上 下
48 / 152
Part2 Rasidensy Days of the Southern Hospital

Chapter_09.照喜名(てるきな)の苦悩(2)勉、照喜名医院を訪れる〜キープレフトの法則

しおりを挟む
At Naha City, Okinawa; November 25, 1999.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

その日の午後、僕はサンシンを持って首里にある照喜名てるきな内科小児科医院を訪れていた。照喜名がこの日オフだったことと、照喜名医院が休診日だったからだ。
クラリネットとセッションをする自信はなかったが、噂に名高い照喜名医院をこの目で見たいという気持ちの方が勝った。

石造りの門をくぐって最初に目に飛び込んだのは、赤瓦屋根の建物だった。エントランスには大きな花瓶にあつらえた生け花があり、絵画が十点近く飾られていて、まるでホテルみたいに立派だ。その後ろに真新しい三階建ての建物が見える。
「あ、後ろの方は新館なんです。二年前に落成しました」
照喜名が僕の先頭に立って建物の説明をした。もともと照喜名家は士族の家柄で、与えられた土地と財産を元手に大正時代から医業を始めて現在に至るのだそうだ。
「これだけのものを維持管理するのは、大変だろ?」
「税金はちゃんと払ってますよ」
僕の質問に、照喜名は少し不機嫌そうに答える。思わず僕は吹き出した。別に疑ってなんかないってば。

しばらく歩くと、中庭が見えてきた。庭の端っこに小さな建物が見える。
「こっちがカウンセリング室になります。どうぞ」
照喜名がドアを開けた。十二月も近いというのに、咲き乱れたデンファレの鉢がいくつも置かれている。
「まるで温室だな」
「仕組みは似てますね。ビニールハウスみたいにガラスで囲って、防音加工を施しています。普段は患者さんのカウンセリングに使ってます。植物に囲まれると、患者さんが落ち着かれるらしくって。どうぞ、おかけください」
「では遠慮なく」
僕はソファに腰掛けた。上質の質感が僕の体を心地よく包み込む。うわ、これ、当直明けだったら、絶対、寝る!
「いいソファだな。ここの設備、サザン・ホスピタルのセラピストたちに見せたいよ」
心からそう思った。最近、サザンの上層部は備品類に予算を下ろしたがらない。納入する医療機器が高額だからだ。僕らも最新式のMRIを利用しまくっている。文句は言えないな。
「サザン・ホスピタルには、サザン・ガーデンがあるでしょ? ピクニックもできそうなくらい広いじゃないですか」
確かに敷地内には庭というか、公園がある。だだっ広い芝生と、花壇にベンチ。おまけに教会まである。アメリカ海軍の流れを汲む病院だから教会の設置は必須だったのだ。教派は……カトリック? うーん、覚えてないや。
「あそこ、あまり生かしきってないよな? 小児科とかに開放すればいいのに」
たしかに、照喜名がいう通りセラピーにも使えなくはないな。管理体制はどうなっているんだっけ。そう思い返す僕の真向かいに座り、照喜名は遠くを見てつぶやいた。
「結婚式に使えるって聞きましたよ。いいですよね」
彼の声は暗かった。そして、表情も。なにやら思いつめている様子だ。
「どうした?」
僕の問いかけに彼はうつむいた。戸惑っている? 何を?

僕は悟った。どうして彼が僕を招いたのか。声のトーンを落とし、彼の顔を直視した。
照喜名てるきな、本当は俺をセッションに呼んだんじゃないよな?」

やがて、震える声がした。
「上間先生、口堅いですよね?」
そっぽを向き、微妙にはぐらかす。
「話す友達がいないだけかもね」
どこかへボールを放り投げるように返事した。別のメッセージを裏に込めて。いいよ。話せよ。楽になりたいだろ?

「見合いの話が来たんですよ」
彼は低いトーンでそう語りだした。少なからず、びっくりした。
「見合い? お前、いくつだから?」
確かに、医者は見合い話の多い職業の一つだ。必ずどこからか話が降って沸いてくる。身寄りのない僕にだって、年頃の女性の写真を持ってわざわざ尋ねてくる患者さんがいるくらいだ。もちろん全部お断りしてます。
「二十五です。上間先生より一つ下」
二十五か。ちょっと、早いかな。
「ま、見合いする年齢としては問題ないんだろうけど、乗り気ではなさそうだね?」
僕は彼を再び直視した。彼はデンファレの花を眺めていた。
「見合い結婚で、幸せになれると思いますか?」
「人によりけりでしょう。でも、好きな人がいるなら、するべきではないね」
「……そうですよね」
え? それって?
「いるの?」
僕は単刀直入に尋ねた。彼は再びうつむき、苦しそうにつぶやいた。
「気になる人なら」
「誰? 俺が知ってる人?」
彼は、目を閉じた。が、観念したのだろう。やがて吐くようにつぶやいた。
「……粟国あぐにさん」
ああ! 粟国里香さん! なるほど! 僕の脳裏に白衣を着た粟国あぐにさんの姿が蘇る。美人だもんなー。たしか、お母さんが美人の里で名高い今帰仁なきじん生まれだったな。看護師としての腕もいいし、性格も悪くない。照喜名が好きになるのも納得だ。
「まだ彼氏はいないはずだよ?」
「本当に?」
照喜名の問いかけに僕は笑顔で応じた。
「粟国さんは多恵子と親しいからね。彼女、アロマセラピーとかリフレクソロジーに興味持ってる」
「そうか、そうなんだ。へえ」
照喜名はしきりに頷いている。
「粟国さんのお気に入りのブランドはカルティエだ。服はミッシェル・クランかな」
「詳しいですね」
僕はとっさに首をすくめて答えた。
「元ホストのサガだと言ってくれ」
話題づくりのためにまず外見の特徴を捉える。病棟の回診と一緒。でも、僕はふとあることに思い当たり、ため息をついた。
「岡目八目。人のことは見えるから、良くわかるって。それが自分のこととなると」
僕の言葉に照喜名はニコニコした。
「知ってますよ。上間先生の意中の人。サザンで知らない人は、まずいませんね」

ぎゃふん! 何だって、ジュニア研修医の君にまで知れ渡ってるのか!
今度は僕がうつむく番だ。おいこら、それ以上突っ込むなよ。殴るぞ。

僕の思惑に反して、照喜名は寂しそうな笑みを浮かべた。
「上間先生は、反対勢力がない分、うらやましいです」
反対勢力ね。確かに、いないかも。糸満の親戚なんて十年以上会ってない。僕は軽いノリを装った。
「金も身よりもないぞー。普通の女なら、逃げ出すぞ」

言いながら胸の中でつぶやく。
本当に、そうだ。普通なら逃げ出すだろう。いくら幼馴染とはいえ、多恵子が逃げ出さないとは限らない。
彼女が逃げたら僕はどうするだろう?

やがて照喜名がつぶやいた。
宗家むーとぅやーの長男の結婚も、厳しいですよ」
「結婚はできるだろ、愛情面の問題でしょ?」
即答する僕に、照喜名は凛とした声でこう言ったのだ。
宗家むーとぅやーって言うだけで、逃げ出す女性、いっぱいいますよ。いろいろ面倒ですからね。でなきゃ、財産目当てに近づいてくるか、どちらかですね」

おいおい。照喜名君。
そりゃそうかもしれない。確かに、多少厳しい立場にいるとは思うよ。
宗家むーとぅやーに嫁いだ女性がどれだけ気苦労するかは僕だって知ってる。祭祀やご馳走の準備、親戚のもてなしにほぼ一年中奔走しなければならない上、跡継ぎの男子を産まなきゃ婚家を追い出されることだってある。仕事を持つことも、自分らしく生きることも難しいだろう。自立した現代女性が嫁ぎたがらないのも、無理はない。

だけど、それを割り引いても、ちょっと、ヤケになってないかい?
自分の運命は自分で切り開くものだ。ふて腐れるのはまだ早いんじゃないか?
どうやら僕には、しなければならないことがあるようだ。彼のために。照喜名てるきなの顔を見据えて、僕はストレートボールを投げた。
「アプローチもしない前から、逃げてどうするの?」

僕の言葉に、照喜名はうろたえている。
ビンゴだ。彼は怖いのだ。自分の胸の内をさらけ出すのが。

照喜名の目は宙をさまよっていた。口がかすかに動いたが、言葉になっていない。
ややあって、かすかに震えた声が聞こえた。
「彼女、年上で、背丈も僕とほとんど一緒です」
「だから? それで、逃げるの? 自分に嘘つくの?」
「……自信がないんです」
照喜名てるきなはずっと、うつむいている。苦しいのだろう。呼吸が激しい。

わかるよ。逃げ出したい気持ちは、良くわかる。
でもね、逃げちゃダメだ。ここで逃げ出したら、君はきっと一生後悔する。
これは極論かもしれないけど、フラれたっていいじゃないか。自分をさらけ出してアタックした結果なら、納得もいくだろ? 最初からあきらめて、自分の中で気持ちをくすぶらせて運命を呪うより、ずっと健康的だよ。

やってみなければ、勝負はわからない。やれば、可能性はゼロじゃない。
自分の気持ちをしっかり見据えるんだ。闘え、照喜名!

照喜名てるきな。自信はつけるものだよ、逃げてたら、一生、つかないよ」
僕の言葉にようやく彼は頷いた。
「そうですよね」

決心がついたみたいだね。じゃあ、ここらでちょいと、ほぐしてあげよう。元ホストの必殺技、披露してあげる。 

僕はイタズラっぽく笑いかけた。
「教えてあげようか? 粟国あぐに里香の落とし方」
「あ、あるんですか?」
照喜名てるきなが唾を飲み込む音がする。
「なくは、ない。多恵子を巻き込めばね」
「本当に?」
まあまあ、そんなに真剣な眼差しでこっち見ちゃって。落ち着きなさい。
「まず、俺と、多恵子と、粟国さんを、ここに呼ぶ。もっと呼んでもいいけど人数的に少ないほうがいいよな?」
「ええ」
「で、粟国さんが好きそうな話題に持っていく。アロマセラピーの話とか、イギリスの話とか。彼女、イギリス留学を希望しているからね」
すると、なんと照喜名はこう言ったのだ。
「イギリスなら、住んでたことがあります」

……え、住んでた? イギリスに、住んでた?

「父がイギリスで医療研修受けるんで、母と生まれたばかりの僕を連れてイギリスへ渡ったんです。弟二人は向こうで生まれて、二重国籍だったんですけど、一人はイギリス国籍になりました」
……家族の一人がイギリス国籍? なんちゅー家庭だ? じゃ、こいつか? 今年の研修医で本場モノの Queen's English しゃべる奴がいるって噂には聞いてたけど。こいつが、そうか?
ひえー! 俺、こいつの前で英語、しゃべれそうもないやっさー。僕の英語は全くの独学、ひっちゃかめっちゃかだもん。
でもまあ、これだけ本物だったら女の子落とすには十分だよ。飾る必要も気負う必要もない。本物を良さを知る人には、本物に勝る魅力なんて、ないんだ。

僕は指をパチンと鳴らした。
「バッチリじゃん! それで落とせ!」
「そんな簡単に?」
「お前さんが本気だったら、粟国さんの方から落ちるよ」
「そうかな?」
よし、もう一押し。僕は満面の笑みで優しくささやいた。
「やってみる? やってみてから、考えたら?」

「……ええ」
よし、これで弾みがついた。あとは実行あるのみ。僕は満面の笑みのまま迫った。
「では、いつ決行しますか? 照喜名てるきな先生?」
照喜名は急にしどろもどろし始めた。
「そ、そんな急に言われても」
あれ、そんな及び腰になるわけ? よーし、軽く脅してあげましょう。
「早いほうがいいと思いますよー。彼氏できたら、どうするんですかー?」
「あ、あ、こ、今年中、ですか?」

照喜名君、早くも顔が真っ赤です。
信じられんぐらい純情な奴! こいつ、面白い! よし、もうちょっと、いじめてあげようっと。
満面の笑みに脅しを込めて、僕は言い寄った。
「だから、早いほうがいいですってば!」

よどみなく攻め続ける僕に、照喜名はついに消え入りそうな声で答えた。
「じゃあ、クリスマス前くらいに」
よし。これで決まった。
「多恵子に話回しといてもいい? 悪いようにはしないよ」
「よ、よろしくお願いします」
僕は、赤面のまま頭を下げる彼の顔を覗きこんだ。
「セッションは、またの機会にしようね?」
照喜名はテレながら静かに頷いている。
「ところで、キープレフトの法則は知ってるよな?」
「なんですかそれ?」
「おいおい、そんなことも知らんのか? 照喜名、お前、右利きだろ?」
「はい、右です」
「立ち位置は好きな女の左側を常に確保しろってことだよ。その方が肩抱けるでしょ? 女口説くなら常識だぞ!」

……い、いかん、熱弁を振るってしまってる。僕は一呼吸置いた。大抵、こういうときに自分を振り返ると……すみません、全然守ってないですね。反省。
でも、たしかにこれは広く言われている常識? なのだ。左の耳に愛を語りかけると感情中枢の右脳が反応するから、落としやすいとは言われている。まあ、照喜名にそこまで説明する必要はないでしょう。俺たち、これでも医者なんですから。

「俺も便乗しようかなー」
ぼそっとつぶやく僕に、ここぞとばかりに照喜名てるきながツッコミを入れた。
「最初から、そのおつもりでしょ?」
僕は苦笑いするしかなかった。だから、自分のことはわからんってば。 ((3)へつづく)
しおりを挟む

処理中です...