俺の好きな人は誰にでも優しい。

u

文字の大きさ
23 / 34

踏んだり蹴ったり

しおりを挟む


 俺は寒さで目を覚ました。布団にくるまったまま、首をねじ曲げて窓の外を見ると、濃い紺色の空が広がっていた。時計の針は午前5時半を指していた。
 どんなに衝撃的なことがあっても世界には平等に朝がやって来る。それが億劫に思えるほど、瞼が重い。

 何時に眠りについたのかは分からない。しかし頭に薄い霧がかかったような感覚は、確実に寝不足を訴えている。
 思考は輪郭を失い、意識はどこか遠く、現実だけが少し遅れて届く。瞬きをするたび眠気が重くのしかかり、気を抜けば意識が沈みそうになる。
 はっきりしないままの頭で、このままもう一度眠りたいと思ったはずなのに、体は正反対の行動を起こした。

 寝惚けた頭で俺はベッドから起き上がり、ピートを起こさないようにそっと寝巻きから普段着へと着替える。
 厚手のマントをしっかりと羽織り、手には長兄のお嫁さんが編んでくれたニットの手袋をはめる。
 泥棒にでもなった気分で忍び足を使い、部屋から冷えきった廊下へと出る。限りなく音を出さないよう注意しながら扉を閉めて鍵をかけると、張りつめていた神経が緩んだ。

 まだ眠りから覚めない寮の廊下は当たり前だが人気はなく、ひっそりとしている。部屋の中よりも冷えた空気は体の内側から凍えるような寒さで、こんな極寒の中、外に出ようとしている自分の愚かさを恨んだ。
 なぜ突然、まだ眠りにつける時間を置き去りにしてでも外に出ようと思ったのか、自分でも分からない。ただ、無性に外を歩きたい気分だった。
 歩いているうちに、昨夜止まってしまった思考が動き出すと思ったのかもしれない。衝撃を寒さで和らげようと思ったのかもしれない。
 今の俺は、頭と体と心がバラバラの状態にある。それを統一したかったのかもしれない。

 寮の外に出て、まだ夜の名残を抱えた冬の朝の中をひとり歩く。星も月もまだ存在を主張している。吐く息は白く、足元の空気はきんと張りつめていた。
 学園は眠ったままで、聞こえるのは自分の足音と、遠くで鳴くかすかな鳥の声だけ。非常灯の下を通るたび、影が長く伸びては消える。
 凍えるほど静かなこの時間だけが、俺を正直な姿に戻そうとしているようだった。

 フィリオン様がいつか女性と結婚することなど、彼に恋をしたときから分かっていた。それなのにどうして俺はこんなにもショックを受けているのか。歩きながらその答えを探している俺を、白い月がどこまでも追ってくる。
 マントに顔の半分まで埋めながら無心で歩く俺の足は、自然とフクロウのチロがいる場所へと向かっていた。
 しかしこの時間では石壁の外には出られない。鉄柵の前にいる門番が通してはくれないだろう。

 俺は石壁に沿うように歩き続けた。膨大な土地の学園内をぐるりと囲む石壁を歩いているうちに、紺色の空は様相を変えていく。星は一つ、また一つと空の中に溶け込み、闇はゆっくりと薄れていく。
 やがて東の端がわずかに白み、夜と朝の境界が曖昧になる。冷たい空気の中で、光だけが先に目を覚ましたようだった。
 気づけば空は眠りを終えた色をまとい、鮮やかな朝へと名を変えていく。その頃には、俺の中で疑問の答えが形になっていた。

 分かっていたはずなのに、とうに覚悟など出来ていたはずなのに、"フィリオン様の婚約者"の何があんなにも俺にショックを与えたのか。
 それは、"彼自身が選んだ婚約者"だと突き付けられたからだ。
 彼の父親が望む条件すべてを満たした女性を、彼自身が探しだし、彼のそばへと呼び寄せる。その事実が俺には受け入れられないのだ。

 フィリオン様が選んだ公爵家のご令嬢なのだから、きっと素晴らしい知能と素敵な容姿をお持ちなのだろう。
 その女性を彼の父親があてがい、彼女と結婚するよう命じていたのなら、俺の受け取り方も違っただろう。
 仕方がないことだと、いずれそうなると分かっていたことだと、うまく呑み込めたはずだ。でもそうじゃない。
 この人を妻にしたい、彼がそう思ったのかもしれないという事実がひどく重く胸にのしかかっている。体の奥を、雑巾を絞るようにひねられているみたいだ。

「フィリオン様…好きです…」

 胸の痛みをどうにかしてみたくて、ぽろりと溢れた誰に聞かせるでもない言葉。好きって口に出すだけで、気持ちが何倍にも膨らんだ気がして後悔する。余計に痛みが増しただけだった。

 冷たい空気にさらされ続けた足は、感覚が鈍くなり、やがて痛みを訴え始める。一歩踏み出すたび、ブーツの中で疲労がじわじわと広がっていくのがわかった。
 それでも立ち止まれず、白い息を吐きながら前へ進む。凍えた朝の静けさの中で、足の痛みだけが確かに自分が生きている証のように響いていた。

 そろそろ光に導かれて寮が目覚める頃だ。俺は石壁のそばから離れ、寮の方向へと靴先を向ける。
 冬の朝の寒さは俺の体の芯、奥深くまで凍えさせた。早く暖炉の熱で温まらなければ、間違いなく風邪をひく気がする。
 くしゅん、とくしゃみが漏れ、ずびっと鼻をすする。それは予感を確かなものにしようとしていた。

 寮の前まで戻ってくる頃には凍えた足先はじんじんと激しく痛みを訴え、ふくらはぎは重さを増していた。
 部屋がある3階までの階段を痛む足で上る。この時間帯は太い紐を引っ張ることで動く箱には乗れない。紐を動かす人がまだ起きていないから。
 基礎学年のうちは1階だった寮部屋も4年になってからは3階へと変わった。階段を上り下りする動作のことだけを考えると、1階のままが良かったなと思わずにはいられない。

 部屋の前に着き、鍵を開けようとマントのポケットに手を差し込んで金属の感触を探す。しかしあるはずの冷たさがいくら手を動かしてもやって来ず、焦りがじわじわと押し寄せてくる。
 ポケットの裏地を外に出してひっくり返しみても、あるはずのないズボンのポケットの中まで探してみても、部屋の鍵はどこにも見つからない。
 鍵をどこかで落とした、と察したとき、サーッと顔から血の気が引いていくのがよく分かった。寝不足、寒さ、疲労の上に絶望が重なる。目覚めてからの自分の突拍子もない行動を、心底恨むしかなかった。


しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。

伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。 子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。 ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。 ――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか? 失望と涙の中で、千尋は気づく。 「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」 針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。 やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。 そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。 涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。 ※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。 ※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。

【完結】恋人になりたかった

ivy
BL
初めてのキスは、 すべてが始まった合図だと思っていた。 優しい大地と過ごす時間は、 律にとって特別で、 手放したくないものになっていく。 けれど……

【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜

キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。 モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。 このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。 「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」 恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。 甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。 全8話。

《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ

MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。 「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。 揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。 不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。 すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。 切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。 続編執筆中

なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?

詩河とんぼ
BL
 前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

【完結】好きな人の待ち受け画像は僕ではありませんでした

鳥居之イチ
BL
———————————————————— 受:久遠 酵汰《くおん こうた》 攻:金城 桜花《かねしろ おうか》 ———————————————————— あることがきっかけで好きな人である金城の待ち受け画像を見てしまった久遠。 その待ち受け画像は久遠ではなく、クラスの別の男子でした。 上北学園高等学校では、今SNSを中心に広がっているお呪いがある。 それは消しゴムに好きな人の前を書いて、使い切ると両想いになれるというお呪いの現代版。 お呪いのルールはたったの二つ。  ■待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。  ■待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。 つまりそれは、金城は久遠ではなく、そのクラスの別の男子のことが好きであることを意味していた。 久遠は落ち込むも、金城のためにできることを考えた結果、 金城が金城の待ち受けと付き合えるように、協力を持ちかけることになるが… ———————————————————— この作品は他サイトでも投稿しております。

処理中です...