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決戦編
第68話 荷馬車の美女と迎えの商人
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その人は、ルビウス・ユニウスと名乗った。
ルフスことオルシーニ伯爵と同じ歳と聞いていたけれど、秋生まれだそうで四十五らしい。
旅装束を纏った姿、栗色の縮毛に四角張った顔。
兄弟のはずだけれど、中性的な綺麗さのあの人と違い、雄々しく精悍な雰囲気の人であまり似ていない。
表情も、わたしの前ではいつも穏やかなあの人と違って、仏頂面というのか無愛想な感じで商人のはずなのにいいのかしらと思った。
もっともわたしは彼の客ではなく、むしろ押し付けられた面倒事のようなものだろうから仕方がないかもしれないけれど。
不躾に見詰めてしまったからだろう、少し怖いような重く低い声が身内の見た目はなにからなにまで母親似なものでと言った。
「本当にあの愚弟は……ろくな運を持ってこない」
「愚弟……?」
愚弟って言ったわ、この人。
身内とはいえ、王国の文官の長である宰相を愚弟って……。
一つ丘を越えれば、なだらかに続く道の先に公国の都の門が見えるという。
その手前の森の中。
わたしは荷馬車の上から、ルビウスを見下ろしていた。
彼は一人で馬で来て、わたし達と対峙すると馬から降りて地面に膝を付いた。
わたしは裕福な家の令嬢といった装いで、彼は心配してお迎えに来た人といった様子だった。
ルフス曰く、わたしが公国の都の中で人々に紛れるとしたら、これが限界とのこと。
たしかに王族としての務めは果たしているけれど、朝から晩まで立ち働くような労働はしたことがないから、まったくの平民を装うのは難しい。
その人をその人たらしめるのは身なりではなく、その人の普段の生活と過ごしている場所だから服や手足を汚しても、人はきっと違和感を覚えるに違いない。
それにしてもこの人が……と、見下ろしながら繰り返し思ってしまう。
この人が……オルシー二家の目と耳を取りまとめるルフスの友人。
トリアヌスのお兄様。
不思議な人。
それなりに目立ちそうな容貌をした、油断ならない気配を持つ人なのに。
どこからどう見ても、どこの街にもいそうに思える商人だわ。
貧しく弱くも見えないけれど、取り立てて裕福でも強そうでもない。
堅実に日々の生業を行っているといった、なんていうのかしら……引っかかりに乏しくて特別目を引く感じがしない。
これでも人に関する記憶力には自信があるけれど、街の人混みの中でこの人の姿を見失ってしまったら簡単に見つけられそうにない。
そんな人なのに、王族であるわたしを前にまるで慣れた様子でいるのがルフスの友人らしい。
「どのように、お呼びすれば?」
「いただいた名ならホイべと」
「最初に申し上げておきますが、こんなところまでやって来て丁重に扱えと言われても無理な相談だ」
「心得ています」
わたしが頷いて応じれば、では早速と言わんばかりに顔を上げた。
灰色の目が鋭くて、その眼差しがよく知る面影と重なりどきりとする。
「ようやく……まともでそれらしいのが」
「え?」
「最初はどこのろくでなしのお貴族様かといった図体のデカいボロを着ただけの男。次にまるで変装がなっちゃいない小さいのに態度のでかいお姫様」
フェリオス公国騎士長にティアちゃんね……仰っている様子が目に浮かぶわ。
でもだからって、わたしが同じ王族と知っていてそれを言うものかしら。
「あの二人は、そういった向きではないから」
「ご自分はそういった向きと? 髪も目も上手く誤魔化したものだ。行商組合証と従者がイアペトスじゃなければ、見過ごしたかもしれない」
「ご冗談を」
イアペトスはルフスの従者だ。
頼りになる優秀な従者だそうで、護衛も出来るからとわたしの公国行きをルフスから任されている。
髪は昨晩、彼が用意した髪染めの実で赤みのある金髪になっていた。
更に目立たないよう半ば結い上げ、目元を影に隠すマントのフードを被ってもいる。
「そちらの、怒らせたら怖そうなのは?」
「わたしの侍女です。護衛もしてくれています」
「なるほど。まっ、侍女無しというのもない。これから街に入るに当たって……」
「はい」
「家出してきた“愛人”ということで」
あ、愛人っ?!
「だってあなたあの人の……っ、いえ、妹や親類ではいけないの?!」
「商人仲間の繋がりを舐めるな。見てくれからして愛人だろ……嫌なら帰れ、別に困らない」
そんな……と、ルビウスの言葉に絶句していたら、荷馬車の御者台からため息が聞こえた。
「勘弁してくださいよ。叱られるの僕なんですから。あ、この人は怖そうな見た目で呆れた愛妻家だから口だけですよ。旦那様の嫌がらせのような無茶振りにただ拗ねてるだけです」
「はぁ? 誰が拗ねてると……」
「愛人言いながら、頬の端を引き攣らせてるし」
「イアペトス、そもそもこれは範疇外だ……俺が目立ってどうする」
「公国貴族と渡りを付けるなんて、ルビウスさんしか無理でしょ。どうせちゃっかり新規開拓もしてるだろうし」
「商人なら当たり前だ……あの図体でかい弟は無理だな。お姫様なら手立てはなくもないだろうが」
「どういうこと?」
尋ねれば、流石に勘もいいとルビウスは立ち上がってわたしを見下し、あのお姫様もなにを考えているのだかと周囲を見回す。
森の中で、わたし達は街へ入る手前で小休憩する一行といったところ。
他に誰の姿も見えない。
けれど、ここは公国用心するに越したことはない。
「簡易天幕張るから手伝え。こいつの顔色が良くない」
ひらりと荷馬車に飛び乗って、ルビウスはわたしの背に腕を回してわたしを引き寄せた。顎先を捉え強引に上げさせたわたしの顔を、検分するように見る。
心配してというより、まるで商品を品定めするような眼差しだから今度はどきりともしなかった。
「あっちも厄介なのがいる」
短くそう耳打ちされて頷き、少し休んでいろといった彼の言葉に従う。
生粋のお嬢様に長旅は辛い……そんなことを言いながら、イアペトスと共に手近な木の枝に布をかけて荷馬車に簡易な壁をつくるようにルビウスは天幕を張ってわたしの側に腰を下ろし、そのままと注意した。
少し考えて、彼の太腿に頭を載せれば、僅かに彼の動揺が伝わって思わずくすりと微笑んでしまった。
ひゅーぅ、と。
イアペトスが口笛を吹いたらしい音が聞こえる。
わたしの侍女は、わたしの普段の働きを知っている人だから静かなものだ。
「羨ましいですねぇ」
「……たしかにそういった向きだ」
ルビウスを冷やかしてイアペトスが御者台に戻ると、すぐ側でないと聞き取れない声音でルビウスは話し始めた。
「当初、公国騎士長のフェリオス・ヒューペリオ・フューリィ殿下は、帝国に与した公国を憂い、それをあっさりと許して病の床につき姿すら見せない兄である公国王、ウルカヌス陛下に君主たる資格はないと、司教派と手を結び公国騎士団と教会兵の武力勢力を掌握した」
「あら」
「でもって王国でどういったわけか懇意になった第四王女殿下を招聘し、彼女を後盾に自らが王位にと……明言しちゃいないが、状況的に公国の貴族連中の誰もがそう思う」
「元々彼等はそれを警戒していたもの。継承位第一位の王太子はまだ幼く、第二位の先々代の兄は高齢。他に公爵家直系男児はいない」
そうルビウスの脚に頭を乗せ、背を丸めた横臥のままで彼の言葉を継げば、本当にまともだなと彼は呟いた。
「十日程前だったか……フェリオス殿下は突然王国王女への不敬で捕らえられた」
「え?」
「騎士団本部で一悶着あったらしい。その場で捕縛を命じたのは第四王女殿下本人。フェリオス殿下を捕らえたのは現副官のハサン・コッタという男だが」
「先代公国王腹心の前公国騎士長ね。だとしたら……ティアちゃんはウルカヌス陛下と手を結んだのかしら」
「何故、そう思う」
「前公国騎士長はいまの陛下もお気に入りのはず。そのお気に入りの彼を騎士長から下し、そこへ弟のフェリオス殿下を据えたのは公爵家の掌握と公国貴族に対し公爵家の威を示すためでしょう。他の思惑はわかりません。あの人は底でなにを考えているのかわからないところがあって」
「成程……オルシーニが押し付けてくるだけある」
「ルフスが言うには、わたしは小さな白蛇ですって。でも蛇って商人の知恵の象徴でもあるのでしょう?」
ルビウスに問い掛ければ、本当にあの愚弟はろくな運を持ってこないと顔を顰めた。
愚弟も聞くのが三度目となればわかる。
この人は、たぶん弟思い。
何故ならわたしも少しばかり、トリアヌスにそんなことを思うから。
「あれを、長年引き立ててくれていることは聞いている」
「そういったことになっていますね」
「わかってやっているのか……?」
「はい」
「ウチじゃあれはただの愚図だ」
「……そうかも」
被っている布越しに、大きな手の重みが頭に伝わる。
ただ置いただけといった触れ方で、迷惑だとでもぼやくようなため息の音が降ってきた。
「あの街はいまきな臭い。愚図のために馬鹿げてる」
「それくらいしてみせないとわからない人ではないかしらと」
「はっ……違いないが、俺としてはオルシーニのがまだお勧めだ」
あれは本当にどうしようもないぞと念を押されて、たしかにそうかもと思いながら話の続きに戻る。
「フェリオス殿下の継承位は第三位。ウルカヌス王のまだ幼い息子が王太子候補で、彼が生まれる前は先々代の王の兄である尊厳公が筆頭だった。ご高齢でお会いしたことはないけれど……」
「ウルカヌス王が死ねば、次の王はその息子。そいつが死ねば次は先々代の兄、流石に三人も王を殺しては支持は得られない……だからか」
「ええ。たぶん、武力で脅して譲位させるまでウルカヌス王に死なれては困るといった建前で、医学に通じたティアちゃんが治療にあたり、それできっとウルカヌス王と親しくなったのだと」
「元より、あのお姫様はそのつもりでいた。適当なところでもっともらしい理由をつけて仲裁。あらためて帝国勢力排除の支援のつもりでいたといったところか」
「ええ……おそらく」
市井の情報では王族側の事情は見え辛いだろうから、合流したら互いの情報を共有するつもりでわたしはいたのだけれど……。
「だが、あの妙なペテンの狙いは公国ではない。もちろん王国でもない。そう見えるよう絵を描いた者はいそうだが、実際動いている者達にはそれはおまけみたいなもの」
ルビウスの側では、答え合わせでもしているようにわたしには見える。
まさか手持ちの情報だけで推察していたとでもいうの?
帝国のまやかしもティアちゃんがいて気がついたことなのに。
だって実際に国境で争いは起きていて、公国の兵ではない者も確認されていて……。
「あなた」
「ん?」
「本当に商人? いえ、ルフスのお友達でしょうけど……」
オルシーニ家の目と耳のことを、王族のわたしが口にするわけにはいかない。
そのあたりも飲み込んでいるらしく、ルビウスはふんっと嗤った。
「油と香辛料なら王国は南都のユニウス商会。御用命は広域行商組合所属のルビウス・ユニウスまで。美容油も取り揃え」
低く潜めた声音で淡々と口上を告げられ、苦笑も出ない。
「深く知らないほうが互いのためだ」
彼の言う通りなので、頷く。
「狙いはフェリオス殿下。あのお姫様はそれを知って、奴を罪人に仕立て上げた。おそらくは保護のため……貴人向けの幽閉塔には移送されていない。おそらく騎士団の牢だな直前に前騎士長のハサンが疑わしい者を一掃している」
「ウルカヌス王は表には?」
「出てきていない」
「そう……」
なんだか、まやかしの帝国とは別に嫌な感じがする。
あのティアちゃん一人でこの短期間に、公国騎士団でフェリオス公国騎士長を保護するところまで出来るかしら?
ちょっと無理があるわ。
かといって、フェリオス公国騎士長があのハサン前騎士長を動かしてっていうのも想像できない……だとしたら、ウルカヌス王が回復していてティアちゃんに協力姿勢を見せているとしたほうがずっと想像しやすい。
でも。
「……わたし教えなかったの。却って嫌なことになりそうだと思って」
「ん?」
「ウルカヌス王について。彼と接したらティアちゃんならきっとすぐ警戒すべき人だと察しがつくと思うけれど……手に余るわ。あの人は本当に底の見えない人だから」
わたしとトリアヌスが公国との外交で、一番、手応えが得られなかった人。
「ウルカヌス王やティアちゃんの前に……まずはクラウディス侯にご挨拶かしら」
「目下の商談相手だ。お嬢様が口説き落としてくれるなら寄り道に文句はない」
「お約束します」
わたしは起き上がって座り直した。
話している間、下から見上げるばかりだったルビウスと向き合う。
「街へは本当に入れますか?」
「余程下手なことしなければ、さて」
ルビウスは立ち上がって荷馬車から降りると彼の馬に跨り、御者台でうとうと舟を漕いでいたらしいイアペトスに声を張り上げる。
「休憩は終わりだ」
「ん……なに、自分は馬に乗ってんですか。天幕……」
「下げるのは簡単だろ」
「っとに、僕はルビウスさんにはこれっぽちも仕えていませんから……使うというなら手間賃あとで払ってください」
「守銭奴が……」
そんなやりとりをしている間で、あっという間にかけられた布は取り払われて仕舞われる。
再び御者台に戻ったイアペトスが、ではとわたしに断って手綱を手に握り直し、荷馬車は再び動き出した。
ルフスことオルシーニ伯爵と同じ歳と聞いていたけれど、秋生まれだそうで四十五らしい。
旅装束を纏った姿、栗色の縮毛に四角張った顔。
兄弟のはずだけれど、中性的な綺麗さのあの人と違い、雄々しく精悍な雰囲気の人であまり似ていない。
表情も、わたしの前ではいつも穏やかなあの人と違って、仏頂面というのか無愛想な感じで商人のはずなのにいいのかしらと思った。
もっともわたしは彼の客ではなく、むしろ押し付けられた面倒事のようなものだろうから仕方がないかもしれないけれど。
不躾に見詰めてしまったからだろう、少し怖いような重く低い声が身内の見た目はなにからなにまで母親似なものでと言った。
「本当にあの愚弟は……ろくな運を持ってこない」
「愚弟……?」
愚弟って言ったわ、この人。
身内とはいえ、王国の文官の長である宰相を愚弟って……。
一つ丘を越えれば、なだらかに続く道の先に公国の都の門が見えるという。
その手前の森の中。
わたしは荷馬車の上から、ルビウスを見下ろしていた。
彼は一人で馬で来て、わたし達と対峙すると馬から降りて地面に膝を付いた。
わたしは裕福な家の令嬢といった装いで、彼は心配してお迎えに来た人といった様子だった。
ルフス曰く、わたしが公国の都の中で人々に紛れるとしたら、これが限界とのこと。
たしかに王族としての務めは果たしているけれど、朝から晩まで立ち働くような労働はしたことがないから、まったくの平民を装うのは難しい。
その人をその人たらしめるのは身なりではなく、その人の普段の生活と過ごしている場所だから服や手足を汚しても、人はきっと違和感を覚えるに違いない。
それにしてもこの人が……と、見下ろしながら繰り返し思ってしまう。
この人が……オルシー二家の目と耳を取りまとめるルフスの友人。
トリアヌスのお兄様。
不思議な人。
それなりに目立ちそうな容貌をした、油断ならない気配を持つ人なのに。
どこからどう見ても、どこの街にもいそうに思える商人だわ。
貧しく弱くも見えないけれど、取り立てて裕福でも強そうでもない。
堅実に日々の生業を行っているといった、なんていうのかしら……引っかかりに乏しくて特別目を引く感じがしない。
これでも人に関する記憶力には自信があるけれど、街の人混みの中でこの人の姿を見失ってしまったら簡単に見つけられそうにない。
そんな人なのに、王族であるわたしを前にまるで慣れた様子でいるのがルフスの友人らしい。
「どのように、お呼びすれば?」
「いただいた名ならホイべと」
「最初に申し上げておきますが、こんなところまでやって来て丁重に扱えと言われても無理な相談だ」
「心得ています」
わたしが頷いて応じれば、では早速と言わんばかりに顔を上げた。
灰色の目が鋭くて、その眼差しがよく知る面影と重なりどきりとする。
「ようやく……まともでそれらしいのが」
「え?」
「最初はどこのろくでなしのお貴族様かといった図体のデカいボロを着ただけの男。次にまるで変装がなっちゃいない小さいのに態度のでかいお姫様」
フェリオス公国騎士長にティアちゃんね……仰っている様子が目に浮かぶわ。
でもだからって、わたしが同じ王族と知っていてそれを言うものかしら。
「あの二人は、そういった向きではないから」
「ご自分はそういった向きと? 髪も目も上手く誤魔化したものだ。行商組合証と従者がイアペトスじゃなければ、見過ごしたかもしれない」
「ご冗談を」
イアペトスはルフスの従者だ。
頼りになる優秀な従者だそうで、護衛も出来るからとわたしの公国行きをルフスから任されている。
髪は昨晩、彼が用意した髪染めの実で赤みのある金髪になっていた。
更に目立たないよう半ば結い上げ、目元を影に隠すマントのフードを被ってもいる。
「そちらの、怒らせたら怖そうなのは?」
「わたしの侍女です。護衛もしてくれています」
「なるほど。まっ、侍女無しというのもない。これから街に入るに当たって……」
「はい」
「家出してきた“愛人”ということで」
あ、愛人っ?!
「だってあなたあの人の……っ、いえ、妹や親類ではいけないの?!」
「商人仲間の繋がりを舐めるな。見てくれからして愛人だろ……嫌なら帰れ、別に困らない」
そんな……と、ルビウスの言葉に絶句していたら、荷馬車の御者台からため息が聞こえた。
「勘弁してくださいよ。叱られるの僕なんですから。あ、この人は怖そうな見た目で呆れた愛妻家だから口だけですよ。旦那様の嫌がらせのような無茶振りにただ拗ねてるだけです」
「はぁ? 誰が拗ねてると……」
「愛人言いながら、頬の端を引き攣らせてるし」
「イアペトス、そもそもこれは範疇外だ……俺が目立ってどうする」
「公国貴族と渡りを付けるなんて、ルビウスさんしか無理でしょ。どうせちゃっかり新規開拓もしてるだろうし」
「商人なら当たり前だ……あの図体でかい弟は無理だな。お姫様なら手立てはなくもないだろうが」
「どういうこと?」
尋ねれば、流石に勘もいいとルビウスは立ち上がってわたしを見下し、あのお姫様もなにを考えているのだかと周囲を見回す。
森の中で、わたし達は街へ入る手前で小休憩する一行といったところ。
他に誰の姿も見えない。
けれど、ここは公国用心するに越したことはない。
「簡易天幕張るから手伝え。こいつの顔色が良くない」
ひらりと荷馬車に飛び乗って、ルビウスはわたしの背に腕を回してわたしを引き寄せた。顎先を捉え強引に上げさせたわたしの顔を、検分するように見る。
心配してというより、まるで商品を品定めするような眼差しだから今度はどきりともしなかった。
「あっちも厄介なのがいる」
短くそう耳打ちされて頷き、少し休んでいろといった彼の言葉に従う。
生粋のお嬢様に長旅は辛い……そんなことを言いながら、イアペトスと共に手近な木の枝に布をかけて荷馬車に簡易な壁をつくるようにルビウスは天幕を張ってわたしの側に腰を下ろし、そのままと注意した。
少し考えて、彼の太腿に頭を載せれば、僅かに彼の動揺が伝わって思わずくすりと微笑んでしまった。
ひゅーぅ、と。
イアペトスが口笛を吹いたらしい音が聞こえる。
わたしの侍女は、わたしの普段の働きを知っている人だから静かなものだ。
「羨ましいですねぇ」
「……たしかにそういった向きだ」
ルビウスを冷やかしてイアペトスが御者台に戻ると、すぐ側でないと聞き取れない声音でルビウスは話し始めた。
「当初、公国騎士長のフェリオス・ヒューペリオ・フューリィ殿下は、帝国に与した公国を憂い、それをあっさりと許して病の床につき姿すら見せない兄である公国王、ウルカヌス陛下に君主たる資格はないと、司教派と手を結び公国騎士団と教会兵の武力勢力を掌握した」
「あら」
「でもって王国でどういったわけか懇意になった第四王女殿下を招聘し、彼女を後盾に自らが王位にと……明言しちゃいないが、状況的に公国の貴族連中の誰もがそう思う」
「元々彼等はそれを警戒していたもの。継承位第一位の王太子はまだ幼く、第二位の先々代の兄は高齢。他に公爵家直系男児はいない」
そうルビウスの脚に頭を乗せ、背を丸めた横臥のままで彼の言葉を継げば、本当にまともだなと彼は呟いた。
「十日程前だったか……フェリオス殿下は突然王国王女への不敬で捕らえられた」
「え?」
「騎士団本部で一悶着あったらしい。その場で捕縛を命じたのは第四王女殿下本人。フェリオス殿下を捕らえたのは現副官のハサン・コッタという男だが」
「先代公国王腹心の前公国騎士長ね。だとしたら……ティアちゃんはウルカヌス陛下と手を結んだのかしら」
「何故、そう思う」
「前公国騎士長はいまの陛下もお気に入りのはず。そのお気に入りの彼を騎士長から下し、そこへ弟のフェリオス殿下を据えたのは公爵家の掌握と公国貴族に対し公爵家の威を示すためでしょう。他の思惑はわかりません。あの人は底でなにを考えているのかわからないところがあって」
「成程……オルシーニが押し付けてくるだけある」
「ルフスが言うには、わたしは小さな白蛇ですって。でも蛇って商人の知恵の象徴でもあるのでしょう?」
ルビウスに問い掛ければ、本当にあの愚弟はろくな運を持ってこないと顔を顰めた。
愚弟も聞くのが三度目となればわかる。
この人は、たぶん弟思い。
何故ならわたしも少しばかり、トリアヌスにそんなことを思うから。
「あれを、長年引き立ててくれていることは聞いている」
「そういったことになっていますね」
「わかってやっているのか……?」
「はい」
「ウチじゃあれはただの愚図だ」
「……そうかも」
被っている布越しに、大きな手の重みが頭に伝わる。
ただ置いただけといった触れ方で、迷惑だとでもぼやくようなため息の音が降ってきた。
「あの街はいまきな臭い。愚図のために馬鹿げてる」
「それくらいしてみせないとわからない人ではないかしらと」
「はっ……違いないが、俺としてはオルシーニのがまだお勧めだ」
あれは本当にどうしようもないぞと念を押されて、たしかにそうかもと思いながら話の続きに戻る。
「フェリオス殿下の継承位は第三位。ウルカヌス王のまだ幼い息子が王太子候補で、彼が生まれる前は先々代の王の兄である尊厳公が筆頭だった。ご高齢でお会いしたことはないけれど……」
「ウルカヌス王が死ねば、次の王はその息子。そいつが死ねば次は先々代の兄、流石に三人も王を殺しては支持は得られない……だからか」
「ええ。たぶん、武力で脅して譲位させるまでウルカヌス王に死なれては困るといった建前で、医学に通じたティアちゃんが治療にあたり、それできっとウルカヌス王と親しくなったのだと」
「元より、あのお姫様はそのつもりでいた。適当なところでもっともらしい理由をつけて仲裁。あらためて帝国勢力排除の支援のつもりでいたといったところか」
「ええ……おそらく」
市井の情報では王族側の事情は見え辛いだろうから、合流したら互いの情報を共有するつもりでわたしはいたのだけれど……。
「だが、あの妙なペテンの狙いは公国ではない。もちろん王国でもない。そう見えるよう絵を描いた者はいそうだが、実際動いている者達にはそれはおまけみたいなもの」
ルビウスの側では、答え合わせでもしているようにわたしには見える。
まさか手持ちの情報だけで推察していたとでもいうの?
帝国のまやかしもティアちゃんがいて気がついたことなのに。
だって実際に国境で争いは起きていて、公国の兵ではない者も確認されていて……。
「あなた」
「ん?」
「本当に商人? いえ、ルフスのお友達でしょうけど……」
オルシーニ家の目と耳のことを、王族のわたしが口にするわけにはいかない。
そのあたりも飲み込んでいるらしく、ルビウスはふんっと嗤った。
「油と香辛料なら王国は南都のユニウス商会。御用命は広域行商組合所属のルビウス・ユニウスまで。美容油も取り揃え」
低く潜めた声音で淡々と口上を告げられ、苦笑も出ない。
「深く知らないほうが互いのためだ」
彼の言う通りなので、頷く。
「狙いはフェリオス殿下。あのお姫様はそれを知って、奴を罪人に仕立て上げた。おそらくは保護のため……貴人向けの幽閉塔には移送されていない。おそらく騎士団の牢だな直前に前騎士長のハサンが疑わしい者を一掃している」
「ウルカヌス王は表には?」
「出てきていない」
「そう……」
なんだか、まやかしの帝国とは別に嫌な感じがする。
あのティアちゃん一人でこの短期間に、公国騎士団でフェリオス公国騎士長を保護するところまで出来るかしら?
ちょっと無理があるわ。
かといって、フェリオス公国騎士長があのハサン前騎士長を動かしてっていうのも想像できない……だとしたら、ウルカヌス王が回復していてティアちゃんに協力姿勢を見せているとしたほうがずっと想像しやすい。
でも。
「……わたし教えなかったの。却って嫌なことになりそうだと思って」
「ん?」
「ウルカヌス王について。彼と接したらティアちゃんならきっとすぐ警戒すべき人だと察しがつくと思うけれど……手に余るわ。あの人は本当に底の見えない人だから」
わたしとトリアヌスが公国との外交で、一番、手応えが得られなかった人。
「ウルカヌス王やティアちゃんの前に……まずはクラウディス侯にご挨拶かしら」
「目下の商談相手だ。お嬢様が口説き落としてくれるなら寄り道に文句はない」
「お約束します」
わたしは起き上がって座り直した。
話している間、下から見上げるばかりだったルビウスと向き合う。
「街へは本当に入れますか?」
「余程下手なことしなければ、さて」
ルビウスは立ち上がって荷馬車から降りると彼の馬に跨り、御者台でうとうと舟を漕いでいたらしいイアペトスに声を張り上げる。
「休憩は終わりだ」
「ん……なに、自分は馬に乗ってんですか。天幕……」
「下げるのは簡単だろ」
「っとに、僕はルビウスさんにはこれっぽちも仕えていませんから……使うというなら手間賃あとで払ってください」
「守銭奴が……」
そんなやりとりをしている間で、あっという間にかけられた布は取り払われて仕舞われる。
再び御者台に戻ったイアペトスが、ではとわたしに断って手綱を手に握り直し、荷馬車は再び動き出した。
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