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Part3 The year of 2000

Chapter_02.Happy Birthday(2)多恵子、勉がホストだった事実を知る~多恵子、勉に留守番電話を入れる

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At Nishihara Town, Okinawa; March 10, 2000.
This time, the narrator changes from Tsutomu Uema into Taeko Kochinda.
多恵子さんのモノローグに切り替わります。

変だなぁ。里香は、サザン・ホスピタルのロッカールームでこんなこと言ってたんだよ。
「この香水さ、裕太に使うなって言われちゃった」
十二月に照喜名てるきな医院へ連れて行って以来、里香は時々、照喜名先生と二人であちこち出かけているようだ。照喜名先生はあたしたちより一つ年下なので、里香はプライベートでは「照喜名先生」ではなく「裕太」と呼んでいる。まあ、ここはロッカールームだし、逆にファーストネームを使って会話した方が周りにはバレずに済む。
「へえ? せっかく、いい香りなのにね?」
「でね、裕太が、是非、多恵子にあげなさいって」
はい? なんでよ?
あたしの疑問をよそに、里香はあたしのショルダーバッグに香水のビンを挿し込んだ。
「上間先生、この香りが好きらしいよ」
そういって里香はウインクして、意味深げに笑ったのだ。

うーん。別に勉がどうこうというわけではないのだけど。いい香りだし、今日はあれが稽古に来ているから、ちょこっと手首につけてみただけなのだ。それが、まさか、あんなに真っ青になるなんて、おかしくない?

さっぱり、わからん。きっと、何かあるぞ。これは問い詰めるしかないね。

二時間後、あたしは、稽古場から出てきた勉をつかまえた。
「あんた、あたしに何か、隠しているでしょ?」
「え? 何を?」

何をって、そのまま逃げるつもりね?

あたしは彼の顔を見た。額に汗をかいている。
「勉、あんた、冬なのに汗かいてるね?」
あたしの言葉に、勉はうつむいた。
「確かに稽古の後だけど、普段はこんなには、かかないよね?」
勉はずっと、うつむいていたが、やがて、消え入りそうな声でこう言った。
「昔、ちょっと、仕事をしていて」
「仕事?」
「仕事というか、バイトというか、その、……つまり、ちょっと水商売を」
「水商売?」
「そう。松山で」
あの、ナイトクラブがいっぱいある那覇の松山で、水商売?
「何時よ?」
「大学一年の夏。ほら、腋のオペする前。覚えているだろ?」

思い出した。
あたしは、看護学校の一年生だったっけ。九月ごろ、勉のボロアパートに夏野菜を届けに行ったことがあった。勉が具合が悪いといってサンシンの稽古を休んだので、お母が心配して、あたしに様子を見に行くように言ったのだ。
部屋のドアを開けた彼の姿を見て、とても驚いた。両肩が包帯でぐるぐる巻きにされていたからだ。

混血児ということもあるかもしれないが、中学のあたりから勉は体臭がしていた。クラスではかなり有名だった。彼自身もかなり気にしてデオドラントスプレーをいろいろ試している様子ではあったが、どうしても治まらなかったようだ。
だから、あのボロアパートの部屋で、ぶすっとした面持ちで
「アポクリン腺取った」
と言う彼をみて、なるほどと思った。痛々しい姿だったけど、正直、ほっとしたのも事実だ。
そうか、そういえば、こんなことも言ってたっけな。
「バイトの金がまとまって入ったから。大学休みだし」

あたしは、うつむいている勉の顔を覗き込んだ。
「そうか。あのバイトって、水商売だったんだ」
「そういうこと」
勉は、あたしとは視線を合わさないように顔を背けている。あたしは、さらに問い詰めた。
「水商売って、何やってたの?」
あきらめたのだろう。ついに白状した。
「……ホスト」
「ホスト?」
うそ! 信じられない! ホストって、お店で女性を接待する仕事だよね? しかも普通の接待じゃない。どちらかといえば女性客をたらしこむことに近い行為だということくらい、あたしでも知ってる。
「あんた、よく、そんな仕事していたね?」
自分でも語気が強いと思ったが、怒りに近い感情を抑えることができなかった。あたしはキッと彼を睨みつけ、続けた。
「じゃあ、要するに女性のお客さんと遊んでいたわけだ」
勉は言い訳もせず、ずっとうつむいていた。が、ようやく一言、つぶやいた。
「ごめん。隠してて、悪かった」
「いいよ。謝らんでも。別にあんたはあたしと何の関係も無いし」
強く言い放つと、あたしは踵を返した。
「多恵子!」
呼び止める声は聞こえたが、振り向きたくもなかった。あたしは二階にある自分の部屋に駆け込み、ベッドに転がり込んだ。

もう、信じられない。
男の人って、みんな、そうなんだ。結局、女の子と遊ぶことしか考えていないんだ。

なぜだろう。涙が溢れてきた。蒲団を頭から被って泣いた。
どうして? 勉とは何もないはずなのに?
それとも、あたしは、どこかで勉だけは別だと信じていたのだろうか。
あの「おじさん」から、あたしを助けてくれたから?
ワダさんの事件で謹慎処分を受けたときに、駆けつけてくれたから?
駆けつけて、抱き締めてくれたけど、それだけだったから?

その晩、夕食の手伝いという名目であたしは台所に降りた。お母は、ハンダマ(金時草)のおかずと寄せゆし豆腐 (おぼろ豆腐)の味噌汁をつくっていた。
「多恵子どうしたのね? 元気ないね?」
さすがお母の目はごまかせない。ちょっと迷ったけど、勉はお父の弟子でもある。話すことにした。
「お母さん、勉が水商売やってたって、知ってた?」
意外にも、あまり驚く様子はない。
「へえ、何時よ? 最近ねー?」
「お母さん、今は医者なんだから。やりたくてもやる暇はないよ?」
「あはは、そうだねー」
お母は笑い転げている。呆れた。全然怒ってない。
「そうだねー、じゃないよ! 何でもないことね? 女の人と遊んでいたわけでしょ?」
「多恵子、そんなにわじることでもないさー」

……そうかな? 怒りを覚えるあたしが、おかしいのかな?

お母はあたしの横で菜箸をうごかしながら、思い出したかのようにこうつぶやいた。
「あはー、んちゃ(そういえば)、勉が、お父さんに現金で五十万返しにきたことがあったねー」
え? 五十万? あたしは狐につままれたような感覚に陥った。
「なにそれ? 五十万? 借りていたわけ? 何時よ?」
「多恵子、あれはね、高校のときお母さんがいなくなったでしょ? だから、うちのお父さんが高校の授業料と大学の入学金は払ったんだよ。返さなくてもいいよって言ったんだけど、あれは大学入ってすぐの夏休み、バイトでお金がまとまって入ったといって、五十万きっちり返しに来よったさー」
お母は玉杓子なびげーで味噌汁の味をみながら続けた。
「そうねー。お父さんにお金返すために、勉は水商売までしたわけだね。偉いさー。多恵子、そう思わないね?」
お母の微笑みの前で、あたしは黙り込むしかなかった。

そうだったんだ。勉は、ずっと一人で頑張ってたんだ。
それなのに、あたしは、早とちりして、理由も聞かずに彼を責めてしまった。情けない。何て大馬鹿者!

謝ろうと思って勉の携帯に電話を掛けたけど、繋がらず、留守番へ転送された。サザン・ホスピタルから呼び出しを受けてしまったのだろうか?
医者は忙しい。受け持ちの患者さんに何かあればすぐに呼び出される。病棟に泊り込みで帰宅できない日もザラだ。それでも笑顔で患者さんのもとへ駆けつける。

何度電話しても、だめだ。やっぱり呼び出されたんだ。
明日出勤すれば、会えるかもしれない。でも、ICU (集中治療室)だったらまず無理だ。外科系だと、たとえば急患さんがやってきてオペを行えば容態が安定するまで医師が付き添うこともある。そうでなくても病院中を飛び回る仕事だ。同じ科に属していても、必ず会えるとは限らない。

悩んだ挙句、独身寮の彼の部屋へ電話することにした。携帯電話の留守電は聞き取りづらいだろうし、聞くだけでお金が掛かる。そんな緊急性の用事ではないのだから自宅で十分だろう。あたしは受話器を取り、電話を掛けた。やはり留守番電話だ。
「上間です。ただいま出かけています。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお願いいたします」
耳元で、ピーという音が鳴り響いた。夢中でしゃべった。
東風平こちんだ多恵子です。今日は、ごめんなさい。あなたが父にお金を借りていて、ちゃんと返済したという事を母から聞きました。あなたのことを誤解して、本当にすみませんでした。おやすみなさい」

受話器を置いた。心臓がどきどきする。あたしは深呼吸した。
これで、いいよね? 許してくれるよね? ((4)へつづく)
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