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第五章 王妃のお茶会

42. 予期せぬ再会

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 ルーの忠告は、いちいちもっともだった。
 彼から貰った魔力と体力、両方の回復作用がある強力なポーションを飲んでから宿直室に戻り、部屋を引き払うための荷造りをする。今日からこの部屋を使う者が既に決まっているので、軽くだが掃除もしておいた。
 黒一色の上下から騎士装束に着替え、ジオルグに貰ったサークレットを額に付けてから、ようやく影から出てきたルトにも首輪をつける。
 このサークレットが、今の俺にとってはこの世界における唯一のだ。ほんの少しだが、じんわりと魔力が回復するのを感じてほっとする。
 次の休暇の日には必ず帰ると家令のクリスチャードと約束した以上、今日のところは一旦、大人しく屋敷に戻るのが道理ではあるだろう。戻ったとしても、あの多忙なジオルグが必ずいるとは限らないのだし……。
 足を向ける先を未だに迷わせながら、とりあえず護衛師団の庁舎を出た。王宮の北門の車寄せに目線をやり、ロートバル家の馬車が迎えに来ていないことを一応確認してから、ロームの街並みに向かって歩き出す。
 任務の時は、常に時間通りに帰宅できるとは限らないので、屋敷からの馬車の送迎は断っている。仕事が終わる頃に、魔導通信機で屋敷に連絡すればいいだけなのだが、そうやって呼びつけるのも何だかなあ、と思ってやめていた。それならせめて送るだけでも、とは言われるのだが、自分で歩きたいからいいとそれも断っている。
 貴族出身の同僚たちの中には、馬に乗ってやって来る者もいるが、俺はそれもしない。無論、騎士なので乗馬は出来る。騎士養成学科では、必修単位の一つでもあった。不自由のないレベルで乗れるのだが、それだけだ。どうしても馬を好きになれないし、馬の方でもそれを感じ取っている。俺の魔力量の多さに対する畏怖だけで、なんとか騎乗を認めてもらえている状態だった。
 しばらく道なりに歩いていると、教会の鐘が鳴り出した。部屋を片付けているときに一番目朝六時の鐘が鳴っていたから、これは二番目朝八時の鐘だ。

 ──そうか。今から教会に行けば、会えるかも。

 第二王子と同じく、アイリーネの今後のために会っておきたい人物がもう一人いたことを思い出す。
 しかも今日は確か、日曜日だ。この世界の素晴らしいところは、年月日や時間を始めとするありとあらゆる単位が、いかにも現代日本で生まれた乙女ゲームらしい緩さで通用してしまうところだったりする。
 そして日曜日と言えば、この世界においても教会ではミサが開かれているはずだった。但し、祀られているのは十字架にかけられた神の子ではなく、今もなお、我が身を犠牲にしながらこの大陸を救済し続けている創世の女神レンドラだ。

「帰る前に、教会に寄ってみるか」

 呟くと、俺の横についていたルトが見上げてくる。

(教会?)
「うん、多分だけど、ヒューがいると思う」
(ヒュー。シリルのトモダチ。)
「ああ、そう言ってたな、お前。今も友達かどうかは微妙なところだけど」

 まだ黒玉だった頃のルトが不意にヒューの名前を出してきたとき、実はあまり覚えていなかったのだが、眠っていた間の十年分の記憶が徐々に蘇りつつある今は、はっきりとこの世界のシリルと、彼との関係も思い出している。
 というか、もともとヒューのことは、ゲームの登場キャラクターとしては知っているのだ。魔竜に心を支配されたシリルのことを、ある意味で最もよく知る人物として。
 だけど今、彼に会いたい理由は自分のことじゃなくて、アイリーネのため。ルーは心配ないというようなことを言っていたが、俺にはまだそこまで言い切れる自信がない。
 だから、念の為に会っておきたかった。ルトがまだ影にすらなれないほど弱く、シリルの中に寄生していた頃、それでもその記憶に残ったほどのあいつに。

「しばらく会えてないからな。一応、確かめてみたくて……」

 教会に向かうための近道となる、その路地に入ろうとしたときだった。

「…………?」

 建物の壁の前、粗末な布製の小さな屋根の下に背を屈めて立っている男。その前には同じく粗末な布が敷かれた台があり、いくつかの魔法石が並べられている。一見、何の変哲もないただの露天商だ。
 だが、辺りを見回してもその男以外に店を広げている者は皆無だった。表通りから少し離れた道。人通りもそんなに多くはないのに、なぜこんな場所で?
 素通りしようと思えば出来た。
 ……そこにある魔法石に、目が留まりさえしなければ。

「ほお、コイツが気になるとは、さすが騎士サマはお目が高い」

 足を止めた俺に、目深にフードを被った男が話しかけてくる。

「この石、は……」

 やめろと思うのに、伸ばす手を止められない。

 ──嫌だ。見たくない、触れたくない、触れたくない、触れたくない!

 額に滲むのは脂汗か。舌がもつれる。指先も震えている。見覚えのある、赤黒い石。怖い。見たくない。怖い。

「お客さん……、さては相当な魔力不足なんだろう。コイツはもの凄く強い石だからな。アンタみたいに魔力が強くて疲れてる奴は、みんなこぞって買ってくんだ」

 違う。そうだけど、そうじゃない。

 ──何故、この石がこんな所に!?

 ゲームの世界で聖女が召喚される日、ジオルグに化けた魔竜がシリルに与えたサークレット。そこに嵌められていたのが、呪いがかけられたこの石だ。
 あれはおそらく、シリルを月精ラエルとして目覚めさせないための最後の布石。そして最初の布石は、十年前のあの夜の襲撃……。

 ──でもこれは、偶然だ。

 でなければ、手段が生温なまぬるすぎる。だが、この石に触れた瞬間、俺には呪いがかかる。どうしてだか、それはわかった。

「なあ、キレイな顔した騎士サマには、特別に安くしとくぜ?」
「え?」

 いつの間にか、間近に男の顔があった。フードに隠された目線は、だが確実に俺を捉えている。男の声で我に返り、慌てて手を引っ込めようとしたとき、いきなり手首を掴んで引き寄せられた。

「何をするっ!」

 俺が叫んだ瞬間、ゴッという強い音とともに魔法が発動する。ギャッという短い悲鳴が上がった。フードを跳ね飛ばす勢いでその頬を深く切り裂いたのは……。

「ルト!」

 影を実体化させた鋭い黒刃が、男の背後の壁に突き刺さっていた。毛を逆立てた大きな黒い獣が、俺を庇うようにのっそりと前に出てくる。

「このっ! 何しやがるっ!」

 後ろに飛び退き、血が流れる頬を押さえながら、男は血走った目で俺たちを睨みつけた。そしていきなり、血の付いた手で魔法石を数個掴み取る。何をする気だ、と身構えた俺に向かって、男は手の中の石を全部投げつけてきた。

「!」

 咄嗟にルトの体に覆いかぶさりながら、俺は防御結界を張る。俺にとって有害なモノが、ルトには無害であるという保証がない。
 その隙に、男は脱兎のごとく駆け出していく。石を跳ね除けた結界を解き、俺はルトの名を呼ぶ。

「頼む、あいつを追ってくれ!」
(ワカッタ!)

 ヤマネコのサイズに戻り、タタタッと目にも留まらぬ速さで駆けていく。すぐにルトは走る男に追いつき、その影の中に飛び込んだ。これで、男の行き先は掴んだも同然だ。

「……ッ」

 急速に身体から力が抜けていく。しまった、今の結界で、魔力が尽きた……。
 足元には、血に濡れた赤黒い魔法石が数個散らばっている。血はときに、魔術や呪いの強い媒体となる。魔力を持たない者でも、条件さえ揃えれば魔術を発動させることができるほどの。
 このままこの上に倒れたらヤバいのでは、と頭の中では冷静にそんなことを考えるが、もう無理だった。膝からくずおれる。

「全く、何をやっている!」

 突然、頭上から激しい叱責が降ってくる。
 それと同時に、背後から誰かの力強い腕に身体を支えられた。
 そして、俺の頬に触れる、長い銀色の髪。

 ──、こんなところで何をやってるんだ……。

 舌打ちの一つもしてやりたい気分だったが、当然そんな気力も残ってはおらず……、俺の意識はそこでプツリと途切れた。
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