春は、ばあばのレシピから香る

25BCHI

文字の大きさ
9 / 15
第三章

再開とあの頃の自分

しおりを挟む
 朝の商店街は、ゆっくりと目を覚まし始めていた。

  まだ店のシャッターも半分しか上がっていない時間。
 白い息を吐きながら、こよりは八百屋からの帰り道を歩いていた。

 そのとき、ふと背後から声がした。

 「……やっぱり、こよりだよね?」
 聞き覚えのある声だった。

 振り返ると、そこには、高校時代の文芸部の先輩——山本誠司が立っていた。

 「……山本先輩?」
 思わず声が裏返ったこよりに、誠司は笑って手を上げた。

 「まさか、ここで会えるとは。今、こっちに戻ってきてるの?」
 
 「うん。少しだけ、ばあちゃんの店手伝ってて」
 
 「“ふじのや”か。あそこ、まだやってたんだなあ……。春になるとさ、あの辺り一帯が、ふわっと桜の匂いで満たされてたよね。……あれ、好きだったんだ」
 
 こよりは胸の奥が、少しだけざわつくのを感じた。

 「先輩は? 今、何してるの?」
 
 「図書館勤め。午前中は本棚整理して、午後は書きものしてる。まあ、書き仕事で食えてるってほどじゃないけどね。細々とでも、書くことは続けてる」
 
 「作家……ってこと?」
 
 「いちおう。“無名作家”って肩書のままだけど」
 冗談めかした言い方だったが、こよりにはその言葉が少しだけまぶしく感じられた。

  “続けてる”——その一言が、胸に残る。

 「こよりも、昔、小説書いてたよね? 文芸部の部誌に載ってたやつ、俺、今でも覚えてるよ」
 
 「……ほんとに?」
 
 「うん。風の音とか匂いとか、描写がすごく丁寧だった。読みながら、情景が浮かんだんだよね。
……あ、なんか褒めすぎたか?」
 
 「いや、なんか……ありがとう」
 こよりは気恥ずかしさを隠すように、小豆の袋を抱えなおした。


 「ふじのやでこのみも和菓子作ってるの?」
 
 「……うん、まあ。いろいろ、試してるところ」
  こよりがぽつりと返すと、ふたりの間に、懐かしくて心地よい沈黙が流れた。

 「今度、来てください。春になったら……何か出せると思うから、味見にでも」
 こよりのその言葉に、誠司は少し目を細めて頷いた。

 「じゃあ、お返しに俺の新作、読んでもらおうかな。こより、感想きっちりくれるタイプだったし」

 「えっ、それって……」

 「部誌のとき、わりと辛口だったからね。案外、あれが一番効くんだよ」

 こよりは笑い、そしてほんの少しだけ胸があたたかくなった。

 「うん、じゃあそのときまでに、腕磨いきます」

 「お互いにね」
 そう言って、誠司は軽く手を振り、ゆるやかに歩いていった。

  こよりはその背中を見送りながら、白い息を静かに吐いた。

 冷たい風が頬をかすめた。

 でも、それがなぜか心地よく思えたのは、あの頃の自分がまだどこかで息をしていたからかもしれない。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

十年目の結婚記念日

あさの紅茶
ライト文芸
結婚して十年目。 特別なことはなにもしない。 だけどふと思い立った妻は手紙をしたためることに……。 妻と夫の愛する気持ち。 短編です。 ********** このお話は他のサイトにも掲載しています

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

処理中です...