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 マーシャは魔力ポーションさえあれば体調を維持できるようになったとはいえ、学園に行く気になれなかった為、ずっと欠席していた。
 両親も何も言わず、ゆっくり過ごしなさいと許可してくれたからこその自由であったが、マーシャはスタンピードに向けて回復魔法の練習をしたかった。
 だがポーションを飲んで回復魔法を使ってもすぐに魔力が尽きてしまい、ポーションの消費量が増えるばかりで苛立ちが募る。
 これではスタンピードの討伐に参加できない。
 Cランクの冒険者は、スタンピードの討伐に参戦しても最後衛で、救護要員として働いたり、救護テントの護衛等が任務となる。
 戦うとしても門を出てすぐの所で、弱い魔獣を相手にする位だった。
 剣で戦えないマーシャは魔法を使って戦うしかなく、攻撃するにも回復するにも魔力を消費するのだ。
 こんな状態では招聘されても役に立たないし、サラに近づき殺すことなどできやしなかった。
 教師を捜してもらう相談をした時、アンナにだけはサラを殺したい旨打ち明けていた。
 王太子の婚約者になる為にはサラが邪魔である、という認識は一致しており、以前家に招待した時の態度から、素直にお願いをしても聞く性格とは思えず、脅迫しようにもサラの両親はこの国の英雄であり、王の覚えもめでたい為難しい、という点でも一致した。
 王太子のパーティーメンバーとして迎えられ、距離が近づいていることも脅威である。
 ならば消えてもらうしかない。
 先日の林間学校で魔獣に襲われた件については、アンナの方から打ち明けられた。
 やはりアンナと父の手によるものであったのだった。
 次の手はすでに用意しており、今は機を窺っております、との言葉にマーシャはほくそ笑んだ。
 ゲームの通りに進んでいる。
 教師を捜して欲しいと頼んでから二週間程が経過し、アンナはついに朗報を持ってやって来たのだった。
 以前デートした森林公園で待つ、との手紙を携えて。
 アンナは何故教師を捜すのか、とは聞いて来なかったが、マーシャは森林公園へと向かう馬車の中で事情を話すことにしたのだった。
「実は先生から指輪をもらったのだけれど」
 そう切り出すと、向かいに座ったアンナは驚いたように目を見開いた。
「…それは、婚約のお約束の指輪ですか?」
「え?違う、違うわよ。勘違いしないで」
「そうなのですか?あの教師をお探しになっているのは、実は秘めた恋人でいらっしゃるからかと思っておりました…」
「えっ?どうしてそうなるの?」
 マーシャは驚いたが、アンナは真面目な表情をしていた。
「あの教師と接していらっしゃる時のお嬢様は、とてもあの教師を気遣っていらっしゃり、お会いになる時には嬉しそうにしてらっしゃいましたので…」
「ああ…そう見えたのなら、成功なのかしら…」
「成功、とおっしゃいますと…?」
「あの方は魔法の教師でしょう。仲良くしておけば有利なこともあるかと思ったの。実際とても親切にして頂いたし、それは良かったのだけれど」
「そうだったのですね…」
「もらった指輪が、どうやら魔力を奪っている原因のようなの」
「えっなんということ…!」
「そうでしょう?しかも外れないの。他の人には見えないし。だから直接お会いして外して頂こうと思って」
 右手の薬指に嵌まっている指輪に触れるが、アンナには見えていないようだった。
「何のつもりでそのような指輪を…?」
「この指輪を下さる時、わたくしを守ってくれる指輪だと言ったの。悪気はなかったのかもしれないから、真意をお聞きしたくて」
「悪気がなかったとしても、お嬢様を苦しめるなんて許せません」
「怒らないで、アンナ。わたくしがCランクになれたのは、この指輪のおかげであることも確かなの」
「お嬢様はお優しすぎます…」
「そんなことないわ。それにしてもよく先生を見つけてくれたわね」
 深く追及されたくはない案件である。話題を変えれば、アンナは素直に話してくれた。
「学園に問い合わせ、住居へ向かった所、そこの大家にはウェスローでのおおまかな住所を知らせておりましたのが幸い致しました。すぐウェスローへ人をやり、その住所付近で聞き込みをした結果、あの目立つ容姿を覚えていた者がおり、住所が判明致しました」
「そこにいらっしゃったの?」
「はい。短期滞在用の住居であったらしく、引っ越し準備をしておりましたようで、運がよろしゅうございました」
「まぁ、そうなの。それでわざわざ森林公園まで来て下さるだなんて。きちんと旅費はお出ししたのよね?」
「もちろんでございます。転移装置の使用代金、ホテルへの宿泊費用も用意致しました」
「ありがとう、アンナ」
「もったいないお言葉でございます、お嬢様」
 森林公園の馬車留めに到着し、マーシャは馬車を降りた。
 すっかり季節は冬へと向かっており、以前来た時には鮮やかな緑に染まっていた木々が、今は黄や赤に染まっておりこれはまた美しい。
 空気は冷えており、吸い込むと胃の中に染み入るような心地がした。
 前日に雨が降ったのか地面が湿っており、土の匂いと雑草の青い匂いが混ざり合っていたが、不快ではなかった。
「やぁ、久しぶりだね。今日も美しいよ」
 美形教師は以前と変わらぬ笑みを浮かべて近づいて来る。
 今日も馬に乗って来たのだろう、黒いコートを羽織り、膝丈の黒のブーツを履いていた。
「ご無沙汰しております、モーガン先生。学園でお会いできると思っておりましたのに、残念ですわ」
 ちくりと嫌味を言ってやるが、教師は堪えた様子もなく、笑顔のままだ。
「また少し馬で歩かないかい?話があるんだろう?」
 教師の誘いにマーシャは頷いて、馬に乗せてもらって公園を歩いた。
 以前は爽やかな夏の空気と色をしていた森林は、すっかり秋の様相へと変貌しており、すぐにやってくる冬支度を始めている木々もちらほらと見受けられた。
 もうすぐ冬が来るね、だとか、雪が降った湖畔も美しいんだよ、だとか、まるで以前のデートの続きをしているかのように、教師の態度は変わりない。
 指輪の件は何かの間違いだったのでは、とマーシャは思い始めていた。
 湖畔にある四阿で馬を下り、腰を下ろす。
 マーシャはさっそく右手を挙げ、薬指を向けた。
「この指輪、とても役に立ちましたわ。ありがとうございます」
「そう、それは良かった。Cランクになれたかい?」
「はい。おかげさまで」
「君の役に立てて良かった。その指輪は君の物だよ。大事にして欲しいな」
「それなんですけれど先生。この指輪、外すことはできませんの?」
「ん?どういうことかな?」
 重要な問いかけだったのだが、教師は何のことだかわからないと言いたげにきょとんと首を傾げた。
 マーシャはそっと深呼吸をし、言葉を選ぶ。
「痛みを感じなくなり、無事にランクを上げることができました。しばらく冒険者としての活動はお休みしますので、指輪は外して次に使う時まで大切に保管しておきたい、と思いますのよ」
「何か困ることでもあったかい?」
 この言い様、本当に副作用のことは知らないのだろうか、と思わせるものだった。
「自分で外そうと思ったのですけれど、外せなくて。先生なら外せるのではないですか?」
「外したいの?」
「ええ…できれば」
「うーん、おすすめしないなぁ。ずっとつけていて欲しいんだけど、駄目かい?」
 あれ、と思う。
 この口振り、知っている?
「…ずっとつけていたいのですけれど、不都合が生じてしまって…」
「魔力が奪われることかな」
「え、ご存じだったのですか?」
「もちろん」
 当然と言わんばかりに頷く教師が理解できなかった。
「そんな、魔力が使えなければ、わたくし冒険者としては致命的ではないですか!」
「でも君は侯爵令嬢だ。魔力ポーションごとき、湯水のように使えるだろう?」
「それはそうですけれど、そういうことではないのです…!」
 来たるスタンピードに備えなければならないのだった。
「うーん…外すのは反対だよ。それは君を守ってくれる指輪だ。それに王太子と結婚するのなら、冒険者として活動することなんて…あ、あるのかな?あの王太子殿下はAランクになったんだっけ」
「…なおさら、ポーションを飲み続けなければ魔法一つ使えないようでは、選んで頂けませんわ」
「困ったな…僕は本当に、君のことは運命の人だと思っているんだけど」
 眉を寄せ、苦しそうに見える教師が嘘をついているようには見えない。
 マーシャを本当に想ってくれているのだろうことが窺えた。
 だが…ならば何故…。
「運命の人とおっしゃるのに、どうして学園を辞められましたの?それに西国の住居も引き払おうとされていたと聞きましたわ」
 首を傾げて問えば、教師は驚いたように目を見開き、そして辛そうにため息をついた。
「…だって君、運命の人が王太子と幸せに暮らしている所を指をくわえて見ていろって言うの?…さすがにそれは酷いよ…」
「あっ…ご、ごめんなさい、わたくし、そんなつもりじゃ…」
 マーシャは頬が熱くなり、恥じ入った。
 自分のことを好きな男が、身を引こうとしているのに引き留めようとしているに等しい。
 己の発言の無神経さに気づいてしまったのだった。
 この男は「応援する」とは言ったもののマーシャの事を諦めきれないまま、身を引こうとしているのだった。
 この指輪は、自分の代わりとも言うべき大切な品なのだ。
 納得してしまえば愛されヒロインになったような心地になり、一瞬マーシャは現実を忘れた。
 逆ハーレムを築けるくらいに、自分の神経が図太かったら。
 …マーシャは王太子に一途でありたかった。
 だから、この男の気持ちには応えられないのだ。
「先生のお気持ちはとても嬉しく思います。けれどわたくしは魔力を使いたいのです。危険なことはもう致しませんわ。指輪を外して下さいまし」
「…僕は反対だよ。もう一度言う。指輪は一生つけておいて欲しい。僕の伴侶になる為には必要なんだ」
 伴侶、と来た。
 マーシャは思わず笑いそうになったが口元を引き締め、首を傾げてみせる。
「王太子殿下と結婚するなら、先生と結婚は無理では…?」
「それ位の期間は待てるから。その指輪は僕と君を繋ぐ大切な物なんだ。それにもし王太子と結婚できなかったら、君はすぐ自由になるだろう?」
「…それは…ええ…」
 マーシャが王太子と結婚できなかったとしても、教師と結婚するとは限らないが。
 そこは曖昧に濁す。
 こんな台詞、ゲーム内ではなかったのに。
 王太子と結婚しても指輪で繋がっているから構わない、ということなのだろうか。
 結婚に漕ぎつけた瞬間に略奪なんてされたらたまったものではないのだが。
 教会で式の最中、「ちょっと待ったー!」と浚いに来る教師の姿を想像し、マーシャは僅かに眉を顰める。
 それはそうか、この男はわたくしのことが好きなのだから、王太子と結婚できない方がいいに決まっている。
 結婚できなかったらマーシャが伴侶になると言わんばかりの態度も気になる。
 教師のことは嫌いではないし、好きだと言ってくれるのは気分がいい。
 だがそのことと結婚するかはまた別の話なのだった。
 今は王太子と婚約することしか考えていないのだから。
 婚約したら結婚して、ハッピーエンドを迎えたい。それは当然の夢である。
 マーシャはどう言えばわかってもらえるか考えるが、思いつかなかった。
 前世から今まで、恋愛経験は一つもない。
 伴侶として求めてくれる男を諦めさせる言葉と言えば、ひどく傷つけるようなものしか思い浮かばなかった。
 漫画やゲームの知識を思い出そうとするが、どんな言葉で振ったって、後味の悪い思いをすることは確実だ。
 できればキープしておきたい立場としては悩む所だ。
 有耶無耶にできるならしたい。
 指輪は外すが、大切に持っておく。
 もし万が一、王太子に選ばれなかったら、また指輪をつける。
 …これではダメなのか。
 指輪はずっとつけていて欲しいと言うのだった。
 マーシャの望みは指輪を外すことだった。
 相容れない。
 仕方がない。
 マーシャは顔を上げ、教師を真っ直ぐ見つめ、真心に訴えることにした。
「申し訳ございません、モーガン先生。わたくしは指輪を付け続けることはできません。外して下さいまし」
 教師は傷ついたような、怒ったような、複雑な表情をした。
「…それは、僕の伴侶にはなれないということ?」
「申し訳ございません」
「……」
 両手で顔を覆って、教師は項垂れた。
 かける言葉が見つからず、マーシャは静かに待つしかない。
 外してもらえなかったら、どうしよう。
 招聘されても、救護テントで回復要員に回ればいいか。
 大量に魔力ポーションを用意して、飲みながら回復をする。
 …戦闘するよりは楽かもしれない。
 陽光を受けてきらきらと輝く湖畔を見つめる。
 ここはいつ来ても静かで、人気がなかった。
 アンナと護衛は会話が聞こえない程度の距離を開けて控えている。
 下手にそちらへ顔を向けると、呼ばれたと思ったアンナが駆けつけてしまうので我慢した。
 今は隣で項垂れる教師を待つしかないのだった。
 吹き抜ける風の冷たさに首を竦めた時、教師はようやく顔を上げた。
「そっか。…じゃぁしょうがないね。他を捜すしかないな」
「先生…」
 見上げた教師の顔は、表情がなかった。
 背筋に走る悪寒に震えそうになりながらも、堪える。
 瞳だけは悲しそうに、教師はマーシャを見下ろした。
「その指輪ね、君の為に丹精込めて僕が作ったんだよ。将来僕の故郷へ行った時にも、人間の君が無事でいられるようにって。指輪の中で君の魔力と僕の魔力を少しずつ混ぜて、僕と同じモノになれるようにって。残念だ…本当に」
 怒っているのだと、マーシャは思った。
 だから素直に謝罪しなければと思ったのだった。
「本当に、申し訳ございません先生。でも、お気持ちはとても嬉しいですわ」
「もういいよ。じゃ、指輪を返してもらおう」
 左手を出してくるので反射的に右手を差し出した。
 ああ、指輪は返さなければならないのね。
 また必要になったらつければいいかと思っていたマーシャは、惜しい気持ちになる。
 教師は無造作に指輪を掴み、引き抜いた。
 ずるり、と、身体中の何かが全て指先から抜けていく感覚があり、指輪が抜かれてマーシャは一瞬意識が途切れた。
 だが次の瞬間には目が覚めたような感覚があり、不思議に思って周囲を見回してみるが視界がおかしい。
 なぜか掴まれている感覚があり、目の前には気を失った自分の身体が四阿のベンチに倒れていた。
 アンナと護衛がマーシャの名を呼びながら走って来るのが見える。
 突然視線が高くなり、後ろを見れば教師の顔と指が至近にあった。
「さて、せっかくだからこの魂を有効利用しないとな。はー…僕の運命の人はどこにいるのかなぁ」
「お嬢様!!」
 アンナと護衛が走って来るが、教師は構わず魔力をマーシャの意識に流し込んできた。
 とてつもなく膨大で、強大な力に見えない身体が引き裂かれるような痛みを感じて悲鳴を上げるが、声は出なかった。
 そこで初めて、自分が引き抜かれた指輪の中にいるのだということに気がついたのだった。
 なんで?
 どうして!?
 叫びは苦痛を訴える物へと変わっていくが、誰にも聞こえはしなかった。
 指輪にヒビが入って、砕ける。
 砕けた瞬間白く光り、そして黒に飲み込まれていく自分の意識を感じたのだった。
 
 ヒロインが教師ルートへ進んだ時。
 
 指輪をもらい、教師と共にこの国を去って幸せに暮らすエンディングだった。
 そのルートにスタンピードはなく、ただ女としての幸せがあった。
 
 教師ルートを選ばなかった時。
 
 教師は変わらず学園で教師として勤めるが、スタンピードは起こる。
 スタンピードとは、魔獣の大量侵攻のことだった。
 …もし。
 ヒロイン以外の女に目を付け、振られていたのだとしたら?
 ゲームだと名も知らぬ誰かだが、この現実世界ではマーシャであった。

 『将来僕の故郷へ行った時にも、人間の君が無事でいられるように』
 
 何故聞き流してしまったのか。
 魔族は実在する。
 瘴気だらけの魔族領で、魔獣を物ともしない強者達。
 …もし、この教師が伴侶探しの為にやってきた魔族だったのなら。

「あああぁああああああ!!」

 マーシャの叫びは、どこにも届かなかった。
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