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二章
忌み児
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ラウルは子どもの頃、川遊びをしていて、うっかり滝壺に近づき過ぎてしまったことがある。
上から降ってくる大量の水が、大きく削られた川底で渦を巻き、どんなにもがいてもその渦に飲まれて身体が浮き上がらないのだ。それでもなんとか必死にもがき続けて、やっと水面に顔を上げた時、これほど空気がうまいと思ったことはなかった。
「ラウル! ラウル!!」
それと同じように、上も下もわからない真っ黒な滝壺の中からやっと水面に顔を上げたと思ったら、ララが泣きながら自分を見下ろしていた。
「ララ……」
重い身体をやっと半身起き上がらせると、ララが首にしがみついてくるものだから、その勢いでまた倒れてしまった。
「……ララ、俺はどうなってる?」
倒れたままラウルの首にしがみついて泣くララの腕をそっと叩いて、ラウルは王宮広間の高い天井を見上げながら言った。
「ご聖婚です。ラウル様」
ポルドがラウルとララをよいしょと抱き起こしながら言った。
「聖婚?」
「ええ、神龍ゴダールはあなた様を次の王に選ばれました」
飲み物の入ったコップを持って、レイチェルが近づいてきた。
「そなたは私と同じ聖王だ」
ララがようやくラウルから体を離し、涙をぬぐいながら言った。
「………」
「ララ様と違って、あなた様は元々黒龍の血を受け継いでおられたので、この程度の負担で済んだのでしょう。一般民だったララ様はひとつき寝込みました」
ポルドが言った。
ラウルはゆっくり立ち上がり、レイチェルが差し出した水を飲んで一息ついた。
広間には、この成り行きをぼう然と見守るシンの家臣たちと、他国の賓客、そして、神龍の加護を失った茶色い髪に茶色い瞳のゴダールの王族……いや、元王族たちが青い顔でラウルたちを見守っていた。
「ララ」
「ん?」
「俺の髪と目は黒いままなのか?」
「……ああ」
「………」
それが意味するところを悟ったラウルは、絶望的な思いで両手で顔を覆った。
「ラウル……」
ララの目に涙が滲む。
「わ、私は認めん! 認めんぞ!!」
白髪頭の貧弱な老人が、甲高い声でわめき散らしている。先ほどまでゴダール王だった男だ。
「みなのもの、よく聞くがいい! こやつはな、ラウルは我が妹シェリルと先代の王の間に出来た穢れた忌児だ! 実の父と娘の間に出来た子供なのだ!!」
広間の人々の間がざわめいた。
ララが愕然とラウルを見た。
「………」
ラウルは感情の読めない顔で静かに元王を見つめた。
「……知っていたのか? いつからだ?」
ララが悲痛な思いでラウルを見つめた。
「……母もクロウも死に、牢にいた俺におまえとの縁談の知らせが届いた時に、母上の乳母をしていた女官が手紙をくれた」
「なぜそのタイミングなんだ……?」
「……俺は生きる気力を失っていて、おまえとの縁談も断るつもりでいた。完全な政略結婚だと思い込んでいたからな。もうこんな茶番に付き合うのはまっぴらだと思ったんだ……」
「……ラウル」
「だがその女官は、俺がゴダールを出ることで、わずかでも生き延びるチャンスを見たんだろう。敵はまだいると、生きて必ず討ち果たすという目標があれば、生きるよすがになるとでも思ったんじゃないか? 実際、その通りだった。俺はおまえを利用して、時期を見て挙兵するつもりだった。行き先はもちろん、ゴダールだ」
「……ラウル」
シェリルがいつから実の父親の慰み者になっていたのかわからないが、シェリルは15でラウルを産んだのだから、それ以前、まだまだ幼い十代の初めから被害にあっていたとみていい。だとすれば、シェリルが心を病み壊したことも、ラウルを愛さなかった理由も、先代王を殺した理由も何もかも腑に落ちる。
なんということだ………。
元王は老いた口から唾を飛ばしながら、ラウルが黙って聞いているのをいいことに、まだわめき散らしている。
「妹は、シェリルは己の美しさを鼻にかけ、まだほんの幼い頃から父に媚態をみせ、母を差し置いて実の父に取り入ったのだ! そして父は、シェリルがお前を妊娠したことを知ると、トゥルース伯爵家に慌てて嫁入りさせた」
広間にいる全員が、この穢れた元王の狂った独白を固唾をのんで聞いている。
「そして、父王はトーマス・トゥルースに嫁にやったシェリルが急に惜しくなったのか、2年後にトーマスを事故に見せかけて殺した。それから再びシェリルは王の──」
唐突にチャールズの言葉が途切れ、その胸の真ん中から、鋭い剣が突き出ている。その背中から自身をぶつけるように王を刺し貫いたのは、シェリルの乳母のフォレスだった。
「がっ………」
老いた王が、口からおびただしい血を吐きながらドッと床に倒れた。
「そしておまえも、私の美しい姫を後宮深くに閉じ込め、父王と同じように穢した!! 死ぬがいい、穢らわしい元王よ!! おまえたち父子は、どこまでも薄汚い人間のクズだ!!」
「ぐっ、う、ぅ……」
ラウルを憎んだ理由とともに、元王は床に血を吐き出しながら事切れた。
「フォレス!!」
ラウルが驚いてフォレスに声をかけると、フォレスは剣を投げ捨て、跪いてララに向かって床に額を押し付けた。
「ララ女王陛下、どうか、あなた様のお大切なこの城を穢した無礼をお許しください! 私はどんな罰でもお受けいたします。私は、私は愚かにも、姫様の悲劇を見過ごしてきてしまった……。どうか、どうかこの私に罰を……」
「フォレス……」
ララが床にうずくまるフォレスの手を取りながら言った。
「あなたを許します。あなたがやらなければ、私が手をかけているところでした」
フォレスが滂沱の涙をこぼした。
「咎人は先代王とこの男だ。おまえではない、フォレス」
ラウルがきっぱりと言った。
広間にいたゴダールの王族や家臣がラウルの元に集まってきた。そして、一人の王侯貴族がラウルの前で片膝をつくと、みなが一斉に膝をついた。
「ラウル・トゥルース・ゴダール王陛下、我ら一同、新王であるあなた様に忠誠を尽くすことを誓います」
「…………」
それを冷ややかに見下ろしながら、静かに立ち尽くすラウルのそばに、ララが労わるように寄り添った。
これを受け入れれば、ラウルはララとの生活を諦めるしかないのだ。
ラウルは力なく最後の抵抗を試みた。
「俺の血は汚れている。王に相応しいと思えない」
かしずく家臣にラウルが言った。
〈ふん、私がおまえを選んだのだ。いいも何もない〉
突然ラウルの影の中から出てきた黒龍が、その身から立ち上る黒い霧をゆらゆらと揺らしながらラウルのすぐそばで言った。身の丈はラウルの倍ほどの高さにまで膨れ上がっている。
茶色い髪の家臣たちが、黒龍のその姿を見て怯み一斉に後ろに下がった。
〈私の王よ、受け取れ〉
言うなり黒龍は、その身をキリキリと捻り細く鋭く尖り、一振りの真っ黒な片刃の剣になってラウルの手の中に収まった。
「神器だ……」
ララが呟いた。
「ララ、俺は……」
今にも泣き出さんばかりのラウルを見て、ララがニッコリ笑って言った。
「私は、ラウルが生きていればいい」
目尻からコロリと転がった涙の粒が、ララの頬を滑り落ちた。
ラウルがララを引き寄せ、思い切りぎゅっと抱きしめた。
「みなのもの、ララと二人にしてくれ」
「…………」
広間から次々に人々が退室して行った。
上から降ってくる大量の水が、大きく削られた川底で渦を巻き、どんなにもがいてもその渦に飲まれて身体が浮き上がらないのだ。それでもなんとか必死にもがき続けて、やっと水面に顔を上げた時、これほど空気がうまいと思ったことはなかった。
「ラウル! ラウル!!」
それと同じように、上も下もわからない真っ黒な滝壺の中からやっと水面に顔を上げたと思ったら、ララが泣きながら自分を見下ろしていた。
「ララ……」
重い身体をやっと半身起き上がらせると、ララが首にしがみついてくるものだから、その勢いでまた倒れてしまった。
「……ララ、俺はどうなってる?」
倒れたままラウルの首にしがみついて泣くララの腕をそっと叩いて、ラウルは王宮広間の高い天井を見上げながら言った。
「ご聖婚です。ラウル様」
ポルドがラウルとララをよいしょと抱き起こしながら言った。
「聖婚?」
「ええ、神龍ゴダールはあなた様を次の王に選ばれました」
飲み物の入ったコップを持って、レイチェルが近づいてきた。
「そなたは私と同じ聖王だ」
ララがようやくラウルから体を離し、涙をぬぐいながら言った。
「………」
「ララ様と違って、あなた様は元々黒龍の血を受け継いでおられたので、この程度の負担で済んだのでしょう。一般民だったララ様はひとつき寝込みました」
ポルドが言った。
ラウルはゆっくり立ち上がり、レイチェルが差し出した水を飲んで一息ついた。
広間には、この成り行きをぼう然と見守るシンの家臣たちと、他国の賓客、そして、神龍の加護を失った茶色い髪に茶色い瞳のゴダールの王族……いや、元王族たちが青い顔でラウルたちを見守っていた。
「ララ」
「ん?」
「俺の髪と目は黒いままなのか?」
「……ああ」
「………」
それが意味するところを悟ったラウルは、絶望的な思いで両手で顔を覆った。
「ラウル……」
ララの目に涙が滲む。
「わ、私は認めん! 認めんぞ!!」
白髪頭の貧弱な老人が、甲高い声でわめき散らしている。先ほどまでゴダール王だった男だ。
「みなのもの、よく聞くがいい! こやつはな、ラウルは我が妹シェリルと先代の王の間に出来た穢れた忌児だ! 実の父と娘の間に出来た子供なのだ!!」
広間の人々の間がざわめいた。
ララが愕然とラウルを見た。
「………」
ラウルは感情の読めない顔で静かに元王を見つめた。
「……知っていたのか? いつからだ?」
ララが悲痛な思いでラウルを見つめた。
「……母もクロウも死に、牢にいた俺におまえとの縁談の知らせが届いた時に、母上の乳母をしていた女官が手紙をくれた」
「なぜそのタイミングなんだ……?」
「……俺は生きる気力を失っていて、おまえとの縁談も断るつもりでいた。完全な政略結婚だと思い込んでいたからな。もうこんな茶番に付き合うのはまっぴらだと思ったんだ……」
「……ラウル」
「だがその女官は、俺がゴダールを出ることで、わずかでも生き延びるチャンスを見たんだろう。敵はまだいると、生きて必ず討ち果たすという目標があれば、生きるよすがになるとでも思ったんじゃないか? 実際、その通りだった。俺はおまえを利用して、時期を見て挙兵するつもりだった。行き先はもちろん、ゴダールだ」
「……ラウル」
シェリルがいつから実の父親の慰み者になっていたのかわからないが、シェリルは15でラウルを産んだのだから、それ以前、まだまだ幼い十代の初めから被害にあっていたとみていい。だとすれば、シェリルが心を病み壊したことも、ラウルを愛さなかった理由も、先代王を殺した理由も何もかも腑に落ちる。
なんということだ………。
元王は老いた口から唾を飛ばしながら、ラウルが黙って聞いているのをいいことに、まだわめき散らしている。
「妹は、シェリルは己の美しさを鼻にかけ、まだほんの幼い頃から父に媚態をみせ、母を差し置いて実の父に取り入ったのだ! そして父は、シェリルがお前を妊娠したことを知ると、トゥルース伯爵家に慌てて嫁入りさせた」
広間にいる全員が、この穢れた元王の狂った独白を固唾をのんで聞いている。
「そして、父王はトーマス・トゥルースに嫁にやったシェリルが急に惜しくなったのか、2年後にトーマスを事故に見せかけて殺した。それから再びシェリルは王の──」
唐突にチャールズの言葉が途切れ、その胸の真ん中から、鋭い剣が突き出ている。その背中から自身をぶつけるように王を刺し貫いたのは、シェリルの乳母のフォレスだった。
「がっ………」
老いた王が、口からおびただしい血を吐きながらドッと床に倒れた。
「そしておまえも、私の美しい姫を後宮深くに閉じ込め、父王と同じように穢した!! 死ぬがいい、穢らわしい元王よ!! おまえたち父子は、どこまでも薄汚い人間のクズだ!!」
「ぐっ、う、ぅ……」
ラウルを憎んだ理由とともに、元王は床に血を吐き出しながら事切れた。
「フォレス!!」
ラウルが驚いてフォレスに声をかけると、フォレスは剣を投げ捨て、跪いてララに向かって床に額を押し付けた。
「ララ女王陛下、どうか、あなた様のお大切なこの城を穢した無礼をお許しください! 私はどんな罰でもお受けいたします。私は、私は愚かにも、姫様の悲劇を見過ごしてきてしまった……。どうか、どうかこの私に罰を……」
「フォレス……」
ララが床にうずくまるフォレスの手を取りながら言った。
「あなたを許します。あなたがやらなければ、私が手をかけているところでした」
フォレスが滂沱の涙をこぼした。
「咎人は先代王とこの男だ。おまえではない、フォレス」
ラウルがきっぱりと言った。
広間にいたゴダールの王族や家臣がラウルの元に集まってきた。そして、一人の王侯貴族がラウルの前で片膝をつくと、みなが一斉に膝をついた。
「ラウル・トゥルース・ゴダール王陛下、我ら一同、新王であるあなた様に忠誠を尽くすことを誓います」
「…………」
それを冷ややかに見下ろしながら、静かに立ち尽くすラウルのそばに、ララが労わるように寄り添った。
これを受け入れれば、ラウルはララとの生活を諦めるしかないのだ。
ラウルは力なく最後の抵抗を試みた。
「俺の血は汚れている。王に相応しいと思えない」
かしずく家臣にラウルが言った。
〈ふん、私がおまえを選んだのだ。いいも何もない〉
突然ラウルの影の中から出てきた黒龍が、その身から立ち上る黒い霧をゆらゆらと揺らしながらラウルのすぐそばで言った。身の丈はラウルの倍ほどの高さにまで膨れ上がっている。
茶色い髪の家臣たちが、黒龍のその姿を見て怯み一斉に後ろに下がった。
〈私の王よ、受け取れ〉
言うなり黒龍は、その身をキリキリと捻り細く鋭く尖り、一振りの真っ黒な片刃の剣になってラウルの手の中に収まった。
「神器だ……」
ララが呟いた。
「ララ、俺は……」
今にも泣き出さんばかりのラウルを見て、ララがニッコリ笑って言った。
「私は、ラウルが生きていればいい」
目尻からコロリと転がった涙の粒が、ララの頬を滑り落ちた。
ラウルがララを引き寄せ、思い切りぎゅっと抱きしめた。
「みなのもの、ララと二人にしてくれ」
「…………」
広間から次々に人々が退室して行った。
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