春は、ばあばのレシピから香る

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第三章

香りは、写真に写らない

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 昼過ぎ、ふじのやにやってきたのは、明るいベージュのパンツスーツに身を包んだ若い女性だった。

  こよりが対応に出ると、女性はすっと名刺を差し出した。

 「こんにちは。和カフェ“iro”の星野ちひろと申します。今日は“町おこし連携”のご相談で伺いました」
 
 名刺には、“株式会社iro・店舗統括マネージャー”と書かれていた。

 「町おこし、ですか?」
 
 こよりが戸惑いながら問い返すと、ちひろは笑顔でうなずいた。

 「ええ。この商店街を活性化するコラボ企画で、“ふじのや”さんのお名前が挙がっていまして。老舗和菓子店としての魅力を、うちのSNS施策と組み合わせて発信できたらと思ったんです」

 茶の間で、こよりは星野の話を聞いていた。

  タブレットに映されたのは、カラフルで“映える”スイーツたち。
 ピンクの羊羹バー、金箔入りの抹茶ラテ、フルーツを混ぜ込んだ団子。
 どれも華やかで、いかにも現代的だった。

 「こういうのが、今すごく求められてるんです。うちは今、都内で五店舗。どこも20代~30代の女性を中心に来てくださってて。地元の素材を取り入れると、話題性にもなるんです」
 
 ちひろはタブレットをしまいながら、畳に置いた資料を差し出した。

 「今回は“ふじのや”さんのあんこを使ったスイーツを、限定コラボメニューとして開発したいと考えてまして。
できれば製造協力をお願いできないかと」
 
 「製造協力……って、具体的には?」
 
 「例えば“あんバターの瓶詰め”や“ようかんスティック”とか。伝統は守りつつ、若い世代に届く“かたち”に変える。それが、今回のテーマです」

 そのときだった。

 奥の障子が静かに開いた。

 「こより。お茶、出したのかい?」
 祖母の八重が、腰をかがめて茶盆を持って入ってきた。

 「あ、ばあちゃん……いま出そうと思って……」
 こよりが立ち上がろうとすると、八重は手を軽く振って「いいよ」と制した。

 ちひろにお茶を差し出すと、その隣に腰を下ろす。

 「はじめまして。孫が世話になってます」
 八重の声は低く穏やかだったが、どこかぴんと筋が通っていた。

  ちひろは少し姿勢を正し、頭を下げた。

 「こちらこそ、突然すみません。素敵なお店ですね。
……あの、少しお話、聞いていただけますか?」

 ちひろは、あらためて企画書を差し出した。

 「地元の伝統と、私たちの若い発信力を組み合わせたら、もっと広く“和菓子の魅力”を伝えられると思うんです。

  特に“ふじのや”さんのあんこは、本当に評判で——試食したスタッフ、みんな感動してました」
 こよりは、隣の八重の横顔をちらと見た。

 祖母は資料に目を落とさず、静かにお茶をすすっていた。

 しばらく沈黙が落ちたあと、八重はゆっくり口を開いた。

 「昔からね、“うちの菓子は口じゃなく鼻と舌で覚えるもんだ”って、じいさんとよく言ってたよ。
写真じゃ、香りも温度も伝わらない」
 ちひろは、はっとしたように八重を見た。

 「けど、それを伝えようとしてくれる人がいるのは、ありがたいことだとも思ってるよ」
 静かに、けれど芯のある言葉だった。


 ちひろは微笑んだ。

 「ありがとうございます。
……それ、すごく、素敵な言葉です」
 そのあと、協業についてもう少しだけ話し合い、今日は一度持ち帰るということで店を後にした。


 暖簾が揺れて、静けさが戻る。

  星野ちひろが残した提案書を、こよりはなんとなく見つめながらつぶやいた。

 「……見た目とかパッケージとか、ちょっと変えるだけで、売れるのかな……。
うちみたいな店でも、時代に合わせていけば、もっと……」
 その声は、問いというより、自分に向けた独り言だった。

 すると、奥で湯呑みにお湯を注いでいた八重が、ぽつりと呟いた。

 「……流行り廃りの中に、あの日の味は残らないよ」
 その言葉に、こよりは顔を上げた。

  八重は、こよりの目を見ないまま、茶盆に湯呑みを乗せていた。

 「誰と、どこで、どんな風に食べたか。
そういうもんを……こめたつもりだったんだよ」
 それきり、八重は何も言わずに席を立った。

 その背中には、過去をそっと手のひらで包むような静けさがあった。

  まるで、もう触れられたくない何かを、菓子に閉じ込めてきたかのように。
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