫は、少し落ち着いた表情はしていたものの、怒りはまだ収まっていないようだった。
気持ちは同じだ、と、夫を抱擁し、「さっさと片づけてしまいましょうね」と言ったのだった。
翌朝、兄妹はダンジョン攻略の為にダンジョン都市へと赴いて行った。
帰って来た時には兄妹共に明るい表情をしており、迎えた両親は内心安心したのだった。
「おかえり、クリス、サラ」
「おかえりなさい!さぁさ、二人とも、着替えて夕食後には、談話室に集合よ!」
笑顔で両親に迎えられ、兄妹は顔を見合わせながらも言う通りにするのだった。
一見するといつもと変わらぬ談話室であるのだが、愛犬コリンはご機嫌で父の腹の上を転がっており、父はそんな愛犬の背をご機嫌で撫でている。
母は鼻歌を歌い出さんばかりに笑顔であるし、ココアを配る執事も安らかな笑顔であった。
兄妹は再度顔を見合わせ、いいことがあったのだろう、と察した。
ココアを受け取り、両親のどちらかが話し始めるのを待つ。
母だろう、と思っていたら、父が話し始めて驚く二人であった。
「やっと忌々しい頭痛の種が一つ消えたよ。ああ、清々した」
「本当ね。長かったわ」
「…頭痛の種とは、昨日の一件のことですか?」
兄の問いに、両親は頷く。
そして今日一日で起こったことを教えてくれたのだった。
サラの誘拐に関わっていた者は全て捕らえ、取り調べも完了した。
主犯はメルヴィル前侯爵。父の一番上の兄である。
きっかけはサラが王太子パーティーに入ったこと。
孫娘を王太子妃に、と考えていた前侯爵は焦ったのだった。
「前侯爵と孫、封蝋の偽造をした現侯爵、彼らは罪人として罰を受ける。娘や孫は嫁いでいる者はそのまま、未婚の者は母親の実家へ移される。三代が関わった犯罪だ。領地は没収され、四男が侯爵位を継ぐことになった」
「…次男三男は文句言いませんでした?」
「彼らには書面で通知となっている。文句があるなら、法務省へ行くだろう」
「……」
「…四男は…兄は、冒険者を始めた娘を魔獣に殺され失っている。悲しみに暮れていた四男を差し置き、長男は取り巻きだった男達の家を脅し、いいように使っていた」
「…そんなことが」
「四男は近衛騎士団長だ。領地がなくとも十分やっていける。今までもやってきたのだからな。本人は侯爵家に心底嫌気が差したと言っていたが、名ばかりでも子供達の将来を考えれば、爵位を持っていてもいいだろう、と思い直したらしい」
「なるほど…」
「…これで誘拐されることはなくなる?」
サラの問いに、両親は難しい顔をした。
「まだ危険が?」
代わりに兄が問い、両親は顔を見合わせる。
「今回の件は、公にはされないわ。陛下のご判断でね」
「…陛下の?」
兄妹が同時に首を傾げた。
「事実を公にしない理由は、二つ。一つはサラの名誉の為。もう一つは旧態依然とした貴族達への牽制なの」
「牽制…」
「公にしなくとも、噂は回る。名誉騎士が昨日、王宮中に殺気をまき散らした事実は広く知られちゃってるの。そして突然の実家の没落。何かあったと、思うでしょう?」
「……」
兄妹は顔を見合わせる。
「おまけに名誉騎士と騎士団総長自らが事態の収拾に当たったのだから、なおさらよ」
「私は地位や権力を望んでいるわけではない。上位貴族達のように権力争いにも興味がない。それでも敵対する連中はまだいる。私が邪魔ということは、目的を異にしているということだ。それは陛下の目的とも異なるものだ」
「…つまり、陛下は我々一家を囮にして、反対勢力を一掃したいと?」
兄の言葉に、両親は頷いた。
「これでも随分減らしたのよ。あと少しなんだけれど、そいつらが馬鹿なら何かしかけてくるでしょう」
「…そうですね、賢ければ今回の件で察するでしょうし」
「ええ。…だからね、まだ注意は怠らないでね」
「わかりました」
兄妹は納得した。
両親はずっと陰で動いていたのだった。
いつもならココアを飲み干したら退室するのだが、ここで執事がワゴンを押して部屋へと入ってきたので、兄妹は同時にそちらを見た。
「失礼致します、奥様。お持ちしました」
「ありがとう」
執事はテーブルを用意し、そこに一口で食べられるケーキやスコーンなどを並べ始めた。
意味がわからず、兄妹は目を瞬く。
「…アフタヌーンティーの時間には遅いのでは?」
兄の言葉に、母が笑う。
「そうなんだけどね、とてもいい小麦が手に入ったものだから、試食してちょうだい」
「…小麦?」
「ええ、食べてみて!」
兄妹は顔を見合わせながら、ケーキを手に取り、食べる。
…普通に、美味しいものだった。
「どうかしら?」
「すみません、俺には美味しいです、としか言えませんが」
「私もです…」
父を見れば、父もケーキを食べて頷いている。
母は満足そうに笑った。
「良かったわ!この小麦ね、在庫がたくさんあって困るからって、とても安く売ってもらえたのよ。ドレイサー男爵家って言ってね。せっかくだから領地でも取り引きしようと思っているの」
「安くて美味しいなら、いいと思います」
「でしょう!領地は住民が増えて自給自足が難しくなったでしょう?今までは他の小麦を使っていたのだけど、いい取引先がないか、探していたのよ~」
「そうなんですね」
素直に頷く兄妹に、母は笑みを深くした。
「じゃ、問題ないわね。そのように進めてくれる?」
「かしこまりました」
母の言葉に、執事は頷いた。
紅茶を置いて退出していったので、紅茶を飲み終わるまで団欒の時間が延びたのだった。
ダンジョンはどうだったか等を報告しながら静かに過ごし、兄妹は退出した。
サラを部屋へと送ったクリスは、自室の控え室で寝こけていた従者を叩き起こし、父の執務室へと移動した。
入室すればそこには両親と執事がおり、従者は扉の外で待機しようとしていたが中へと入れる。
扉を閉ざし、両親が座っている正面のソファに従者を座らせ、自分は側面の一人用のソファに座った。
執事は両親とクリスの間に立っていた。
座らされた従者は何事かと不審にきょろきょろと落ち着きなく室内を見回していたが、誰も咎めはしなかった。興味もない。
父が最初に口を開く。
「さて、君は今日付けで解雇となる。明日中に荷物をまとめて出て行くように」
「は?」
使用人としては無礼極まりない反応であり返答であった。
「旦那様自らお言葉を下さったことに感謝しなさい」
執事の言に、正気に返った従者が食ってかかる。
「いや、何故ですか?俺、何かしました?」
執事が不快に眉を吊り上げたが、両親は眉一つ動かさなかった。
従者の人間性はすでに把握されている。
「おまえの雇い主は没落したので、ここにいる必要はもうないということだ」
執事の言葉遣いが変わったが、従者は気づかない。
「え?この男爵家、没落したんですか?」
その言葉に吹き出したのは母だった。
爆笑と言っても良かったが、さすが元貴族令嬢は大口を上げて笑うことはなく、父の腕に縋りつき、身体を震わせながら笑っていた。
父と執事は無表情であった。
「やだわサムったら。誤解を招く言い方をするから」
母が声を震わせながら執事に指摘し、執事は頭を下げた。
「申し訳ございません」
「相手の知能レベルに合わせて言ってあげないと、時間が無駄になるだけだから、気をつけてちょうだい。危うく私が笑い死にしてしまうところだったわ」
「それはいけない」
父が母の肩を抱き、母はまだ笑いの余韻の残る顔で父を見上げた。
「そうね、私が笑い死にする前に、終わらせましょ」
はー、とため息をついた母は、執事を見た。
執事は再度従者を見て、きょとんとしている男を見下ろした。
「おまえをここに遣わし、命令していたメルヴィル侯爵家は没落したので、用済みとなった。おまえはクビだ」
従者にも理解できるよう、丁寧に説明した執事の言葉に、母は笑いがぶり返したらしく、また父に縋って震えている。
父は無言で母の背中を撫でていた。
「え?クビ?でも俺、何もしてませんよ」
「そうだな、何もしていない。何もしていないからクビなのだ」
「は?意味がわかりません」
「おまえは従者としての役割を果たしていない」
「…は?だってクリストファー様が仕事させてくれないんですよ」
「それはおまえが仕事をせずにさぼっていい理由になるのか?」
「…いや、それは、」
指摘すれば、さすがに思うところはあったのか語尾に力がなくなった。
「おまえが仕事を覚えようとせず、真面目に努めようとしないから、坊ちゃまはおまえに仕事をさせることを諦めた。従者失格だ」
「ちゃんとやろうとしました。慣れないことはできなくても仕方がないじゃないですか。教えてくれたらちゃんとできますよ」
「その喋り方、その態度。使用人として許されるとでも?」
「…じゃぁ注意したらいいじゃないですか」
あくまでも他人のせいにしたいらしい男に、執事は無表情で首を振った。
「注意しても直らないから諦めた。何故直るまで手をかけてやらねばらないのか。何故直るまで手をかけてもらえると思うのか。何故己で直そうと努力をしないのか」
「……」
「おまえには給料を払う価値がない。故にクビだ。明日中に出て行くように」
「そんな、急に追い出されたら俺はどうすればいいんですか?紹介状、書いてもらえるんですか?」
「書くわけがない」
「ひどい!!」
「ひどいのはおまえの勤務態度であり、自業自得というものだ」
「そんな、」
「冒険者に戻ればいいじゃないか」
懲りずに文句を言い掛けた従者を遮ったのはクリスだった。
クリスの方を見る従者に、クリスは足を組み、つまらなさそうに片手を振る。
「使用人の解雇通告の場にいる必要もない、両親と俺がいる時点で気付け。おまえが従者としてここに来た経緯は承知している。冒険者活動を妨げていた侯爵家はもういない。自由に復帰すればいい」
「…え、本当に…?」
「さっきからサムがそう言っている。クビだからさっさと出て行って、自分の好きに生きればいいと」
そこで初めて理解したのか、従者は目を見開いた。
クリスは早々に部屋に戻りたい気分だったが、執事を見る。
「そういうことでいいんだろう?」
「はい、坊ちゃま」
「え、あ、そういうことなら、朝イチで出て行きます!お世話になりました!」
手のひらを返して喜色満面に頭を下げ、さっさと退出して行く従者を、もはや誰も見ていなかった。
「クリスは優しいわね」
「いえ、全然優しくないです」
母の言葉に、クリスは首を振った。
「さっさと視界から消えて欲しかっただけです」
「あなたには苦労をかけたわね」
「やっと解放されます。家でくらいのんびりしたい…」
「お疲れ様」
「では今日はもう寝ます。おやすみなさい」
「おやすみ」
「部屋までお送り致します、坊ちゃま」
「いや、大丈夫。まだ仕事あるだろう?」
執事の申し出を断って、部屋を出た。
昨日の一件の精神的な疲れを引きずっており、さっさと寝たかった。
従者がいなくなり、最近はメイドの入れ替えもほぼ済んで、夜這いもなくなった。やっと憂いなく熟睡できそうで安堵する。
従者は喜び勇んで出て行くのだろうが、先が明るいとは思えない。
あんな馬鹿が冒険者として大成できるはずがないのだった。
それでも自由になれるのだから、好きに生きればいいのだ。
二度と関わらずに済むことを願う。
訳あり従者であるから今までどんな無礼も我慢していたが、赤の他人となってしまえばもはや我慢するつもりはなかった。
次に会う機会があったとしても、今まで通りの対応をしてもらえると思ったら大間違いなのだ。
会わないに越したことはないが、もし万が一迷惑をかけられる可能性も考えて、対策はしておこうと思うのだった。
それからしばらくは大きな問題が起きることもなく、週末にはダンジョン攻略をし、王太子とサラは少しずつ心の距離を縮めていった。
カイルやリディアもサラのことを妹のように、娘のように接してくれている。
サラは自然な表情が増え、発言も増えていた。
少しずつ、本当の仲間になっていくサラを見て、クリスだけでなく皆が温かい気持ちで見守っているのだった。
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