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91.

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「挙動が変わった。俺らは引いた方がいいか」
 カイルが呟いたのはステラが回復補助に入ってしばらくしてからだった。
 残り四割。
 ダメージを受けているのは名誉騎士のみであり、他のメンバーは被害もなく全力で攻撃することが出来ている。
 このまま行けば夜には倒すことが出来る予定であった。
「では魔法チームと交代しましょう」
「了解」
 魔法省長官が立ち上がり、サラ達も立ち上がって休憩用テントから外へ出る。
 いつの間にか雪が降ってきており、テントから出た全員が空を見上げたのだった。
「吹雪かないといいですねぇ…」
 リアムの呟きに、全員が眉を顰めながら頷く。
 王太子はずっと留守番であることも諦めたようで、「被害なく倒せるのならば、私はのんびりと見学させてもらおう」と言いながらも、戦闘メンバー達の連絡に耳を傾けていた。
 サラは同じように空を見上げている王太子の横に並んで、「行ってきます」と声をかけた。
 王太子はにこりと笑んで、「気をつけて」と返してくれた。
 これだけで、サラは十分幸せだった。
 森へと向かおうと走り始めてすぐ、龍の咆哮がこちらへと飛んできた。
 前方範囲、と魔術省長官が言っていた通り、範囲攻撃であった。
 森の外にいるサラ達までが、ダメージを食らったのだ。
「え…っ」
 リディアが驚いたように呟く横で、リアムは範囲回復魔法を唱えている。
 名誉騎士は三割ダメージを食らったという話だったが、サラ達は距離があったからか、ダメージは大したことはなかった。
「どうした、何かあったか」
 王太子の呼びかけに答えたのは、名誉騎士だった。
「ヘイトがクリスに」
「は?」
「何故?」
 魔法省長官の疑問には、答えが返って来なかった。
「どういうことだ、名誉騎士殿。状況を説明して欲しい」
「わかりません。クリスが龍の視界に入ったのだと思われます。ターゲットが、クリスに変わった」
「なんだと?」
「お兄様、大丈夫!?」
 サラの呼びかけに、兄が答える。
「ヤバイ、六割持って行かれた。レベル差、…っ」
 声が途切れた。
「お兄様!」
「クリスは喋る余裕がない。何故だ?ヘイトが取り返せない…っ!」
 父がターゲットを取り返そうと、龍に攻撃をしているようだった。
 焦っている様子が伝わって来る。
 兄の被弾が気になった。
「すぐに行きます!」
「待て」
 サラが走り出そうとするが、王太子が腕を掴んで止めたのだった。
「何故ですか!?」
「何故ターゲットが変わったのだ?」
「…わかりません」
 連絡用ピアスでのやりとりだった。
 誰もそれに答えられる者はいない。
「ダメだ、ワシらには見向きもせん!」
「ターゲット対象を固定するのか?残り四割で固定対象が変わった?」
 将軍と、エルフ族の中衛の男の言葉に、熊族の前衛の言葉が重なる。
「試しに視界に入ってみる。すまんが回復の用意を頼む」
「はい!」
 ステラの返答があり、サラ達はただ報告を待つしかない。
「ダメだ。俺には反応しない」
「何故だ?今までにも視界に入ったヤツはいただろう」
「やはり挙動変更のタイミングで?」
「固定対象はランダムなのか?」
「後衛でなかったのは不幸中の幸いだった。だが彼は盾用の装備じゃない。盾用のスキルも持っていないだろう」
 Sランク冒険者達の会議に、口は挟めない。
 どうして。
 何故。
「回復を二人に増やして良かった。一人だと危なかった」
 魔術省長官の言葉に、サラ達は血の気が引く思いだった。
「挙動の変更はそれだけですか?物理ダメージは通っていますか?」
 冷静な魔法省長官の問いかけに、名誉騎士が答える。
「今は魔法ダメージのターンと思われる。ダメージが通っていない」
「では我々と物理チームは交代しましょう。盾役が交代しただけ、と考えて問題ないのでしょう?」
「…それはそうだが!」
「…名誉騎士殿、一度下がって休憩を。クリス、やれるな」
「…はい…!」
 王太子の問いに、兄は答えた。
「…殿下、兄に回復陣を敷きたく思います。私も回復に回り、魔術省長官様には攻撃に回って頂いてはいかがでしょうか」
 Sランク冒険者のダメージは通るのだ。
 サラが攻撃に回るより、ステラと二人で回復役として兄を支える方が効率が良いはずだった。
「…よかろう、ではニコル殿は攻撃に回って欲しい」
「了解しました」
 王太子が許可を出し、サラは気合いを入れ直す。
「…回復陣は、あると助かる、サラ!」
「サラ、気をつけて」
「は…」
 はい、と答えるつもりであった。
 だが龍の咆哮に遮られた。
 森の木々が突風で煽られたかのごとく激しく揺れ、次の瞬間、龍が飛び上がったのだった。
「なんだと!?」
 その叫びは将軍か。
 木々の上に飛び上がった龍は、両翼を激しく上下させながら首を振った。
 そして後衛が集まる湖畔へと首を巡らせ、胴体ごとこちらを向いた。
 大きく口を開く。
 
「…ッ散開しろッ!!」

 王太子の叫びの意味を理解できない者はこの場にはいない。
 王太子はサラの腕を掴んで抱え込み、横へと飛んだ。
 リディアやリアムもまた、咆哮の直撃を食らわないよう避けようと動いた。
 グワッという轟音と共に、熱と光が一直線に放たれた。
 石畳が飛び、抉れた土が飛んだ。
「なんでだァ!?」
 再び将軍の叫びが聞こえ、サラは目を開けた。
 王太子の腕に抱き込まれる形で焦ったが、王太子は龍を睨み上げながら身体を起こし、サラの手を引いて立ち上がった。
「怪我は?」
「あ、ありません。ありがとうございます」
「良かった」
 ここまでのやりとりはピアスを通したものではなかった。
 周囲を見渡すと、一直線に抉れた地面が公園入口の方面へと続いており、攻撃力の高さに戦慄する。
 あれを父と兄は食らったというのだった。
 リディアやリアムも無事であり、直撃を食らったものはいないようで安堵する。
「こちらへ来る…!」
 呆然と呟いたのは魔法省長官だった。
 慌てて龍を見上げれば、こちらへ向かって真っ直ぐに飛んで来るのが見えた。
 スピードは速く、一瞬だった。
 サラは龍と目が合った。
 身体が竦む程の悪意と殺意を感じ、自分が狙われているのだと、悟った。
 王太子の身体を突き飛ばし、逆方向へと走る。
 地面が抉れた場所を避ける余裕はなかった。
 石畳の瓦礫を避け、せめて足場の安定した位置に立つ。
「な、…っ」
 突き飛ばされた王太子は、龍のターゲット先を察した。
「強化をッ!」
 叫ぶと同時に、サラに強化魔法を唱えた。
 サラ自身にそんな余裕はない。
 魔法省長官とリアムが動いた。
 だが、間に合わない。
 龍は再び口を開いた。
 凄まじい熱を感じ、次の瞬間には視界が眩く白く塗り潰された。
「サラ――…ッ!!」
 リディアの悲鳴が聞こえ、誰かの叫びが聞こえた気がした。
 ものすごく熱い。
 焼ける痛み、燃える痛み。
 切り裂かれる冷えた痛み。
 サラは重心を落とし、吹っ飛ばされないよう踏ん張った。
 意識が遠く、飛んでいきそうになる。
 だが、耐えた。
 左手で杖を握りしめ、左手を包み込むように右手で覆う。
 王太子殿下と母の心のこもった指輪、そして自分が金を貯め、購入した指輪。
 耐性を上げてくれる付呪具が全て、発動していた。
 一つ一つは微々たる効果でしかない。
 だが重ねれば少しは役に立つのだった。
 即死していない。
 生きている。
 血を吐き、力が抜けていく感覚があったが、サラは詠唱した。
 一直線に駆け抜けていった光が収まった瞬間に陣は発動し、サラは自身の回復によって救われたのだった。
 即範囲回復魔法が飛んで来た。
 リアムの魔力であったが、何故範囲魔法なのか。
 サラは目を開け、その理由を知ったのだった。
「…っで、」
 目の前に、庇うように両手を広げて立つ男の顔があった。
 言葉を詰まらせたサラにかけられた声は、労りに満ちていた。
「無事で、良かった」
「殿下…っ」
「回復陣、さすがだね。おかげで無様な姿を晒さずに済んだよ」
「あ…っ」
 我が国の民としては言わねばならなかった。
 王太子ともあろうお方が、一人を庇ってダメージを負うなどあってはならない。
 誰を犠牲にしても生き残らねばならない存在なのだ。
 たとえサラが即死するほどの攻撃だったとしても。
 王太子が庇わなければ、おそらくサラは死んでいたのだとしても。
 サラを見捨てても、傍観しておくべきだった。
 …だがサラは言えなかった。
 だって、嬉しかった。
 庇ってもらって、嬉しかったのだった。
「ありがとう、ございます…っ」
 サラは言葉を詰まらせ、礼を言うことしかできなかった。
「うん」
 王太子は微笑んで頷き、前を向いた。
 眼前に降り立った龍は、静かに王太子を見ていた。
 サラは、この龍の魔力に覚えがあった。
 覚えがある魔力に、見知らぬ魔力が混じっている。
 何故、と思う。
 どうして、とも思う。
 だがこの龍の挙動には、納得できるものがあった。
「…グレゴリー侯爵令嬢…」
 サラの呟きに、王太子が反応した。
「何?」
「この魔力、グレゴリー侯爵令嬢です。それに見知らぬ魔力が絡みついている。…本人かどうかはわかりません。でも、侯爵令嬢の魔力です」
 連絡用ピアスで発言をした。
「人間が魔獣になるなど聞いたこともありません」
 魔法省長官の言葉に誰もが頷くが、名誉騎士と兄だけは信じてくれたようだった。
「ターゲットされた者を考えれば納得がいく」
「サラ!大丈夫なのか!」
「…はい。今は王太子殿下を見て、動きを止めています」
「…マジかよ」
 兄の呆然とした言葉は、侯爵令嬢の意識を残しているのだろうことを確認するかのようだった。
「…君はグレゴリー侯爵令嬢か」
 王太子が、龍に話しかけた。
 龍は何も答えず、ただ王太子を見ていた。
「何故そのような姿になっているのかは今は聞かぬ。人の姿には戻れぬのか?何か言い分もあるだろう。周囲にいた魔獣はもういない。君だけだ。危害を加えるのはやめ、事情を話してくれないか」
 龍はサラを見た。
 震える程の殺意を感じる。
 サラを殺したくて仕方がない、という気配だけは伝わって来るのだった。
 そんな龍の視線を遮るように王太子はサラの前に立つ。
 庇うようなその仕草に龍の碧瞳がギラリと光り、咆哮を上げた。
 至近からの巨声に王太子とサラが耳を塞ぐ。
 また大きく口を開け、熱と光を感じた。
 この距離で食らったら、サラは死ぬ。
 王太子は助けなければならない。
 だが王太子はその場から動かなかった。
 サラも動けなかった。
 魔法省長官とリアム、そしてエルフ族の後衛から強化魔法が飛んでくる。
 陣は発動したままだった。
 せめて殿下だけは生き残って欲しい。
 サラは杖を握りしめ、攻撃と防御が上がる陣を唱えた。
 死ぬまで保てば、それでいい。
 熱量が限界を迎え、龍の口から放たれる。
 瞬間、光が逸れた。
 サラと王太子の右、一メートル程ずれて走った光の線が、轟音と熱を発しながら駆け抜けていく。
「……っ」
 サラと王太子は息を呑んだ。
 眼前で、名誉騎士と兄が龍の鼻っ面を蹴り飛ばしていたのだった。
「ま、間に合った…!」
 兄の安堵の叫びに、サラは泣きそうになる。
「おにいさま…!」
「ホントは駄目だけど、サラを守って下さって、ありがとうございます…!ホントは駄目だけど!!」
 王太子の隣に降り立ち、兄が礼を言った。
「なんの。当然のことだ」
「…いや、当然ではないです全然」
 兄が自身に強化魔法をかけている間に、名誉騎士は龍に攻撃をしていた。
「殿下、下がって指揮を」
「だが」
「サラが狙われているのなら、サラを守るのは家族の役目です」
「だが!」
「…殿下、お願いします…!」
 これ以上王太子を危険に晒すわけには行かなかった。
 サラは陣二つを維持する為に魔力ポーションを飲む。
 魔力消費が激しいので、他の魔法は使えない。
 だが、二つの陣は支えてみせる。
 兄と名誉騎士が龍の正面に立って、攻撃魔法を撃ち込み始めた。
 龍は鼻っ面を蹴られたことにショックを受けた様子でしばらく呆然としていたが、すぐに我を取り戻し、暴れ始めたのだった。
 全体範囲攻撃をくらい、後衛達は範囲回復を一斉に唱える。
 追いついた前衛はダメージをもらわないよう距離を取り、魔術省長官とステラも追いついて距離を取りながらサラ達の回復をし始めた。
「殿下、指示を」
 冷静に指摘したのはリアムである。
 魔法省長官は上位の攻撃魔法を詠唱していた。
「無事で」
「はい!」
 王太子は苦し気な表情で頷き、サラを見てから離れていった。
「サラ、絶対守るからな」
 兄の言葉に、サラは笑う。
「…殿下に言って欲しい台詞だね」
「そう言うなよ」
 殿下には十分守ってもらった。
 命だけでなく、サラの存在そのものを大切にしてもらった。
 最後まで、諦めない。
 また一つ、魔力ポーションを飲んだ。
「陣を二つ支えています。私は魔法を使うことができません。動くこともできません。申し訳ありませんが、回復をお願いします」
 発言すれば、「任せろ」と魔術省長官とステラから力強い返事があった。
「絶対に、回復し続ける。信じて、サラさん」
「はい!」
「クリスさんと名誉騎士殿の回復も必要ですね。私も回復に回ります」
 リアムが発言し、王太子が許可をした。
「よろしく頼む。挙動が変わっている。皆、範囲攻撃を受けない場所を確保せよ」
「はい!」
「サラは攻撃に耐えられるのか?」
 カイルの冷静な指摘には、兄が答えた。
「ブレスは横っ面を殴りつければ逸らせる。タイミングを見てやるから問題ない。通常攻撃は俺と父で防ぐ」
「彼らに強化を切らさないよう頼む」
「はい」
 王太子の補足に、回復の三名は頷いた。
 背後にサラを置き、その前に兄が立つ。
 名誉騎士は龍に合わせて邪魔をするように動き、魔法で攻撃をしていた。
 目を狙い、龍は嫌がるように身体を捻って手足を動かす。
 人間のような仕草だな、と思い、サラは気づく。
 もしや本当に、龍の身体に慣れていないのでは?
 ならば慣れる前に、倒す必要があるのだった。
 あと八時間。
 忍耐の時間が始まった。
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