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アルファなBL作家にも過去があります

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 親が決めた進路。親が決めた許嫁。親が決めた就職先。
 アルファ家系にいるアルファ男性なのだから、どの角度でも、完璧でアルファに恥じぬ経歴と所作を身につけろ。
 『長男だから家業を継げ』と同じ、支離滅裂な命令。
 そんなものに縛り付けられうんざりしていたぼくは、大学入学直後に堪忍袋の緒が切れた。

 そうして親への反抗手段として選んだのが、『小説家になること』だった。
 理由は至極シンプル。文壇界が、アルファ性や学歴がまったく通用しない実力の世界だからだ。

 小説家になるとしても、弁護士や医者のかたわら執筆業はできるだろう──正論で親に猛反対されたぼくは、家を飛び出した。親に払ってもらう予定だった大学の学費はストップし、下宿も生活費も自分で稼ぎながら、小説家志望として原稿を公募に送り続ける日々。

 箸にも棒にもかからない。
 案の定ぼくは、いわゆるワナビの典型的な挫折に陥った。

 これまで受けてきた教育の素地で、文章力はあるはずだ。ちまたの小説にある破綻した文法などぼくの小説には一つもないはずで、内容の矛盾点もない。計算し尽くしている。なのにまったく相手にされない。純文学やミステリーなどに応募するも、結局ぼくのスマホは鳴らずじまいだった。

 やむを得ず、学費を稼ぐためにバイトを掛け持ちした。だが学業と執筆活動が三年目になってくると、執筆も満足にできず、学費を稼ぐのに体が追いつかなくなった。四年目の学費の目処が立っていなかったばかりか、単位を落とせば留年まっしぐらで、そうなるといよいよ自主退学しなければならないという瀬戸際だった。

「森村、就活しないの? もったいねえなあ。アルファで高学歴なのに」

 内定を取った大学の同期からは、そう残念がられたたり、笑われたりした。

 バイトは、特に事務系の派遣会社の仕事を重宝していた。拘束時間が半日の仕事が多い割に、単価が高いからだった。試験監督、医学や薬学学会のスタッフなどが主な業務だ。
 そして今日は、全国高校生絵画コンクールの運営スタッフだった。

「いつも助かるよ、森村くん」

 派遣会社のマネージャー・木月きづきさんが言った。

「もうこの際、うちの正社員になっちゃえば? アルファだし高学歴だし、何より仕事が申し分ないし」
「はは、そうおっしゃっていただけると、お世辞でも嬉しいです」
「いや、世辞じゃなくて本気だよ。本社の人に話を通すから、その気があったらいつでも連絡して」

 たとえば彼女に向かって「小説家になりたい」などと言ったら、「もったいない」と言われるだろう。「アルファで高学歴なのに、それをわざわざ棒に振るのか」と。
 結局この人も、アルファで高学歴である点で人を見ているのだ。

 ため息をつきそうになるのをこらえ、持ち場に戻った。

 ぼくが担当している巡回エリアでは、入賞作品の搬入が行われていた。
 紙独特の匂い。建物の匂い。油絵の匂い。色々な匂いが混ざる中、ふと、嗅ぎなれぬ匂いをほんのかすかに感じた。

 甘い香り……?

 香りのほうを振り返ると、ちょうど二人組の作業員がいた。
 どうやら搬入は二人一組での作業が義務付けられているらしく、作品を丁寧に扱いつつも、作業員二人のラフな会話が聞こえてくる。

「これ、妖精かな?」
「妖精にしてはエロいよな。んー、エロっていうか、官能?」
「胸とか、唇とかさ。逆デフォルメってやつか? そんな言葉があるか知らんけど」
「中二病こじらせた男の子の絵、って感じでもないよな。このレベルになると。これがゲイジュツってやつか」
「やべー……最近のティーンズやべー」

 話の内容が気になったぼくは、絵のほうを振り返った。

 すべての色を塗り替える衝撃が、その時訪れた。

 ぼくにキャンバスの号数などわかりはしない。だがその絵は、ぼくの視界のほぼすべてを占め、訴えかけてきた。

 西洋庭園の中、草に隠れるようにそっと宙から降りてくる、服をまとった裸足の女性。彼女がテラスで本を読みながら寝ている男性の額へ、今まさに接吻を落とそうとしている。
 甘い香り。
 草原のような、朝日のような、ハーブのような、バラのような、金木犀のような。
 言うなれば、絵の中の庭園の、甘い恋の匂い。
 彼女は肉厚的で、だけど人間離れしていて。

「……違う」

 これは逆デフォルメなどではない。
 これは、リャナンシーだ。アイルランドの妖精。
 リャナンシーは人間の男性に恋をすると、詩の才能を与える代わりに男の精気を奪う。アイルランドでは、詩人が短命なのはこの妖精が原因だとも言われている。

 胸が鼓動を打つのがわかる。本能に思い切りハンマーを叩かれたような感覚だ。
 この香りは、この絵を描いた誰かの匂いだ。自分がアルファ性であることを自覚した瞬間だ。そして、同時にアルファ性で良かったと思った、初めての瞬間。

 計算と感情。
 構図もパーツも塗りも、すべてが計算し尽くされた上に立っている。絵を見る者なら誰でもそれがわかる。
 同時に、この絵には感情がある。情熱と慈愛と、これから絵の中の彼女らの失うものに対する寂しさと……。
 絵から香り立つ。
 圧倒的で暴力的な絵を見た時、自分の小説がいかに薄っぺらくて、香り立つものがないのかを知った。
 この絵を描いたのは、誰だ? 視線が吸い寄せられるようにデータへ向かう。

『大賞「奪い、捧げる者」 日坂部久斗』

「ひさかべ……」

 彼は今日、表彰台へ上がるのだろう。つまりここに来ているということだ。
 きっと彼自身からも同じ香りが、今の消え入りそうな香りよりも何倍もの、むせかえりそうな芳香を放つのだろう。

「……ひさと」

 そうしてぼくは、日坂部久斗の存在を知った。
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