上 下
115 / 152
Part4 Starting Over

phone call 病棟の正月~遠距離通話

しおりを挟む
At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; January 2, 1:00PM JST, 2001. 
At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; January 2, 1:36PM JST, 2001. = At UCLA, Westwood, Los Angeles, California; January 1, 8:36PM PST, 2001.
The narrator of this story is Taeko Kochinda.
このエピソードは序章のようなものです。多恵子さんのモノローグです。

二〇〇一年一月二日。
あたしは昨日と同じように、昼勤に組み込まれた。あたしが年末、家に閉じこもっている間、勤務に入っていてくれていた既婚者の職員と入れ替わりになったのだ。彼女にはかなり迷惑をかけてしまっていたが、正月中ずっと休めると聞くと、今度はほっとした様子を見せていた。
「もう、しっかりしなさいよー」
彼女はさっさと着替えると叱るともため息ともつかぬ言葉を残し、山原やんばるの実家へと帰っていった。

去年もそうだったが、正月の病棟勤務はヒマだ。整形外科病棟の患者さんは一般に回転が早く、長く入院する患者さんはほとんどいない。それに正月は、よほどの重症患者さんでない限り、一時帰宅が許されている。
患者さんは少なく、職員も口数が少ない。そして今年は生のサンシンの音が響かない。勉がいないから。どこかの病室から、沖縄の正月恒例番組である『民謡紅白歌合戦』のテレビ音声が小さく漏れ聞こえていた。

昼勤は四名だ。マギーと年配の看護師にナースステーションをお任せして、里香と食堂でお昼を共にした。正月の期間はランチタイムだけ営業している。ランチは鳥のから揚げだったが、あたしは食べる気にならなくて、豆腐の味噌汁をすーっと胃袋に流しむと、箸を置いた。
ご馳走くわっちーさびたん」
「多恵子、大丈夫? あんた、顔色悪いよ?」
里香が心配そうにこっちの顔を覗きこむ。
「ただ味噌汁だけね? もっと食べたら?」
「ううん。大丈夫」
「食べなさい、多恵子!」
突然、里香がきつい声を上げた。左手をぬっと伸ばしてご飯茶碗を鷲づかみにし、あたしの口元に近づける。
「上間先生のことが心配なのは、わかる。でもね、あんたまで倒れたらどうするの? 食べて、ほら!」
「……ありがとう、心配してくれて。でも、本当に、大丈夫だから」
あたしが微笑むと、里香の顔が曇った。力なく、ご飯茶碗を置いた。
「ごめんね、きついこと言って。でも、せめてさ、ほら。スヌイ(もずく)の酢の物ぐらいは、食べたら? そうめんみたいに、つるつるって。あんた、スヌイは食べきれたよね?」
気は進まないが、他ならぬ親友の言葉だ。あたしは頷くと、スヌイの入ったプラスチックの器を手に取った。どうも酢の匂いが鼻について不快だ。あたしは鼻を摘んで、スヌイを飲み込んだ。そうめんというより、どじょうの踊り食いをしている気分だった。

簡単に歯磨きを終えてナースステーションへ帰ると、マギーが電話を取っていた。

“Hello, ……Yes, she's here.”
(もしもし、……はい、彼女ならいます)

マギーがあたしを手招きした。

“Taeko, this is Dr. Caldwell from Los Angeles.”
(多恵子、ロサンゼルスから、コールドウェル先生よ)

“Dr. Caldwell ?”
(コールドウェル先生?)

嫌な予感がよぎる。勉に何かあったのだろうか?

あたしはマギーが差し出す子機を取り、おずおずと左耳に当て、声を出した。

“Hello?”
(もしもし?)

「多恵子か?」
それは紛れもなく、先月耳にした懐かしいあの声だった。
「勉!……あんた、生きてたの?」
思わず叫んでしまった。周りで、里香たちが歓声をあげている。
「おいおい、勝手に殺すなー! 俺まだ死にたくねーぞ」
おどけた調子で舌打ちしている。全然、変わっていないその調子に、思わず涙が溢れ出た。
「勉……よかった……」
「ごめんなー。オペが思ったより手間取ってさ。三回くらいやってずっとICUにいたもんだから、電話の掛けようがなくってな」

そのときだ。子機から声が聞こえなくなった。
「あ! ちょっと!」
誰かがイタズラして、ハンズフリーのボタンを押したのだ。電話機のスピーカーから彼の明るい声がする。
「いやー、いろいろ、しんどかったー。でも、サザンじゃなくって良かったよ。お前たちに尿道カテーテル入れられると思ったら、ああ、もう、ぞっとするぜ」
勉ってば! 里香たちが口に手を当てて必死で笑いをこらえているんですけど?!
焦ったあたしは、ハンズフリーを取り消そうとボタンを探した。が、あまりに焦っていて、別のボタンを押してしまったのだ。……しかもそれって、館内一斉放送!
「まあ、三度のオペの甲斐あって、こうして普通のベッドにいられる身分になったけど。あの事故にしちゃ、運良く首も回るし、サンシンだって弾けるぞー。んだ、弾ちんーじゅみ? 如何ちゃーすが? トゥントゥテンテ、トゥントゥテンテ……」
あろうことか、『唐船とうしんどーい』にのせた勉の口三味線ならぬクチサンシンが、サザン全館に響き渡っている。病棟のあちこちから、爆笑が湧き起こった。あぎじゃびよーい、くりがどぅ本当ふんとー正月笑いそーぐわちわれーなとーいびーん。でも、正月だからまだ良かったさーねー。あ、そんな問題じゃないって?
「あ、そうそう。多恵子、お前の琉歌、待ってるからな。おーい、聞いてるか、多恵子?」
うわっ、そ、その話はまずい!
あたしは必死で親機に走って受話器を取り上げた。これで、とりあえずハンズフリーは解除される。館内に勉の声が流れることもない。
「あ、あ、うん、わかった。ごめん、ミーティング始まるから、じゃあね!」
息を弾ませ焦りつつ、受話器を置いた。ああ、全くもう!
「良かったね、多恵子。上間先生、元気そうで」
「あ、あ、うん、そ、そうだね」
里香たちが笑いながらこっちを向いた。こっぱずかしくって合わせる顔がない。
「ねえ、上間先生、なんか、リュウカとかって言ってたけど?」
ぎくっ! そ、その件の追求は困る!
「あ、あ、……あたし、ちょっとトイレ」
ナースステーションから駆け足でトイレを目指した。赤面した顔を見られたくなかっただけ。本気で行きたかったわけではなかった。

しかし、二分後。あたしは、トイレで吐いていた。
口を押さえつばを飲み込み、ふうと息を継ぐ。水道の蛇口を開き、うがいをする。朝、タンカンを食べ過ぎたのがいけなかったのか。それとも、お昼にスヌイの踊り食いをしたせいだろうか。生唾がやたら出てきて、気持ちが悪かった。でも、ナースステーションに戻らなくてはならなかったので、とりあえず持ち歩いていたミントガムを噛み、やりすごした。

この時、あたしはまだ、事の重大さに全く気づいていなかった。とにかく、愛する人が無事なのをやっと確認できた喜びでいっぱいで、もう一人とても大切な人がいて、その人が苦しんでいるだなんて考えてもみなかったのだ。
次章へTo be continued.
しおりを挟む

処理中です...